それから秋たけなわ |
TUTTI19号より 築山裕一氏 |
日なたには いつものように しづかな髪が こまかい模様を編んでゐた 淡く しかしはつきりと 花びらと 枝と 梢と・・・ 何もかも・・・・ すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた 立原道造 一. 影 学校から帰ってくると、貴夫はすぐに太田の菓子屋へと急いだ。古い家々が面している大通りから右へと、それを横切る雨漏りがしそうな薄暗い商店街をまっすぐ、そしてそのアーケードが尽きて明るくなる辺から二つ程手前の角を左手に曲がった。 もうすでに、仲間は太田屋の前に集まっていた。その場では、貴夫が息を切らして走って来たのにも気付かない風で、重要な話題が弾んでいる。 ”でも やっぱり あいつ あかんで” ”そやけど お前 ちょっと とろいからなぁ ほんま” 明後日は、待ちに待った運動会だった。 柔らかな初秋の風が、子供達の良く跳ね、勢いのある声をふんわりと包み込み、こちらまで運んで来る。其処は昼間の寝だけで、人通りは少なな商店街とは、まるで対照的だ。 店前の鉢植が、その繊細な格好を路面に下(おと)している。よく動き回る元気な影が、その上を行ったり来たりしている。 この通りは子供達で溢れていた。 声からして、いつもより多人数らしいのが、誰にでもわかるだろう。入れ替わり立ち替わりが絶えず、休むことがない。これから、もっともっと増え続けるだろう。 不規則に並べられた自転車が、日向にさらされ、傾めに影を下している。触れると暖かそうだ。丸坊主の子が、そのうちの一台に、ぶきっちょそうに、足を絡めたり、後ろ向きに股がったりしている。その手前の野球帽の少年は、裸の膝小僧に、新たな擦傷をこしらえている。それはその子の健康の印のようだ。 子供達にからかわれてばかりいる、かわいそうな子犬が、今日も不満を訴えるように、高く鳴き続けている。静かになる時間は、まだまだ遠いようである。 つい先程まで、見かけなかったはずの顔が、いくつかあった。だが、ずっと前からそこに居たような錯覚を、私たちは起すだろう。あるいは、そんなことには関心の少ない人にとっては、何の変哲もない、うるさい餓鬼共の集まりに過ぎぬだろうか。 しかし、この通りの子供達は、一人一人、今、誰が太田の道・・子供達はそう呼んだ・・・に居るのか、誰がそこから居なくなったか、新たに加わったか、無意識のうちに知っている。グループを作っているかなどは、勿論のことである。 知らない者に加わる資格はない。 勿論、貴夫は資格を有する、ざっと通りを見渡すと、貴夫はすぐ、そこに紛れた、 菓子屋の放たれた引戸の白ペンキが、やや薄らいだ午後の光線を受けて鈍く反射している。 窓際の錆びた釘の食み出しが、その真直ぐな形を白ペンキに映している。 ぶーんと、周りでわめいていた、退屈そうな蝿が一匹、その形の上に、同じ色で重なった・・。 練習が学校で始まる頃から、子供達の話題は、他のことから運動会へと逸れていった。もう二日も前になると、その話題は頂点に達し、誰が一番速く走るかとか負けるとかの紙上には記されない予想図は、もうすっかり完成している。最終的に、それに手を触れるのは、矢張、一番すばしっこく腕の上がる田代浩平だった。 「うーん そやなー でもあいつが何とか二位に食い込んでくれたらなあ 俺らの組、勝つんは確実やろう。」 浩平はもっともらいしい顔付きで言った。もう小学校の高学年になると、予想はかなり綿密になり、現実も見える。 話に夢中になり、センベイをワシ掴みにしている浩平は、貴夫がいつの間にか横に来ていることに、やっと気付いた。 「おお タカは たぶん 一位確実やねんけどなぁ 高木のブーやんが ベッタなるから結局 プラスマイナスの ゼロやでぇ。」 大人がするような 顔のしかめ方をしながら思い出したようにそう言った。