Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ふさのぶ(ぎんせつ) とみかわ 富川 房信(吟雪)浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕  :『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」   『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」木村八重子著   『稗史提要藁本』比志島文軒(漣水散人)編   『黄表紙總覧』棚橋正博著・日本書誌学大系48   『江戸小咄辞典』「所収書目解題」武藤禎夫編   『噺本大系』  「所収書目解題」武藤禎夫編  ☆ 享保十五年(1730)    ◯『俗曲挿絵本目録』(漆山又四郎著)    富川吟雪画?『十番切かけあい』(せりふ)吟雪風画 和泉屋板    〈『俗曲挿絵本目録』に刊年はないが、「日本古典籍総合目録」に「荻野伊三郎・二世市川団十郎せりふ集」『しかた     十番切かるたづくしせりふ』が享保十五年刊とある。参考までに享保十五年を設けて収録した〉    ☆ 享保年間(1716~1736)    ◯『増訂武江年表』1p139(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享保年間記事」)   〝浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川吟雪    房信等行はる〟      ☆ 享保~宝暦(1716-63)    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕   「新板隠里福神嫁入双六」富川吟雪 ますや(東博)墨摺  ☆ 元文元年(享保二十一年・1736)      ◯「絵本年表」(享保二十一年刊)    富川吟雪画『日蓮御一代記』一冊 画工不明 吟雪 村田屋次郎兵衛板    ☆ 延享二年(1745)    ◯「日本古典籍総合目録」(延享二年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『明石潟朗天草紙』(二年?)    ☆ 宝暦二年(1752)  ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦二年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『玉津島由来』    ☆ 宝暦十年(1760)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『二人兼ひら』『粂平内石像物語』    ☆ 宝暦十一年(1761)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十一年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『金時西国順礼』『元服朝比奈』『佐々木稚草』『須磨浦青葉笛』    ☆ 宝暦十二年(1762)    ◯『稗史提要藁本』p411   ◇草双紙(宝暦十二年刊)   〝作者の部 丈阿    画工の部 清倍 清満 房信〟    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十二年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『末ひろ扇』 『住吉誕生石』 『僧正遍昭物語』『風流鬼瘤昔咄』 『大磯虎車塚物語』    『猿廻春花壻』『壇浦二人教経』『蜷川新左衛門』『化物見越入道始』『桃栗三平柿八兵衛』    『信玄権輿軍』『武門妹背繁栄』『大磯虎軍物語』『朝比奈草摺実記』『うき世楽助一杯の夢』    ☆ 宝暦十三年(1763)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十二年刊)   ◇黒本 青本(宝暦十二年刊)    富川房信画    『弓勢百太郎』『吝坊竹子諍』『雪中濃両敵』『とんだ茶釜』『妖怪雪濃段』『碓氷貞光奉公始』    ☆ 明和元年(宝暦十四年(1764))    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十四年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『三鱗青砥銭』『初春万歳寿』『鎌倉山千羽仙客』『化物秘密問答』『風流酒莨菪問答』    ☆ 明和二年(1765)      ◯「絵本年表」(明和二年刊)    富川房信画    『吉原花かゞみ』一冊 東武絵師富川房信 駄井◎鬼麿坊序 鱗形屋孫兵衛板    『吉原遊君百姿』一冊 富川房信画    ◯「日本古典籍総合目録」(明和二年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『扇絵物語』 『寿天香久山』 『つれづれ絵尽』『名筆倶梨加羅丸』    『胴丸鎧軍記』『三ツ巴勇力始』『提彦松浦軍記』『小山田求女塚語』    『白梅泰平衩』『大野長者物語』『狐馬乗出世寿』〈富川吟雪と同人〉    富川吟雪画『上総木綿』〈富川房信と同人〉   ◇絵本番付(明和二年刊)    富川房信画『蜘蛛糸梓弦』一冊 富川房信画    ☆ 明和三年(1766)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和三年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『左甚五郎』 『浅草野路一家』 