Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ よしもり うたがわ 歌川 芳盛 初代浮世絵師名一覧
〔天保1年(1830) ~ 明治18年(1885)10月5日・56歳〕
(一説明治17年10月10日没)(三木光斎参照)
 別称 一光斎 三木光斎  ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」   〔切附本〕 :「切附本書目年表稿」   『【明治前期】戯作本書目』(山口武美著・日本書誌学大系10)    ☆ 弘化三年(1846)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇狂歌(弘化三年刊)    歌川芳盛画『江戸名所図会』一冊 一光斎画 北峰しるす 文江堂    ☆ 嘉永五年(1852)    ◯「読本年表」〔目録DB〕   ◇読本(嘉永五年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『甲越軍鑑』芳盛画 玉兎園月◎序    〈刊記「嘉永五壬子發稿安政六己未再板/嘉永五壬子年きさらき」〉     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇雑俳(嘉永五年刊)    歌川芳盛画『地口行燈』五編 芳盛画 三筋野糸道編  ☆ 嘉永年間(1849~1854)    ◯「艶本年表」(〔白倉〕『絵入春画艶本目録』)   ◇艶本(嘉永年間刊)    芳盛画    『月雪花四季の友』色摺 大本 三冊「一光開飯盛」玉杓子序・作 嘉永期 一光斎芳盛画・作     (白倉注「本書はかつて『季刊浮世絵』59号に広重画として紹介されたが、甚だ疑わしい」)    ☆ 安政元年(嘉永七年・1854)      筆禍「亜墨利加落葉籠」版本 三木光斎画       処分内容 ◎板元    松永辰之助 版本・板木没収 押込(外出禁止)            ◎本売捌き人 佐吉 手鎖 江戸構(江戸十里四方追放)            ◎本屋    久兵衛・吉兵衛 過料五貫文       処分理由 無断出版    ◯『藤岡屋日記』第六巻 p316(藤岡屋由蔵・嘉永七年十月記事)   〝十月三日 亜墨利加落葉籠一件落着     押込    本郷春木町三丁目 御中間 板元 松永辰之助     江戸構   元飯田町     本売捌人      佐吉     五貫文過料 浅草平右衛門町         本屋久兵衛     五貫文過料 豊島町三丁目            吉兵衛    右本売出し前に、釜藤右見本を紐庄へ持行候処、紐庄懸り名主へ差込候に付、浅草天王橋際久兵衛見世    にて、名主是を見付、其夜六月十三日夜、浜弥兵衛其外にて、平右衛門町久兵衛宅へ踏込、本と取上る    也。     同十五日に松永板を上る也。同晦日より松永へ宅番附、佐吉手鎖也。     百二十二日にて、十月三日落着也〟    〈「亜墨利加落葉籠」とは三木光斎画(歌川芳盛)『異国落葉籠』のことと思われる。ペリーの肖像や黒船図などを収録。     板元の松永辰之助は「御仲間」とあるから武家奉公人か。凡例に「隠学堂誌」見返に「美学堂梓」とある。これらは松     永が一時的に付けた仮名であろうか。松永や佐吉等は絵双紙改掛に見本を提出する前に製品化して既に売りに出してい     たようである。松永は宅番(見張り役)がついて押込。本売捌人(販路担当?)の佐吉は江戸追放、店売りしていた本     屋久兵衛と吉兵衛は罰金5000文。釜藤(釜屋藤吉)は板元。紐庄は嘉永三年「琉球人行列附」の重板(無断複製)を出     している。(本HP「浮世絵の筆禍史(9)」)参照。