役員会提出の時期としては最良の時期であった。米国から購入している時計は値段が高い上に、クレームが多く、さらに購入品なので付加価値は低下するということで、良いことが何も無い。親会社である産洋自動車から、毎日文句が殺到している状態であった。 そんなうまい話があるなら、早速彼を大将にして商品化を図れというのが役員会の決定であった。
その話を聞いたとき、彼は自分にも運が向いてきたのだという喜びを噛み締めていた。それと同時に失敗できないという一種の緊張感を味わっていた。 ところが、この幸運を横取りしようと狙っていた人間がいた。 それは設計部長の永田であった。
永田は、彼が大将になってやることを妨害するため、「彼は研究屋であり、商品化は経験が無いからできない。」などと言って廻ったのである。永田は彼が提案した構想の試作品ができていないのを見てとるや、彼のところの部下に、彼に無断で部品を引き上げ、永田の部下に、彼の構想そのものの試作品を作らせてしまった。 これを永田は部長という立場を利用して、各役員に自分の部下が作ったと言って宣伝して廻ったのである。 しばらく混沌とした状態が続いた。 彼は非常に憤慨したが後の祭りであった。彼は自分のところに未だ残っていた部品を集めて、彼の構想の水晶時計を組み立てたが、二番煎じでもう誰の関心も得ることができなかった。 そうこうしている間に、一ヶ月程たったが、形勢は永田の思いのままになってしまった。彼は永田に何度か食い下がったが大勢は決まっており、どうにもならなかった。
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