『渋谷金王大島台』『雪こんこん御寺の茶木』    『大農起魔理』『高円嶺村雲物語』『曾我武田◎因縁』    ☆ 明和四年(1767)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和四年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『備前平四郎成房』    富川吟雪画『箙梅接穂軍記』    ◯『草双紙事典』(明和四年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『敵打禅衣物語』     ◇「亥之歳新板絵本目録」(『うらしま』所収の「広告一覧」)   〝亥之歳新板絵本目録    【梅津のかもん 梅の由兵衛】向梅浪花質 上中下三冊     【山海妖物】怪談竪貫競         上中下三冊    【絵姿人形 綱手車】貝初七種薺     上下 三冊    【宇治橋姫】太平兜人形         上下 二冊     画師 鳥居清満      同  鳥居清経     戯作 八十二翁丈阿     画師 富川房信     彫工 町田平七 小林八之助 橋上定七    (□の中に「山」の字の印)松本治兵衛 板元     通油町売所(◯の中に「山」の字の印+「丸小」)山本小兵衛     扨御断り申上まする     一 めづらしきはんもの御なぐさみにおい/\にいだし御らんにいれ奉り可申候以上〟    〈『草双紙事典』は「亥之歳」を明和四年とした。またこの目録は本来『うらしま』のものではなく別本から綴じ合わ     せたものとする〉    ☆ 明和五年(1768)    ◯『稗史提要藁本』p424(明和五年刊)   ◇草双紙   〝作者の部 丈阿    画工の部 清満 清経 房信〟    ◯『草双紙事典』(明和五年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『大福長者物語』     ◇「ゑ本 子之年新版目録」(『大鳥毛庭雀』および『三世相袖鑑』所収の「広告一覧」)   〝ゑ本 子之年新版目録    【初夢公時】娘独婿八人      上中下【男女相性】三世相袖鑑        上中下    【信田小太郎小山判官】絹川思煙草 上中下【ちゞとばゞばあつたとさ】大鳥毛庭雀 上下    【蛸の入道鯱之介】大朝比奈磯辺廻 上下 【鳥海弥三郎鎌倉権五郎】弓勢陸奥責  上下    【料理こん立狐のふる舞】娯伽草  上下 【七福神かへ名の役割】春遊座舗狂言  上下     画師 鳥居清満     同  鳥居清経     戯作 八十六翁丈阿     画師 富川房信     扨御段り申上げまする     一 めづらしきはんもの御なぐさみにおい/\にいだし御らんにいれ奉り可申候 以上     彫工 町田平七 小林八之助 松本清八 橋上定七    (◯の中に「金」の字の印)小間物屋伊兵衛板     江戸通り油街 丸屋(◯の中に「山」の字の印「丸小」)山本小兵衛〟     〈『草双紙事典』はこの「子之年」を明和五年とする。不審なのは戯作者・丈阿の年齢、この明和五年の目録では      〝八十六翁〟とあるが、前年の同四年の目録では〝八十二翁〟である〉    ◯『改訂日本小説書目年表』(明和五年刊)   ◇読本    富川房信画『湘中八雄伝』聚水庵壺遊作(頭注「聚水庵壺遊は根本武夷」)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和五年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『勇力競』  『鷹塚村旧跡』『矢根朝比奈』  『仁徳天皇名哥竈』『鎌倉権五郎二人景政』    『鬼女物語』 『忠義の島台』『大鳥毛庭雀』  『甲斐源氏再時宗』    『鶴亀大島台』『福神十二段』『和文字二十四孝』『一人武者平井保昌』    富川吟雪画『今様吉田兼好』  ☆ 明和六年(1769)    ◯ 青本『窟出世登龍』刊   (木村八重子著「『繁野話』と富川房信の青本『窟出世登龍』」『近世文芸研究と評論』所収)    署名「富川房信画」奥村板    〈影印と翻字あり〉    ◯「日本古典籍総合目録」(明和六年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『盛継松』   『金平猪熊退治』 『倉治山忠儀生不動』『甲賀三郎三本刀』    『貞女恋目雙六』『舎那王丸門出寿』『鶴の丸元服朝比奈』『鎌田又八化物退治』    『艶男信田神力』『山本勘助蛙琴責』『江間小四郎平氏謂』『若恵比須吉例釣初』    ◯『草双紙事典』(明和六年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『鷹塚村旧跡』    ◯「日本古典籍総合目録」(明和五年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『勇力競』  『鷹塚村旧跡』『矢根朝比奈』  『仁徳天皇名哥竈』『鎌倉権五郎二人景政』    『鬼女物語』 『忠義の島台』『大鳥毛庭雀』  『甲斐源氏再時宗』    『鶴亀大島台』『福神十二段』『和文字二十四孝』『一人武者平井保昌』    富川吟雪画『今様吉田兼好』     ◇読本    富川吟雪画『湘中八雄伝』富川房信画 北壺游作    ☆ 明和七年(1770)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和七年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『鰤舎利始』 『天長平安都』 『東辺木捺刀作』『化物一家髭女』 『加保茶唐茄出世寿』    『朝比奈切通』『二面凱草刈鎌』『東方朔九千歳』『猿影岸変化退治』『風流いかい田わけ』    