中城には、護佐丸伝説があります。築城の名手としても名高い護佐丸は、その仕える首里城の王・尚泰久(しょうたいきゅう)からの信頼も厚かったと言われています。しかし、その王は、密かに首里を自分のものにしようとしていた勝連半島の武将阿麻和利(あまわり)の企みにより、阿麻和利に、忠臣護佐丸を謀反人として討伐するよう命じてしまうのです。難攻不落、強力な軍隊を擁し、負けることはなかった護佐丸も、主君の旗を敵方に発見すると「王の勅命に向けて、放つ矢はない。」として、抵抗することなく家族共々自決してしまったのでした。家臣の多くも殉死したと伝えられています。後に、王は、この謀略に気付き、阿麻和利を討伐させるのですが後の祭りでした。
![]() |
|
中城城門 | 城壁からの海の眺め |
このような悲劇の舞台となった中城は完成度の高い名城と言われています。中城は特に美しい曲線を描く石垣の稜線と複雑に組まれた巨石の壁により有名です。その城門は、複雑なアーチを描いていて、美しい石組みです。アメリカのペリー提督も、このアーチを絶賛したと伝えられています。護佐丸が奇襲を受け自決をした日は、中秋の名月の時であり、護佐丸、家族、家臣達は城の真中で観月の宴を催していたとのことです。なんとも悔しく悲しいお話しです。
今帰仁城へ
沖縄グスクトップページへ