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   画賛編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕   大田南畝関係
  【か】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
画題画賛出典巻・頁年月日
かいつぶり
鳰(鸊鷉)
「かいつぶりの絵に 水鳥のかいつぶりをやふりぬらんうき世の事を人にとはれば」放歌集
千紅万紫
②169
①248
文化8年
1811/10/
かいどう
海棠
「海棠に春帯鳥の画 ことぶきの帯長々と羽をならべ枝やつらねん海棠の花」紅梅集②366文政2年
1819/04/
かえる
「蛙、舟ばたに居て雨をまつかたかきたるに
 雨ごひの歌やよまんとよもすがらかはずの口をたゝく船ばた」
巴人集②436天明4年
1784/02/
「蛙囲碁図 一寸二三寸 蛙飛青柳枝 道風与駄六 応是打相碁」紅梅集
巴人集拾遺
②344
②495
文政1年
1818/06/11
「月の前に雨蛙の画に 雨がいるなどさはなくぞ月の中のひきも雲井にはれわたる比」紅梅集②375文政2年
1819/08/
かえる
蟇蛙
「ひきがいる年始にきたるゑに 年々に御慶めでたく候とかいるのつらへかくる若水」七々集②272文化12年
1815/10/
かかし
案山子
「案山子のゑに 心なき弓矢に心ある鳥をいかゞしてかや驚かすらん」あやめ草
千紅万紫
②69
①233
文化7年
1810/03/
かがみみがき
鏡磨き
「堀江町にて白団扇三十五本、児悠々子に絵をかゝしめ、狂歌を題す
 鏡磨 末の代の鏡磨とやなりぬらん武道をみがく越後謙信」
細推物理⑧374享和3年
1803/06/19
かき
「十二月の画賛 十月 柿栗 神無月神のお留守にうみ柿のいつみつ栗とゑみさけてまつ」七々集②264文化12年
1815/10/
かき
花卉
「梅、椿、水仙花をゑがきたるに曹氏の植木の梅に玉つばきおりてかざす歟洛水の仙
 【欄外、曹植字子達著洛神賦】
「梅、椿、水仙のゑに 水仙のたまたま椿一えだの梅がかみにはたちがたき花」
紅梅集②318文化14年
1815/12/
かきのもとのひとまろ
柿本人麻呂
「柿下大夫の像に題す 振思百世上 独歩百世下 自有生民来 無若大夫者」南畝集18
漢詩番号3565
⑤222文化8年
1811/11/
がく
額 (題字)
「(多摩川下布田村八十右衛門の宿舎)一もとの辛夷の花今をさかりなり(中略)辛夷亭の額かきてあるじに贈れり」調布日記⑨216文化6年
1809/02/27
かくしぎ
郭子儀
「郭汾陽弄孫図に題す 黄髪皤々一老人 児孫羅列日相親 二十四孝中書今 天下安危在此身」
〈唐・郭子儀。安史の乱を平定。武人から最後は中書令に昇進〉
南畝集13
漢詩番号2129
④216享和2年
1802/05/
かくべえじし
角兵衛獅子
「みどり町滝口氏にて扇に画かきたるをあたもち出て狂歌せよと望む
 角兵衛獅子の絵に 打出てみれば太鼓の音にきく獅子奮迅もかくや角兵衛」
をみなへし②12未詳
がくようろう
岳陽楼
「岳陽楼の図に題す 岳陽楼閣洞庭雲 上下天光一碧分 如此勝状誰賦者 先憂後楽范希文」南畝集16
漢詩番号3159
⑤98文化5年
1808/04/
かこいもの
囲者
「十二月の景物に女の風俗ゑがけるに
 二月 摘草の囲者 籠の鳥かこはれもののつみ草はいつか広野のすみれたんぽゝ」
七々集②285文化12/12/
かしまねぎ
鹿島禰宜
「鹿島禰宜の図
 常州鹿島大明神 神託正に事触(ブレ)に因て新なり
 躍(ヲドリ)罷(ヤ)んで賽銭皆自ら取る 撥は太鼓に当て人に当らず」
壇那山人
藝舎集
①465天明4年刊
1784/03/
かじや
鍛冶屋
「かぢ屋に蜜柑をなぐる画 あげまきもうなゐも門にたち花のかぢやたづねてきの国みかん」紅梅集②317文化14年
1817/11/
かずさねんぶつ
上総念仏
「上総念仏の図 上総還て下国の名を伝ふ 木綿丈無し客に情無し
 但仏法東漸の験に因て 男女能く六字の声を為す」
壇那山人藝舎集①465天明4年刊
1784/03/
がちしょう
賀知章
「知章騎馬図【二人介抱スル図ナリ】
