金大フィルの歴史に今もさん然と輝く一大イベント
「NHK 音楽の広場」



           
1984年卒業 Tuba. 花本康二氏




花本氏 毎年1月に定期演奏会を開催していた金大フィルが、この年(1979年度)は40回定期(メインはチャイコフスキーの交響曲第5番)を12月に行いました。そして年が明けた1980年1月、恐らく金大フィル始まって以来であろうビッグイベントがやって来たのです。そう、この年開局50周年を迎えたNHK金沢放送局の企画による「音楽の広場 金沢公演」への出演です。全国放送ですよ!皆さん!!
 当時一回生であった私は、幸運にも打楽器奏者として本番のステージに乗ることができました。その時の記憶を(もう20年以上経っていますが)できる限りたどりながら、この一大イベントをアラ・カルト風に振り返ってみたいと思います。

夏の演奏旅行はNHKで!
 この年の演奏旅行は、奥能登方面。なんとNHK金沢放送局の久保田アナが同行し、司会をつとめるという超豪華企画でした。夜の宿舎では私がくだらん駄洒落を連発したため久保田アナにその病気が移ってしまい、翌日の本番で失笑を買う羽目に。しかしこの時から「音楽の広場」出演へのレールは確実に敷かれていたのです。
 久保田さーん、お元気ですかー? 今どこで何をしていらっしゃいますかー?

芥川さん登場
 季節は確か秋だったと思います。「音楽の広場」に出演する話が盛り上がっていたある日、芥川さんが練習場(大練)へ来られました。金大フィルの腕前を確認するためです。まるで入学試験のように張りつめた雰囲気の中、「白鳥の湖」から何曲かを芥川さんの指揮で演奏しました。そして一言「使えるんじゃないの」。皆がホッとした瞬間でした。

二上合宿は天国だ
 年明けすぐに二上青年の家での合宿です。夏の合宿(能登青年の家)ではあのK氏にみっちりとしぼられ多数の犠牲者を出した金大フィルでしたが、ここ二上は天国。随分楽しく過ごさせて頂きました。そうそう、肝腎の練習ですが、どこかのおじさんが下棒として稽古をつけにきてくれました。その人がかの有名な慶応ワグネルの指揮者、河地良知さんだと知ったのはずっと後のことでした。NHKってその気になればムーティだって呼んでくるんじゃない?

TV用のステージって
リハーサル NHKから指定された楽器配置は、とてもいびつなものでした。一言でいうと管楽器がべたーっと横長。そしてステージの床はというと白くピカピカの板張りで、金管楽器なんて落としたつばで滑りそう。当たり前のことですが、TVは「響き」なんかよりもまず「器(うつわ)」とか「パッと見」を大切にするのです。そういえばトラで来ていたハープの女性も、TV映りを考えてのことでしょうか美人でした。

「まえラク」と「あとラク」
 何のことだかおわかりでしょうか?「まえラク」とは「前アトラクション」のこと、「あとラク」とは「後アトラクション」のことです。これらは収録用の「本番」を挟んで重要な役割を果たします。つまり「前ラク」で会場の緊張した雰囲気を和らげてから本番へ突入、そして本番の余韻を楽しみつつ名残を惜しむかのように「後ラク」がセッティングされるという、公開番組のフルコースといえる構成となっているのです。
 この時も「前ラク」「後ラク」でいろんな曲を演奏したのですが、特に印象に残っているのは「アラ・ホーンパイプ」と「ドレミファソラシド」。この2曲はその後何年かの間、夏の演奏旅行のレパートリーとして重宝しました。「アラ・…」は、御存知ヘンデルの「水上の音楽」から編曲家の南安雄氏が短くアレンジしたものですが、打ち上げの時の南氏の話によると「金沢大学にはとても優秀なティンパニストがいるときいていたので、Timp.の目立つ編曲にしました。」とのこと。伊代田さん、すばらしい!

ラデツキーのバスドラは俺だ!
 さて、お待たせしました。いよいよここからが本番です。放送が始まって最初に聴こえてくるのは「ラデツキー行進曲」。フェイドインで途中からです。若干速めのテンポは皆の高揚した気分を物語っているかのよう。芥川さんの棒も全くの成り行きまかせという感じ。さて、ダ・カーポして4小節目の2拍目がいよいよ私の一世一代の聴かせどころです。実はリハーサルが終わった時、世間知らずの私は芥川さんのところへずうずうしく質問に行きました。「ラデツキーの頭のB.D.、もっと大きくてもいいですか?」何とまぬけでジコチュウな物言いでしょう。しかし、芥川さんは「ああ、そうだね。もっとたたいてもいいよ。」とやさしく答えてくれたのです。その一言がたいそう嬉しく、本番ではかなり力一杯たたいたつもりでしたが、放送を聴くとちょっと肩透かし。まだまだ「青い」私でした。

超レアショット!越田さんの笑顔
 越田さん(潔さん:Vn.)が普段笑わない人だという意味ではありません。放送後、一枚の写真がVn.ノート(or 楽書帳)に貼ってありました。それは確か団員の誰かがTV画面をそのままカメラで撮ったものだったと記憶しているのですが、黒柳さんがコンマスの中尾さんにインタビューしている場面で、何人ものVn.奏者の顔が重なり合うその奥に越田さんの笑顔がチラっと覗いていたのです。それ自体は別に不思議なことではないように思われるでしょうが、VTRをチェックしてみると越田さんの顔が映るのは十数秒のうちのほんの一瞬なのです。その僅かなシャッターチャンスを逃さなかった人は、ゴルゴ13のような超一流のプロかもしれません。

すばらしい響き!とっても上手に聴こえる「白鳥の湖(第3幕への序奏)」
 なんといってもこの日放送された演奏の中ではこれが最高の出来だったのではないでしょうか。冒頭のHn.セクションの力強いユニゾン、Tb.Tubaの下降音形の見事さ等々、実に小気味よい演奏だといえるでしょう。突然の斎藤さん(Hn.)のアップにはちょっとビックリ。しかしその後もPicc.の北山(斉子)さんやVc.の外山さんなど、NHKも人を選んでアップにしているのがよーくわかります。
 この演奏を聴いて、京響の間さんが涙を流したとか。トレーナーの方にそこまで喜んでもらえたのかとこちらも嬉しかったのですが、実は「NHKの音響技術に感動した」んだとさ。ガチョーン!

