佳境、辛酸に入るー第1章ー

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(一)

 彼の小学校時代は、第二次世界大戦の最中で、東京の日本橋の小学校から福島の狸森という田舎に疎開して行ったのは、昭和十七年であった。 後に、小学校三年生以上は集団疎開として教師に引率され、親元を離れていったのは、昭和十八年以降であったと思うが、彼がここに連れてこられたのは、これより早かったことになる。 このため、日本橋界隈では、東京まで敵が攻めて来る筈がないと物笑いになったそうであるが、彼の両親の判断が正しかったということになった。

 この狸森というのは、その当時は大森田村の中にその地名が存在していた。 現在は大森田村はなくなり、須賀川市に統合されているが、この狸森だけが今もある。 その名の通り、狐、狸、イタチなどが多く生息し、時折にわとりをねらって山里まで下りてきたのを、彼は今も覚えている。
 周囲は決して高いとはお世辞にも云えない標高二〇〇米以下の山々に囲まれ、自分の家の前と後に山を従えた村落が、山の中腹に南を向いて点々と建てられている。 比較的立派な田舎家が多く、全体的に豊かな農村である。
 村の中央を自然の切り通しが真っ直ぐに通っている。 空にはトンビが環をかいているのどかな光景があり、これは今も残っている。 しかし、ここ最近のゴルフ場建設の波は、この村にも例外ではなく、雑木林と田畑を潰してゴルフ場が作られている。 村人も、このゴルフ場の会員になっており、現在の会員券の相場が三十五万円だなどと話しているのも、時が流れ、時代が変化しているのだと彼は感じていた。

 あの大小さまざまな石が転がっていた懐かしい道も、今はアスファルト化している。 この道には、小学生頃の彼の脳裏に焼き付けられた強烈な思い出があった。
 彼の小学生の頃は、太平洋戦争の真っ只中で、昭和十八年頃になるとこの村にも爆弾が何発か落とされ、艦載機が低空を飛んでゆくことはめずらしくなかった。

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