浜弥兵衛は絵双紙掛の名主〉     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(安政元年刊)    歌川芳盛画『海外人物輯』二冊 一光斎画 永田南渓序 南渓蔵板     ◯「合巻年表」〔目録DB〕   ◇合巻(安政元年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『熊坂一代記』一巻 一光斎芳盛画 鶴亭秀賀作(注記「日本小説年表による」)    ◯「読本年表」〔切附本〕   ◇読本(安政元年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『緑林自來也實録』一光齋芳盛画 鈴亭谷峨作     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇外事(安政元年刊)    三木光斎画『異国落葉籠』一冊 三木光斎(歌川芳盛)画    ☆ 安政二年(1855)    ◯「読本年表」〔切附本〕   ◇読本(安政二年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『誠忠義士全覧』一光齋芳盛画 作者名記載なし〈芳盛序「嘉永八のとし」〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇歌謡(安政二年刊)    歌川芳盛画『端唄独稽古』一冊 光斎写〔盛〕印 鈍亭魯文序 糸屋連十郎板     ☆ 安政三年(1856)     ◯「合巻年表」〔目録DB〕   ◇合巻(安政三年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『昔咄猿蟹合戦』二巻 一光斎芳盛画 全亭愚文作        ◯『噺本大系』巻十六「所収書目解題」(武藤禎夫編・昭和五四刊)   ◇咄本(安政三年刊)     歌川芳盛画『落噺笑種蒔』巻末「芳盛画」金龍山人谷峩作    〈九オ「かやり」という小咄の挿絵に「芳桐印」と「盛」の字のある団扇が描かれている。国芳門の芳盛の意味〉     <三月 見世物 生人形(大江忠兵衛)深川八幡>  ◯『観物画譜』129(朝倉無声収集見世物画譜『日本庶民文化史料集成』第八巻所収)   「風流人形の図 猿田彦大神・天ノ臼女尊」錦絵二枚続 署名「一光斎芳盛画」相ト板    ☆ 安政四年(1857)     ◯「絵本年表」   ◇絵本(安政四年刊)    歌川芳盛画    『扶桑名所名物集』六冊 芳虎画 広重画 春友亭蔵板〔漆山年表〕     『絵本早学』  初二編 一光斎芳盛 初編鈍亭魯文序 二編一光斎芳盛序〔目録DB〕            初編序「安政四丁巳葉月初旬 鈍亭魯文題」            二編序「絵本早学二編序(中略)巳の秋 一光斎芳盛述」     ◯「合巻年表」〔目録DB〕   ◇合巻(安政四年刊)※角書は省略    歌川芳盛画    『甲州道中膝栗毛』一巻 芳盛画 魯文作    『神稲黄金笠松』前後編 一光斎芳盛画 菊亭文里編(安政四序)    ◯「読本年表」〔切附本〕   ◇読本(安政四年刊)※角書は省略    歌川芳盛画    『楠公忠義傳讀切』國芳門人、一光齋芳盛画 松亭門人、栢亭金山作    『神稲黄金笠松』 一光齋芳盛画 菊亭文里編次・鈍亭魯文被閲    ☆ 安政五年(1858)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(安政五年刊)    三木光斎画『納札起原』一冊 画者三木光斎 礫川亭一指写 鈍亭魯文編 信堂蔵板     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(安政五年刊)    歌川芳盛画    『荏土膝栗毛』二巻 一光斎芳盛狂画 鈍亭魯文戯作 糸屋福次郎板 安政五序、同六刊?    ☆ 安政六年(1859)      ◯「【十目視所/十指々所】花王競十種咲分」(番付・安政五~六年春刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝浮世画十個 (※年齢は番付を安政六年刊とした場合)    蘭画         五雲亭貞秀〈この年53歳〉    豪傑         一英斎芳艶〈初代、38歳〉    細密         歌川国綱 〈二代目、30歳〉    武者 花に風     一寿斎芳員〈年齢未詳〉    図取 かろく来てふけ 一光斎芳盛〈初代、30歳〉    真写 酒の泡     一恵斎芳幾〈27歳〉    彩色         一松斎芳宗〈初代、43歳〉    似㒵         歌川国明 〈初代、年齢未詳〉    艶絵         一麗斎国盛〈二代目、年齢未詳〉    景色         一立斎重宣〈後の二代目広重、この年34歳〉    〈彼等が、三代豊国・国芳・二代国貞に続く浮世絵の担い手を目されていたのであろう。