豚のこま肉

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          (一)
「全く申し訳ありません。いつもご迷惑ばっかりで・・」
小さな母がますます小さく体を丸めて担任の教師に詫びていました。
「本当に困っとるです。そもそもこの子は入学早々に学内で暴力沙汰を起こして・・、そうそう、あの時は私の結婚式の前の日だったです。独身最後の夜を、両親と妹とそれからチロと・・イエ、これはウチで飼っている犬の名前なんですが、みんなで過ごそっかなぁ・・なんて思っていたら、突然の緊急職員会議召集でしょ」
「その節は本当にお世話になりまして・・」
「いや、まぁそれは過ぎたことでいいんですが、やっと私が息子さんを更正させて、いや、ちよっと言葉が直接的ですが、この子はエネェーギーが有り余っていると、まぁ、私の直感というか、優秀な教師としての能力というか・・で、どうせこの子は頭悪そうだから・・いや、アハハハ・・優秀な教師としての直感ですから、ここは言葉のアヤとしてご父兄の皆様にはご理解頂いてですね、それでスポーツの方に進んだらいい選手になるんじゃないかなぁ・・なんて思いまして・・」
「先生には感謝の言葉もありませんです」
「いやいや、それでこのバカ力でしょ。だったら砲丸投・・あの鉄の玉を少しでも遠くへ投げようなんていう・・ちと地味で女性にもてるとは到底思えませんが、これもマァ、立派なスポーツなんすよ。その砲丸投でもやらせようと思いましてね」
「はい、息子もずいぶん気に入っているようでして、学校から帰ってくると、私が大事にしている漬け物石を持ち出しましてね。庭の隅から投げるんでございますよ。お陰様で庭はボコボコ。漬け物は半漬けで・・」
「アハハハハ、そんなに熱心にやっとりましたか・・って喜んでいる場合じゃないんですよ、お母さん。それでですね、ようやくこの地区でもトップクラスの投げ手に成長されまして、いよいよ本大会!。いゃぁ、頼もしいではありませんか、これで私も鼻高々、優秀な教師としての責任を全うできて、明日の出世も約束された・・いやいや、それはともかくですが、大会まで後1週間です。校長初め全校の期待も高まっていたんです」
「はいはい、うちでもそれなりに楽しみにしておりまして。主人なんかはもう豚のコマ肉なんて買って来ちゃったりして、困っちゃって・・」
「お母さん、洒落ている場合じゃありませんよ。それがですよ、それが・・ククク・・この間際に来て、ご子息は事もあろうに鉄棒から落っこっちゃって、腕をポッキンと折っちゃって・・ウェーン・・、私の出世が・・」

          (二)
入学早々暴力事件を立て続けに起こし、ついに担当教師から
「練馬の鑑別所に行くか、スポーツをやるか、どっちか選べ」
と印籠を渡された私は、シブシブながら花の陸上競技の中では不人気種目ナンバーワンの砲丸投をやる羽目になったのでしたが、人も通らぬ校庭の隅からヨッコラショと鉄の玉を投げてはトボトボと一人寂しく拾いに行く、その余りに地味な練習の毎日にいつまでも耐えられるはずもなく、やがて筋力増強を理由に女の子も揃っていて楽しそうな徒手体操部に潜り込み、近代的な体育館の中で宙返りをしてみたり、跳び箱や鉄棒の練習に汗を流すことになったのでした。

「いいか、大会で優勝したら体育だけは満点をつけてやるから砲丸投に集中しろ。」
教師が教官室に私を呼びつけて言ったのは、母校の栄誉と郷土の期待を背負って競うべく設定されたその大会の一週間前のことでした。
そしてその日の夕方、事件は起こったのです。
私はこの日も鉄棒にぶら下がり、いつの間にか上達した大車輪なる回転を気持ちよく繰り返し、そしてやがてスンナリと華麗なるポーズを決めて着地するはずでした。
しかし、数回目の回転が鉄棒の真上に来た時、私は下からジッと私を見つめる一人の少女がいることに気がついてしまったのです。
彼女は数人の友達と共に微笑みながら私を見つめていました。
その時私は、人知れず野に咲く可憐な花を見つけたような、ときめきを覚えたのでした。
胸の動悸はやがて全身に伝導し、鉄棒を握っている両手にじわりと汗がにじみ出るのを感じたその時、突然、私の体は鉄棒を離れ宙に舞ったのでした。
ほんの一瞬だったのでしょうが、私には随分と長い間宙に浮き続け、何とか足から降りる工夫を模索していたように思います。
しかし、それも空しく、息を飲む仲間達、そして私を見つめていた彼女の小さな叫びのなかで私の体は地面に叩きつけられたのです。そして、くの字に醜く折れ曲がった左腕を見つめながら私は意識が遠のくのを感じていました。