と自分の周りの四、五人に衆に、それを確認させると、浩平は面倒そうにセンベイを口に掘り込み、さっと店に消えてしまった。 貴夫が自分が思わぬ賞賛を得たことを、嬉しく思った。浩平の賞賛を得ることはクラスみんなの賞賛を得ることなのだから・・・・・・。 水の都、大阪はキタとミナミに分ける。淀川の流れるこの町は、無論、キタだ。 大きな名を成す川は、ちょうど、水をゆったりと吸い込んだ根が、止まることなく 水を幹から枝、そして梢の隅々までも伝え運ぶ樹木のように展がり、流れる。 川は土地を割る。この町は大小二つの淀川−−つまり幹と枝に当たるだろうか−− に挟まれている。 この、きれいなV字を形作る川の中ほどに、貴夫の通っている小さな小学校があった。 学校の周りには、一見、同じような家々が窮屈そうに、軒を並べている。貴夫の家も、そのうちのひとつだ。 もし私達が、彼の家を探すとしたら。きっと苦労するだろう。道から道へと路地が入り組んでいる。 しか、こんな場所は大概、家々を区別するための目印のように、風呂屋や米屋、歯医者や派出所が点在しているものだ。 貴夫の家はクリーニング屋の斜め向かいにあった。 静かなはずのこの町も、最近、交通量が増え始めた。細い道を自動車やオートバイが、忙しなく通り過ぎる。それに比例して、古くて感じの良い家々の間に、ひょっこりとマンションが建ったりした。級友の何人かが、その鉄の中に居たりする。 しかし、そんなこと、子供達には余り関係のないことだ。子供達は堂々と往来へ出て、縄とびや鬼ごっこをして遊んだ。 ショット大きな通りへ出てみると、竿屋や豆腐屋、紙芝居屋や金魚売りなどが走った。大抵、近くの公園などで、休憩する傍ら商売するのだった。賑やかな方へ賑やかな方へと群がって行く。 いま、どうなっているかは知らない。ひょっとすると、貴夫たちがそういった風物みたいな物に触れることのできた最後の世代かもしれない。 太田屋というのは、この界隈で最もおきな菓子屋だ。かなり昔からあったらしく、その建物も中に居る人も古い。この町から、二十年程前に嫁いでいった近所のおばさんが、時たま貴夫の家に立ち寄り、「へぇ まだあんのんかいな 生きてんのかいな」と毎回同じ風に驚いたりもする。 果たして、この太田屋を営んでいるのは、六十の坂をとうの昔に過ぎたと思われる老夫婦で、特にここのお婆さんは、子供達の中ではあまりにも有名だ。猫のようなに音無しいお爺さんに比べ、ここのお婆さんは、兎に角、気難しい。多少、子供達の付き合っている数少ない大人たちの中で、最も解せない人物だろう。学校の先生はなど、お婆さんの域には、遥か及ばない。 お爺さんは、まあ、奥の部屋などでだらし無く寝転び、時代劇などを見ている。お婆さんは、それを尻目に忙々と商売(やりとり)する。 むかし、これでも、この爺さんはかなりの道楽者で通っていた。良く恋女房を泣かしたものである。しかし、時は流れ、老い、枯れ、いまではすっかり、借りてきた猫のように音無しい。 時々、店へ顔を出したりすると。こっそり飴玉をくれたりする。子供達はみんな、このお爺さんのことが好きだ。 お爺さんの皺が深いので、遠くから見ると、いつも微笑んでいるように見える。そのせいか、気の弱い子供達も気軽に近づく。 婆さんはもっと深い。しかし、決して笑っている様には見えないだろう。 いつも経のように訳のわからない文句をブツブツ言っている。どんな高価な物を買おうが、礼の一つ言った例がない。一円すら負けたことがない。云々・・・・・・・・・・。 「あっ そこに凭れンといて ガラス割れたら きっちり弁償してもらうまっさかいになぁ」うっかり、何を買おうかとぼんやりしていると、透かさずこう来かねない。 しかし、婆さんも人の子(だった)。年に何度かは風当たりのやわらかい日があってもいい。そんな日にはいつも、店の自慢話をしたりする。 