「蘭画」以下の肩書は、絵     師ごとの特長であろう。引用句は服部嵐雪の句だが、これも浮世絵師との関係が今ひとつわからない。一立斎重宣     はこの安政六年、二代目広重を襲名する。その番付はそれ以前の発行〉     〈この番付には安政六年三月逝去の、寿海老人(七世市川団十郎)の名が見える。また、常磐津三味線の五世岸沢式佐    が実子に六世を襲名させ、代わりに五世古式部を名乗ったのがこの安政六年である。すると、この番付は安政六年春    の出版とみてよいのだろう。番付から一立斎広重の名が消えて、浮世絵界の大物は三代豊国(国貞)と一勇斎国芳を    残すのみ。その他の絵師では、二代目国貞が頭一つリードしているようだが、それに続くのがこの「浮世画十個」の    の絵師たちという見立てだ。本HP「浮世絵事典」【う】「浮世絵師番付」の項参照のこと〉     ☆ 万延元年・申(安政七年・1860)     <五月 生人形(松本喜三郎)両国回向院>  ◯「見世物興行年表」(ブログ)   「口上(略)細工人肥後熊本住人 松本喜三郎(怪談の図)」摺物 署名「一光斎芳盛画」板元未詳     <七月 豹の見世物 西両国広小路>  ◯「見世物興行年表」(ブログ)   「鳥獣図会」錦絵 署名「光斎」越長板(申七月)〈光斎は歌川芳盛〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇歌謡(万延元年刊)    歌川芳盛画    『都々一はふた節用集』一冊 一光斎芳盛画 光盛舎作丸撰 山口屋藤兵衛他板    『都々逸葉柳集』一冊 好斎酒盛画 柳亭呂淵編    『都々一図会』 五冊 歌川芳盛画 作丸編    『端唄の交張』 一冊 一光斎芳盛画 十柳子作 岳亭春信序    ☆ 文久元年以降(1861~)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序・文久元年(1861)以降の記)   (「歌川国芳」の項、国芳門人)   〝一光斎芳盛 下谷広小路〟     ☆ 文久二年(1862)    ◯「合巻年表」〔目録DB〕   ◇合巻(文久二年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『初昔見聞沙有紙』初編 歌川芳盛画 山々亭有人作(注記「日本小説年表による」)    ☆ 文久三年・亥(1863)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕   ◇絵本(文久三年刊)    歌川芳盛画『草木画譜』一冊 一光斎芳盛画     <三月 象の見世物 西両国広小路>  ◯「見世物興行年表」(ブログ)    歌川芳盛画(改は亥四月)    「中天竺下り 大象之図」錦絵 署名「芳盛画」太田屋多吉板    「天竺馬爾加国之産女象之図」錦絵 署名「芳盛画」太田屋多吉板     「天竺馬爾加国の出生大象の図」錦絵 署名「芳盛画」福忠板    「天竺舶来大象之図」錦絵 署名「一光斎芳盛画」上州屋金蔵板    「天竺下り大女象の図」錦絵二枚続 署名「芳盛筆」太田屋多吉板    「舶来大象之図」錦絵 署名「芳盛画」相ト板〈以上「亥四月」〉    「天竺舶来大象之図」錦絵 署名「芳盛画」上州屋金蔵板(改印不明)     ☆ 元治元年(文久四年・1864)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇刀剣(元治元年刊)    歌川芳盛著『掌中新刀銘尽』一冊 三木光斎著 永楽屋東四郎他板  ☆ 慶応元年(元治二年・1868)  ◯『歳成記』(風鈴山人著 玉家如山蔵板 乙丑仲秋(慶応元年八月)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)◎は難読文字( )は本HPの注記   〈当時人気のあった浮世絵師や戯作者などを吉原細見に擬えて格付けしたもの〉   〝浮世屋絵四郎 〈浮世絵師〉    (一段目)清満 げんや店  貞秀 おふなぐら 芳虎 京ばし   芳艶 ほん丁         国貞 ほんじよ  広重 中はし   芳幾 すは丁   国周 ひもの丁    (二段目)芳藤 下や    芳年 中はし   国輝 おふなぐら 房種(不明)         芳豊 新大さか丁 芳春 あさくさ  芳盛 下や    国久 やなぎ原         国孝 やなぎ原    (三段目)国時 芳富 重次 重清 芳延 芳滝 艶豊 艶政 幾丸 幾年     やくしや/にがほ/むしや/めい/しよ/けしき/女ゑ/合くはん     かはりゑ/ゑでほん/かき入/きはもの/かんばん/あふぎ     (役者 似顔 武者 名所 景色 女絵 合巻 変わり絵 絵手本 かき入? 