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   画賛編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕   大田南畝関係
  【は】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
画題画賛出典巻・頁年月日
はぎ
「芳宜花 昔聞承和宴 今見芳宜花 秋色栽天錦 庭陰綴露華」
〈承和十一年八月一日、仁明天皇が紫宸殿にて萩(芳宜)の花宴を催す。『続日本後紀』〉
南畝集8
漢詩番号1513
④9寛政1年
1789/02?
はくい
伯夷
「扇面に画賛 伯夷 わらびばかりくふとはいかい不自由な焼豆腐でも周のまめかわ」あやめ草
千紅万紫
②79
①237
文化7年
1810/07/
はくが しょうしき
伯牙 鍾子期
「伯牙琴をひき鍾子期きくゑに 古今唯有一鍾子期
 玉琴の糸をたちしもことわりやかなつんぼうの多き世の中」
放歌集
千紅万紫
②154
①241
文化8年
1811/05?
はくぞうす
白蔵主 (狐)
「白蔵主図 千年白蔵主 三衣青道心 蘭菊与焼鼠 何方香気深」巴人集拾遺②490文化13年
1816/
はくらくてん
白楽天 (能)
「住吉白楽天の画賛
 青苔帯衣掛岩肩 白雲似帯廻山腰
 苔衣かたるいはほはさもなくてきぬぎぬ山の帯をするかな

 楽天が詩白俗の称ありといへども、かゝる平仄のなき詩はつくらじ。神詠は神主の上手下手によるといへども、津守の何がしもかくつたなき歌はよむまじ。成し事は説かず既に往(インジ)をば、咎めずといへば、とにもかくにも謡つくれるものゝ心次第なるべし
 むだ口をはく楽天がことのはも久しくこれで住吉の松」
あやめ草
千紅万紫
②72
①234
文化7年
1810/04/
ばじとうふう
馬耳東風
「馬の耳に風のかたかきし羽織のうらに
 うしろから羽織をかけていつお出なんすといへど馬の耳にかぜ」
放歌集
千紅万紫
②167
①248
文化8年
1811/09/
はす
「采蓮図に題す 柳垂迎翠黛 蓮発媚紅粧 顔色猶嫌浅 時臨鏡水長」
南畝集18
漢詩番号3856
⑤304文化11年
1814/01/
はな
「画に題す 絵香々気発 滴露々華加 怪底丹青手 能開頃刻花」南畝集17
漢詩番号3254
⑤128文化6年
1809/08/
はな
花 (桜)
「花の枝の画に おみやげによしのゝ雲をひとつかみつかみてかへる枝おりの花」放歌集②187文化9年
1812/04/
はなさかじじい
花咲か爺
「花さかせ爺の絵に
 むかしたれいかないかきの灰をまきてかれ木の枝に花さかせけん」
あやめ草
千紅万紫
②57
①229
文化7年
1810/01/
はまおんな
浜女
「十二月の景物に女の風俗ゑがけるに
 三月 汐干の浜女
 つまとれど汐干にみえぬ貝と貝あはせてうつせはまのせゝなぎ
     欄外 ちのみ子のやるせ渚にをりたちて汐干の玉もひらふ浜ぐり」
七々集②285文化12/12/
はまゆみ
破魔弓
「高砂尉と姥の絵に 高砂の松の落葉をかきよせてたくや二人の茶のみ友だち」七々集
万紫千紅
②287
①293
①297
文化12年
1815/12/
はらこうざん
原更山
「原更山肖像 下駄新道卜居閑 伐木丁々山更山 【更山住鍛冶町西下駄新道】」紅梅集②314文化14年
1817/09/
ばんしょくず
蛮触図
「蛮触図に題す 楚漢鴻溝割 源平鴇嶺兵 若従天外見 蛮触似相争」
〈「蛮触」は蝸牛角上の争い。漢楚の戦い、鴻溝を挟んで対峙。一ノ谷の合戦〉
南畝集20
漢詩番号4480
⑤485文政2年
1819/06/
はんれい
范蠡
「范蠡西施を携へて湖に泛ぶの図に題す
 自変鴟夷作隠淪 不随烏喙列功臣 扁舟更有桑中喜 容与五湖煙水浜」
〈呉が滅亡した後、范蠡と西施は共に五湖に船出して行方しれずになったとされる〉
南畝集15
漢詩番号2739
④403文化2年
1805閏08/
「范蠡西子を携へて湖に泛ぶの図
 灑々鴟夷子 功名如脱屣 芙蓉一朶花 可以泛煙水」
南畝集19
漢詩番号4294
④427文化14年
1817/08/