★金大フィル50周年特別企画
私達のこれまでそして金大フィルのこれから

 歴代のOBを囲んでの座談会 
集まっていただいた皆さん
川北 篤(Vc) 昭利24年度入学 金大フィルOB会会長、中心となって金大フィルを創設され、現在も金沢の音楽活動の発展に力を注いでいらっしやる
川崎 直由(ob) 昭和24年度入学 金大フィルOB会副会長オーボエ奏者として33回定期演奏会まで最も長く出演された創設当時のメンバーの一人
棚倉 昭美(Vc) 昭和24年度入学 指揮者(S25〜S27)金大フィルOB会東京支部会長、金大フィル創設の立役者であり かつ名付け親でもある。団にとっての功労者。
加藤 恒(Fl) 昭和32年度入学 団長(S34)、団員数の減少の中、団の運営に尽力され、20回記念行事を成功させた
石黒 泰治(Vn) 昭和36年度入学 コンサートマスター(S37〜S39)、3年間コンサートマスターをつとめ初めての金沢市観光会館での演奏会を成功させた
乗富 政雄(Vn) 昭和45年度入学 コンサートマスター(S48)指揮者(S48)、現在の運営システムが完成し、コンマス・指揮者として成長期の金大フィルを支えた
伊代田誠二(Per) 昭和51年度入学 団長(S53)、常に新しいことに挑戦し、京大オケとの合同演奏会や30周年記念行事を成功させた。精力的
山口 泰志(Vn) 昭和54年度入学 指揮者(S56、57)コンサートマスター(S58)、演奏技術の向上に力を注ぎ、数々の大曲や難曲を成功に導いた
谷内 悟(Vn) 昭和60年度入学 団長(S62)、団員数がピークをむかえた金大フィルの発展に力を尽くした
茶木 崇典(Tuba) 平成2年度入学 演奏会実行委員長、城内から角間へうつる過渡期に、演奏会を成功させた
くコーディネーター〉
くインタビュアー〉 
柴 和弘(Vc) 昭和51年度入学
樽見 哲史(Fg)平成9年度入学 団長(H11)
上山 博司(Ob)平成9年度入学 PL議長(H11)  


左から
上段 柴、上山、谷内、樽見、茶木
中段 石黒、乗富、伊代田、山口
下段  川崎、川北、棚倉、加藤
 半世紀という時の流れとともに歩んできた金大フィル。よき伝統を築き上げてきた先輩方の現役時代を振り返りながら、これからの金大フィルへの熱き思いを語っていただきました。

樽見 現役当時の団の様子はどうでしたか?
  
棚倉  まず言っておきたいのは、金大フィルという名前は私がつけたんだ。当時N響の機関紙に『フィルハーモニー』というものがあって、そこからもらった。規模的に交響団では大きすぎたので、管弦楽団にしたんだ。とにかく昔は何もなかったから、楽譜も僕が授業そっちのけで机に向かって、写譜をしていたんだよ。それから、舞台も自分達で組んでいたんだよ。
  
川崎  それでもあの、旧四高の講堂はすごく条件がよかったねえ。裏門を開ければお客さんがぞろぞろ入って来たからね。
 
加藤  いやあ懐しいですねえ。二階までびっしりお客さんが入ってましたよね。
 
川北  それはねえ、金沢大学というものを市民が愛していたからなんだよ。学生に対して、市民全体がものすごく温かみがあった。特に女の人に。棚倉君なんか特に(女性に)人気があったよ。  (一同笑)
 
上山  伊代田さんの時代はどうでしたか?
 
 伊代田さんが2年生のときに団員数が100名を越えたんですよね
 
伊代田 今は団員を集めるのに苦労しているようだね。僕たちの時代は団員の数が増えてきた、というよりも意図的に増やした、といった方がいいかな。
 
樽見  それはどういうことですか?
 
伊代田  学生課と非常に仲良くなって、学生課に毎日、顔を出す、そして演奏会の写真を額に入れて持って行き、学生部長室に飾ってもらう。オーケストラは大学のステイタスシンボルだからね。それでもって入学時に配られる学生便覧やサークル紹介冊子に徹底的に載せてもらう。そうすれば自然に人が集まってくる。
 
上山
樽見
 ほう。(感心)
川北  それは今も昔も変わらない。
 
山口  僕の頃は先輩達が作ってくれ団の体制に沿って行けば何でもうまくいった。そういう意味では幸せだった。マネージメントや運営で真剣に悩まなくても団はいい方向へ向かって行ったんだよ。
 
加藤  今の団の体制はいつごろ確立したのかな?
 
