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私の15歳   

父、蒲舟  

彫金と私

南仏の野生馬

 彫金と私  文:亀倉康之 昭和57年「新潟市美術協会だより」掲載

 素材にはいのちがあると思っています。水墨や油絵の具、陶土や木材、石の塊。それぞれに個性ある質感と魅力があります。金属にもそれを感じます。

 彫金の道を選んでから、もう30年にもなります。並の才能では文学や絵はだめだと悟り、安易な気持ちから入ったせいでしょうか、何度か挫折しました。

 彫金の技法は、その長い歴史のなかで完成して居りました。毛彫り、象眼、透かし彫り、打出し。名作の数々。宝物の様の作品。それは身近な感じのしないものでした。学生にとってその生活空間からは無縁のものと思いました。

 彫金の技法は本来小さな作品に向いていて、装飾的で、説明的な仕事です。当時の気持ちでは、何かそのものずばりという様な作品を造りたく、装飾的でないもの、説明的でないものをと試みました。大きなもの、大作を考えました。金属の板は、不自由な素材でした。投げ出したくなる様な何年かの中で、いくつか心にのこる先人の作品に出合いました。掌の中に入る小さな金具。金具の中には優れた彫金作品が多いのですが、その何点かを模刻してみました。拡大して模写してみると、その竜や牛やの動物の図柄は、充実した迫力で、存在感のある美事なものでした。

 造形力の確かさでしょうか。

 完成している世界を破壊しようと試みた私の大作も、その小さな金具の掌のなかで潰されたと思いました。名も無い職人の作とされるなかにも、よいものが沢山あったのです。

 また、法隆寺で押出し仏に出合った時の感激は、いまもそのままに残って居ります。押出し仏は、飛鳥・白鳳・天平の時代に民間の人々の礼拝の対象として作られました。仏菩薩の像を銅板で半肉彫りに浮き出した30センチ位のものです。厚い銅板で制作した原型に、非常に薄い銅板をあてがい、上から鎚起して造る技法により、量産を考えたものです。そのやわらかさ、霧の中に見えるかのようなソフトなレリーフの味わいは、他の造型技法からは望めない世界かと思います。私なりの仕事をと希いながらの年月の中で、引戻すかの様に時々法隆寺が出てまいります。私にとっての彫金原点でしょうか。

 昨年、観音さまを主題にした作品を二点作りました。仏さまは、まだまだ手掛けられるものとは思えなかったのですが、その一点は、風景としての観音山であり、その山の頂上で酒のみつつの発想でありました。また、馬頭観音さんの方は寒風の中に立つ自刻像のようなつもりでの制作でした。  

銅板にデッサンし、力を込めて引っ張る線に気持ちを入れて、刃鏨(はたがね)でたたく銅板への食い込む跡は心地よいものです。磨いた肌からは緑青が匂って来るようです。

 金属はかたく、そしてやわらかです。金属はさびます。そしてみがくと、またひかってまいります。

 金属は生きていると思っています。




観音山












馬頭観音



 
     
 

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