Top          浮世絵文献資料館    時候編
 
   時候編・春 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔時候編〕   大田南畝関係
  【歳旦】(さいたん)
年次詞書・詩歌出典巻・頁年月日
明和5年「戊子元日
 北斗廻雲物 城辺曙色新 謳歌裁白雪 雨沢裛紅塵 未遂三冬業 徒逢弱冠春 牀頭樽酒有 随意賞良辰」
〈南畝は今年二十歳〉
杏園詩集⑥21明和5年
1768/01/01
明和8年「辛卯元日、病に臥して感有り
 鶏鳴日照万人家 欹枕今朝感歳華 猶為牀頭余薬裏 更無盤上頌椒花 弟兄羅列伝杯坐 梅柳参差繞戸斜
 漫道陽和催起色 寧知痼疾在煙霞」
南畝集1③3明和8年
1771/01/01
明和9年「壬辰元日
 鼓声遥響鳳城辺 北斗闌干没暁天 日上扶桑千丈外 鶏鳴高樹万家前 珠袍錦帯趨華省 柏酒辛盤酔綺筵
 朝野共逢春令至 謳歌撃壌楽尭年」
南畝集1
漢詩番号0027
杏園詩集
③3
⑥26
明和9年
1772/01/01
安永3年「正朝口号
 漏尽東方尚未明 卿雲郁々入春晴 天開暦象迎鶏日 人正衣冠向鳳城 朝野斉称千載寿 陽和忽応八風声
 涓埃難報昇平節 一曲謳歌白雪情」
南畝集2
漢詩番号0264
③92安永3年
1774/01/01
安永4年「乙未元日
 正朝起坐草堂陰 初日晴来竹樹林 趨走朱門非我事 翻飛白雪共誰吟 椒盤未免人間俗 柏酒聊酬酔裏心
 風色煕煕従此好 春台何処一登臨」
南畝集3
漢詩番号0327
③117安永4年
1775/01/01
安永5年「丙申元日二首
 天鶏報暁々三号 漸見東方日出高 四海苞茅帰玉版 千家柏葉浸香醪 風生栢上驊騮馬 雪映城辺白錦袍
 独有病夫猶晏起 雲霞送色入揮毫

 春風更入旧山河 天地無如伏枕何 初日纔開催起色 窮陰忽散動陽和 膝前稚子随年長 堂上尊親献寿多
 総為病余貪穏臥 懶朝還似厭婆娑
 其の二」
南畝集3
漢詩番号0452・3
③157安永5年
1776/01/01
安永6年 紛失
安永7年「戊戌新歳の作
 新正冠蓋自紛々 公子王孫日作群 碧水氷消春澹蕩 丹楼霞起気氤氳 開盤已頌椒花色 対酒還憐柏葉燻
 三十無為違夙意 羞将小枝謾相聞」
南畝集4
漢詩番号0517
杏園詩集二
③183
⑥53
安永7年
1778/01/01
安永8年「己亥元日。十二韻
 天鶏鳴未已 曙色望蒼蒼 雨斂千山色 塵清大路傍 城雲廻北斗 海日出東方 氷雪融梅樹 春風灑草堂
 門前車絶跡 庭上鳥窺牆 纔掃蓬蒿径 先伝柏葉觴 団欒粉且語 兄弟転相将 郢調謳歌起 萊衣舞曲長
 閑中有楽地 酔裏還何郷 吾拙真堪養 微官亦不妨 昇平憐節物 駘蕩弄年芳 従此昇台興 熙熙入載陽」
南畝集4
漢詩番号0627
③220安永8年
1778/01/01
安永9年「元日立春
 鶏日鶏鳴曙色来 風光兼遇立春回 雲晴嶽雪千秋秀 露暖階蓂一葉開 郊外土牛迎瑞気 門前車馬動塵埃
 官微転愛多余暇 晏起聊銜柏酒杯」
南畝集5
漢詩番号0756
③263安永9年
1778/01/01
安永10年
天明1年
「元日新晴。士訓・道甫の至る喜ぶ。諸子と同じく賦して歌韻を得たり
