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東芝に643万円支払い命令=ワープロ変換の発明対価−東京地裁


お蔭様で、取りあえず、勝訴しました。
特に、技術者の名誉の点では、下記の判決で、80点くらいです。

特許2(かな漢字変換特許)に関しては原告の単独発明
特許1(短期記憶を用いた学習特許)に関しては、原告70%、河田氏・武田氏合わせて30%

なぜ、80点かと言いますと、特許1では、被告東芝の主張は明明白白に崩壊しているにも拘らず、河田氏・武田氏の貢献が30%と評価されているからです。

下記のプレスリリース(原文への付加説明あり)を読んで頂ければ容易に理解できると思います。

この点を中心に控訴を検討しています。私が虚偽を述べている事になる判決には名誉を掛けて正さねばならないからです。この点、金額に対しても同様です。

さて、最大のポイントは、もう一人の被告側証人である森健一氏の貢献は0であると判決されたことです。彼はワープロ開発を事由に、文部科学省から文化功労者に顕彰されています。

文化功労者には350万円の年金が付いていて、私たちの税金が原資になっていると思われます。何の貢献もない人が一体どのような経緯で文化功労者となったのか、今後、文部科学省に公開質問状を出す準備をしています。

もし、正当な回答が無ければ、これは「国家の八百長」ということなのです。


判決は最初3月18日に予定されていました。その日が近くなった3月1日、被告東芝から裁判所抜きで和解の話し合いに応じてもらえないかという申し出がありました。聞くだけは聞こうと思い、3月7日に会いました。会合の冒頭で、今日の話題の内容は秘密にして欲しいと言われましたので、ここには書けません。そのような事実があったことだけは記しておきます。





「日本語ワードプロセッサは誰が発明したか」を問う訴訟

  湘南工科大学工学部教授 天野真家
平成23年4月8日


 この訴訟は、東芝が1978年に報道発表した世界最初の日本語ワードプロセッサ(以下、ワープロ)である「JW−10( ジェイダブリュ・テン)」の発明に関し、その真の発明者は誰かを争った裁判であり、平成19年12月7日、東京地方裁判所に提訴されたものです。原告は発明当時、東芝の従業員として同社総合研究所に勤務し、その研究に従事していました。

 ワープロは、1号機以来、国内で専用機、パソコンワープロソフトという新産業を興し、「専用機」業界だけでも、累計3000万台を売り上げ、2000年までに3兆円を超す売り上げをもたらした発明です。情報処理機器の普及に非常に大きな役割を果たし、IT分野ではわが国で最大の発明の一つであるといえます。原告の発明は現在でも、パソコンのワープロソフト、あらゆるコンピュータへの日本語入力ソフト、携帯電話、スマートフォンなどにおいて、日本語入力の基本的方法として用いられています。

 今回の訴訟は、そのような日本語入力、延いては、ワープロの真の発明者は誰かを争ったものでした。3兆円の新市場を生んだ発明者が、当時は20代の新入社員にすぎず、ただ歳が若かったからというだけの理由で、なんら技術的貢献のなかった上司の、自分こそが発明者であるかのような装いを、被告鞄月ナは事実を調べることなく追認し、今日まで至ったというのが真相です。

 極めて重要な点は、本訴訟で用いられた原告の主張の多数は、被告提出の「乙」証拠群と、被告側証人の著書、ホームページ、被告側証人への反対尋問など被告側資料によっていることであり、このことは被告に誠意さえあれば、何時でも原告の主張の正しさを調査、確認できたことを示しています。

 本件はまず、職務発明の補償請求として始めました。しかし、被告鞄月ナは和解の過程において、原告の業績を特許の連名者4名の単なる一人とし、原告単独発明を認めず、補償金を何分の一かに(恐らく1/4)しようとしました。そして、平成19年12月7日の訴状にもあるように被告は「@原告の単独発明とは認められないこと、A職務発明規程に基づく補償金は既に支払われていること、B退職時の状況にも問題はなかったことから、原告の処遇には問題はなかった」と主張し、そのため、話合いによる解決の見込みはなくなり、かつ、原告の単独発明性が大きな争点となり、原告はやむなく「技術者の名誉のため」本訴を提起するに至ったのでした。

