ピコ通信/第172号
発行日2012年12月25日
発行化学物質問題市民研究会
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ピコ通信/第172号(発行日 2012年12月25日)
福島で行われつつある「エートス」の狙いが分かる
「エトス・プロジェクト」の実態/フェルネックスの証言 (下)
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 12月15日〜17日、郡山市で「原子力安全に関する福島閣僚会議」が開催されました。主催は国際原子力機関(IAEA)と日本政府。除染や住民の健康管理で協力、アジア太平洋地域での原子力事故に備えた「IAEA緊急時対応能力研修センター」を福島県内に設置する事などが決まりました。
 つまり、原発推進機関であるIAEAが福島に乗り込んできて、福島の事故後の対応や健康管理を指導し、福島をアジアの原子力事故対応拠点、IAEAの基地とするという、何とも空恐ろしい動きなのです。今後、福島県民に対するエートスの動きは加速するでしょう。
(文責 化学物質問題市民研究会)

【クリラッド機関紙 『トレ・デュニオン』22号から】
原子力ロビーが犠牲者に襲いかかる時
「鍵となる嘘」
あるいは、いかにチェルノブイリに刻まれた記憶を消し去るのか (下)

ミッシェル・フェルネックス(バーゼル大学医学部名誉教授) 2002年2月22日

■原子力ロビーの執拗さ

 この状況を見ると、仏電力公社、原子力庁、アレヴァの代理をしているNPO,CEPNは、チェルノブイリの記憶を何としてでも消去したい国際原子力ロビーの確固不動たる論理に協力しているように見える。日々の食品の汚染測定、年に二度の放射性セシウムのホール・ボディ・カウンターによる測定結果は、この惨事からの耐え難い警告である。毎年、ネステレンコ教授は、これらのデータを公表し、政府に提出する。だが、食料品と住民への放射能状況、とりわけ、子どもの状況は、改善されるにはほど遠く、悪化していることを認めざるを得ない。

 食品のセシウム137による汚染の増加は、農業者が肥料をより少なく使用し、とりわけ、植物によるセシウムの吸収を減退させる役割のあるカリウムをあまり使わないからだ。

 そのうえ、非常に汚染された土地を以前にも増して開墾しているからである。農作物が全国に流通されるので、人工放射性核種の負荷は住民全体に増加しているのである。ネステレンコは、首都ミンスクにおいても、現在、体重1キロあたりのセシウム137が50Bq以上の数値で測定され、10年前にはなかったことだと警告を発する。

 この事実を覆い隠そうとする原子力の推進者たちは、「測定計器を壊さなければならない」のであり、汚染源を取り除くためではなく、誰もがこの事実を知らないようにするためなのである。高熱や、あるいは子どもたちの臓器に蓄積された放射能を測定することはもはやできない。ネステレンコは、彼が実施している事業を止めなければならないのだ。

■健康に対するセシウム137の放射性毒性の効果を無視すること

 9年間、ユーリ・バンダジェフスキーとゴメリ医科大学の協力者たちは、セシウム137の放射性毒性について研究し、他の組織体に比べ、多いときには50倍までも、内分泌腺や心臓のようなある特定の臓器に濃縮することを発見した。セシウム137が一平方キロあたり5キュリー(185,000 Bq/m2)以上で汚染された地域において、健康への有害な影響は、ほとんど全ての子どもたちの健康を害しているのである。

 放射性セシウムの蓄積による病気に関する研究活動により、バンダジェフスキー教授は、後になって取り下げられるが、最初は汚職の罪状告発によって、8年間、強制収容所に送られる(アムネスティは「沈黙する学界」と言う。〔訳注:この裁定を批判する声は医学界から湧き起こらなかった〕)。バンダジェフスキーによって創設されたばかりの医学部の医者や、昔の協力者たちは、職を失った。彼らは、彼との共同著者として、これらの刊行物に名前を連ねるべきではなかったのだ。

