自分は有能な研究者である。しかも、その計算力は人より秀れていると自負していたのである。
波下は、「自分をうまく使ってくれない。仕事を誰れも呉れない。」などと云って廻っていた。
この波下、嘱託といいながら、部長待遇であったから、彼はこのような立場にある人物がこのようなことを云って歩くとは疑問であると思っていた。
このような状況に置かれていた波下に、産洋精工とは無関係な会社から、非公式にこの波下に計算をして呉れないかという話が持ち込まれた。
波下、渡りに舟とばかりに、産洋精工には内緒にこの計算の仕事を始めたのである。
産洋精工から与えられる仕事と異り、楽しく進めることができたので仕事もはかどった。仕事を請負ってから、四ヶ月というもの休日は八時間、平日は会社から家に帰り、午後の九時から十二時まで毎日やったのである。
この仕事が一段落したときは、一時病気になってしまった程である。
波下は、この仕事の依頼先に行って、計算するための計算機がないと云って、三十万円程度の計算機を貰ってきた。
依頼先は、この計算機が波下のやった仕事の報酬の一部と考えていたようである。
波下はその依頼先からさらに計算の仕事を貰った。波下は、産洋精工を退社した後もこの依頼先の会社から仕事を貰って生計を立てることができると、内心喜んだのである。ところが計算機を貰って、前の仕事の代償は終ってしまったのではないかと当の波下は不安になった。
それでも、依頼先と交渉して報酬金額を決めることができないでいる。依頼先に云い出す勇気がないのか、それとも折衝能力がないのである。東大出には、時折このような人間がいるのである。
現在、日本の教育制度がこのような人間を作り出したと彼は考えたのである。