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   画賛編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕   大田南畝関係
  【と】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
画題画賛出典巻・頁年月日
とうえんのちかい
桃園の誓い
「劉玄徳、関羽、張飛の図 桃園はいづれ兄やら弟やら梅とさん/\三国のとき」万紫千紅①278文化11年
1814/
とうえんめい
陶淵明
「陶淵明の図に題す
 菊寿淵明御息災 田園枝を曳て幾回か廻る 古文真宝頭を傾て見れば 帰去来の辞は最も出来」
壇那山人藝舎集①468天明4年刊
1784/03/
「淵明酔眠の図に題す 晋代遺民甲子年 心中万事託無絃 丈夫生遇平常世 莫学先生酔後眠」南畝集15
漢詩番号2628
④369文化2年
1805/01/
とうげんきょう
桃源郷
「桃源図に題す 自擬羲皇上古人 寧為魏晋以来民 夢中占夢滔々者 謾謂桃源別有春」南畝集17
漢詩番号3244
⑤126文化6年
1809/06/
不知魏与晋 何況卯金刀 一入仙源後 幾回開落桃【右、桃源】」
〈「卯金刀」は「劉」の漢字分解。即ち劉氏の漢王朝〉
南畝集19
漢詩番号3996
⑤347文化12年
1815/02/
とうじ
童子
「童子の戯れに地に画きて布袋の面を為すの図に題す
 聚沙為仏塔 画地作弥勘 々々下生時 何須麦紙墨」
南畝集15
漢詩番号2722
④398文化2年
1805/08/
どうじょうじ
道成寺(能)
「道成寺の能曲に図に題す 元亨安珍伝 中山松寿名 演作鐘魔戯 銅鑼雑鼓声」南畝集20
漢詩番号4396
⑤460文政1年
1818/07/
とうしゅこう
陶朱公
「陶朱公舟を泛ぶるの図 一進蛾眉見国傾 更辞鳥喙避功成 杳然湖水沙鴎影 遮莫蘇台糜鹿声」南畝集20
漢詩番号4494
⑤489文政2年
1819/07/
とうじん
唐人
「唐人あまた巻物をひろげてみる絵に 晴雨とも来(きたる)三月三日には蘭亭の記の会主王羲之」
〈「晴雨とも云々」は書画会の案内の決まり文句〉
七々集
万紫千紅
②256
①290
文化12年
1815/09/
とうぼうさく
東方朔
「東方朔の図 歳星曾下漢皇時 玩世金門侍玉墀 王母蟠桃三熟日 不知天上有偸児」
〈東方朔は西王母の植えた桃の実を盗んで食べ八千年の寿命を得たとされる〉
南畝集15
漢詩番号2748
④405文化2年
1805/09/
「画に題す 頑子三偸桃 不復事三遷 畢竟西王母 何如孟母賢 【右、東方朔桃を窃む】」
南畝集19
漢詩番号3995
⑤347文化12年
1815/02/
「東方朔浦島子三浦大助画讃 桃保千年寿 亀遊万代池 大助称三浦 猶纔百六児」巴人集拾遺②490文化12年?
1815?
「すみだ川半右衛門がやどりのかけ物に東方朔の画あり。その上に何ものかしたりけん、ほとゝぎすと発句を書そへたり 三ちとせの桃にはあらぬほとゝぎす東方朔も八千八声」紅梅集②370文政2年
1819/06/30
とぎし
硎師
「紺屋町一丸の屏風に職人尽の絵あり 硎師
 三尺のつるぎをとぎて四百年さびの出ざる代々もこそあれ」
万紫千紅①272文化11年
1814/
ときわごぜん
常盤御前
「常盤三児を携へて雪中を行くの図に題す 貞松歳寒雪 独撫藐諸孤 雖飲重醮恨 終成五覇図」南畝集18
漢詩番号3577
⑤225文化8年
1811/12/
とくさがり
木賊苅
「木賊刈の画に 老の身の枯木のごとくなりにけり木賊をかりて何を磨ん」放歌集②196文化9年
1812/05/
とくり
徳利
「徳利の自画讃に 酒無量ときこえし聖人は上戸歟。酒は三十六失といひし仏は下戸なるべし。用ありともはやく起る事なかれ。ひまありともみだりに動くことなかれ。金は恋の山にすて、玉は酒の淵になぐべし
 おのれやれ富貴になさでおくべきか貧乏神のつげをそむかば
 これは貧窮の神、人にかゝりて告げ給ふことばならびに御歌となん」
巴人集拾遺②475未詳
ととうてんじん
渡唐天神
「是政村に渡唐天神画を見る。紹巴の賛有り。其韵を和す
 無準荒唐説 菅公遺愛梅 飛香無近遠 曾入夢思来(紹巴賛)
 暗香千里外、北野一枝梅 神徳不曾尽 看古往今来 花園間末派紹巴拝賛」
〈是政村、安右衛門所蔵の掛幅〉
玉川余波
調布日記
②129
⑨180
文化6年
1809/02/11
とばえ
鳥羽絵
「鳥羽絵にかける河津の角力に 此角力蟇股野歟河津がけ鳥羽僧正の筆を取組」放歌集②205文化9年
1812/10/
「鳥羽覚融の図の鳥羽絵に 僧正のふりをつたへて鳥の羽のとんだ姿を今にかく融」紅梅集②315文化14年
1817/10/
「鳥羽絵の賛 賢聖の障子の手長あし長とみよや鳥羽画にかける川越」紅梅集②342文政1年
1818/06/
とり
「叭々鳥枯木図に題す 衰年八八翁 枯木叭々鳥 老来毎倦眠 待汝鳴天暁」南畝集18
漢詩番号3614
⑤236文化9年
1812/03/
「画に題す 双鳥含文彩 叢金帯露花 好音与佳色 併是属陶家」南畝集18
漢詩番号3742
⑤300文化10年
1813/12/08
とりあわせ
鶏合
「十二月の画賛 三月 鶏合 もゝ敷の桃の節句ににはとりの二羽あはせてやみそなはすらん」七々集②263文化12年
1815/10/
とりげのやり
鳥毛鎗
「大津絵にかく鳥毛やりをもてる奴をよめる
 あづさ弓やつこ茶屋にもほどちかき翔崔堂の鳥毛やりかも」
放歌集
千紅万紫
②166
①248
文化8年
1811/09/
とりのいち
酉の市<
「十二月の景物に女の風俗ゑがけるに 十一月 酉の市 屋敷者
 後やしきの外面似ぼさつ内心は慾のくま手にかきとりの市」
七々集②285文化12年
1815/12/
とりさし
鳥刺し
「松かげに鳥さし竿をもちて天人をささんとねらう絵に
 乙女でもなんでもさいてくれは鳥さいとりさしを三保の松かげ」
おみなへし②10未詳
とら
「虎猿にゐのしゝの子をかける画は、親と子の七ッ目となん
 たけき虎かしこき猿も子を思ふ心は同じ床のうりぼう」
六々集②239文化12年
1815/05/
「題画【竹虎】 終南官竹園 往々虎為憂 坡老曾侵暁 題詩畏炳彪」南畝集18
漢詩番号3738
⑤273文化10年
1813/01/