 ストリンのセミナーでは、「エトス」は上質光沢紙にカラー印刷された図表を配り、ほとんど全ての発表者のプレゼンテーションは、デジタルデータで上映された。資料の57ページに、反論を受けたセシウム137の臓器への均質的な分布の仮説を基に、体内線量が計算されている。

 それに反して、小児科の女医のひとりが手に持っていた説明用の手書きの図表は、他の人たちの報告に反し、デジタル化されておらず、上映されなかった。それらの図表は、入院数が増加しており、1986年-87年に1000人の子どもに対し、約150件/年、1990年に500件/1000人・年、2000年では1200件/1000人・年(入院の繰り返しが含まれる)の増加を示しており、上昇カーブは、下降する気配は全くない。

 重症化し慢性化する疾病は増加しており、おおよそ健康だと言える子どもの比率は80%以上から20%以下に落ち込んだ。しかしながら、子どもたちは、ストレス状態ではなく、家族は移住しておらず、彼らは相対的に食料の摂取はよかった。すなわち、幼稚園から全ての学校教育の期間中、教育に当てられた予算のうち、50%は、1日2-3食、週4-5日の食材に当てられている。

 しかし、子どもたちの健康は悪化が継続していくようにみえる。この悪化の原因は、環境中の放射能汚染と関係がある。子どもたちは、一平方キロあたりセシウム量が5から15キュリー(185,000 Bq/m2〜555,000 Bq/m2)の汚染地域では、正常に暮らす、生き延びることができるように見えない。

 この小児科責任者の女医が説明した医学報告も、図表も、「エトス2」の報告書には、掲載されていなかった。たぶん、それらのデータは、原子力ロビーに不都合だったからだ。

 フランスの専門家の発表では、ストロンチウムにわずかしか関心が表明されていないのに驚いた。しかし、大地にも、水の中にも、ストロンチウムは発見されているので、当然、食物連鎖の中にあるのである。ストロンチウム90は、セシウム137と同じように、半減期が約30年である。ストロンチウムとセシウムの放射性毒性における相乗作用を研究することは本質的なことだ(この主題は、ある時期、ゴメリ医科大学で研究されていた)。「エトス」の他の専門家の中で、チェルノブイリ事故によって拡散された他の放射性核種を取り上げるものは、だれもいなかった。

 「エトス」参加のフランスの大学人による限定された農場への関与は、提供された質のいい種子や完璧に配合された肥料や、必要な時期に散布された農薬により、農作物の生産の向上に貢献した。ジャガイモの生産は以前より豊富になった。この農作物はセシウムは少ないので、販売することもできた。2002年以降、農業に対する投資は、10家族ほどの農家に限らず、数千人の子どもたちが暮らす関連地域に拡大されるべきであろう。

 不幸にも、これらが住民、とりわけ子どもたちの健康状態を向上させることを示すことはできなかった。すでに、パリ第七大学で、「エトス」の農学責任者アンリ・オラニョン氏は、私に言った。「私たちはいい仕事をしたよ。しかし、子どもたちはますます病気になったんだ!」と。この意味で、「エトス2」の経験は、失敗と言えるのである。

 「エトス」報告書のなかに、セシウム137の体内線量の継続調査と子どもたちの健康状態の悪化を示す曲線を、全面的に統合しない限り、プロジェクトの結果の提出は、本質的な部分を欠落させた不完全なものと判断せざるを得ない。つまり、健康についての基本的なデータの不在と、放射性核種の体内の線量負荷についてのデータの不在は、「故意の言い落としによる嘘」、あるいは原子力ロビーが欲しがって止まない「鍵としての嘘」であると、ますます私たちを信じ込ませずにはいないだろう。

 チェルノブイリの影響評価において、「故意の言い落としによる嘘」は、実際、タバコ産業ロビーが、世界保健機関による反タバコ・キャンペーンをさせないようにするために、何十年もの間、大々的に実行して来た「鍵となる嘘」に似ている。同じ動機(まず優先的にロビーを守ることだが)によって、一部を排除した資料は、原子力管理当局や市民に対して、原子力産業が情報を遮断するのを容易にし続けるにちがいない。