際物 看板 扇)     やりて せり(遣手 ?)〟    〈明治元年の『歳成記』も参照のこと〉    ☆ 慶応二年(1866)    ◯「読本年表」〔切附本〕   ◇読本(慶応二年刊)※角書は省略    歌川芳盛画    『宮本無三四實傳記』一光齋芳盛画 岳亭定岡作    『河中島両將傳記』 光齋芳盛画  岳亭定岡作(序「慶応二丙寅夏」)    ☆ 慶応三年(1867)     ◯「絵本年表」〔目録DB〕   ◇絵本(慶応三年刊)    歌川芳盛著    『掌中新刀銘尽大全』一冊 三木光斎著 山田伯意校 永楽屋東四郎他板    『新刀便覧三集』  一冊 三木光斎著    ◯「読本年表」〔目録DB〕   ◇読本(慶応三年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『繪本太閤記』巻二 一光齋芳盛画 岳亭定岡作〈刊記・改印記載なし〉    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)    ◯「読本年表」〔切附本〕   ◇読本(明治元年刊)※角書は省略    歌川芳盛画『伊賀水月録』光齋画 岳亭定岡作    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪191(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「歌川豊春系譜」〝(歌川国芳門人)芳盛 一光斎ト号ス。居下谷広小路。後池ノ端茅町桜坊ト云〟    ◯『筆禍史』「江戸上野戦争の絵草紙」(明治元年・1868)p172(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝江戸に在りし徳川方の残党中には、大政の返上を喜ばざる不平の徒多かりしが、其徒相結んで彰義隊と    号して官軍に抗し、明治元年五月十四日、江戸上野東叡山に於て、双方の激戦ありし事は、人々の皆知    る所なるが、当時は未だ新聞紙の発達せざりし時なれば、その戦況は例の絵草紙にて見るより外なかり    しなり、然るに当時新政府には、未だ出版條例新聞條例等の制定なきも、幕府残党の手に成れる官軍不    利の戦報あらん事を恐れて、総て戦況の報道を厳禁したりしがため、絵草紙も亦上野彰義隊戦争の図と    して出版すること能はざりしかば、已むことえお得ず、姑息の手段によりて出版し、図は上野に於ける    両軍の奮戦なれども、其題号は古き歴史絵らしく      本能寺合戦之図   (歌川芳盛画) 太平記石山合戦(歌川国輝画)      信長公延曆寺焼打之図(歌川芳虎画) 春永本能寺合戦(歌川国宗(ママ)画)    など徳川幕府時代の旧式によりて題号せる三枚続の大絵なり、江戸市内の各絵草紙屋より此類を十数種    出版せしが、本能寺合戦といふも、其実は上野黒門前の激戦にして、人物も彰義隊と官軍の服装なれば、    紛うべくもなき禁制画なるを以て、是等の絵草紙は悉く発売を禁ぜられたりといふ〟   〈「春永本能寺合戦」の画工を歌川国宗とするが、英斎の誤記である〉
   「本能寺合戦之図」さくら坊芳盛筆    (野田市立図書館蔵)
   「春永本能寺合戦」英斎画    (早稲田大学図書館蔵)  ◯『歳成記』風雷山人著 玉家如山蔵板 戊辰仲冬(明治元年十一月)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)※◎は難読文字   〝浮世屋絵四郎    (一段目)貞秀 芳虎 芳幾 芳年 国周 国輝 国貞 国明    (二段目)芳春 芳盛 芳藤 房種 重次 広重 重清 国久 一豊 国歳 芳富     (三段目)芳延 国時 国玉 芳豊 芳信 艶長 幾丸 年晴 周延 年次     かぶろ/おい/らん/どう/ちう/すがた/大に/しき/がう/くわん     げたい/なかみ     (禿 花魁 道中姿 大錦 合巻 外題 中味)     やくしや/にづら/大くび/丸◎/めい/しよ/けしき〟     (役者 似顔 大首 丸◎? 