          (三)
「よっしゃ!大会に出られるようにしてやろう。砲丸投こそは今の軟弱な日本男児に求められている立派な競技だ。その昔、ワシが帝国陸軍北支派遣軍の一員として満蒙国境に派遣されていた時、敵襲に合い激戦となったことがあった。三八歩兵銃も重砲も打ち尽くしもうダメだ、玉砕だと覚悟した時に後方友軍が砲弾を、そう、まさに砲丸投の要領で前線にリレーして来た。それでワシたちは命を救われたのだ。そこには日本男児の怯まぬ底力があった。敗戦によって萎縮した日本が再び世界の列強と渡り合うには、その底力が何よりも必要なんだ。お前にはそれができる」
大会前日、老接骨医は、明日の大会に出場させてくれと懇願する私の願いを聞いた後で深く頷きながらこう言ったのでした。
「そうよ君、石を投げることが革命につながるのよ。」
その時、待合室にいた若い女性患者が飛び込んできて口をはさんみました。彼女は続けます。
「おととい私たちは政府の暴虐に抗議するため国会の構内で集会を開こうとしてバリケードで守られた南側の門を突破したのよ。今の日本には革命が必要だと思ったから。その私たちを食い止めようと固い樫の木で作られた警棒を振るう警官隊。仲間は皆、頭を割られ血だらけになりながらも前進したわ。その時、構内に入りきれない仲間が後方から大きな石を投げ始めたの。敵はこれに怯んでジリジリと後退したんだったわ。ところが悲しいことに日頃勉強ばっかりしている青白きインテリ学生には腕力がない。いくつかの石は敵に届かず、私たちの頭に降り注いだのよ。私は、しっかり投げなさいっ!って叫ぼうとして後ろを振り向いたんだったわ。そしたらその瞬間、拳ほどもある石が顔面に・・・。ウェーン、なんてこった。私のこの美貌を象徴するはずの大事な鼻は骨折して右に曲がっちゃって、骨折医院通い・・。もう少し彼らに力があれば革命は成就したはずだったのに、もう、悔しいやら情けないやら・・。」
鼻に十文字のバンコウコウを貼られた彼女が涙ぐみながらうつむく姿を老接骨医師は「フン」とせせら笑いながら黙々と私の左腕を石膏で固定し続けていたのでした。


          (四)
翌日、競技場は休日登校とされた各校の生徒によって埋め尽くされ、番長たちがガンをとばし合い、教師達もお互いに

見栄を張り合う一種異様な雰囲気の中で行われ、やがて私の出場すべき砲丸投の競技が開始されました。
投擲サークルの周辺には、スポーツ選手らしい均整のとれた若者が集うトラック競技やハイジャンプとは違って、農家の跡継ぎで日頃米俵を担いでいるヤツとか、漁師の息子で毎日舟の櫂を漕いでいるヤツとか、お相撲さんの子供とかどう見てもスポーツマンとはほど遠い猛者連中がノッサと集まっていました。
「お前ケガしてるじゃないか。」
「そんなヤツもお前の学校は出場させるのか。」
「点数かせぎもそこまでやれば立派なもんだ」
選手や競技役員の教師に皮肉られながら、ついに私は2メートル強の投擲サークルに立ったのでした。
当時の砲丸投の手法は投擲方向を向きながら勢いをつけて放り投げるのが一般的でしたが、私が採ったのはオブライエン方法と言って、投擲方向に背を向けて一気にサークルを縦断し砲丸を突き出す手法でした。腕に添え木をし石膏で固めていなければ、かなり華麗な姿になるはずなのでした。
「予選は一回で突破しろよ」
という担任の教師のアドバイス通り、決勝に進んだ私は五投目まで終了した段階で第四位。
いよいよ最後の投擲になって、私はサークル内で砲丸を首に押しつけながら身構えたのです。
一斉に皆の注目が集まります。なにせ今朝の朝刊に有望選手として紹介された私の、あるいは骨折箇所が接着していない腕をむき出しにして行う私の最後の投擲なのです。
そして、渾身の力を振り絞って腕を突き出そうとしたその時に、私の耳には確かに彼らの声が聞こえたのでした。
「兵士を救え!砲弾を前線に運べ!」
「敵を粉砕するのよ!革命のために!」
「今夜も豚のコマ肉が・・」





〔あとがき〕
あの時、私を見つめていた少女はこの数ヶ月後、突然の事故で世を去った。 私の思い出はただ一度、自転車の後ろに彼女を乗せて練習場へ通ったことだけだ。