 知章乗遠馬 自似猪牙舟 生酔八仙一 両人留不留」〈飲中八仙〉
巴人集拾遺②498文政3年
1820/
かたつむり
蝸牛
「端牛図 一箇蝸牛自有廬 青要山下度居諸 倮虫三百六十長 底事棲々営所居」南畝集13
漢詩番号2373
④287享和3年
1803/11/10
かちょう
花鳥
「連翹かまんさくかの木に鳥の画 まんさくかそれかあらぬ歟連翹の枝はいづれに鳥の雛壇」七々集②287文化12年
1815/12/
「画に題す 已発一叢含雨露 将還飛鳥下庭堦 南山気与東籬菊 日夕風光孰最佳」
〈「南山気」は謝霊運、「東籬菊」は陶淵明〉
南畝集20
漢詩番号4475
⑤484文政2年
1819/05/
かつお
「鰹の画に 鎌倉の海よりいでてむさしののはらにいるてふ三千もとの魚」あやめ草
千紅万紫
②62
①250
文化7年
1810/01/
「鰹と茄子のゑに 鎌倉の鰹ににたる三茄子みな一ふじの高ねとぞきく」七々集②260
文化12年
1815/09/
「隣松のかける鰹に卯花 面白し雪を隣の松の魚大根おろしにあらぬ卯花」をみなへし②52文政5年
1822/11/
かとう きよまさ
加藤 清正
「加藤清正像に題す 征韓誰是策功勲 絶海艨艟捲陣雲 八道孤城如振稿 至今猶説鬼将軍」南畝集19
漢詩番号4187
⑤398文化13年
1816/06/
かなえかぶり
鼎かぶり
「鼎かぶりの法師の絵に うしの時まゐりかなどと人にとはば鼎かぶりの僧とこたへよ」万紫千紅①268文化8年?
1811/
「かなへかぶりの画に 仁和寺の法師の趣向あしかなへかぶりふれどもぬけぬくるしさ」紅梅集②311文化14年
1817/09/
かに
「蟹の絵に 横文字の阿蘭陀もあり足どりのあしまの蟹と笑ひ給ふな」六々集②223文化12年
1815/01/
「蟹、はさみをかくすかたへに蛤あり 蟹もまたはさみかくして蛤の口をあきなば舌やきるべき」紅梅集②311文化14年
1817/09/
がびさんげつ
峨眉山月
「峨眉山月の図に題す 天外峨眉秀色新 放歌一曲謫仙人 異時異境誰相見 千古唯余月半輪」
〈李白「峨眉山月歌」〉
南畝集17
漢詩番号3392
⑤170文化7年
1810/08/
がませんにん
蝦蟇仙人
「蝦蟇仙人 みな人は蛇をつかふに仙人はひきがいるのみつかへるはなぞ」七々集②260文化12年
1815/09/
かめ
「大きなる玉を亀の甲にいたゞくゑに 沢庵のおもしに似たる石亀の甲のものかや大きなるたま」放歌集
千紅万紫
②154
①244
文化8年
1811/05?
からくり
機関
「堀江町にて白団扇三十五本、児悠々子に絵をかゝしめ、狂歌を題す
 水からくり 額をも過さしむべき水遊びみよや隣へこしたお袋」
細推物理⑧374享和3年
1803/06/19
かり
「富士のふもとに鳫わたる画に みよし野ゝたのむのかりも木の花のさくや姫さま参る玉章」放歌集②237文化12年
1815/04/
がちしょう
賀知章
「賀季真の酔うて馬に騎る図に題す
 金貂換酔一醺々 逆鼻糟風不可聞 騎馬乗船寧落井 神全於酒是殊勲」
南畝集19
漢詩番号4052
⑤361文化12年
1815/05/
かわづ
河津 (相撲)
「鳥羽絵にかける河津の角力に 此角力蟇股野歟河津がけ鳥羽僧正の筆を取組」放歌集②205文化9年
1812/10/
かわせみ
翡翠
「みどり町滝口氏にて扇に画かきたるをあたもち出て狂歌せよと望む
 芦に翡翠 とりあへずよめる狂歌は難波江のよしやあしともまヽのかはせみ」
をみなへし②11未詳
「松浦静山老侯より二画賛をこはる。旧作を小補してとみの責をふたぐ
 月下子規 林高夏月明 露滴郷心切 莫使子規啼 々時山竹裂
 葦間翡翠 ざれ歌の口ばしなれば難波江のよしやあしともまゝのかわせみ」
あやめ草②88文政4年
1821/07/
かんこう
どくちょうず
寒江独釣図
「夏日、寒江独釣図を観る
 羨爾煙波一釣徒 篷舟蓑笠興何孤 満天雨雪看飄散 盛夏炎蒸更有無
 毫素添光誰自掃 漁歌向晩似相呼 此時如得并刀好 截取寒江半幅図」
南畝集5
漢詩番号0793
③274安永9年
1780/05/
かんこどり
閑古(諫鼓)鳥
「四角画の自賛 かんこ鳥 四角なる玉子をみてもかんこ鳥ふかくかく画の鳥おどろかす」をみなへし②18天明1年?