 本訴訟は、被告がこの訴訟で明らかになった事実を把握せず、また把握する努力もせず、故意か過誤かによる誤った認識に拠って、責任を放棄していた結果として生起したものです。今後必然的に生起する事態に対するすべての責任は、事実と異なる申し立てばかりを行い、事の重大性を認識せず漫然とした対応しか行いえなかった、東芝経営陣に帰せられます。

 被告は、判決、訴状、証拠に対して40年近くも前の今や秘匿の意味のない技術等に関して第三者閲覧制限をかけていますので、ここでそれらを全て白日の下にお見せすることはできません。訴状も、証拠物件も、判決も第三者に見られたくないという事実は、いかに被告が人としての良心に恥じることを行ってきたかを示すものでしょう。

 訴状の言葉を繰り返せば、被告の「本物の技術者軽視」の体質は「技術の東芝」のモットーにもとり、創業者「からくり儀右衛門」こと田中久重の技術への志をないがしろにし、技術を萎縮せしめる方向に進んでいると言う以外、語るべき言葉を知りません。

 真の発明者の名誉の為、そして何よりも衰えつつある技術立国を支える技術者の地位の向上の為、真実が明らかになったことは非常に喜ばしいことです。

裁判の経緯

 この裁判を通して、被告の行った事実と異なる主張の根幹は、次のものです。
  1.日本語ワードプロセッサの研究開発の中心人物は原告天野ではなく河田勉氏である。
  2.本訴訟の対象となる特許1*、特許2†は連名者4名の議論から出たアイデアであ
    り、共同発明である。


    *:「短期記憶を用いた同音語選択装置」:いわゆる「短期学習」
      正式名:特許第1280689 同音語選択装置

    †:「局所意味分析を用いたカナ漢字変換」
      正式名:特許第1356578 カナ漢字変換装置

このように、被告は故意に事実と異なる主張をすることにより、原告の貢献を否定、あるいは、不当に低くすることによって原告の業績を極めて過少に評価しようとしました。そのため、本訴訟の様相は「誰がワープロを発明したか」を明らかにすることに多くの時間が費やされることになりました。このことは、原告にとっては願ってもないことでした。なぜなら、原告は今回の訴訟を「技術者の名誉のための裁判」と位置づけてきたからです。その過程の中で、被告は明らかに事実と異なることを知りつつ架空の創作による主張を繰り返し、裁判を長引かせたのです。

 本訴訟を通じて一貫した原告の主張は
1.「日本語ワードプロセッサ」のコンセプトを提唱し、技術を発明し、JW-10として実現するという発明行為を行ったのは原告単独である。
2.本訴訟の対象であり、日本語ワードプロセッサの基本特許である特許1、特許2は原告の単独発明である。

の2点に集約されます。

 本裁判を通し明らかになった事実は、1975年、大型コンピュータでのかな漢字変換シミュレーション実験から始まり、1979年JW-10発売に至るまでの約4年の期間のうち、河田勉氏が技術的に関与したのは1975年の大型コンピュータによるシミュレーションに費やした3か月のみであり、しかもこれは従来技術の後追い、つまり追試に過ぎず、河田勉氏自身の法廷証言*1によれば、かな漢字変換のための形態素解析技術に関する河田勉氏のオリジナリティは皆無ということでした。当時、上司であった森健一氏に至っては、日本語ワードプロセッサのコンセプトにも技術にも全く関与がない*2ということが証拠の数々から明らかにされました。すなわち、森健一氏、河田勉氏の二人は日本語ワードプロセッサの「発明」にまったく無関係であるということが主として被告側が提出した多数の証拠群により白日のもとに曝されたのでした。

