(九)
七月の南フランス、ボルドーは花盛り、空気は澄み渡り、花は鮮やかな色合いを見せて咲き乱れている。 その色合は湿度が少ない性か原色の明るさで、目に焼き付いて来る。 その昔、産業革命以降の繁栄の時代に、世界の各地から、珍しい草花を持ち帰り、この地に植えて改良の繰返して行ったのだということである。 この地に植えられ、育まれるとかくも美しく咲くものであろうか。
日本人は原色に近い美しさを余り好まない。寧ろ、中間色を好む傾向がある。例えば、春の桜、秋の紅葉の如くである。その傾向が生活用品の色も影響されて、洗濯機から自動車まで白系統の色が使用されている。 このような色の嗜好の違いは、人によっては、瞳の色に関係しているという説もあるがよく解らない。 彼は南フランスなどヨーロッパの自然は湿度が低く霞のかかることがないので、このような環境に順応していったのであると信じている。実際、色に対する人間の認識はそれぞれの人間が同じに見ているのが、知る手段がない。赤という色であれば、これに赤だと他の人間から云われるから、赤ということになるので本当に同じ色の赤を見ているか不明である。
車で路上を走ると両側のブドウ畑は遠くまで連らなっている。日本で見掛けるブドウ畑と異り、一、二米の銀木犀か、椿の植木の畑が連らなっているかの如く、ブドウが列をなして、植えられているのである。 空から見た田園風景も素晴らしかったが、下で見る風景も満更捨てたものでない。
ボルドーの国際会議場は花やかなものであった。 発表される技術の内容もはなやかなものであったが、その会場の華やかなこと、会場のそこかしこに造花と思うばかりのあざやかな花が飾られているのである。フランス人の明るさと人生を楽しむ心というものが、ここに表われているのではないだろうか。
彼は講演を聞きながら、うつらうつらとしていた。 講演は英語ですることになっていたが、フランス語なまりの解りにくい英語を聞いているうちに眠ってしまったらしい。
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