1781/?
「諫鼓の画に のどかなる夕つげ鳥の声す也いさめのつゞみ音もなき代に きのふ川崎のやどのあるじのこふにまかせてかきてやれり。内々の事也」
〈川崎宿主人・朝田屋武右衛門の依頼、他に「牧童 笛竹の~」「布袋 家藏に~」二首〉
玉川余波②112文化5年
1808/12/18
「諌鼓鶏図 山王祭礼与神田 大伝馬町第一先 諌鼓苔深鶏欲度 東天紅色映毛氈」巴人集拾遺②490文化13年
1816/06/
かんごり
寒垢離
「題寒垢離画 寒氷可履也 中庸不可能也」あやめ草
千紅万紫
②62
①229
文化7年
1810/01/
かんざん
じゅっとく
寒山 拾得
「寒拾図 寺古寒山子 雪生拾得巌 世人不知意 往々貌為凡」南畝集16
漢詩番号2900
⑤20文化3年
1806/05/
「寒拾図 捨身難捨寓雲峰 執帚持経代賃舂 寄語天台双行者 莫忘正午飯時鐘」南畝集16
漢詩番号3062
⑤70文化4年
1807/04/
「寒山拾得 寒山が拾得きたる絵姿は医者でもあらず茶坊主でなし」放歌集②198文化9年
1812/07/
「寒拾図に題す 両個行童往又還 一称拾得一寒山 誦経掃帚餐香積 不識人間稼穡艱」南畝集19
漢詩番号4018
⑤353文化12年
1815/03/
「融川法眼の印陀羅の図にならへる寒山拾得の画に
 平生の竹帚とも見えざるは何だ羅葉か印陀羅様か  寒山が寒中見舞数十通四睡の虎や千里くばらん
放歌集②236文化12年
1815/04/
かんじょ
官女
「官女碁を囲むの図 昼漏沈々報玉墀 風荷露滴子声遅 承恩不買千金賦 失寵誰輸一碁」南畝集17
漢詩番号3431
⑤181文化7年
1810/11/
「官女の図 漢祖英雄懼野鶏 楚王叱咤泣虞兮 玉楼金殿如花女 不出楊家一字迷」
〈劉邦と妻呂鶏・項羽と虞美人だが、楊家は?〉
南畝集18
漢詩番号3535
⑤213文化8年
1811/07/
「十二月の景物に女の風俗ゑがけるに
 七月 七夕 官女 黒かみもいつか素麺としどしの七夕のうたよむとせしまに」
七々集②285文化12年
1815/12/
「十二単の装束に十軒店の節句前を思ひ、すべらかしのたけ長きに五丁町の髪あらひをしのぶ
 ひのはかまひとつぬぎてもふたつみつよついつゝぎぬむつかしき恋」
七々集②292文化12年
1815/12/
「しもとをふりて官女をおふ画に ふたつみつよついつゝきぬ子丑とら卯杖に似たるしもとゝぞみれ」紅梅集②370文政2年
1819/07/
「官女の画に 緋のはかまきたる姿は外に又ないしのすけとみゆるしろ物」紅梅集②370文政2年
1819/07/
かんしん
韓信
「韓信股をくヾる画の賛 からはから、日本は日本。唐の紙屑のみを拾ひて、にほんの刀をわするる事なかれ
 道なかにたつの市人かりすてヽまたはくヾらぬやまとだましゐ」
あやめ草
千紅万紫
②55
①250
文化6年
1809/11/
かんたんのゆめ
邯鄲の夢
「盧生邯鄲の夢のかた書たるに 粟の飯かしくとゝめて五十年栄花のゆめを見まいらせ候」千紅万紫①252文化9年?
1812/