 1976年初頭からの「ミニコンによるかな漢字変換システム」(乙15)は原告単独で研究・開発され、その過程において1977年4月、「日本語ワードプロセッサ」のコンセプトが原告により社内技術報告(乙16)で提唱され、更に同年8月に電子通信学会(現電子情報通信学会)で発表され(甲4)、その新しいコンセプトを実現するための研究開発が原告により推進されたのです(乙17)。そして1979年、それら原告の出した成果はJW-10として結実し、発売に至ったのでした。

 被告の最初の法廷戦術は、原告により著作された被告研究所所蔵の「JW−10」の一連の技術報告書*3(乙15、16、17)を河田勉氏の著作であるかのように主張することにより、ワープロの発明を河田勉氏、森健一氏に帰着させようとするものでした。しかし、これらの技術報告書は原告の単独著作であることが直ちに明らかになり、この被告の戦術は崩壊したのです。被告は原告の肉筆で書かれた報告書の著作者を特定しようともしない杜撰さでした。

 また、ワープロの社内技術報告、学会発表は原告のものだけであり、河田勉氏のものは初期の準備段階のもの(大型機シミュレーション)1件のみでした。森健一氏に至っては、河田勉氏が自らのブログ(甲第29号証)に「(原告注:JW-10が取り上げられた)NHKのプロジェクトXにいたるまでの実態を河田の視点から思い出して見ます。・・・ 森さんは一切口を出さずに、『どうなっている』とも聞かずにほっておいてくれました。」と記しているように一切口も手も出さない無関与の状態であったことが証拠で明らかにされたのです*2。

 更に、被告は、上記特許1及び2は、連名者4名の議論によりアイデアを出したものだという「4名共同発明」説を主張することにより、原告の貢献を過少に評価しようと試みたのでした。しかし、被告のこれらの主張は、被告側の提出した乙群証拠物件、被告側証人である河田勉氏、武田公人氏の尋問、陳述の矛盾により、ことごとく覆され、全くの事実無根であり、原告単独発明であることが明らかになったのです。

 被告は、1976年3月頃、大型コンピュータでのかな漢字変換シミュレーション実験のデモを見ながら4名が議論していた時に出たアイデアが短期学習特許(特許1)であるという、事実と異なる架空の創作を主張しました。しかしながら、河田勉氏はインターネット上の彼のブログ中で「森さんは一切口を出さずに、『どうなっている』とも聞かずにほっておいてくれました」(甲第29号証)と公言し、更に、陳述書で「大型コンピュータを用いたデモンストレーションのころは、短期学習機能の発想はまだありませんでした。」(乙第39号証)と主張して、明確に被告の主張を否定し、その戦術を崩壊させたのです。更に、被告は武田公人氏がチームへ参加した時期を1976年4月と偽りの設定をしたのですが、武田公人氏は原告側の反対尋問を受けて、1976年4月の異動は無く、実際は同年10月であったと認めて(武田氏尋問調書*4)、被告の主張する「4名の議論による共同発明」は全くの創り事である事を明らかにしたのです。

 特許2に関しても被告は特許1についてと同様な、証拠を伴わない架空の創作の試みをしました。典型的には、特許2は、原告が開発したJW−10で使用されている「局所意味分析」技術ではなく、JW−10に使われていないとの主張をしたのです。しかし、「局所意味分析」の社内技術報告書に、この技術は特許2として出願し、JW−10の高性能を保証しているとする旨の記載があり*5、被告の戦術はあえなく潰え去りました。被告側証人は、特許2と「局所意味分析」について、まったくの無関与であったため、彼らの証言の足並みの乱れに起因する矛盾の連続の末に、特許2がワープロの基本技術であることが明らかになっただけではなく、彼らはそのような重要な事実も知らず、従ってワープロの発明と技術に無関与であったことまでも白日の下にさらけ出されたのでした。

