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   絵師編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔絵師編〕   大田南畝関係
  【し】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
絵師詞書・詩歌出典巻・頁年月日
しば こうかん
司馬 江漢
「司馬江漢のかける猿橋の画に ましらなく名におふはしはあし引の山のかひある国とこそきけ」玉川余波②123文化6年
1809/01/
「青山堂に司馬江漢画く所の鎌倉七里が浜の図観る
 昔掲白南愛宕廟 今帰郭北青山堂 泰西画法描江島 縮得煙波七里長」
南畝集18
漢詩番号3518
⑤209文化8年
1811/05/
「近頃まで愛宕山にかけてありし絵馬をはりかへ時、青山堂これを得て裱褙して携来
 相州鎌倉七里濱図 寛政丙辰夏六月二十四日  西洋画士 東都 江漢司馬峻描写
 昔掲城南愛宕廟 今帰郭北青山堂 泰西画法画江島 縮時烟波七里長 杏花園題」
〈青山堂は書肆雁金屋清吉〉
一話一言
巻36
⑭416
しゅんまん くぼ
窪 俊満
「尚左堂の二覧浦の図 二覧遥連浦 双巌対若門 欲知神所在 勢海浴朝暾」南畝集14
漢詩番号2567
④348文化1年
1804/10/
「関宿の城主君、春のすりものゝ画にことばがきをこはれしかば
 四海の波もおだやかに、おさまる一の太神楽、大尽舞の春のくるわに、庭火たくうかれめの風俗をうつせしは、常磐のはしの松の、今一しほの色そへて、千代田のたねの籾のすりもの、ちよよろづ代のためしなるべし」
「関宿の君のすりものゝ奧にことば書そへよとこふに、又鈍々亭和樽の社中白木屋何がしのすりものに歌をこふ。二つとも尚左堂俊満のたくみなり
 橘のはなの先より遠責の面しろ木やの鈍々の音
 ふたつともにいなみて狂名をばかゝず」
紅梅集②318文化14年
1815/12/
しゅんしょう
かつかわ
勝川 春章
「勝春章が図の屏風 市川の太刀を賦し得たり
 市川の腰間の太刀を佩(オ)ぶ  暫く汗を拭くべし柿を袍とす
 公家悪驚く鯰坊主  切幕颯と開く角前髦
 之を執らば引立誰か能く前(スス)まん  気凛たり花道連禰(ツラネ)の辺
 連ぬるに東夷南蛮の語を用ひ  更に四夷八荒天に及ぶ
 壷屋の似顔奇状を写し  天地乾坤儼として相向ふ
 筆を運(メグ)らし画と為して時に一枚すれば  人の心をして桟敷上に在らしむ」

〈春章の役者絵を詠んだ狂詩。『唐詩選』所収、李頎の「崔五丈図屏風各賦一物得烏孫佩刀」のパロディ〉
通詩選①440天明4年刊
1784
しんさい
りゅうりゅうきょ
柳々居 辰斎
「かまくらがし春の屋【欄外。豊島屋也】のもとにて夷講の日、辰斎、夷の鰹つりたる所を画きければ
 名にしおふ鎌倉がしの魚なれば鯛より先にゑび寿三郎
 酒ぐらは鎌倉河岸にたえせじなとよとしま屋の稲の数/\」
七々集
万紫千紅
②271
①294
文化12年
1815/10/22