名所 景色)     やりて く◎り(遣手 ?)    〈慶応元年刊『歳成記』より少し格上になっている〉  ☆ 明治二年(1869)    ◯『【明治前期】戯作本書目』   ◇戯作小説(明治二年刊)    光斎画『伊賀水月録』上巻一冊 光斎画 岳亭定岡文案 錦耕堂版(読本・以下何冊出版か未詳)    〈ARC古典籍ポータルデータベース画像、上中下三冊・見返し「光斎」・上の序「慶応四辰夏(改印)岳亭主人述」とあり〉  ☆ 明治六年(1873)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇外国語(明治六年刊)    三木光斎画(歌川芳盛)    『英学童観抄』一冊 三木光斎著 伊勢屋庄之助他板     〈国会図書館「近代デジタルライブラリー」の公開画像によるとイラスト画あり〉    ◯「一勇斎国芳十三回忌追善碑」明治六年(1873)建立
   碑陰門人名簿〝一勇斎門人 現存 芳盛〟  ☆ 明治七年(1874)    ◯『【明治前期】戯作本書目』   ◇風俗(明治七年刊)    三木光斎画『東京開化繁昌誌』初二編四冊 三木光斎画 萩原乙彦著 万青堂版  ☆ 明治八年(1875)    ◯『【明治前期】戯作本書目』   ◇開化滑稽風刺(明治八年刊)    三木光斎画『珍説邯鄲新誌』三号三冊 光斎画 萩原乙彦編 山形七兵衛版  ☆ 明治九年(1876)  〇『東京書画人名一覧』番付(永島辰五郎編集・版「明治九年第八月新刻」)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)    ※(「前後順次不論」とあり、名前の位置は序列と無関係という)   〝書画 三木光斎 下ヤカヤ丁〟〈下谷茅町〉  ◯『画家一覧』番付(永楽堂「明治九年第十二月新刻」)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)    ※(相撲番付と同じ体裁)   〝前頭 三木光斎 池ノ端〟〈下谷茅町を含めて池之端としたのであろう〉  ☆ 明治前期  ◯「【当時一品】名誉博覧会」明治前期刊(『美術番付集成』瀬木慎一著・異文出版・平成12年刊)   〝西洋床ノ自慢 よしあしはしれないもの    一光斎芳盛・一得斎来山・隅田川都鳥・竹本湊太夫・板東三八〟    〈この番付の刊年は明治七年と推定される。根拠は下掲本HP「浮世絵事典」の「浮世絵師番付」参照のこと〉    浮世絵師番付「☆明治前期」参照  ☆ 明治十三年(1880)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治十三年刊)    一光斎芳盛画    『まぜばりどゝいつ』挿絵・表紙 一光斎芳盛 蘭亭露遊  荒川吉五郎(4月)    『葉柳どゝいつ』  挿絵・表紙 一光斎芳盛 十柳子   荒川吉五郎(4月)              (巻末「岳亭春信校合/種彦門人十柳子作/一光斎芳盛画」)    『まりうた』    挿絵・表紙 酒盛    荒川吉五郎 荒川吉五郎(4月)              (巻末「光盛舎えらむ さかもりゑがく」)    『都々逸』     挿絵・表紙 好亭酒盛  柳亭呂洌  荒川吉五郎(4月)     〈好亭酒盛と芳盛とは何らかの関係がありそうだが、未詳〉  ☆ 明治十二年(1879)  ◯『現今書画人名録』(高崎脩助編 椿窓堂 明治十二年三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝書画 三木光斎 池ノ端〟    〈三木光斎は服部波山などと共に「書画」に分類されている。光斎は文人画の系統と目されているようだ〉  ◯『皇国名誉書画価表』番付 東京(小谷誠之版 明治十二年十月届)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝人物 柴田是真 全紙金一円    山水 松本楓湖 全紙金一円    画  高畠藍泉 金三拾五銭    書  三木光斎 金三拾五銭〟    〈ここでは書家として位置づけである〉  ☆ 明治十八年(1885)  ◯『江戸絵から書物まで』朝野蝸牛編 昭和九年(1934)刊   (「(と)明治年間執筆画家名略」)   〝歌川芳盛 (武者、美人)国晴と云ふ 一光斎と号す。