   河田勉氏は「陳述書(乙第4号証)」の中で、「東芝社内においては、森氏は『日本語ワードプロセッサを開発した人』私は『実用的かな漢字変換を初めて作った人』という評価が確定していることを付言します。」と述べています。河田勉氏のこの主張は、原告が訴状で訴えた「原告は、WP専用機を実用化するための基本かつ必須の本件発明をなしたにもかかわらず、正当な評価を受けられないまま被告を退社せざるを得なくなったという経緯」を、被告の否認にもかかわらず積極的に認めたものとなっています。被告のこの不誠実な対応は相当な非難に値すると断言できます。



注釈

*1:河田氏尋問調書
「形態素解析自体は多くの文献,それから国語の学者さんが営々と積み上げたものですから,それ自体は特許性はないと思っています。
                   ・・・
形態素解析自体は,特許性は,私のオリジナリティーはないですから,ないと思っています。」

  原告注:形態素解析とは、かな漢字変換を行うための自然言語処理技術.

*2:河田氏ブログ(甲第29号証)
「(原告注:JW−10を扱った)NHKのプロジェクトXにいたるまでの実態を河田の視点から思い出して見ます。・・・ 森さんは一切口を出さずに、『どうなっている』とも聞かずにほっておいてくれました。」と記している。
   http://d.hatena.ne.jp/tsutomukawada/20061010 より引用

 更に、森氏が日本語ワードプロセッサの研究開発に携わった事を証拠づける被告からの証拠提出は皆無である。

*3:被告が提出した被告総合研究所(当時)所蔵の原告著ワープロ関係技術報告書
RR−2517「カナ漢字変換システム(第2報)」(乙第15号証)
(1976年11月報告、1977年2月発行)
RR−2597「ミニコンによる即時処理型カナ漢字変換システム」(乙第16号証)
(1977年6月報告、1977年7月発行)
RR−2690「日本語ワード・プロセッサの開発」(乙第17号証)
(1978年4月報告、1978年5月発行)

*4:武田氏尋問調書
「(原告注:原告代理人)先ほど,あなたが日本語ワードプロセッサの開発に参画した時期が多分昭和51年の4月ごろだろうというようなことをおっしやいましたが,昭和51年,あなたの異動の手続について,森氏があなたを4月に異動させたかったけれども異動手続を忘れたために半年遅れで10月の異動になった,そのために日本語ワードプロセッサの開発に関与することになったのは10月からになったというようなことはありませんでしたか。

 (原告注:武田氏) 異動が記入漏れで半年ずれたことはありました・・・」

*5: 原告準備書面(12):「本件特許2=局所意味分析の特許」であることの証明
 「本件特許2は、まさに局所意味分析の特許であるが、次のような関係書類からもそのことは明らかである。
「局所的意味分析法」(甲52)の表紙の「要旨」の下に「特許」という項目があり、
  「カナ漢字変換装置(13789141)53.9出願」
 とあって、特許名、社内整理番号、出願年月が書いてある。
また、出願書類(甲55)にはタイトルの「特許願」の左側に13789141 という社内整理番号があり、冒頭には、
    特願昭53-116705
とある。これは本件特許2の出願番号である。
 これにより、「局所的意味分析法」の特許が特願昭53-116705、すなわち本件特許2であることが分かる。
 また、局所意味分析がJW-10で使われていることは「局所的意味分析法」(甲52)の本文結論に書いてある。また、学会発表された「かな漢字変換における局所意味分析」(甲4 12頁)にも「3.結言」に「この能力によりJW-10の仮名漢字変換の高性能が保証されている」と書かれている。」


 提訴日:平成19年(2007年)12月7日
 原告:天野真家(あまの・しんや)湘南工科大学教授・大学院工学研究科長・工学部長
 被告:株式会社東芝

  以上






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