『牛島昔物語』『眉輪王出生記』『金平竜宮物語』『白鼠妹背の中立』『くらま山出世の羽団』    ☆ 明和八年(1771)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和八年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画    『三代菅笠』 『軍法白金猫』 『竜宮曾我物語』  『妻鹿庄二王三郎大太刀』      『手柄淵物語』『渡辺綱身請論』『鬼女面福貴艸』  『阿部晴明蘆屋道満 智恵競』    『高砂相生松』『かれ木にはな』『堅田亀善悪物語』    『浦島出世亀』『御ぞんじの兎』『鬼とのじやれ勇猛弓』    〈『草双紙事典』は『御ぞんじの兎』の刊年を未詳とする〉    ☆ 安永元年(明和九年・1772)    ◯「日本古典籍総合目録」(安永元年刊)   ◇黒本 青本(全52点)(そのうち画工名の明確なもの)    富川吟雪画    『安方妙薬』 『鬼鹿毛の駒』 『猿蛸鼈大喧嘩』 『有馬うはなり湯』    『百千宝蔵』 『敵打羽宮物語』『運附太郎左衛門』『ぬゑのたんじやう』    『化物親玉尽』『天神記幼菅原』『鉢かづき姫物語』『さのさの金毘羅節』    『風流夏鉢木』『振袖べんけい』『夜雨虎少将念力』『うかれ法師 寐言噺』    『寒竹笹竜胆』『悪魔除鐘馗勢』『源平鉢かづき姫』『烏勘左衛門出世掛鯛』    ◯『草双紙事典』(明和九年刊)   ◇黒本 青本    富川房信筆『門出縁むすび』     ◇「辰正月【新板】目録」(『功薬罐平』所収の「広告一覧」)   〝辰正月【新板】目録    絵師 鳥居清満 鳥居清経 北尾重政          【柿本人麿】明石松蘇利 五冊【北条時頼】政道明月院 三冊       【化娘】沙門大黒舞   三冊【九十六文】陸奥壺碑文 三冊         悪源太忿怒霹靂    三冊【曽我武田】目貫因縁  三冊       【伊豆熱海】温泉縁起  三冊【八百屋お七】恋藤巴  三冊       【貞節】女武者花鑑   二冊 鼠嫁入蝙床      二冊       【竹斎筍斎】悴褒医   二冊【分福茶釜】功薬罐平  二冊       【世間形気】質屋本   二冊【御月様いくつ】十三七 二冊        通俗三国志      十冊【此度出来仕候、御求御覧可被下候】    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    御慰ニめづらしき新板追々出し御覧に入可申上候 已上〟     ◇「辰ノ新板惣目録」(『念力岩通羽宮物語』所収の「広告一覧」)   〝辰ノ新板惣目録    作者絵師 房信富川吟雪 念力岩通羽宮物語  五冊   風流振袖弁慶   二冊       (実)梶原鳶の岩屋  二冊 摂津国有馬嬲湯  二冊        目くら仙人目明仙人 二冊 百千宝の蔵    三冊        武蔵国やぼ天神   三冊 風流なつ鉢木   三冊        烏かん左衞門    三冊 福徳三年め    三冊        ぬへのたん生    三冊 伊勢御利生福神遊 三冊    新春の御慶目出度申納候 誠竜の時を得て 珍敷しゆこう追々跡ヨリ新板出来仕候間 幾久く御求め被    遊御覧ん之程奉希候    山下御門外山下町 伊勢屋次助板    (分銅の紋様の中に「伊勢治」の文字)〟    〈「房信事富川吟雪」という文面からすると、この明和九年(安永元年)の正月出版から、房信を改名して富川吟雪と     称したものと思われるが、「日本古典籍総合目録」を見ると、明和二年、同四年、同六年に吟雪名の黒本・青本があ     る。これはどう理解すべきなのであろうか〉    ☆ 安永二年(1773)    ◯「日本古典籍総合目録」(安永二年刊)   ◇黒本 青本    富川吟雪画『玄海嶋開運弓初』『和田軍勢門出大盃』『女敵討古郷錦』    ☆ 安永三年(1774)    ◯「咄本年表」〔目録DB〕(安永三年刊)    富川吟雪画『はなし亀』富川吟雪画    ◯「日本古典籍総合目録」(安永三年刊)   ◇黒本 青本    富川吟雪画    『剛屋敷』 『忠儀赤籏』 『世語古跡松』 『風流仙人花聟』    『妹背寿』 『義高霞の松』『四天王再功』 『三好長慶室町軍』    『連理噺』 『武道松時雨』『くつかけ峠』 『四天王化物退治』    『威徳物語』『鎌倉三代記』『風流奴豆腐始』『名所風俗金王桜』    ☆ 安永四年(1775)    ◯『稗史提要』p348(安永四年刊)   ◇草双紙    作者の部 恋川春町 耕雪亭桂子    画工の部 鳥居清経 富川吟雪 恋川春町    ◯『黄表紙總覧』前編(安永四年刊)    富川吟雪画    『風流司李暗管音』「絵師富川吟雪」      西村板    『新信田の小太郎』「絵師富川吟雪」      西村板    『福鼠新嫁入雛形』「富川吟雪画」       西村板    『出世やつこ』  「富川吟雪画」「絵師富川画」西村板     『十六嶋千代之碑』「絵師富川吟雪」      鶴屋板    『多武峯爪黒の笛』「絵師富川吟雪」      鶴屋板    『木竹ごた交軍談』「絵師富川吟雪」      鶴屋板    『晴宗有明琵琶』 「富川吟雪画」       奥村板    『風流はなし亀』 「絵師富川吟雪」      奥村板    『振袖児手柏』  「絵師富川画」       松村板    ◯「国書データベース」(安永四年刊)   ◇黄表紙    富川吟雪画    『軍法伊沢硯』「富川吟雪画」松村板    『高名太平記』吟雪画(注:日本小説年表による)    ◯『黄表紙刊行年表』〔国書DB〕(安永四年刊)    富川吟雪画『風流はなし鳥』吟雪画 伊勢治板    ◯『噺本大系』巻十七「所収書目解題」(安永四年刊)    