明治十八年十月五日五十九歳没〟    ☆ 刊年未詳    ◯「切附本書目年表」(高木元著『江戸読本の研究』所収・ぺりかん社・1995年刊)   ◇読本(刊年未詳)    歌川芳盛画『誠忠義士銘々傳』芳盛画 作者名記載なし    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(刊年未詳)    歌川芳盛画『春色淀廼曙』初~四編 歌川芳盛画 五編 寧斎画 松亭金水作    ◯「艶本年表」〔目録DB〕   ◇艶本(刊年未詳)    歌川芳盛画    『むつまし落ばなし』一冊 歌川芳盛画?  (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『月雪花四季の友』 三冊 芳盛画 玉杓子作(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    『春情翁苦去』   三巻 芳盛画     (注記「ウキヨヱ内史による」)    ☆ 没後資料    ◯『浮世絵師便覧』p217(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝芳盛(モリ)    歌川、◯一光斎、一世、◯国芳門人〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』「歌川国芳伝」p207(飯島虚心著・明治二十七年、新聞「小日本」に寄稿)   〝〈国芳〉門人おおし。芳宗、芳房(万延元年没す)、芳清、芳影、芳勝(俗称石渡庄助)、芳見、芳富、    芳員(俗称一川次郎吉)、芳満、芳兼(一に田螺と号す。専ら絵びらを画く。彫刻家竹内久一郎氏の父    なりとぞ)、芳秀、芳広、芳鳥、芳虎(俗称辰之助、長谷川町に住す)、芳丸、芳藤、芳綱、芳英、芳    貞、芳雪、芳為、芳梅、芳基、芳栄、芳豊、芳盛(池之端に住す)、芳近、芳鷹、芳直、芳鶴、芳里、    芳政、芳照、芳延、等にして、其の最も世に著われたるは、芳幾、芳年〟    ◯『浮世画人伝』p96(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
   「歌川国芳系譜」〝芳盛(国芳門人)一光斎、通称作蔵、内務省十三等拝命し、免職後、横浜ニ於テ死ス〟    ◯『浮世絵備考』梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(79/103コマ)   〝歌川芳盛【天保元~十四年 1830-1843】    一光斎と号す、国芳の門弟にて、下谷広小路に住み、後ち池の端茅町に移る〟  ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝芳盛 国芳門、歌川氏、俗称三木作蔵傍ら南画を描く、一時官途にあり、後横浜に移り貿易画を描く、    明治十八年十月五日没、五十五歳〟    ◯『狂歌人名辞書』p244(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝一光斎芳盛、通称三木作蔵、歌川国芳の門人、初め東京に住し、後ち横浜に移りて貿易画を描く、明治    十八年十月五日歿す、年五十五〟    ◯「日本小説作家人名辞書」p735(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝光斎    伝未詳、或は浮世画家一光斎芳盛か。「話の山々」(刊年不明)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」は光斎を歌川芳盛とするが、それはこの『日本小説年表』に拠っている〉    ◯『浮世絵師伝』p215(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝芳盛    【生】天保元年(1830)   【歿】明治十七年(1884)十月十日-五十五    【画系】国芳門人      【作画期】嘉永~明治    歌川を称す、三木氏(一に田口氏)、俗称作蔵、別号を一光斎・光斎・さくら坊など云へり、初め下谷    広小路に住し、後ち池ノ端茅町に移る、後年内務省十三等出仕を拜命せしが、職を辞して横浜に移り同    地根岸に住し、輸出向きの花鳥画などを描きたりき。彼が歿時は、一に明治十八年十月五日とせり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「安政元年(十二月五日改元)甲寅」(1854)p233   〝八月、一光斎芳盛の画ける『海外人物輯』出版〟     ◇「安政四年 丁巳」(1857)p236   〝十二月、一光斎芳盛の『絵本早学』あり〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
