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   画賛編【た】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕大田南畝関係
  【達磨】(だるま) ◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「達摩、傾城のすがたにて道中する画に 玉章の文字にはかきもつくされず坐敷の教外床の別伝」巴人集②404天明3年
1783/05/
「達磨琵琶を弾く賛
 坐禅観法九年の間 一面の琵琶壁に向て閑なり 是れ此の蝉丸逢坂の外 往来別に無門の関有り」
壇那山人藝舎集①466天明4年刊
1784/03/
「達磨賛 拈華微笑の床花は、正法眼蔵の帯をとかせ、教外別伝の正伝節は、文字大夫が流をたてず。芦の一葉の猪牙に乗て、九年面壁の居つゞけとは、汝が尻のくされ縁歟。金がふんだんだるまなる歟。から/\喝
 九年酒のつまり肴の座禅豆外に本来一物もなし”安永の末に成るか。」
四方のあか②110天明8年刊
1788/
「背面達摩賛
 八万四千のお敵に対して、おがみんすへと、うしろむきしは、富の緒川の流れの身、しなてる屋の片岡歟。如何々々」
四方のあか①123天明8年刊
1788/01/
「女達磨のゑに題す 庭前柏葉斎宮紋 面壁九念弟子分 私同色客乗蘆去 教外別伝不立文」あやめ草
千紅万紫
②62
①231
文化7年
1810/01/
「達磨大師騎馬の図に題す 八万四千諸法相 三千世界一如心 却嫌白馬駄文字 独跨玄驪入少林」南畝集17
漢詩番号3391
⑤166文化7年
1810/07/
「達磨大師の図 海外西来一葦杭 庭前柏樹露為霜 九年絶学無文字 面壁応須是面牆」南畝集18
漢詩番号3659
⑤249文化9年
1812/07/
「背面達摩の画像を見て やよ達摩ちとこちらむけ世の中は月雪花に酒と三味線」
「達摩の賛 やよ達摩ちとこちらむけ世の中は月雪花と酒とさみせん」
一簾春雨
巴人集拾遺
⑩507
②476
文化10年?
1813?
「達磨三線をひく画に 庭前の柏にあらぬ紫檀棹そもさん絃のねは華りん胴」六々集②222文化12年
1815/01/
「達磨画賛
 南天竺の菩提達摩、はるばると西より来りて、梁の武帝にまみえし時、民の膏血をしべりて堂塔伽藍をつくるをみて無功徳とこたへ、つゐに小林のもとにかくれて面壁九年、教外別伝不立文字とはいへど、一切経の板行もこの門流の末になりて、おがみづきのめしくふぼんさんも、この檗板のおかげによりて大般若の転読も出来、五七言の偈でも作るはまだ/\此輩なるべし。いたづらに雪まろげの作りものとなりて、子共の杖に穴をあけられ、疱瘡見舞いの不倒翁、おきやがれ小法師とあたまをはるるも、又白眼のいたりならずや」
七々集
万紫千紅
②293
①301
文化13年
1816/01/
「達摩欠伸の図 よしあしのなにはの事も流行におくれはてたり九年面壁」紅梅集②320文化15年
1818/01/
「背面達磨 面壁九年母 新言秘密柑 五時八教外 自有別伝甘」巴人集拾遺②497文政2年
1819/