富川吟雪画『はなし亀』巻末「絵師 富川吟雪」迂才序 奥村屋板    〈絵入本なので「黄表紙」に分類したのが上出『黄表紙總覧』〉    ◯『江戸小咄辞典』「所収書目解題」(安永四年刊)    富川吟雪画『浮世はなし鳥』(作者・板元名なし)      ◯「日本古典籍総合目録」(安永四年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『木竹ごた交軍談』『晴宗有明琵琶』    富川吟雪画『新信田小太郎』    ☆ 安永五年(1776)       ◯『稗史提要』p348   ◇草双紙(安永五年刊)    作者の部 春町    画工の部 清経 吟雪 春町    ◯『黄表紙總覧』前編(安永五年刊)    ※〔 〕は著者未見、他書によるもの    富川吟雪画    『金々仙人通言一巻』 「絵師富川画」    西村屋板    『朝比奈嶋渡』    「絵師富川吟雪」   西村屋板    『鬼童丸』      「絵師富川画」    西村屋板    『見越入道二代記』  〔富川吟雪画〕    西村屋板    『有難山郭公』    〔富川吟雪画〕    西村屋板    『三疋猿』      〔富川吟雪画〕    西村屋板    『石川村五右衛門物語』「絵師富川画」    奥村板    『四角四面兵衛』   「絵師富川吟雪」   奥村板    『安林主物語』    「絵師富川吟雪」   奥村板    『倭文字養老の滝』  「絵師富川吟雪」   松村板    『娘敵討上代染』   「絵師富川吟雪画」  松村板      〈同年刊『孝心女子鑑』は、本作五巻の前半三巻本、『新田系図梅』は二巻本〉    『初春福寿草』    「絵師富川吟雪」「絵師富川画」伊勢幸板    『化物鳴神』     「絵師富川吟雪」   伊勢幸板    『神力女将門』    「富川吟雪」     伊勢治板    『新落咄初鰹』    〔富川吟雪画・鶴屋板〕    ◯『黄表紙刊行年表』〔国書DB〕(安永五年刊)    富川吟雪画    『新田系図梅』二 吟雪画 松村板     此書以前五冊物なりしを四五巻二冊を上下となし 外だゐを改出せしものなり     浄な(ママる)りの相模入道千疋犬    ☆ 安永六年(1777)       ◯『稗史提要』p351(安永六年刊)   ◇草双紙    作者の部 春町 桂子 喜三二 鈴木吉路 錦鱗    画工の部 清満 清経 吟雪 春町 鳥居清長    ◯『黄表紙總覧』前編(安永六年刊)    ※〔 〕は著者未見、他書によるもの    富川吟雪    『桃太郎かんこの鳥』「絵師富川吟雪」 西村屋板    『紅血欠皿往古噺』 「絵師富川吟雪画」西村屋板    『四天王化物退治』 〔富川吟雪画〕  西村屋板    『狐馬乗出世寿』  「絵師富川吟雪」 西村屋板    『なぞづくし』   「富川吟雪画」  西村屋板    『大鉞御存知荒事』 「絵師富川吟雪」 松村板     『観世音開帳記』  「富川房信画」  鶴屋板    ◯『江戸小咄辞典』「所収書目解題」(安永六年刊)    富川吟雪画『新落噺初鰹』(作者・板元名なし)    ◯「日本古典籍総合目録」(安永六年刊)   ◇黄表紙    富川吟雪画『大鉞御存知荒事』『観世音開帳記』『なぞづくし』『紅皿欠皿往古噺』         『桃太郎かんこの鳥』    ☆ 安永七年(1778)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永七年刊)    富川吟雪画『熊坂根元記』十冊 画工不明(吟雪風)平塚和由著(読本風)     ☆ 安永九年(1780)    ◯『黄表紙總覧』後編「刊年未詳・補遺」(安永九年刊)     富川吟雪画    『竜宮噺』「絵師富川吟雪」村田屋板     〈『黄表紙總覧』後編「刊年未詳・補遺」備考、明和八年刊『竜宮曾我物語』の再板本、      絵題簽より安永九年刊とする〉    ☆ 天明元年(安永十年・1781)    ◯『江戸小咄辞典』「所収書目解題」(天明元年刊)    富川吟雪画『はつ鰹』新場散人序 堀野屋板      ☆ 刊年不明    ◯「日本古典籍総合目録」(刊年不明)   ◇絵本・絵画    富川吟雪画    『太夫の落葉』二巻 富川吟雪画 伊勢屋吉十郎他板 明和2    『かすみの松』一冊 富川房信画   ◇絵本番付    富川吟雪画『日本花判官贔負』一冊 富川房信画    ◯『草双紙事典』   (刊年未詳及び特定できない作品。署名と作品名)    富川房信画   『あんぽんたん』 宝暦末から明和末年にかけて成立    富川房信筆・画 『敵討連理の梅』 明和前期刊    富川房信画   『むかし/\御ぞんじの兎』 刊年未詳     富川吟雪画   『諸鳥合戦記』  安永元年から同六年頃刊    富川吟雪画   『福神目出度揃』 刊年未詳    ☆ 没後資料    ☆ 寛政十二年(1800)    ◯『浮世絵考証(浮世絵類考)』〔南畝〕⑱443(寛政十二年五月以前記)  〝富川房信 吟雪  一枚絵、草双紙などにあり。つたなきかたなり〟    〈絵師の配列等からして、一枚絵は紅摺絵の一枚絵、草双紙は黄表紙ではなく黒本を指しているようだ〉    ☆ 享和二年(1802)    △『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802))〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕   〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ    るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編    に委しくすべし    倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)     昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世      富川吟雪房信  (他の絵師は省略)〟