 城上晴光気色多 浮雲忽散旧山河 窓前日出三竿近 門外人稀二仲過 蝋雪未全消竹径 年芳早已入庭柯
 貧家本自無兼味 柏酒椒盤一酔歌」
南畝集5
漢詩番号0894
③308安永10年
1781/01/01
「はるのはじめに くれ竹の世のひとなみに松たてゝやぶれ障子を春は来にけり」をみなへし
万載狂歌集
②13
①7
天明2年「元日 春帰氷雪後 紅日照窓前 一酔聊肱臥 如逢太古年」南畝集5
漢詩番号0761
③263天明2年
1782/01/01
天明3年「東都の元日
 春雲捧日送晴光 細柳参差掩武昌 楚楚朝衣趨大府 軒軒霞彩満高堂 乗車共会諸侯国 余瀝斉分万寿觴
 一自神威清四海 蒼生長此仰東方」
南畝集6
漢詩番号1138
③393天明3年
1783/01/01
「年のはじめに かかる世にすめればえいをあらふなり御慶めでたうそうろうの水」
〈屈原「魚夫之辞」〉
巴人集②390天明3年
1783/01/04
天明4年「甲辰元日
 人生大幸遇升平 廿載逍遥傲吏情 宿酔未醒伝柏酒 晏眠纔起啓柴荊 団欒共侍双親坐 車馬応流五鳳城
 此日晴光都邑外 誰占万国有歓声」
南畝集6
漢詩番号1166
杏園詩集二
③404
⑥79
天明4年
1783/01/01
「天明四のとし甲辰 としのはじめに
 立帰るおさな心の春遊び年をば跡へとりかとぞおもふ
 元日のあさ上下にふるのしめさつと世間をはるは来にけり

 吉原歳旦 千金の春のくるわの初買は五町まちまちひらく惣花
 深川歳旦 春の夜の一刻価千金をけふつきそめし富が岡かな」
〈「元日の~」は『狂言鴬蛙集』(天明5年刊)に所収〉
巴人集②427
②462
「閏月歳旦 ふたつなき物と思ひしあら玉の年を両手にうるふ正月
 正月に又こぎかへすさんや船堀まであけの春の二はいめ」
 〈武士八十氏の狂歌会(『狂言鶯蛙集』参照)〉
巴人集②429天明4年
1784閏01/01
天明6年「としのはじめに 雑煮屠蘇午房数の子座禅豆いづくもをなじ春の御祝儀」狂歌新玉集
巴人集
①59
②479
天明6年刊
1786/01/
天明7年「丁未元日
 瑞雪新晴散宿陰 漸看初日動東林 先開柏酒児童喜 更啓荊扉鳥雀吟 閲世細知人事険 投閑却感主恩深
 興来酔臥南軒下 一酔陶然太古心」
南畝集7
漢詩番号1338
杏園詩集三
③463
⑥86
天明7年
1787/01/01
天明8年「元日
 鳴鶏鶏日日光浮 雪後陰雲尚未収 尭暦纔開逢甲子 豳歌已起勧春牛 人生四十須行楽 世路尋常任去留
 聖代素餐叨寸禄 不知何歳老糟丘」
南畝集7
漢詩番号1397
杏園詩集三
③483
⑥88
天明8年
1788/01/01
天明9年
寛政1年
「元日、先人の墓に上る
 初日商山路 繁霜礫水隈 響伝幽谷鳥 香動墓門梅 物候催春色 悽愴隔夜台 蒼天不可極 灑掃空苺苔」
南畝集8
漢詩番号1496
④3寛政1年
1789/01/01
寛政2年「元日
 此日字光明 好占都邑声 綵雲廻北斗 甘露潤東城 雪少梅花早 風和鳥雀鳴 牀頭聊有酒 一酔祝昇平」
 【客歳十二月廿一日、甘露降る】
南畝集8
漢詩番号1571
④27寛政2年
1790/01/01
