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   画賛編【え】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕大田南畝関係
  【栄之 鳥文斎】(えいし ちょうぶんさい)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「戯れに栄之の娼妓図に題す 脱却華袿羅帯垂 画屏風外歩遅々 双眸斂鬢掻頭正 応是紅閏進寝時」南畝集14
漢詩番号2545
④342文化1年
1804/10/
「鳥文斎栄之、三幅対の画の表具に書ちらせり
   左 つとにいたる赤貝より傾城のすがたを吹出したる表具に、大尽舞のうたをかきて一文字に
 花さかば御げんといひしあか貝の塩干の留守に使は来たり
   中 蛤貝より青楼の屋根の形と土手を四ツ手駕籠の通ふるかた吹出したる絵かきたる表具に、
     まことはうその皮、うそは誠のほね、のことばとたはれ歌をかきて一文字に
 遊君五町廓 苦海十年流 二十七明夢 嗚呼蜃気楼
   右 苞にしたる蜆貝よりかぶろ二人ふきいだしたるに、表具には、河東ぶしの禿万歳の文句をかき
     さして
 しじみ貝つとめせぬ間にさく梅の雪だまされし風情なり平」
放歌集
千紅万紫
②162
①241
文化8年
1811/07/
「題栄之画 一入大門口 栽桜花若人 中町多茶屋 七軒七福神」 〈吉原、仲の町の光景か〉六々集②221文化12年?
1815/01/
「栄之がゑがける柳に白ふの鷹に 右にすえ左にすゆるひともとの柳はみどり鷹はましらふ」
「同く紅梅に鷹 くれなゐの梅咲匂ふ軒ばうちとまれるはたが屋かた尾の鷹」
七々集②269文化12年
1815/10/
「白木屋にて栄之のかける黄金の竜の富士の山をこす絵に
 としどしにこがねの竜ののぼり行ふじの高ねの雪のしろきや」
七々集
万紫千紅
②270
①293
文化12年
1815/10/22
「栄之のゑに瀬戸物町おのぶと駿河町おかつをかける
 われものの瀬戸物町もさだ過ぬ嶋田も丸くするが町より」
七々集②275文化12年
1815/11/
「豆男画巻序
 いせ物がたりのまめ男はまめやかなる男なるべきを、形のちいさき豆にたとへて、色事の豌豆まめにかきなせしは、一合八文舎のたはぶれにして、大通豆の世のことわざなる、青豆の青黛、黒豆の黒仕立、枝まめの枝をかはし、羽根をならぶる雁くひ豆も、鬼うち豆のとしをかさねて、座禅まめのさとりをひらく、豆右衛門のむかしがたりを、鳥文斎の筆まめにゑがゝれし一巻に、わが口まねの序をそへよと、豆のまめがら七あゆみ、七里かへりてくふ豆に、そらまめのそらごとをまじへてしるす」
七々集
万紫千紅
②290
①292
文化12年
1815/12/
「鳥文斎栄之の山水を画けるに題す
 陳琳一檄餐成章 曹瞞頭風起臥床 瞥見栄之山水賦 当愈痼疾与膏肓」
「其の二 貴威王侯何不明 紛々画院費経営 一時名手避三舎 養朴探幽疑再生」
南畝集20
漢詩番号4503-4
④492文政2年
1819/09/
「吉原桜 栄之画。太田姫稲荷奉納 よし原もよし野の花の白雲をみるやまがきのもとの人丸」紅梅集②383文政3年
1820/01/
「かくれ里の記 いづれの世いづれの所に歟ありけん、七の福神まし/\かり(略)
(福禄寿・恵比寿・大黒の墨水遊船の図の落款)「鳥文斎栄之翁古図 香蝶楼国貞〔印〕」
 天明とあらたまりぬるはじめのとし弥生の比小車のうしこみの里に筆をとるものはたそ  四方赤良
 蜀山先生隠里之記、天明元年辛丑之春、偶然所草一時戯墨也。移換若駒隙五十六年、
 于此可謂已旧新上梓 以贈同好之人云   天保丙申  花笠野史
〈栄之の作画年月は不明、国貞が写したのは天保七年であろう〉
かくれ里の記①317天明1年
1871/
天保7年
1846/