   『稗史億説年代記』 式亭三馬自画作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)        〝青本 白紙又は赤紙の画外題に、黄表紙をかけたる本をはじめて製す。是を青本といふ    同  絵師の名を草紙の終りへばかり出さずして、上中下の分ちなく、ゆきなりに名を誌す    画工 鳥居清秀、清重、富川吟雪、富川房信、田中益信、江戸絵と号して諸国のはやる    〈『式亭雑記』に「富川房信改め吟雪」とあり〉    同  奥(ママ)村重長、石川豊信の絵はやる。田中益信は草双紙の画作を著す    〈西村重長の誤記であろう〉    作者 文字、通幸、和祥、丈阿、専ら双紙を作る。終に作者の名を出す事は此和祥より始まる〟
  〝青本 鱗形屋山本の本、おびただしく売れる。一代記・敵討・武者絵本等にたまさかに序文有    〈鱗形屋孫兵衛・山本九右衛門は共に江戸の地本問屋〉    同  赤本、青本、黒本、三色の双紙ならび行はるゝ    画工 富川が絵の風は鳥居に似てすこしかはる    同  豆絵といふもの、富川、鳥居より始まる〟    作者 玉屋新兵衛、桶伏の本、草双紙の大当り〟    〈桶伏(遊郭の代金を払えない客に対する私刑。伏せた桶の中に入れて人目に晒す)の新兵衛に差し入れをする小女郎、     これを草双紙化したもののようであるが未詳〉    ◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年十月記・文政元年六月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)   〝富川房信 吟雪    大伝馬町三丁目、山本九右衛門といふ絵冊子問屋の主人なり。家おとろへし後に絵師となれり。房信の    子を長兵衛と云。板木を摺を業とす。又娘二人あり、兄弟三人共に今存在す。此山本九右衛門は古き本    屋にて、貞享板江戸鹿子にも見ゆ。房信が代に断絶せり〟    ☆ 文化初年(1804~)    ◯『反故籠』〔続燕石〕②169(万象亭(森島中良)著、文化年中前半)   (「江戸絵」の項)   〝宝暦の頃まで、皆是(筆者注、三色の紅摺絵)なり、其比の画工は、清信が子の清倍、門人清広、石川    秀信、富川房信などなり〟      ☆ 文化八年(1811)   ◯『式亭雑記』〔続燕石〕①85(式亭三馬記・文化八年四月一九日)(勝川春亭の項参照) 〝山本長兵衛は、富川房信改吟雪の孫也〟    〈山本長兵衛は、この日通油町新道若菜屋という料理屋にて、式亭三馬と勝川春亭の和睦の仲人をした人。式亭三馬と     勝川春亭との確執は春亭の項参照〉    ☆ 文政七年(1824)    ◯『耽奇漫録』上51(「耽奇会」第一集・文政七年五月十五日)   (「志道軒肖像」の項)   〝志道軒肖像 一躯 面手象牙 作者不知    同巻物一軸     志道軒肖像画 富川吟雪筆    同 好文斎画    同 富泉画    同 印板自筆和歌の賛    元無草 一冊 印本 (以下略、志道軒の略伝あり)〟    〈松羅館・西原梭江出品〉    ☆ 文政八年(1825)    ◯『耽奇漫録』下480(「耽奇会」第十七集・文政八年八月二十四日)   (「太申額」「太申桜記一冊」の項)   〝花よそほひ二冊、明和二年所刻、画工富川房信そのころ吉原廊中に名高き遊女をゑがけり、其中七月燈    籠の絵の雪まろめに太申の文字あり。これも太申が頼みて書せしものなるべし〟    〈「太申」とは「太申額」の解説によると、“太申は三十間堀に住める木商和泉屋甚助と云ものゝよし。太申はその表     徳也。家富豪にして一時に名声の高からんことをほりするの餘り、此の額数百枚を造り、江戸中の神社仏刹に普く納     め、われが名の人にしられんことをもとめし也〟とある。太申は「太申桜」を各地に植えさせたほか、吉原の「雪ま     ろめ」にも「太申」の文字を入れさせたというのである。出品は好問堂・山崎美成〉  ☆ 文政九年(1826)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(文政九年刊)    富川房信画    『狂歌雅友集』一冊 雲峰 大峰 文晁 閑林 富川房信 五湖亭貞景               貞景門人貞吉 北渓 葵岡渓栖     〈この狂歌集になぜ富川房信があるのかよく分からない〉    ☆ 文化五年(1808)  ◯『浮世絵師之考』(石川雅望編・文化五年補記)   〔「浮世絵類考論究10」北小路健著『萌春』207号所収〕   〝富川房信【丸屋山本九左衛門、吟雪、西村重長門人 大伝馬町三丁目双紙問屋】    一枚絵、草双紙などにあり。つたなきかたなり〟    ☆ 文化八年(1811)    ◯『式亭雑記』〔続燕石〕①85(式亭三馬記・文化八年四月一九日)(勝川春亭の項参照)   〝山本長兵衛は、富川房信改吟雪の孫也〟    〈山本長兵衛は、この日通油町新道若菜屋という料理屋にて、式亭三馬と勝川春亭の和睦の仲人をした人。式亭三馬と     勝川春亭との確執は春亭の項参照〉    ☆ 文政七年(1824)    ◯『耽奇漫録』上51(「耽奇会」第一集・文政七年五月十五日)   (「志道軒肖像」の項)   〝志道軒肖像 一躯 面手象牙 作者不知    同巻物一軸     志道軒肖像画 富川吟雪筆    同 好文斎画    同 富泉画    同 印板自筆和歌の賛    元無草 一冊 印本 (以下略、志道軒の略伝あり)〟    〈松羅館・西原梭江出品〉    ☆ 文政八年(1825)    ◯『耽奇漫録』下480(「耽奇会」第十七集・文政八年八月二十四日)   (「太申額」「太申桜記一冊」の項)   〝花よそほひ二冊、明和二年所刻、画工富川房信そのころ吉原廊中に名高き遊女をゑがけり、其中七月燈    籠の絵の雪まろめに太申の文字あり。