「どうや ここの塩センベイ 三枚で二十円、安いやろう 他のどこよりも安いはずや」 残念ながら、銭湯のそばの菓子屋は二枚十円 こちらのほうが安い計算となる。 「嘘吐け この糞餓鬼」折角の機嫌を損ねてしまった、「この小便垂れめが さぁ 買わん人は さっさと出て行きなはれ 邪魔や 邪魔や。」 この店に関する、あることないことのえぴそーどは、上級生から下級生へ語り継がれ、逸きることを知らない。 この婆さんの、このようなこっぴどい悪態にも関わらず、他所ではなく、この太田屋に知った顔触れが群れをなすのは、不思議なことであった。とりあえず、太田屋は何か”おかしなこと”が起こりそうな”場”であったには違いない。 「おぇー」 だが、毎度々々、やられてばかりはいられない。どうやら小遣いが少なくなった子供達が、悪ふざけを始めたようだ。 「なんやー これー」 大体切込隊長は田代浩平だった。 「おえー このジュース腐っとるぞォー」 浩平は吼えた。浩平は血でも吐くように大げさにそれを吐いた。 「ほんまや 腐っとるわー」 連中もこれに続いた。婆さん、これを見逃すはずもない。 「こら もったいない 何してケツ狩るこの糞餓鬼どもが」 店の奥から、怒鳴り込んだ。 「わぁー」 「かりゃ まったいない」 婆さんの嗚咽を真似ながら、子供達は蜘蛛の子を散らすように、逃げた。 「ほんまに 親の顔が見たいは」 と婆さん、これが毎度の捨てゼリフだった。 第一章 (完) あとがき 覚えている方も居られよう乎?今から半年ほど前に、長州力気取り、「志賀直哉なんか俺の敵じゃない」という、ふざけた手記を一回生ノート(当時はまだ一回生だった)に掲載した。筋はあらかた忘れてしまったが、「暗夜行路」の主人公、時任謙作がヤンキーの兄ちゃんに救われ、最後に至っては直哉の名文、「城の崎にて」を回想するという全く訳のわからなね、我慢極まりないお話だったことを昨日のことのように記憶している。(大ボケ) もし、直哉の愛読者がいたら、目を剥いて怒るだろうが、幸い、そういう稀有な人の目に触れなかったようだが・・・・。 今回、編集長で名画家のN君から、”何か読み切りの小説を一編”と言う依頼を受け、酔った勢いで軽く、二つ返事で承諾した。後悔している。 この小説は、未だ完成していない。予定としては、一.影 ニ.紅と好敵手 三. Rain Coat 四.転換 五. それから秋たけなわ 全五章。 題名は御覧のように第五章からとった。 全体の構想は三月半ば(何だか、何処か、十八日だったような気がする)から練り始め。ずっとそれに没頭できたので、末頃には、第一、第二のほぼ全部と、第五章の片鱗みたいなものができていた。この乗りで、とは思ってみたものの、春の陽気に茶化されて、四月中にはほとんど忘れていた。しかし、まだゴールデンウイークに入って、N君の催促もあり、とりあえず第一章だけでもと思い直し、ややあって、十八日に何とか出来上がった。 危ない。今の調子で書くと、単に”ちゃんちゃらおかしい”だけに終始してしまうだろう。ん?待てよ、ひょっとしたら、それを期待している人のほうが多いか?いや、何我何でも俺は俺の道を行く、やっぱり。 難しい。ジョーダンでも長州力や作家を気取るんもんではない。バチ当たり、笑ってしまった、反省している。 特に、第三章、第四章、なんとは無く表現したいものが獏とあるが、技量がない。はっきり。思い知ったか?でも、まだ諦めていない。よっこらしょ。 直木賞を目指してひたすら精進したい。 右や左に、薄文を載せるのに骨折ってくださった方、ありがとう。 癖の強い文章、最後まで読んでくださった方、ありがとう。 金大フィル内文芸部 初代会長 築山裕一 (僕に対向しようとする一回生、大いに歓迎です。まってまっせ!) |
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