寛政4年「新歳の作。二首 其の一(詩なし) 其の二(詩なし)」南畝集9
漢詩番号1827-8
④118寛政5年
1793/
寛政6年「甲寅元日
 雲霧霏微曙色披 江城佳気自煕煕 乗軒客競朝元節 撃壌歌如太古時 初日晴来分大路 寒梅雪少発南枝
 東風処処青旗動 不負平生一酒巵」
蜀山集⑥103寛政6年
1794/01/01
寛政10年「五十になりけるとし うちいでゝまたいくはるかこゆるぎのいぞぢにかへる浪のはつ花」巴人集②460寛政10年
1798/01/01
「戊午元日 雲霞朝度大江城 陌上衣冠作隊行 此日光明多気色 好古都邑万民声」蜀山集⑥105
享和1年「元日口号。十二首 野梅門柳又春風 山郭朝暉宿霧中 過客応嘲玄草白 酔顔猶駐去年紅
 其の二  旧年因病請医方 嬴得屠蘇一薬嚢 和酒今朝欲先飲 不知身是丈人行
 其の三  眼前瓜瓞喜団欒 席上柏枝称大橘 笑問女孫年幾何 左開五指右添一
 其の四  彭沢先生有脚疾 扶人正節出蓬篳 名刺頻飛万戸門 轎簾斜射三竿日
 其の五  城頭白水遠山青 滾々諸公上漢庭 世路如経東海道 人生五十有三亭
 其の六  五歩魚標十歩宿 百鄽春意溢閭閻 請看此日光明気 都邑人民声可占
 其の七  三条広路達郊坰 両国長橋望杳冥 江上筑波双黛色 山光先入眼中青
 其の八  日華春動百花川 戸々晴開両岸煙 神女凌波塵不起 微風細々畳清漣
 其の九  紙鳶軽颺好風光 春色君箏曲々張 恐放長糸触行伍 児童且避緑沈槍
 其の十  陌頭猧子舞衣新 鼓吹紛々賽太神 若較淫哇与啁哳 勝他村妓転歌唇
 其の十一 未能免俗賀新年 趨拝門庭度陌阡 数下肩輿何僕々 帰来稍得近炉辺
 其の十二 歳除疇昔客過門 贈我双梅一瓦盆 白未破顔紅已笑 挑燈仔細護培根」
南畝集
漢詩番号
1809-1920
④149享和1年
1801/01/01
享和2年「元日、馬国瑞・順宣師と同じく墨江に遊ぶ
 万里帆来破碧空 三元日静聴松風 墨江南望眉山黛 遠在煙波縹渺中」
南畝集12
漢詩番号2080
④196享和2年
1802/01/01
享和3年「葵亥元日
 西郊山郭聴鶏鳴 早起千家欲賀正 旧節未更春黯澹 陰雲乍散日光明 守門松柏迎車馬 夾路梅花待谷鷲
 帰去始知吾土美 回思界歳浪華城」
南畝集13
漢詩番号2203
④240享和3年
1803/01/01
「元日、両国橋を過ぐ 去年元日墨江浜 南望眉山黛色新 今度二州橋下水 芙蓉天半雪嶙峋」
「又 両国長橋両岸家 雲霞梅柳影横斜 往来絡繹繁華子 川上波光蕩日華」
南畝集13
漢詩番号2214・5
④243
文化1年
享和4年
「甲子元日 五更三点啓城門 列位行分卑与尊 身是庶人在官者 遥々望闕拝朝暾」
〈五更三点は午前3時48分~4時12分〉
南畝集14
漢詩番号2400
④300文化1年
1804/01/01
「甲子の春興 三面の大こく天を三拝し九めんの直る甲子の春」巴人集②438享和4年
1804/
文化2年「乙丑元日 旅飾寒梅映古松 東風吹送五更鐘 海門欲開扶桑樹 曙色先分日観峰」南畝集15
漢詩番号2614
④300文化2年
1805/01/01
文化3年「丙寅元日