   「歌川系図」〝国芳門人 芳盛〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p93(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝芳盛(よしもり)    歌川を称す。三木氏、或いは田口氏ともいつた。俗称作蔵、一光斎、光斎、さくら坊とも号した。国芳    の門人、その作画期は文久より明治の初めに及んだ。武者絵、諷刺画、横浜絵がある。維新後は一時内    務省の小吏となつたが、間もなく辞めて、横浜に移つた。天保元年生れ、明治十七年、五十五才で歿し    た〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)     (歌川芳盛画版本)     作品数:45点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:三木・酒盛・一光斎・一好斎・光斎・好斎・さくら坊・さくら坊光斎・三木一光斎・        芳盛・一光斎芳盛・三木光斎・好斎酒盛・一好斎酒盛・さくら坊芳盛・歌川芳盛      分 類:歌謡(都々逸・端唄)8・合巻5・咄本4・刀剣4・艶本3・絵本3・絵画2・雑俳2・        地誌(名所図会等)2・遊戯(双六等)2人情本1・外事1・仏教1・風俗1・地図1・        外国風俗1・往来物1・本草1・武具1・浮世絵1      成立年:弘化3年  (1点)        嘉永5・7年(2点)        安政1~4年(4点)        万延1年  (3点)        文久2~3年(3点)        元治1年  (1点)        慶応3~4年(3点)    〈弘化三年(1846)の作品は山崎美成編『江戸名所図会』で署名は光斎。「浮世絵」の一点は『東海道五十三次/名画     之書分』で景色を芳盛、役者を三代豊国が担当した合作〉      (三木一光斎の作品)    作品数:1    画号他:三木一光斎    分 類:外国風俗1    成立年:嘉永7年     (一光斎芳盛名の作品)    作品数:9    画号他:一光斎芳盛    分 類:合巻3・絵画2・絵本2・本草1・教育1・歌謡1    成立年:安政1・4年(3点)        万延1年  (1点)       文久3年序 (1点)       (三木光斎名の作品)    作品数:9      画号他:三木光斎・      分 類:外事1・刀剣4・仏教1・地図1・地誌1・武具1    成立年:安政1・4年(2点)        元治1年  (1点)        慶応3年  (2点)    〈刀剣に関する作品は4点あるが、全て著作である〉       (酒盛名の作品)    作品数:2    画号他:好斎酒盛・一好斎酒盛    分 類:歌謡(都々逸・端唄)2    成立年:万延1年(1点)    〈『都々逸葉柳集』歌謡・柳亭呂淵編・好斎酒盛画・万延元年(1860)序     『端唄』歌謡・柳亭直似彦作・一好斎酒盛画・成立年記載なし〉     (さくら坊芳盛)    作品数:1    画号他:さくら坊芳盛    分 類:雑俳1    成立年:慶応4年    〈『絵本眉玉柳』雑俳・農楽庵編・さくら坊芳盛画・慶応四年(1868)刊〉     (さくら坊光斎名の作品)    作品数:1    画号他:さくら坊光斎    分 類:咄本1    成立年:記載なし    〈『昔咄し』咄本・さくら坊光斎、とあるのみ、画名か著作名か〉    
  
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