乗富  私たちの頃ですね。
 
石黒  藤島さんの発案でできたんだよね。
 
 乗富さんの時代にサマコンは学生指揮者が振るようになったんですよね。
 
乗富  あの頃は団の雰囲気が、自前で(現役団員だけで)やってやろうという方向へ向かって行った。ひとつの変革時期でしたね。しかし、そのときの演奏会は1stVnが3プルトしかなく、あのときほど観光会館のステージが広く感じたことはなかったね。(笑)
 
川崎  でもあのときの演奏はよかったよ。
 
上山  今回の演奏会(第60回)では管楽器の編成上、選曲に苦労したのですが皆さんの時代はどうでしたか?
 
石黒  選曲は、我々の時代でもそうですけど、管楽器と弦楽器で相反するようなところがありますよね。
 
茶木  自分は、チューバなんですけど、4年間でのれる曲って少ないんですよ。
 
一同  あぁ、そうだね。
 
茶木  弦楽器の人はベートーヴェンをやりたいと言うんだけれど、とんでもない!(一同笑)俺はいつのるんや、そういうことで4年間色々悩んだことはありましたね。
 
樽見  どの時代も選曲は大変なようですが経済的にはどうだったのですか?
 
茶木  僕の時代には金大フィル営業月間というものがあったんですよ。例えば夏の行事とかで小学校の音楽教室に行ったり、そんなものでいくらか財源の足しにしてたかな。
 
伊代田  僕たちの時代には輪島に演奏旅行に行ったことがあったな。そのときは教育委員会が主催してくれた。あれ、よかったですね。
 
棚倉  ねえ、川崎君ねえ、昔ね金大フィルでもってタンゴバンド作ったな。
 
川崎  あぁ、労働会館でやったやつね。
 
川北  あぁ、やったねえ。
 
川崎  我々の年代は金がないっていうんでじゃあ金をつくろうじゃないかと。部活とかそういうので資金難になったらダンスパーティーを開いて資金稼ぎをしたんですよ。そしたら、我々の場合バンドに払うお金がいらないと、一石二鳥じゃないかということでやったんです。
 
棚倉  その編曲も全部私がやるんだよ!(一同笑)
 
上山  谷内さんの時代はどうでしたか?
 
谷内  僕は経験者じゃなかったからね、先輩たちにいつもパシパシたたかれながらですね、楽器庫の裏で、いつもプルと練習といわれるものをですね、夜の12時とか1時までずっと練習させられて、音がちがうとピシピシピシピシたたかれましたね。(笑)で、夜1時くらいからいきなりなんか和やかな雰囲気になってですね、じゃ、飲みに行こうかっていって、飲みに行ってたんです。 (一同笑、談義に花が咲く)
 
樽見  ここで話題をかえて、他の団体との関わり合いはどうでしたか?
 
 京大との合同演奏は伊代田さんのときに行ったんですよね。
 
伊代田  僕ね、新しいもの好きなの。要するに刺激的なことをしたいんです。京大から合同演奏を依頼する手紙がきて、すぐ、京都へ飛んで行きました。京大の練習を見て、何か学ぶものがあると思い、もう絶対やろうと決意しました。
 
 そのときねぇ、その選曲のときにベト8やろうと思ったんですよね。一度はベト8に決まったんですけれども、ベト8ではポロが出るから金大と京大では差がありすぎて今度から観客が演奏会に来なくなる。(笑)そして、それで穴の見えないシューマンの「ライン」にしました。
 
石黒  それで合演には200人くらい出られたの?
 
伊代田  出ました。まずうちが「コリオラン」と「ライン」をやって京大が「チャイ5」をやって。もう明らかにうちが”おかず”で京大が"メイン” でしたね。(笑)やっぱり京大との合演のときにはかなり客が入りました。
 
川崎  京大の合演、あれよかったですよ。すごくよかったと思う。
 
伊代田  それで次の定期演奏会、(お客さんが)入らないのではないかと思いましたが、ちゃんと入りました。(笑)
 
樽見  では時間も押してまいりましたので、お一人ずつ最後に一言お願いします。
 
川北  若い熱意とたゆまぬ努力でこれからも金大フィルを発展させていってほしい、その為にはOB会とのコミュニケーションを上手く行い、さまぎまな面で金大フィルとOB会とが合致していくことが大切だ。
 
棚倉  OBのコンサートを金沢で現役とともに実現させたい!!第60回の定期演奏会のような若さあふれるすばらしい演奏会をずっと続けていってほしいというのと、OBがそれを支える力となってほしい。
 