 雨歇陰雲澹未晴 終風揚袂且○纓 崎陽旧府経行役 都下新年見太平 五等諸侯同牧伯 三遷四至漢公卿
 庶人未入清流者 叨列千門賀客名」
南畝集16
漢詩番号2856
⑤8文化3年
1806/01/01
文化4年「としのはじめに 門々の年始の礼のなかりせば春の心はのどけからまし」をみなへし②19文化4年
1807/01/01
「丁卯新歳の作
 慧日山東寒又温 春風四入小陽村 黄鴬出谷求其友 紅杏探花楽彼園 世上物情随雅俗 老来心事附児孫
 屠蘇雖後猶能健 莫笑実翁酔裏言」
南畝集16
漢詩番号2979
⑤46
文化5年「戊辰元日 日出庭前一古松 晴天遥照丈人峰 児孫共献三元寿 不羨千金与万鍾」南畝集16
漢詩番号3118
⑤87文化5年
1808/01/01
「六十になりけるとし
 したがふかしたがはぬかはしらねども先これよく耳たぶにこそ
 六十の手習子とて里に杖つくやつえつき乃の字なるらん」
をみなへし②30文化5年
1808/01/01
文化6年「元日、是政村に寓す
 華甲重回己巳春 留運半月玉河浜 三竿影静迎元日 五畝田閑遠世塵
 送却玄夷滄水使 疑為太古葛天民
 忽逢盤上椒花開発 眷恋児孫憶所親」
 〈華甲は六十一歳、還暦〉
「元日 けさははや春のひかりもますかがみ向が岡に霞たつらし」
玉川余波②115文化6年
1809/01/01
文化7年「庚午元日
 池上堅氷雪未融 城門松竹待東風 路堆塩虎猶余白 雲掩金鳥漸現紅 醒酔意遺清与濁 毀誉名任達兼窮
 人間万事須抛却 六十余春一禿翁」

「新歳の作 煕々万国太平民 袞々諸公献歳春 記得甲陽軍鑑語 人間六十二年身」
南畝集17
漢詩番号3303・4
⑤143文化7年
1810/01/01/
「六十二になりけるとしのはじめによめる ことわざの人間六十二年とは甲陽軍を鑑(カガミ)もちかな
【甲陽軍艦第八品に、人間六十二年の身をたもちかね、といひしことばを思ひいでゝなり】」
あやめ草
千紅万紫
②57
①229
文化8年「辛未元日 金城鉄鎖五更風 坎々鼓声雲霧中 三百三十有三槌 一通一通又一通」南畝集17
漢詩番号3448
⑤186文化8年
1811/01/01/
「六十三になりけるとしよめる あら玉のとしも六十三番叟とう/\たらりたらり長いき」万紫千紅①267
文化9年「元日 袖払新松楚々風 早朝冠蓋溢城東 千門万戸三元粛 閑在軒車未下中」南畝集18
漢詩番号3580
⑤227文化9年
1812/01/01
「六十四歳になりければ わが年も六十四文ねがならでうれのこりたる河岸の門松
 元日 あめつちのわかれそめしやかくやらんむつきのけふのひとの心は」
放歌集②177
文化10年「癸酉歳旦 三竿雲霧隠紅輪 寒透人衣未入春 自笑一生無一事 徒過六十五年身」南畝集18
漢詩番号3726
⑤270文化10年
1813/01/01
「癸酉の春歳旦 童子まみゆ門人まどふ老ぼれは六十五教ともにいひがたし」巴人集拾遺②479
文化11年「甲戌元日 頭鶏報暁入三元 風度新松処々門 天爵有余須勇退 屠蘇不敢先児孫」南畝集18
漢詩番号3849
⑤302文化11年
1814/01/01
