佳境、辛酸に入る-第10章-

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(十)

彼が海外出張から帰ると産洋精工は何にもかも前のままで、海外で見てきたものは、夢の世界であったように思われた。
それから、五年の歳月が過ぎていった。

「今回は参加しないことになりました。会社には予算がなく、年末にはアメリカに視察団を多人数、出さなくてはならないから」
と部長の谷口が云って来た。
その云い方は、自分の場合はどんな時にでも許可して貰えるが、お前の場合はそんなに、容易く行かせてなど貰えるものかと云わんばかりに、誇らしげに彼には見えた。そのように見えるのは、彼自身の僻みであるのかも知れないと彼は思ったりして見た。その谷口は、自分の感情を顔に出す。
今回も彼は谷口の顔色を見て、そのように感じたのであった。

谷口はこのように感情を顔に出すので、部下のものは顔色の変ったのを見取って、話を止めてしまうこともある。
話を冷静に最後まで云った上で判断しようという態度がなく、自分の意見とは異るものが出て来ると顔色を変えて、抵抗するのである。
そのため、部下の意志も、既に通じなくなっているのである。
このようなことを繰り返しているので、部下との人間関係も、職制間の人間関係も悪くなる一方であった。

部下の中には、人事にこのような問題を云って行く者もある。しかし、谷口は社長のお気に入りと来ており、こんなこと取り上げて、谷口に辞められては、社長自分自身の立場が危なくなるから例え、云って行っても、社長は何もしないであろう。このことを人事は知っているから、人事に告げ口するものがあっても、社長には云って行かないのである。

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