これも太申が頼みて書せしものなるべし〟    〈「太申」とは「太申額」の解説によると、“太申は三十間堀に住める木商和泉屋甚助と云ものゝよし。太申はその表     徳也。家富豪にして一時に名声の高からんことをほりするの餘り、此の額数百枚を造り、江戸中の神社仏刹に普く納     め、われが名の人にしられんことをもとめし也〟とある。太申は「太申桜」を各地に植えさせたほか、吉原の「雪ま     ろめ」にも「太申」の文字を入れさせたというのである。出品は好問堂・山崎美成〉    ☆ 天保四年(1833)   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③294(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝富川房信【(空白)年間】    俗称山本九左衛門【大伝馬町二丁目ニ住す、絵双紙問屋也】吟雪ト云、錦絵双紙などに出たり、拙き方 なり、類考    醒世翁曰、富川房信は、大伝馬町二丁目山本九左衛門と云絵双紙問屋の主人なり、家おとろへて、後に 画師となれり、房信の子を長兵衛と云、板下を摺て業とす、又娘二人あり、兄弟三人共、今存生す、此 山本九左衛門は古き本屋にて、貞享板江戸鹿子にも見ゆ、房信が代に断絶せり【摺職人に山本長兵衛あ り、本所横網町】〟    〈「醒世翁」とは山東京伝のこと。この部分が『浮世絵類考追考』に相当する)    ☆ 天保五年(1834)   △『近世物之本江戸作者部類』p30(曲亭馬琴著・天保五年成立)   〝富川吟雪    この吟雪も画工にて作者を兼たり、当時自画作の赤本あり、但し清春より少シ後れて出たる歟、宝暦の 比この人の画のくささうし多かりき、この比は画工にて作者を兼たれども、清春、吟雪の外ハ画作をし るせしものを見ず、羽川珍重などにもこの例ありけん歟、丹絵に月の大小の作などハあり、その餘いま だ所見なし〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)   〝富川房信 (空白)年中の人  号 吟雪      俗称 山本九左衛門(大伝馬町二丁目に住す絵双紙問屋也)     錦絵双紙などに出たり、拙き方なり。類考    醒世翁曰、富川房信は大伝馬町二丁目山本九左衛門と云絵双紙問屋の主人也。家衰て後に画師となれり。    房信の子を長兵衛といふ、板下を摺て業とす。又娘二人有、兄弟三人共、今存在す。此山本九左衛門は    古き本屋〔は〕〈て〉貞享板江戸鹿子にも見ゆ。房信が代に断絶せり〟    ☆ 弘化二年(1845)    △『戯作者考補遺』p5(木村黙老編・弘化二年序)   〝富川吟雪    この吟雪も画工にて作者を兼たり。当時自画作の赤本あり、清春より少し遅れて出たるか。宝暦の比、    この人の画のくささうし多かりき。この比は画工にて作者を兼たれども、清春吟雪の外は画作としらせ    しものを見ず。羽川珍重などにもこの例ありけんか〟    ☆ 嘉永二年(1849)   ◯『国字小説通』〔続燕石〕①302(木村黙老著・嘉永二年序)   (「草双紙画之精粗」の項)  〝草双紙のゑ、以前の享保より宝暦の頃迄は、富川吟雪、鳥居清経などいふ画工の絵は、如何にも麁画に    て、鳥居の銀杏足とて、人物手足のかき様、別に一流の画がき方にて、其上、全体の画風、総て省筆を    なして、文字のかき入もすくなく、至つて麁なる物なりし〟    ☆ 嘉永三年(1850)  ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   ◇中p1383   〝富川吟雪房信 浮世画師、享保年間〟     ◇中p1392   〝富川房信 西村重長門弟、吟雪、後百亀とも云、本屋、俗名丸屋九左衛門、寛保宝暦頃仁、一枚画草双         紙などにあり、拙きかたなり、浮世絵類考    房信は大伝馬町三丁目、山本九左衛門と云、画冊子問屋也、家衰へて後に画師となれり、房信の子を長    兵衛といふ、板木を摺を業とす、又娘二人あり、兄弟三人共に今存生す、此山本九左衛門は古き本屋に    て、貞享板江戸鹿子にも見ゆ、房信が代に断絶せり、同続篇    按るに、小松屋三右衛門、百亀と号す、房信又百亀と号す同人か、別人か、或襲ふて号とするか〟    ☆ 文久元年(1861)   ◯『戯作外題鑑』〔燕石〕⑥62(岩本活東子編・文久元年)   〝年代記誤り多し、前青本の吟雪と房信と別人とす〟    〈『稗史提要』に同文あり。「年代記」とは式亭三馬作・画の『稗史億説年代記』(享和二年)のこと〉    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪204(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   〝富川房信    吟雪と号す。大伝馬町二丁目山本九衛門と云絵双紙問屋也。家衰て後に画師となれり。房信の子を長兵 衛といふ。板本を摺て業とす。此山本九左衛門は古き本屋にて、貞享板の江戸鹿子にあり、房信が代に 断続せり〟    ☆ 明治年間(1868~1911)    ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年(1884)八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝房信    富川氏、名ハ房信、吟雪ト号ス、通称山本九左衛門、江戸大伝馬町三丁目ニ住ス、絵草紙屋ノ主人ナリ。    