滝川龍太郎の思想紹介
滝川龍太郎の人生観
自分がこの世の中で現実に生きて、地球を知り、宇宙の大きさを知り、自然を知り、生物、特に人間の行動またはその体の仕組みを知ることができ、自分が存在することが奇跡であり、確率的には分母が限りなく想像を超えた無限大となり、考えることのできない完全なゼロとなるであろうと知ったとき、人生とは奇跡であるという結論に達する。
この世に自分が存在することを多くの祖先と自然と奇跡を呼び起こしてくれた神に感謝せずには入られない。
父と母が結婚しなげれば、自分が存在しないのか、どうかということは解らないが、父と母の持っているDNAの幾かの組み合わせを持った私の兄弟姉妹の数は10億の数を下回ることはない。
従って、私の父と母とから、私が生まれる確率は10億分の1となる。
父と母が結婚する確率も世界の人口20億として、その半分男、半分女であるからにして、10億*10億=100億分の1となると単純に計算して良いか、同属民族での結婚を選ぶことが今のところは多いから、そのことを考慮する必要があるから、正確ではないが、いずれにしても自分の生まれる確率は想像できない零、即ち、奇跡である。
この確率の考え方は間違っているとお叱りを頂くかも知れません。
いずれにしても、この確率は限りなく零に近いからして、自分というものの存在が如何に貴重なことであり、自然と奇跡を呼び起こしてくれた神に感謝して、大切にして行きたい。
最近の経済情勢から、会社、団体のオーナーが企業団体を守るために、多分やりたくないリストラクチャーを行い、その対象となった哀れなサラリマン諸氏は学校へ行っている子供達を抱えて、苦慮している、または人間社会が創り出したルールの檻の中で、もがき苦しんでいることと思います。
現に私もその一人であった。
しかし、人々は人間社会が創り出したルールの檻の中で、苦しんでいるのであって、この檻に気が付っておられないか、気が付っておられも、「生きて行くためにこの檻から出ることができない」のが現実だ!から致し方ない。
会社、団体のオーナーもその会社、団体を存続させるために、やりたくないリストラクチャーを行い、倫理観をもったオーナーであれば、リストラしたサラリマン諸氏を想い、辛い日々を送っておられることと思います。多分そうだと思います。
これも人間社会が創り出したルールの檻の中で、苦しんでいるのであって、この檻に気が付っておられも逃れられないのかもしれない。
"人間社会が創り出したルールの檻の中"と表現したが、道徳も人間社会が創り出したルールであり、人間が集団的動物ある以上、絶対に守らなくてはならないが、その道徳の最低線を法律で明確にルール化にしている。人間はそれと気付かず創ってしまたルールもある。ルールと言ってしまったが、人間の欲望が欲望の檻を創ってしまたと言った方がよいか?
大金持ちになる、いわゆる立身出世がよいことだと決めてしまた人間社会が創り出した欲望のルールが問題ではなかろうか。
私には縁がないが、大金持ちになる、いわゆる立身出世を苦労してなられた方々、ほんとに幸せですか、大金持ちになられた方、いわゆる立身出世された方、それぞれに大きな私には判らない悩みを持っておられませんか。!!
皆さん口を揃えて、男のロマンだ! 女のロマンだ!などとおっしゃる。
大金持ちになる、いわゆる立身出世することがそんなに幸せなことなのですか?!!
しかし、その与えられた立場から、あまり恵まれた環境であっても、自分がどうなってもいいから、人々のため、世のため、人類のために尽くされた多くの方々が、後世の我々に語り継がれ、我々の心の中で生き続けております。
この方々は「我々生きている人々は自分を含めて奇跡が生み出した幸運を持っているのだ」ということを知っていたのではないだろうか。
この世に生きておられる皆さん!あなた方すべてが、奇跡が生み出した幸運な人々なのです。
サラリーマンは悲しからずや、リストラの罠に囚われにけり。
リストラの海に溺れしサラリーマンに、そっと差し出す蜘蛛の糸。
と言って自らを慰めたことがあったが、この世に生まれて来られた皆さん、例え、短命であろうとも、御病気であろうとも、皆さんは奇跡が生み出した幸運な人々なのです。
その人に与えられた運命が如何に過酷であろうとも、その運命はその人が生きているからこそ味わえるもので、楽しんでみては如何ですか。
と考えると自ずと道が開け、幸せになるものです。
滝川龍太郎の小説「佳境、辛酸に入る」では余りにも幸せであったためそれが元で、最も不幸せになったのですが、中国の古い言葉では「辛酸、佳境に入る」なのです。
言い替えれば不幸せな嫌な想いをしていると、幸せの絶頂になっているという事です。
本来奇跡的に幸運に生まれた全ての人間は全て平等に幸せを得るように仕組まれているのです。
如何ですか、そうは思えませんか!!
以上の話がもしも悩んでおられる方でしたら、滝川龍太郎がそっと差し出す蜘蛛の糸して頂きたい。
そっと差し出す蜘蛛の糸は細くて今にも切れて仕舞いそうかも知れませんが、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」のように、あなた次第で、地獄の亡者が何百人、何千人釣り下がろうが、切れることはありません。
たよりになる糸と想います。
但し、お断わりしておきますが、滝川龍太郎はお釈迦様になった積りではありません。
そんな大それた、畏れ多いことは考えておりません。
このホームページにお立ち寄り頂いた方、是非、滝川龍太郎に御意見、御感想をお寄せ下さい。
御意見、御感想はこちらへ
続滝川龍太郎の思想紹介
ホームページへ