記憶力を中心として、その能力を評価する日本の教育がよくないと思った。教育とはその人間の持っている能力を引き出してやることが重要であり、さらにそれに、集団生活を送るための最低限の常識は、備えさせてもらたいものだと彼は常々思っていた。
それから、波下は会社には内諸に進めた仕事であるにかかわらず、波下の東大の後輩に当る専務に一部始終を話してしまったのである。それは、波下が仕事をしたにもかかわらず、お金が貰えないと愚痴を云ったのである。愚痴を云って行く先が違うのではないかと彼は感じていたが、当の専務、波下さんは世事に疎いからよいマネージャを付けてやろうということでことが済んだそうである。
産洋精工では、こんな不思議な話がどうして通るのであろうかと彼は一種の安心した気持ちになった。 この専務は、資材関係の役員にマネージャ役を依頼したのである。役員会ではこんなつまらぬ話が大いに話題になったそうである。
こんな話が眞面目に取扱われ、資材の関係者は依頼先の会社と折衝に入ったのである。 依頼先は憤慨この上もなかった。仕事をして貰った以上、何らかのことはしようと考えていたのに、オフィシャルにこのようなことを云って来られては、もう仕事など頼みたくないと云っているようであった。 これら一連の話が彼の耳にも入ってきたが、波下とはこの件につき話合ったことがなかったので彼は静観しておくことにした。
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