(八)
彼は水晶時計の開発をし、途中で設計部長の永田にその実績を奪われ、彼はこの開発には何ら関与していないかの如く彼の会社の人間からは見なされていたが、幸にも社長が彼を認めていてくれた。あの一連の騒動のあった後の彼は立場が比較的良かった。
それまで、彼の会社の従業員で海外に出張できたのは極く限られた人間で彼はその限られた人間の中には入っていなかった。その頃、彼の大学の先輩に当る樋口が新しい技術分野の日本旗頭になっていた。彼はこの樋口から、アメリカからヨーロッパに行くツアーに参加しないかと誘いがあった。彼などは彼の会社では当然行かせてもらえないと思っていた。しかし、一度でよいから、出掛けて見たいという気持ちを抱いていた。
その当時は彼の直ぐ上の上司は役員であり、彼はこの役員に報告したり、相談したりするのが役割となっていたが、このような話になると如何しても持って行き難いのである。 彼は先ず、ツアーに行かせて貰うための工作をすることにした。
彼はそのツアーに関係する技術情報を収集し整理して報告した。 その中には、彼の会社が主に生産している製品は、樋口の云っている技術で置替えられてしまうということを強調した。
さらに、この技術をここで物にして置かなくては、他社が作ったものを買って、彼の会社、産洋精工では組立てるだけとなり、附加価値は低下し、利益は上からなくなってしまうであろうなどと云って宣伝した。さらに、彼は、産洋精工まで樋口を連れてきて、幹部たちを集めて、講演させたりした。
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