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カウンターに両腕で頬杖をついた彼女は、大きな常磐色の瞳で店の中を見渡して、ため息をつく。
高い天井には太く立派な梁。白く古びた壁。凝った作りの椅子とテーブル、そしてアンティークな品物の数々。BGMは、年代物の時計の時を刻む音だけ。落ち着いた雰囲気のある喫茶店、巴維唐堂。8つあるカウンターのストゥールも、7つあるテーブル席も、全て空っぽだった。
少女は再び、肺の中の空気を全部吐き出した。と、小気味いい音が、店内に響き渡る。彼女は弾かれたように顔を上げ、すぐにげんなりとした表情に変わる。
「なんて顔してんだよ。オレたちじゃ不満かよ」
扉を開けて入ってきたのは、小柄な色黒の少年であった。プリントの入った白いTシャツにジーンズという出で立ちのせいか、その細い体がよく解る。
「不満に決まってるでしょ。あんたが相手じゃ、労力のわりには実入りが少ないんだもの」
そう言って少年の紺色の頭を殴りつけたのは、すぐ後ろに立っていた勝ち気な印象の美人だった。パステルブルーのワンピースに、シースルーの上着を羽織った彼女は、大輪のひまわりを思わせる、活気に満ちた輝きを放っていた。
「平成さん、桃山さん」
「ハイ、キュルちゃん。どうしたの、元気ないわね」
「本当。なんか悩み事。なんだったら、オレが相談にのるけど」
二人の後ろに立っていた、ファッション雑誌から抜け出したような美男美女の二人組がキュルに声をかける。大胆なカットの施されたワンピースを見事に着こなした、文句のつけようがないスタイルの黒髪の美女と、色素の薄い長い茶の髪と瞳の、長身の色男。
「いらっしゃいませ。お気遣い感謝します。しますけど、瑠耶さんに相談したら」
「ろくなことにならないわね。悩みが倍になるのがオチよ」
妖艶な笑みを浮かべ、美女は肩にかかった長い髪を払う。色男の方は肩をすくめてみせると
「なんとでも。お姫様。どうぞこちらへ」
彼がそうして招き入れたのは、見事なブロンドの女性であった。エメラルドの瞳に、透明な白い肌。民族衣装であろう、襟と袖がゆったりとした裾の長い服を、身につけていた。
「ありがとうございます。大丈夫ですか、ヒサト様」
金髪の女性は色男の手を取りながら、背後を振り返る。そこには、所在なげ煮立ち尽くす、うらは色の髪をした、ひょろりとした眼鏡の男が、照れくさそうに鼻の頭をかいた。
巴維唐堂の一番奥、L字型のソファーと、二脚のアンティークな椅子が置かれた大きめのテーブル。それがこの店の唯一の常連であり、数少ない客たちの指定席であった。
「みなさん、夏休みなのに、まだこちらにいらしたんですか」
人数分のお冷やを置いて、シルバーのトレイを抱えるように持った、この店唯一の従業員である大海原キュル(おおみはら・−)は尋ねた。
「ったり前じゃん。大イベントを見逃すテはないだろう」
指を鳴らして小柄な少年、岩見平成(いわみ・ひらなり)は、いたずらっ子特有の無邪気で憎めない笑顔を浮かべる。その隣りのひまわりのような美女、桃山冴子(ももやま・さえこ)が呆れたように、額に手を当てる。
「アンタは単なるお祭り好きでしょ」
「じゃあなんで、おめぇーは残ってるんだよ」
「あたしは実行委員だもん。仕方ないじゃない」
「けっ」
桃山の言葉に、平成は面白くなさそうに吐き捨てる。
「やだ、桃ちゃんも実行委員なの。つまんないの、一緒に遊べると思っていたのに」
黒髪の美女、ティアナ・フィシスが両手を合わせて、しらじらしくそう告げた。そのハデな外見からは想像しにくいが、彼女はれっきとした医学部の学生である。薬学部の桃山冴子と共に、理系の二大美女として名をはせ、取り巻きも多い彼女が、遊ぶ相手に困ることなどあるはずがなかった。
「なんだよ、桃山もって。あと他に誰かいんのかよ」
「いるでしょ、一人。どこにでも顔を出す人が」
「あ、なーる」
ティアナの言葉に納得したのか、平成は大きく頷いてさりげなく話題の人物へと視線を向ける。それを受けて、色男緋城瑠耶(ひじょう・りゅうや)は肩をすくめた。
「どこにでも、てわけでもないんだけどね」
彼は前髪をかき上げて、そう告げる。人気ブランド“Blue Rose”の専属モデルの彼は、そんな気障な動作もいやみなほど様になってしまう。
「断るに断れなくてね。仕方なし、ってところかな」
恋人多数、女友達はその倍以上という彼の言葉を信用する者など、金髪の彼女ぐらいであろう。軽い明るい調子いいの三拍子そろった彼が、女性からの誘いや頼み事を断れるわけがなかった。
