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※バインダーにはさんでおいた介護のメモ書きや、新聞記事で見つけた介護記事、また、ただ今介護に奔走してらっしゃる鬼さんなどのメールなどを紹介しています。介護するほうも、介護されるほうも笑顔で向き合えるとよいですよね(渡辺京子)。
2008.8.8 小山明子さんの「介護うつ」の話
こちらの記事も「ちまたの話題」で取り上げた「家庭でできるエコ」が掲載されていた「笑顔」の小冊子に載っていた記事です。

小山明子さんといえば、女優としても、大島渚監督の奥様としても著名な方。
その方が「うつと私」というタイトルで、介護からくる「介護うつ」の経験談を公表されてました。

うつ病で入院されたのは4回。誰しもが隠したがるこのような事実を公表されたのは、きっと病を乗り越えて、今は充実した日々を送られているからだと思います。
このような発表が、同じような境遇の方のよきアドバイスになることをわかってらっしゃるのかもしれませんね。

では、記事を抜粋しながら、「うつと私」の内容を紹介したいと思います。

大島監督が脳出血で病に倒れたのは12年前。
突然のことに、小山さんはパニックに陥ります。ちょうど映画の製作発表をしたばかりのもっとも重要な時期だったため、更に精神的な負担も増大したそうです。

監督は後遺症として、右半身麻痺と失語症が残ります。
小山さんは「これからどうやって一緒に生きればいいのか」と考えれば考えるほど絶望感に打ちひしがれていきます。

そして、夫の体調が悪いことに気づけなかった自分を責めることで、精神的に苦痛は耐えがたいレベルにまで達し、うつ病を発病し、「生きていても仕方がない」と自殺を考えて、家を飛び出します。

幸い、様子がおかしいと心配していた息子さんに助けられ、精神科の病院へ行き、入院します。うつが回復するまでに4回入院されたそうです。

最初の入院の時には、自分が病気だと思っていなかったので、どうして入院しているかがわからず、中途半端な治療のまま、退院し、また夫の在宅介護を始めたそうです。

監督は糖尿病も患っていたため、食事療法にも振り回され、自信をなくしたり、心配事も多く、気の休まることがなく、2ヶ月で15kgやせてしまい、そして、うつ病も再発します。

介護に押しつぶされ、精神的に落ち込んで起こる「介護うつ」。
介護するだけでも大変なのに、更に自分の精神面の病にも、向かわないといけないとなると、それはもう半端な大変さではないと思います。

小山さんは入退院を繰り返します。

回復の兆しが見えたのは、病院での作業療法の時間、料理を作り、周りのひとたちから「おいしい」とほめられたことによる「自信」の積み重ねだったそうです。

人間生きるためには「自分が必要とされていること」「自分に自信がもてること」「楽しい時間をすごせること」など、自分への自信や希望が大切ですよね。

小山さんは監督とカンヌ国際映画祭に出席するため、渡仏する時、病院の薬を持っていきませんでした。
「どこかで踏ん切りをつけないと、薬に頼ったままになってしまうと思ったので、あえて、もっていきませんでした。その後、薬を飲むことはもうなかった」そうです。

きっと、精神的に自立できたという自信による判断だったのでしょう。

その後も多発性脳梗塞、十二指腸の破裂など、監督はなんども深刻な状況に陥りますが、小山さんは「夫が生きていてくれて、こうして私のそばにいてくれるだけで幸せ」と思えるようになったそうです。

ヘルパーさんやご近所の方の援助などもあり、スイミングなど、うまく息抜きもできるようになり、どんな事態も、現実として受け入れることができるようになったそうです。

では、最後の文章は、記事のまま掲載させていただくことにします。


「介護は大変だけど、夫に喜んでもらえるように食事やインテリアも工夫して、私自身も日々の生活を楽しんでいます。

毎晩30分はベッドで添い寝をして、いろいろ話すんですよ。やっぱりちゃんと口に出して愛情を伝える事だって大事。長い間、夫が私を支えてくれたのですから、今は、私ができることなら、夫が望んでいることは何でもしてあげたいですね」


と、記事は結んでありました。

いかがでですか?
素敵な言葉ですよね?(^^)

介護とうつを乗り越えて、素敵な女性に成長された小山さん、この記事と出会って、すっかりファンになってしまいました(^^)。

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