斎藤昌子さんの歌
 歌のお客様、ということで斎藤昌子さんが登場しました。小品を2曲歌っています。第40回定期の客演指揮者:佐藤功太郎さんといろいろあった方だということをおききして何故か引き気味の私でした。ちなみに「歌の翼に」で私はビブラフォンを担当しています。しつこいか?

金石文化謡曲少年団の謡
 VTRを観る時と同様、早送りさせていただきます。

珠玉の名曲「海濱獨唱(かいひんどくしょう)」
海賓独唱 「音楽の広場」が東京のスタジオを出る(つまり公開録画になる)時には、ご当地にちなんだ曲を芥川さんが作って番組で披露するということになっていたようです。そしてこの金沢公演では、室生犀星の詩「海濱獨唱」を題材にした曲が作られました。名曲だと思います。芥川さんの作品には「日本」を感じますね。冒頭の、BassとTimp.が奏でる4つの「F」を聴いた日にはもうゾクゾクっときてしまいます。作曲家って本当に偉大だなあと心底思える曲です。そういえば、合宿で弦分奏をみていらっしゃった大沢さん(Vn.)の恍惚の表情が想い出されます。

京大登場、「アイーダ大行進曲」
 「アイーダ大行進曲」ではご存知エキストラTp.が活躍します。その数8人。さすが当時の金大フィルをもってしても、これだけのTp.を自前で調達するのは困難でした。そこで、1978年の合演以来すっかり仲良くなった京大オケから助っ人をお呼びしたわけです。山崎さん、藤原さん、尾形さん(こんな字だったっけ?)、**月さん(失念、ごめんなさい)、木林くんの5人。残る3人は金大フィルから桶谷さん、大杉さん、山腰さんという顔ぶれ。まことに贅沢なメンバーです。何年か後の定演の「ローエングリン」で私がバンダTp.を吹いたのとは大違いです。
 放送された音を聴いてみると、あとに出てくる方(ChoirU)の中でひときわ大きな音の人がいます。曲の最後のTutti(fff)でも他を寄せつけない迫力がありまして、オーケストラと決闘しているみたい。こんなに大きな音を出せる人が…、あっ!一人いた!

しんがりはカモリだあ
 「アイーダ大行進曲」がコーダの部分に入ると、画面の下にスタッフを紹介するテロップが流れてきます。いよいよ金大フィルの一大イベントも終わりに近づきます。そしてテンポが速くなりTb.がメロディを吹き始めたその時、西郡くん(このふりがながカモリだと信じている人がいたらしい)がド・ド・ド・ドアップになりました。その瞬間、彼の実家「西郡産婦人科」では期せずして大歓声が沸き起こったそうです。全国放送の画面を5秒ぐらい一人占めしたのですから、それはもう大変なものですね。アイドル並です。なおリハーサルの時には、隣に座る泉さん(もちろんTb.)がアップだったという事実を知っているのはこの「アイーダ」で出番がなくステージの上でボーっとモニタを眺めていた私ぐらいでしょう。

打ち上げコンパ
 詳細は全く憶えていません。多分、本因寺ではなく厚生年金会館の宴会場で行われたと思います。一つだけ印象に残っているのは、黒柳さんがいなかったこと。きっと「ザ・ベストテン」か「徹子の部屋」のために帰京したのでしょう。「音楽の広場」は我々金大フィルにとって未曾有の一大イベントでありましたが、彼女にとっては果たしてどうだったのだろうか…、とちょっぴり寂しく感じたことを思い出します。

後日談:ドイツ語の単位
 NHKの計らいにより、出演者(いや、団員全員だったかな?)には一人当たり2枚ずつ招待状が配布されました。一般の人は往復ハガキで申し込みをし、抽選で当たらないと入場券を手に入れることができないという、公開番組にありがちな状況だったのですが、2枚のうちの1枚を私はドイツ語の稲垣先生に差し上げました。ご存知のとおり先生はVn.をたしなむ方で、たいそうお喜びの様子でしたが、この招待状のご利益でしょうか後期のドイツ語は無事通りました。なお、そのおかげで、私の親父は息子の晴れ舞台を観に来ることが出来なくなってしまいました…。




 以上、とりとめもなく長々と書き連ねてしまいました。今更ながら、「音楽の広場」という全国区の放送番組に出演できたことは金大フィルにとっても、また個人的にも大変貴重な経験でした。団長であった山本さんはじめ、全ての団員の努力があってこのイベントは大成功を収めたのだと思います。
 ここで紹介した私の「独断と偏見」以外にも当時の生々しいエピソードが数多く寄せられることを期待したいものです。それでは、私の拙い作文にお付き合い下さったことを心から感謝致しまして結びとさせていただきます。

          1979年入学 このときPerc.、本当はTubaの 花本



更新 2001/2/10