「オレとしては、お姉さんが残っている方が不思議だけどね」
瑠耶はすかさず、隣りに座るティアナに話をふった。しかし彼女は、大きな銀のイヤリングを弄びながら、
「ちょっとね、用事があって」
そう呟いたその表情は、彼女らしからぬかげりがあった。
「不思議っていえば、ヒサトは、なんで残ってんだ」
平成が思いついたように、そう尋ねる。うらは色の髪をした眼鏡の青年ヒサト・シグリットは、もぞもぞと口を動かして声にならない言葉を発したあと、
「その、帰りの切符が、その」
「取れなかったんだな。悪い。訊いたオレがバカだった」
平成は、冷ややかにヒサトの顔を見つめた。何事においても出だしが遅く、全てに置いてタイミングを外してしまうその性格がにじみ出ているのか、洗いざらしのシャツにジーンズという出で立ちにも関わらず、どこかくたびれた印象が彼にはある。
帰らない、のでなく、帰れない、というあたりが彼らしいといえば彼らしい。ティアナあたりが面倒をみてやらないと、大学に在学中、一度も帰国できないのではないだろうか。
「ナーディヤは、ステージがあるんだってな。すげぇよなぁ」
なんとか話題を変えようと、平成がブロンドの女性、ナーディヤ・セヴィルに声をかける。彼女は頬を赤らめると、
「そんなことございません。私は、コーラスですから」
その言葉に驚いたのは、桃山の方であった。ナーディヤは声楽科でも優秀な生徒の一人で、ほぼ連日個人レッスンを受けている。その天使を想像させるような容姿や、今どきめずらしい純粋無垢な性格ゆえに、親衛隊が存在するほどなのだ。
ナーディヤは柔和な笑みを浮かべて、
「まだ、言葉が少し」
英語圏出身でない彼女にとって、クラシックの名曲は、歌詞を覚えるだけで精一杯だった。
「そっかぁ。でも、ナーディヤなら大丈夫よ。で、キュルちゃんは」
いきなり桃山にそう問われて、キュルはいささか慌てる。
「やっぱり、巴維唐堂でもなにかやるんでしょう。3Days」
キュルは、乾いた、虚しい笑いを返すことしかできなかった。
3Days。
それは今年試験的に開校したばかりのNW学園大学部の、見学会のことである。
入学が既に決定している者と、今年度の受験者を対象にして、3日間だけ大学施設を開放し、学生生活を体験してもらおうという試みである。その間参加者は、学園側の用意したホテルに宿泊し、財団発行の期限付き特別学生証を支給され、学園内を自由に歩くことができる。講義を受講することはもちろん、カフェ・テリアで食事をすることも、学園内の娯楽施設で遊ぶことも、学園側や実行委員会が用意したイベントに参加することもできるのだ。
なぜこのような大規模な見学会を行うかというと、NW学園の特殊性に起因する。NW学園は、NW財団が優秀な人材の発見及び育成のために創設されたもので、そこに通う生徒の学費や生活費のほぼ全額が、財団より支給されているのだ。また、学園の授業形態も、特にカリキュラムがあるわけではなく、在学している四年間で各学部学科に規定されている単位を取得すればいい。関係のない講義を取ることも可能で、学園側もそれを奨励している。ただ自由には義務や責任がつきものであるように、それなりの制約が存在する。出欠管理はコンピュータ化され、代返などはほぼ不可能となり、成績についても厳しくチェックされるのである。そのシステムをより身近に感じてもらうために行われるのである。
もっとも現在在学している学生たちにしてみれば、地図がなければ迷ってしまう広大な学園を実際に歩いてもらい、入学してからの苦情を少しでも少なくしようという作戦に違いないと信じられている。なにしろ、一般教養の講義が行われる校舎だけでも、14棟も存在するのだ。それに専門分野のための講義棟をあわせると、一日ではとうてい回りきれるものではない。行方不明になった学生がいるとか、遭難者が存在するとか、まことしやかな噂が学生の間では蔓延している。
その見学会に乗っかって、一大イベントに仕立て上げ、盛り上げようというのが、その在学中の学生有志たちである。
そうして学園内のあらゆる施設を巻き込んだ、3Daysが、今週末開催されるのだった。
「ここも学園指定されてるんだから、勿論参加するわよね、3Days」
「そうなんですけれど」
キュルは、今日何度目かのため息をつく。
「張り切って、3Days用のメニューも考えたんですけれど、きっと来ませんよねぇ、お客さん」