家衰ヘテ浮世絵師トナル。貞享板ノ江戸鹿子ニ見ユ〟  ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年(1888)一月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字   (番付冒頭に「無論時代 不判優劣」とあり)   〝大日本絵師     (西川祐信)勝川春章 菱川師房  西村重長 鈴木春信  勝川春好 竹原春朝 菱川友房 古山師重     宮川春水 勝川薪水 石川豊信  窪俊満    (葛飾北斎 川枝豊信 角田国貞  歌川豊広 五渡亭国政 菱川師永 古山師政 倉橋豊国 北川歌麿     勝川春水 宮川長春 磯田湖龍斎 富川房信    (菱川師宣)〟  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝元文 富川吟雪    山本九左衞門と称す草双紙屋なりしが、家衰えて後、浮世絵師となる〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』上p101(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝富川房信    本と絵草紙店ノ主人ナリ、家衰ヘテ浮世絵師トナリ、山本九左衛門ト称シテ、吟雪ト号ス、江戸大伝馬    町三丁目ニ住ス(人名辞書)〟    ◯『古代浮世絵買入必携』p3(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝富川房信    本名〔空欄〕  号 吟雪  師匠の名〔空欄〕  年代 凡百七八十年前    女絵髪の結ひ方 第四図・第五図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    絵の種類 長絵、絵本、肉筆    備考  〔空欄〕〟    ◯『浮世絵師便覧』(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   ◇p226   〝房信(フサノブ) 富川氏、吟雪と号す、◯寛保、安永〟   ◇p232   〝吟雪(ギンセツ) 富川房信の名〟    ◯『本朝画家人名辞書』(狩野寿信編・明治二十六(1893)年刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    〝房信     富川房信、俗称ヲ丸屋九右衛門ト云フ、江戸ノ人ナリ、大伝馬町三丁目ニ住シ、絵草紙ヲ以テ業トス、     曾テ画ヲ西村重長ニ学ビ、多ク秘戯図及錦絵ヲ作ル、吟雪又百亀ト号ス、画風甚ダ巧妙ナラズ、明和     年中ノ人〟      ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(29/103コマ)   〝富川房信【寛保元~三年 1741-1743】    山本氏、吟雪、百亀等の号あり、通称丸屋九左衛門、大伝馬町二丁目に住みて、絵草紙問屋をなせしが、    家道衰微の後、浮世絵を画きまた戯作をなせりと云ふ〟  ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年(1899)三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)42/218コマ   〝富川房信    通称は山本九左衛門といふ 吟雪と号す 江戸大伝馬町三丁目に住す 浮世絵を画けり(扶桑画人伝)〟  ◯『浮世画人伝』(関根黙庵著・明治三十二年(1899)五月刊)   ◇「富川吟雪」の項 p51   〝富川吟雪(ルビとみかわきんせつ)    吟雪、名は房信、通称山本九左衞門と云ひ、世々江戸大伝馬町三丁目に住して、絵草紙問屋を業と為し、    貞享年間板本なる『江戸鹿子』にも載たる、高名なる商家なりしが、漸々衰微して房信が世となり、断    然肆(シ)を閉るに至りけれれば、止むなく西村重長を師と仰ぎ、又鳥居風を慕ひ浮世絵を描きて業とし、    一時世にもてはやされ、傍ら赤本の戯作に富て、丈阿(赤本に名ある作者なり)を圧倒せんとする勢力    ありき。吟雪歿後、門人妙之助山本氏、二世吟雪と号せしが、后(コウ)北斎の門に入りて、北雅と改む、    房信の一子に長兵衛と云ふものありしが、板摺を以て職業となし画を学ばずと云ふ〟      ◇「葛飾北斎系譜」p121
   「葛飾北斎系譜」〝北雅(北斎門人)二世富川吟雪〟    ◯「集古会」第五十五回 明治三十八年(1905)十一月(『集古会誌』丙午巻之一 明治39年1月) ☆ 昭和年間(1926~1987)   〝林若樹(出品者)富川房信筆 細絵板木 一枚    浮世絵の一枚絵の中 細絵とて細長き紙に印刷したるものあり 享保の頃より起り後に至りては柱かく    しの如きものに迄変せり 今出品する処のものは富川房信画くところの板木なり 表には七小町裏には    八天神掛幅を列記せり 房信は吟雪と号し 安永頃盛んに行はれし浮世画工なり 押して此板木も安永    頃のものたるを知る 細絵の中の一種異りたる板木の 今に存するに珍らしといふべし〟    (附録 この板木を使って摺出した版画)〟    ◯「集古会」第六十六回 明治四十一年(1908)一月(『集古会誌』戊申巻二 明治41年10月刊)   〝林若樹(出品者)富川房信筆 安永頃 豆絵細絵版木 一枚〟  ☆ 明治四十四年(1911)  ◯「集古会」第八十五回 明治四十四年十一月(『集古会誌』壬子巻一 大正2年4月刊)    村田幸吉(出品者)黒本 八種     富川吟雪画 狐のふり袖   二冊/狐馬乗出世寿 三冊 安永六年板     