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   人物編Ⅰ 【や】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【山道 高彦】(やまみち の たかひこ)(馬蘭亭)(ばらんてい)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「蛙叩戸【牛天神下。山道高彦会】
 春の夜の蛙合戦やぶれてや柴の戸たたく水の落武者
 なく声はあまた戸口をたたけども蛙のつらへ水をかけかね」

〈『判取帖』裏書き「山口彦三郎。小石川牛天神下住。田安藩」〉
巴人集②393天明3年
1783/02/10
「鰹走地【已下二首、山道高彦会】 郭公てつぺんかける声よりもまづ地をはしるかつほあたらし
 中洲郭公【みつまたの四季菴に郭公をきゝて】
 ほとゝぎすなくやひとふたみつ又ときくたびごとにめづらしき庵」
巴人集②400天明3年
1783/04/10
「山道高彦のもとにてうなゐ子の髪置きの祝しける夜、うたひめの富士太郎の曲をかたるをきゝて
 千代かけてひく三味線のいとさまは三国一のふじ太郎なり」
巴人集②422天明3年
1783/11/
 天神のその山道のたかひこによもの赤牛ひかれこそ来る
〈濱田義一郎氏が同狂歌入りの掛軸を紹介し、天明3~4年頃の揮毫とする(『天明文学』所収「偶観抄」)〉
巴人集②462天明3-7年
1783-7/
「人日、馬蘭亭に集ふ 今年春似去年春 去歳人非今歳人 唯有年々人日会 此人此日此相親」
「又 菅江不共橘洲遺 一曲狂歌和者誰 但飲生前如此酒 有涯何必羨無涯」
【山崎景貫、字道甫、号菅江。小島恭従、字温之、号橘洲。共に狂歌を善くす。今や則ち亡し】
「馬蘭亭の会 題 雪中若菜 せりなづな五行たんばの雪よ雪ふれやふれ/\鈴なすゞしろ」
南畝集13
漢詩番号2212・3
細推物理
④242
⑧341
享和3年
1803/01/07
「上巳の夜、馬蘭亭に宴す。瞽笛を吹き歌妓三絃子を弄す
 晋代蘭亨曲水陰 徒伝墨帖至于今 已無糸竹管絃盛 何羨一觴一咏吟」
「琴の音の松風よりも三つのをのしらべにかよふ竹の一枝
南畝集13
漢詩番号2257
細推物理
④254
⑧357
享和3年
1803/03/03
「午日前一夕、馬蘭亭・高茂貫・井子瓊・鱸猶人・名和氏・福原潤夫・吉伯教・山臥雲諸子過集す
 一曲新歌一酒巵 老来陶写莫如茲 請看今夕三絃子 勝繋明朝五綵糸
「ヌ 一筵過客忘生熟 四海同遊比弟兄 最是玉娥題贈字 何人不和曲中声
「孫のためにたてし幟兜の祝ひせんとて、諸子を呼ぶ。馬蘭亭・井上子瓊・鈴木猶人・築山氏・名和氏・柳長・かほる・福原氏・浪花の小山氏も来りつどへり。島田氏の女、柳橋の歌妓お益来、三絃を弄す
 まどゐして酔なばけふや思ふころあすのあやめの枕むすばん」
南畝集13
漢詩番号2278
細推物理
④260
⑧362
享和3年
1803/05/04
「(十二月)廿五日 馬蘭亭の例会なり。八重川勾当、琴ひき、宮戸勾当、琵琶を弄す。田竜【仙台の人】来りて、尺八をふく。鶴の巣籠、恋慕等の曲、誠に妙といふべし
 閏年十三月の琴の音も三筋の糸にひきつめてひく 
 年もはやいつしかたけの一ふしの三よ切ほどになりにけるかな