川崎  我が金大フィルハーモニーは『永遠に不滅です』というセリフは大切にしたい。そういう面でも大いに応援していきたい。物質的にOB会が全面的に支援して永遠に不滅であるということをつづける。そして、半世紀にわたる年齢差も克服してやっていかなきやいけない。そのような道を模索していかなくてはいけないと思う。
 
加藤 大学オーケストラの基本は「音」。上手い、下手は関係なく学生オケならではの”さらっ”とした、さわやかな音を奏で青春の血を燃やした情熱を受け継いでいって欲しい。
 
伊代田  現役のみなさんにお願いすることは一つだけです。耳に入ってきた時に、金大フィルはがんばっているなというのがきこえてくれば、もうこれで最高です。それでうれしくなってしまいます。OBとしてやれる支援はしなきゃいけないだろうなと思います。
 
山口  金大フィルの1つのキーワードは”ひたむきさ〃 だと思います。その音楽に対するひたむきさを1つのキーワードにして、各世代の人が自分たちが1番やりやすいように、楽しめるように自由にかえてくべきで、昔の姿にこだわるべきではないと思います。その中で音楽に対するひたむきさということを忘れないで欲しい。OBが現役にしてやれることはある。それは、演奏会に行くこと。舞台にあがった人間がまばらな客席をみたときほど寂しいものはないですし、客席で聴いてるものが客席がバラバラの演奏会ほどさびしいものはないと思います。だからできる限り金大フィルのOBである限りは、そのOBの証として金大フィルの演奏会に足をはこんでいただくこと、そしてもう1つはできるならば、招待券をもらってもチケットを買って入っていただく。チケット買って演奏会に入ることが1番現役に支援できることだと思います。1人最低1枚、余裕のある方は1人、2枚でも3枚でも(笑)、チケットを買って演奏会に行っていただきたい。これをOBの方々に強く申しあげたいです。
 
茶木  卒業後何を楽しみにしているかというとそれは演奏会に行くことです。その目的はいくつかあって、1つは同級生に会えること。もう1つは何よりも今の現役の演奏を聴けるということです。演奏を聴いて熱意があったりひたむきな姿勢が見られるのが、1番OBが喜べることだと思います。
 
乗富  学生の気質が少し変わってきたかなぁとは感じる。でも音楽に対するひたむきさはアマチュアは共通だと思います。かつて先輩の団長さんが、アマチュアは情熱を観客に聴いてもらえるのが1番いい、技術の拙さも情熱を持って補える、それがアマチュアとして1番大切なことだと言っていました。へたに知識をかぶって演奏するよりも真っ直ぐな気持ちを持って演奏会を開く、その気持ちを忘れないでください。
 
石黒  先ほど、伊代田さんが京大オケは、レベル以下の者は入団させない、そして人がたりなければ外から呼んでくるとおっしゃいました。それも、1つのスタイルかもしれません。一方金大の方はみんな入団させたからには、全員演奏会には出る。そして、最後までそれでやりとおすというスタイルです。私は今の金大の生き方は非常に共感をもちますし、いままでそのような団であって良かったとつくづく思います。みなさんは、音楽が好きで集まった訳です。だから人と人とのコミュニケーションというか人間関係というものを大切にして同世代それから先輩・後輩、そういったものの集まりやかかわりというものを大切にして今後も活動していただきたいなと思います。そういった生き方をこれからの金大フィルに切に望みたいと思っております。
 
谷内  社会人になってもいくつかの市民オケを体験してきましたが、やはり市民オケというのは、事務方の方々も非常に大変ですし、練習の参加具合もなかなか難しいものがあるとかんじており、今からふりかえっても金沢大学時時のオーケストラの練習の熱気というかみんなで1つになった練習というのがなつかしく思い出されます。今の学生の方々もあるいは、これから先の学生の方々も自分たちが味わったような、本当にみんなが1つになって演奏会を成功させるという取組みをぜひ体験していただいて、それは、本当に楽しいことですのでみなさんもそういったことができるよう、熱中してオーケストラ活動にはげんでいただけたら非常にうれしいです。がんばって下さい。
 
 現役の方に言いたいことは、演奏会でひたむきさを見せてもらえばそれだけで大変OBは感動します。この前のマーラーも、演奏を聴いていると鳥肌が立ちました。それはなぜかというと演奏を聴きながら、自分たちの学生の頃を思い出しているからだと思います。それを聴きながら重なり合って何と 言えしれぬ、他の演奏会のレベルとはちがう感動するものがあります。現役の方もひたむきさを大切にしていってください。
 
樽見
上山
 ありがとうございました。
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