その切実な言葉を、誰も否定することはできなかった。なにしろオープンしてから1ヶ月あまり、平成たち六人以外の客の姿を、誰も見たことがなかったのだ。メインストリートから離れているとはいえ、それだけが理由とは思えない客の入りだ。
「アクセサリーは、そこそこ売れているんでしょう」
ティアナの言葉に、キュルは頷いた。
以前、彼女は路上のアクセサリー売りだったのだ。たまたまこの巴維唐堂のマスターと知り合い、店に商品を置いてくれるという条件で、住み込み勤務を引き受けたのだ。とはいえ、閑古鳥が巣を作っているのではないかと思うほどの客の入りと、オープン以来一度も顔を見せないマスターとで、日に日に不安は積もっていく。とりあえず給料はきちんと支払われているので、キュルとしては文句を言うつもりはないのだが、自作のアクセサリーが売れないのは予想外だった。仕方がないので、学園内のいくつかのショップに、品物を置かせてもらっているのだが、そちらの売り上げはまずまずといったところだった。
「じゃあ、昔みたく路上売りしちゃえば。どうせ店開けてたって、お客さんは来ないんだから」
軽い調子で、身も蓋もないないことを瑠耶は言ってのける。彼は、路上売りしていた頃の彼女を知る、唯一の人物でもあった。
「それはそうですけれどぉ。メニューの価格や変更ならともかく、あたしの独断で休みにするわけにはいかないです」
「でもなぁ、開けてるだけ光熱費の無駄って気もしないこともないけれど。3Daysは、オレたちも来られないし」
「えぇぇぇぇーっ、平成さんたち、来られないんですかぁ」
キュルのカン高い叫び声が、店内に響き渡る。彼女は今にも泣き出しそうな瞳で、恨めしそうに彼らを見つめていた。
「仕方ねぇよ。そんな暇ないし」
「実行委員会は、お弁当支給なのよ」
「無理だと思うわ。いろいろと忙しくて」
「桃ちゃんと同じ。どっちにしろショーが近いから、オレ、食べられないし」
「すみません、ステージ前ですので」
「あ、その……。えっと」
「ヒサトさんっ」
口ごもるヒサトの両手をすかさず握りしめると、キュルは顔を間近に近づける。
「ヒサトさんっ。ヒサトさんは来てくれますよねっ。ヒサトさんだけでも来てくれないと、うちの売り上げゼロになっちゃうんですっ」
非情な現実だった。ヒサトは、どうしていいか解らず、口をもごもごと動かしてからなんとなく頷いてしまった。
「忙しいって、アンタ、なにが忙しいのよ」
Bランチのミニグラタンをつつきながら、桃山が平成に尋ねる。平成は、スパゲティランチを食べ終えると、来たばかりのBランチを自分の元へと引き寄せる。
「バイト。稼ぎ時だぜ」
桃山はなんとも言えないため息をつく。鉄の胃袋を持つと噂される彼の食欲は、常人のレヴェルを遙かに越えている。その食費はもちろん財団から支給される生活費には収まるわけがなく、夏休みに入ってからというもの、平成は連日バイトにいそしんでいる。
「リュウはともかく、桃ちゃん、ずっと委員の仕事? 夜ぐらいはフリーになるんでしょう」
「うーん、どうかな。意外に人手が足りないのよね。ティアナだって、救護当番があるんでしょ」
ティアナは少しだけ首を傾げると、サラダにフォークを突き刺しながら、笑顔を浮かべただけで、なにも答えなかった。
「オレはともかくって、どういうイミ、ティアナ」
「そのまんまのイミよ。どうせ、派手なコトするんでしょ」
「当たらずとも、遠からず、かな」
瑠耶はそうしてレタスとトマトだけのサンドイッチを、口に放り込む。6種類ある巴維唐堂のランチを食べ尽くす平成とは、対照的だ。もっとも、彼の場合ショーが近付けば水以外、一切口にしなくなるのだが。
「人手が足らないんなら、ヒサトに手伝わせればいいんじゃない。どうせヒマなんだし」
「オレだって、いろいろと」
そう言いかけたヒサトのすぐ横を、ナイフがすり抜けていく。完全に硬直している彼に、ティアナが絶品の微笑みを向けていた。
「手伝うわよね、ヒサト」
毎度のことなどで、誰も止めず、黙々と食事を続けていた。ナーディヤが、傍らでティアナと違った笑顔で、
「ヒサト様、頑張ってください。お力になれるかどうか解りませんが、私も、できるだけお手伝いしたいと思います。桃山様、瑠耶様」
そうして彼女は、二人に向かって、深々と頭を下げたのだった。
そうして、NW学園一大イベント、3Daysが始まる……。
「WELCOME!!」
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