(続)滝川龍太郎の思想紹介(最近考えたこと)
最近思う事
前頁の滝川龍太郎の思想紹介に続いて、最近感じている事柄は自分が如何に幸せな存在であることを知らない人が多いかです。この前の頁を開いて下さった方はほんの一握りの方に過ぎないということに尽きると思います。読まれても心の問題で、どのように感じたか小生には知ることができないのでしょう。出来ればコメントを戴きたいのですが。小生はゴマメの歯軋りをするばかり。
前にも書きましたが、大金持ちになる、いわゆる立身出世がよいことだと決めてしまた人間社会が創り出した欲望のルールが問題ではなかろうか。そのためには他人は元より親兄弟姉妹まで犠牲にして自己の欲望を達成しようとする。しかし自分の子供は大切にする。DNAを利己的に神様が創られた為なのか?神様は人間に修練を与えるために敢えてこのように創られたと考えたい。
他を排除して自己のDNAを後世にだけ残すという過ちを。明確な宗教のない日本においてはこの傾向は顕著になりつつあるように思えてならない。人には寿命があり、例え大金持ちになったとしても金儲けに汲汲としたために、奇跡の幸せを味わうことなく短命に終わるかも知れない。トップになっても然りである。低次元の話になるがロマンで結ばれた夫婦においても子供が独立してしまうと今までの感謝の気持ちは薄れ、自分が自己的に生きるための準備を始めるようである。二人で努力して蓄えた筈のお金を自分名義にしようという意識が働くようである。ある女性が夫の死が「学校の卒業式のような感じがする」と言っていた。またある大会社の専務の奥さんの場合は専務が会社を辞めるまでは貞淑な女性であったが、会社を辞めると同時に妻任せにしていたお金を全て持ち一夜にして後どの程度生きられるかも知らず出ていってしまった。という話も聴いたことがある。神は遺伝子の性質を利己的に御造りなった。人はこれに早く気付き知性で補って行かねばならぬ。結婚は自分の遺伝子を後世に伝えるための行動であるが、欺瞞と不満と我慢があるということを自覚して置く必要があると思うが、これが男女に言えると思われる。また離婚などする夫婦はこの辺がどうも理解されていないらしい。と言い切って良いと思う。
利己的な遺伝子を御持ちの方が居られるのですが、この人と立ち向かうと何らかの圧力が陰湿な手段で降りかかる。
小生滝川龍太郎にも陰湿な仕返しがあった。しかし、こをバネして将来叶えたかったことを成すことが出来、返ってよかった。この話は「佳境辛酸に入る」でフィクションとして紹介したい。
いずれにしても、自分というものの存在が如何に貴重なことであり、自然と奇跡を呼び起こしてくれた神に感謝して、大切にして行きたい。
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