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   画賛編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕   大田南畝関係
  【せ】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
画題画賛出典巻・頁年月日
せいおうぼ
西王母
「王母の図に題す 偸桃又偸禄 狡黠是東方 粧作仮王母 青天欺武皇」南畝集18
漢詩番号3710
⑤264文化9年
1812/11/
せいし
西施
「西施の紗を浣ふの図に題す 苧羅西子未辞渓 正是越王棲会稽 一入呉宮人尽酔 姑蘇塵鹿為君啼」南畝集13
漢詩番号2198
④237享和2年
1802/12/
せいしょうなごん
清少納言
「清少納言の絵に 清といふ名代のむすめまくら絵の笑本よむはるはあけぼの」放歌集
千紅万紫
②160
①242
文化8年
1811/07/
せいぶつ
静物
「栗柿のゑに 栗柿の熟してなれる後の月ゑみてやくまん酒の樽ぬき」
「蜆をつとにして、薄、きぬかづぎのいもの画に
 業平の蜆とみれば花すすき穂にいづれどもきぬかづくいも
 ふたうたともに十三夜の月のかてものなればなり。よくよくみれば蜆にあらず、やはり芋なり。よりてもじをとゝあらたむ」
紅梅集②310文化14年
1817/09/13
せいようが
西洋画
「西洋画に題す 白石先生攬異言 青君博物鑿混沌 請看六合九州外 自古聖人存不論
【白石は新井君美を謂ひ、青君は青木敦書を謂ふ】」
〈『荘子』斉物論第二の六「六合之外、聖人存而不論」〉
南畝集13
漢詩番号2284
④262享和3年
1803/05/
せがわ ろこう
瀬川 路考
(三代目菊之丞)
「瀬川路考・松本錦考、おはん長右衛門道行瀬川仇浪の狂言の画に
 金箱をせなかにおはん長右衛門二人りが藝にあだなみはなし
 音にきく瀬川のきしのあだ波はあてしや入のくづれこそすれ」
をみなへし②16天明1年
1781/03/
「路考錦考髪梳(カミスキ)の図に題す
 瀬川の白菊波の寄るかと疑ふ 松本の紅顔錦の茵に似たり
 胸霽(ハ)れ手に楊柳の髪を梳(クシケズ)る 恨消ては涙鏡台の塵を洗ふ」

「瀬川の仇波戯字を得たり
 桂川瀬川松本翠りなり 島様(サン)紺様(サン)中乗り戯る 共に称す路考大明神と 大神宮より贔屓多し
壇那山人藝舎集①466
①467
天明4年刊
1784/03/
「戯れに戯子正旦路考の図に題す
 宛然姑射一神人 綽約氷肌舞態新 多少勾欄看戯客 誰知弄仮更為真」
南畝集6
漢詩番号1257
③432天明5年
1785/03/
せき
妬 (夜鷹)
「屠竜公子の席上、妬婦夜貴船の嗣に祈るの図に題す
 香羅骨結両同心 海誓山盟契濶深 溝水応須無断絶 谷風何事変晴陰
 伐柯斧使良媒失 積羽舟随旧怨沈 苦向叢嗣将告訴 松杉夜色気蕭森」
南畝集9
漢詩番号1890
④138寛政3年
1791/
せきへき
赤壁図
「蘇子瞻の赤壁に遊ぶの図に題す。二首。其の一。人字を得たり
 赤壁知何処 風煙画裏新 舟疑浮一葉 天自絶繊塵
 作賦嗟陳迹 披図憶古人 如聞洞簫響 名月満江浜

 其の二。山字を得たり
 当年蘇学士 一謫謝朝班 二客黄泥下 扁舟赤壁間
 月明空木葉 霜落古江山 孤鶴随毫末 飄々不可攀」
南畝集4
漢詩番号0603・4
杏園詩集
③210
⑥55
安永7年
1778/10/
せっけい
雪景
「山家の雪景 瓊樹離々綴夜珠 羞明飄瞥暁模糊 門前長謝洛陽令 一幅袁安堅臥図」
〈袁安、官途に就く前の挿話〉
南畝集19
漢詩番号4084
⑤370文化12年
1815/09/
せんずまんざい
千寿万歳
「せんず万歳の絵に あら玉のとしのみはしのしたつづみうてやはやせや千秋万歳」千紅万紫①253文化10年
1813/01/
せんにん
仙人
「仙人笛をふく画に 笛をふく仙人の名は何といふ絵の事なればとへどこたえず」六々集②222文化12年
1815/02/
「仙人愛鹿図 仙人何愛鹿 鹿肉暖防寒 未弁御蚕美 応因木葉単」
〈寿老人か〉
紅梅集
巴人集拾遺
②340
②495
文政1年
1818/05/
ぜんそう
禅僧
「月仙がゑがけるといふ禅僧葡萄をみたるかたに
 鎮州の土大根かとよくみればとりも直さず天王寺蕪」
をみなへし②49文政5年
1822/06/
せんどう
船頭
「船頭、雪の舟をさす 雪の日は興に乗じて出船より興つくるまでこぐ上下とも」紅梅集②316文化14年
1815/12/