富川房信画 うさぎ大手がら 二冊     富川房信画 男色狐敵討   二冊/化物秘密問答 二冊  ☆ 大正年間(1912~1825)  ◯「集古会」第九十二回 大正二年(1913)三月(『集古会志』癸丑之三 大正4年7月刊)   〝林若樹(出品者)明和頃 富川吟雪筆 豆絵天神図板木 一枚〟  ◯「集古会」第百二十六回 大正九年(1920)一月(『集古』庚申第一号 大正9年2月刊)   〝林若樹(出品者)安永頃板 富川房信風画道化百人一首〟  ◯「集古会」第百四十九回 大正十四年(1925)一月(『集古』乙丑第二号 大正14年2月刊)   〝林若樹(出品者)富川房信歟 細絵 天神 一枚〟  ☆ 昭和以降(1926~)  ◯『狂歌人名辞書』p56(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝富川吟雪、名は房信、通称山本九左衛門、画を西村重長に学び、又戯作をも為せり、家は東都大伝馬町    三丁目に在りて絵草紙問屋を業とせり、安永頃〟  ◯「日本小説作家人名辞書」(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   ◇「富川吟雪」p798   〝富川吟雪    富川房信を見よ。安永の頃から彼が吟雪の号を用ゐ始めたのである。「安方妙薬」(安永元年(1772)    刊)の作者〟     ◇「富川房信」p798   〝富川房信    通称山本九左衛門、名は房信。西村重長門人の浮世絵家として吟雪の号を用ゐ、豆絵に秀でた。元大伝    馬町三丁目に住める絵双紙問屋の主人、彼に至つて廃業した。赤本黒本の作者〟      ◇「聚水庵壺遊」p762   〝聚水庵壺遊    或は画家富川房信(吟雪)の別号か。「湘中八雄伝」(明和五年刊)の作者。此の書の挿絵は富川房信    で、彼は赤本の作家である。尚富川吟雪を見よ〟    ◯『浮世絵師伝』p164(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   ◇p48   〝吟雪    【生】  【歿】  【画系】  【作画期】    富川戻信の号。(房信の項参照)〟      ◇p164   〝房信    【生】  【歿】  【画系】西村重長門人  【作画劫】寛延~安永    富川氏、吟雪と号す、本姓は山本、俗称九右衛門、家を丸屋(正本屋とも)と称し、江戸大伝馬町三丁    目に地本絵草紙問屋を営みしなり、其の店は寛文頃よりの旧家にして、同業者中に於ても屈指の大問屋    なりしが、房信の代となるに及んで稍衰運に傾き、加之彼が作画に熱中せし結果、本業を疎外するの弊    を生ぜしものと見え、安永の頃遂に地本問屋を廃業して本郷辺に移転したりき。     彼が自画作に係れる本及び青本の類甚だ夥しき数に上り、今これを枚挙するに遑あらず、又自画の紅絵    も尠からず、いづれも自店にて発行せり〟    ◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32))   ◇第一部「浮世絵の盛衰」「明和の彩色摺から錦絵の出るまで」p20   〝享保十七年板『近世百談』に「浮世絵は菱川師宣が書出し、現在は懐月堂、奥村政信等なり、富川吟雪    房信と云ふ人、丹絵の彩色を紅にて始めたるを珍らしく鮮かなりとて評判云々」とある〟    〈「日本古典籍総合目録」に『近世百談』は見当たらない〉    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「延享三年 丙寅」(1746)p96   〝正月、富川房信、黒本『白鼠妹背の中立』を画作〟     ◇「宝暦一一年 辛巳」(1761)p115   〝正月、富川吟雪の画作黒本『女敵討故郷錦』出版〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔富川房信・吟雪画版本〕     作品数:276点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:富川・富川房信・富川吟雪    分 類:黒本 青本115・黒本95・黄表紙32・青本22・咄本4・絵本3・絵本番付2・読本1    成立年:延享2?        宝暦2・10~13        明和1~8        安永1~6・10    〈成立年の記載がないものを除くと、延享年間?、一点。宝暦年間、二十八点。明和年間、八十四点。安永年間、七十     二点である〉   (房信名の作品)    作品数:170点       画号他:房信・富川房信    分 類:黒本 青本81・黒本70・青本7・絵本2・絵本番付2・黄表紙4・読本1    成立年:延享2?        宝暦2・10~13、        明和1~8        安永1・4~5    〈宝暦年間、二十八点すべて房信名の作品。明和年間は八十四点中、房信名八十点。安永年間は七十二点中、房信名は     六点である。安永に入ると房信名が極端に少なくなっていることが分かる〉   (吟雪名の作品)    作品数:105点    画号他:富川吟雪    分 類:黒本 青本34・黄表紙28・黒本25・青本15・咄本4・絵本1    成立年:明和2・4~5・9、        安永1~6・10    〈宝暦年間には吟雪名が見当たらない。明和年間になると同二年を初出として使われるようになるが、頻度は少なく、     八十四点中わずか四点に過ぎない。しかし、安永年間に入るとこれが逆転して、七十二点中、吟雪名作品は六十七点、     房信名は僅か六点となる。刊行年未詳の作品が多いから即断は出来ないにしても、房信名の使用は明和年間まで、吟     雪名は安永以降の使用と見てよいのではないか〉