 ことし師走小尽なれば、今夜をのぞきて、明日よりは三夜ぎりなるべし」 〈この年は一月が閏月〉
細推物理⑧400享和3年
1803/12/25
「さつき四日、馬蘭亭にて名見崎子の深川の曲をきゝて【白藤源太深川の幕、新浄瑠璃をきゝて】  蜀山
 京の水しらげて米三男女蔵へしかけ文庫の底の深川」
〈馬蘭亭は山道高彦。「白藤源太深川の幕」とは、この年二月、市村座で上演された「四紅葉思恋深川」のこと。白藤源太が市川男女蔵、松本米三がお俊を演じた(『江戸芝居年代記』)〉
巴人集②439文化1年
1804/05/04
「午日、馬蘭亭・名和氏・雪山師・糟丘生及び諸子と同じく舟を墨水に泛ぶ
 牛渚薫風競渡辰 竜山香閣墨河浜 緑髪双擁三絃子 皓歯斉閉両玉人
 蒲節伝觴飛片羽 鑾刀落俎割鮮燐 暮雲乍作長旺気 疑是仙槌犯斗巡

「其の二 暗水長天月影繊 帰舟猶自褰疎簾 忘機狎鳥軽仍近 聴曲游魚躍不潜
 錦纜徐牽兼綵縷 金罍欲恥指青帘 従容且挈佳人手 売酒楼頭酔且滝」

「同前。聯句 墨水薫風競渡舟 覃 乍容皓歯意悠々 雪山 人生五十須行楽 章 一曲絃歌遺百憂 雪山」
「五日、夏至。敢へて即事を書す 長雲一帯起西天 宛転斜通東北辺 太史観台書物日 遊人競渡建標船
 すみ田川とわたる舟にまかせつゝいざやのぼらん雲のかけはし」
南畝集13
漢詩番号2280-2
細推物理
④263
⑧362
享和3年
1803/05/05
「五月望、馬蘭亭・狂歌堂・山東窟・鳥亭と同じく竹柳塘の亀沢の別業に集ふ。瞽八重川勾当箏を鼓す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
「東荘に飲し、既に夜ふけて馬蘭亭と同じく舟に乗りて礫水に還る
 東荘余酔興猶飛 柳岸茶渓入赫折 枕藉不知衣露冷 満船徒載月光帰」
「亀沢別業の会。烏亭焉馬・狂歌堂真顔・山東京伝・馬蘭亭高彦来、八重川勾当来弾箏(中略)帰路(中略)月清く風すゞし。柳橋より舟にのりて神田川の月みんと、高彦・八重川とともに舟にのる。酔心地にふしぬ。月はいかゞなりけん、しらず」
南畝集13
漢詩番号2286-7
細推物理
④263
⑧364
享和3年
1803/05/15
「五月五日、馬蘭亭にて 此庭の馬蘭のはにもにたる哉あやめのねざし長き出会は」をみなへし②27文化4年?
1807/05/05
「七夕、馬蘭亭・甘露門の諸子と同じく舟を泛ふ
 南北遨遊二水辺 非過浅草即深川 仙槎縹緲三叉口 星漢依微七夕天」
「墨水に舟を泛ぶ 一葉軽舟載妓行 聞歌醸酒大江清 縦有東山謝安石 更無人問奈蒼生」
(七日、馬蘭亭・甘露門、窪俊満、芸妓お益・おい等と両国橋から深川辺まで舟行、酒宴)
〈仙槎は天空の乗り物。星漢は銀河。東山は東晋の政治家謝安の隠居所〉
南畝集13
漢詩番号2318-9
細推物理
④271
⑧380
享和3年
1803/07/07
「夏夜、馬蘭亭諸子と同じく舟を泛ぶ
 楊柳堤東一葉飛 東船西舫自相依 千竿百戯呈煙火 滴々明珠点九微
 其の二 為逃三伏一時炎 連夜同舟興更添 欲引新涼解煩悶 佳人揮手撥垂簾」
南畝集14
漢詩番号2464-5
④319文化1年
1802/06/
「七夕、馬蘭亭と同じく舟を墨水に泛ぶ。会々高橋梁山・高橋茂貫・近藤正斎、舟を方べて至る
 楊柳堤東一葉舟 行凌銀漢泝初秋 酔来無礼詩無律 欲飲三升墨水流
 其の二 橋上行人橋下船 東厓西岸沸繁絃 雨晴片月双星会 興劇千秋七夕筵
 其の三 鵲橋将渡絳河通 暑退新涼動諸風 乍有方舟能蕩槳 宛如晤語一堂中」
南畝集14
漢詩番号2472-4
④321文化1年
1804/07/07