文化12年「乙亥元日 早啓東窓納日光 人煙闐郭彩雲長 冠童沂楽行相約 春入昌平陬邑郷」〈「浴沂之楽」隠居生活〉南畝集19
漢詩番号3943
⑤333文化12年
1815/01/01
文化13年「丙子元日 朝辞山郭入江城 停午雲霞淑気晴 同姓諸侯麾下士 一群冠蓋散簪纓」南畝集19
漢詩番号4123
⑤382文化13年
1816/01/01
「六十八になりけるとし 五十から十八年のあまつ風春狂言の雪のまくあき」七々集②293
文化14年「丁丑新歳の作 一出牛門与鴬谷 春光五入駿河台 螽斯之羽螟蛉子 遍飲屠蘇後幾回」南畝集19
漢詩番号4240
⑤413文化14年
1817/01/01
文化15年「戊寅新歳の作 四十九年無是非 人生七十古来稀 従心所欲不踰矩 須守晨光之熹微」南畝集20
漢詩番号4325
⑤441文化15年
1818/01/01
「ことし懸車の春をむかへて 位ある人はかくべき小車のわれはいつまでめぐる世の中」
〈懸車は七十歳をいう、位の高い人はこれで退職というが小身の我はいつまで……〉
紅梅集②320
文政2年「己卯元日、城東を過ぐ
 元日通衢見退朝 公侯車騎紫騮驕 未分雲霧三峰雪 先度煙霧両国橋 野鴨幾群浮碧水 紙鳶何処颺青霄
 楼台総有熙々気 更待春風入柳条」
南畝集20
漢詩番号4433
⑤473文政2年
1819/01/01
「己卯の年のはじめに 孫彦の屠蘇におくれて七十に又一盃をかさねてぞくむ」
「七十一になりけるとし 酒はあれど肴なければ月花にうかれぬとしも古来まれなり」
「七十一の春に 孫彦の屠蘇におくれて七十に又一盃をかさねてぞくむ」
紅梅集
一簾春雨
②359
②372
⑩503
文政3年「元日
 昨宵甘雨浥塵埃 暖気先生柏酒盃 欲拝新年未免俗 朝陽已入轎窓来」
南畝集20
漢詩番号4517
⑤496文政3年
1820/01/01
「七十二になりけるとしのはじめに
 わが年は七十候こち風の凍とく/\とく和かの春
 六藝のそのひとつだに通ぜねど年は七十二にぞなりぬる
 泰山の七十二峰としの数とれば三国一ふじのやま
 万代の池のうてなに水鳥のをしも七十二羽ありときく
 そろばんの八九七十二歳より九々の八十一をこそまで

 鶴亀松竹は事ふりたればいはず」
「七十二のとしのうた、よみたして七首とす
 七十に二つあまれば百の口廿四文もぬけたかと思ふ
 柳黄に梅しろくなるおやしきに七十二年長年の春」
紅梅集②382
「元日のあした厠にて 心よくしりくめ縄をたれそめて屁玉のやふな春はきにけり」紅梅集②383
文政4年「元日
 正陽疎雨灑肩輿 不見晴暉照太虚 七十三春猶自健 城南城北拝年初」
南畝集20
漢詩番号4580
⑤514文政4年
1821/01/01
文政5年「元日、雪ふる 疇昔看過七十三 々元望闕想朝参 庶人将詣司農庁 無那寒雲雨雪毿」南畝集20
漢詩番号4632
⑤528文政5年
1822/01/01
「元日雪 初雪に今朝はふりこめられたりし小野のむかしを思ふ元日」あやめ草②95
文政6年「癸未のとしのはじめに みづのとのひつじの年は宝暦の十有五にて学に志す
 六十一年前の癸未はわが十五のとしなればなり」
蜀山集⑥100文政6年
1823/01/