 この文脈で、2002年2月12日に『フィガロ』紙に掲載されたファブリス・ノデ=ラングロワの記事は、イスプラ(イタリア)の欧州連合研究センターによって刊行されたヨーロッパのセシウム汚染分布図は、35万数地点の測定に依拠したものだが、フランスからは35地点のデータしか受け取っていない。この作業を行った責任者ド・コール氏は、フランスの貢献があまりにも中途半端なものであることを嘆いている。『フィガロ』紙によると、IPSN(訳注)の代表者アニー・シュジエ女史は、作成された欧州の汚染分布図は不完全であるゆえに、偽造だと表明した。

[訳注:原子力防護と安全研究所は1990年以来、原子力庁の研究機関であったが、今日OPRIと合体して、2001年、IRSN(仏国立放射線防護と原子力安全研究所)となった。産経省、防衛省、厚労省の外部独立機関]

 「この嘘についての告白は、厚生省から独立した責任者によって行われた」とOPRI(訳注)会長ジャン=フランソワ・ラクロニックは、上司であるベルナール・クシュネール厚生労働相に提出されたメモで強調した。メモの中では、その場にいた者たちから国家が嘘を言ったかどうかを尋ねられて、背中を押された形になったラクロニック自身、自ら、これは「故意の言い落としによる嘘」だと言い放ってしまったことを、故意に書き落とした。

[訳注:ペルラン教授のSCPRIの後継ぎ組織。仏国立放射線防護局。1994年に設立された組織で厚生労働省に従属していた]

 2001年末まで、「エトス」の責任者たちは善意であると私は思って来た。「エトス」に集まった大多数の大学人たちは、そうだと私は確信する。それにしても、健康に対する体内に取り込まれた放射性核種の影響の研究、あるいは子どもの放射性セシウムの体内の負荷を測定するベルラド研究所の測定班を支援すること、または環境の放射能汚染度によって子どもたちの健康に関するデータを発表することを意味するとき、それは原子力ロビー、ここではCEPNが最後の言葉を握っているのだ。

 大学人たちが帰国して、住民は振り出しに戻った。しかし、放射線防護のための援助は「エトス」介入前より少なくなった。すなわち、地域放射線防護センターは、それらの設備の一部を失い、全てのデータを取り込んだコンピュータはなくなり、測定技師たちはやる気をなくした。彼らの仕事に対する報酬は支払われなかった。

 CEPNは、科学的厳格さを大事にする大学人たちに満足できる枠組みを与えるだろうか。

■ベラルーシにおける原子力ロビーのその他のプロジェクト

 仲介者たち(その時々の必要性に応じて、名前が変わるのだが、ここでは「チェルノブイリの交差点」という組織)のおかげで、原子力庁の専門家に2001-2年の冬の間支援された原子力ロビーは、ストリン地区よりもっと汚染されたチェルノブイリにより近い地方を今こそ復興させねばいけないと、ベラルーシの行政といくつかの官庁の代表者たちを説得しようとした。目標は、一平方キロあたり40キュリー(1,480,000 Bq/m2)まで、あるいはそれ以上の汚染のあるところでも、生活し、仕事し、耕作することが可能なことを見せるためである。また助言や教育用ツールを提供することによって、これらの土地は、子どもたちの健康に何の危険もないのだと示すことである。

 この間、ネステレンコ教授にそもそも約束されていた住民防護の活動支援を悪用されて、それでも、ネステレンコ教授は2001年、春に住民防護のプロトコール〔所定動作〕を確立していたのだが、心臓専門医と眼科専門医が増強されたベルラド研究所の45人の技術士、放射能測定技師、科学者に対する助成を受けられる可能性はあまりない。チェルノブイリの降下物のせいで高度に汚染された地域に生活せざるを得ない子どもたちの健康改善に当てられた、住民にとって非常に有用なこの作業に対するCEPNの支援は、ユートピアに過ぎないことが証明された。

 もし、原子力ロビーの指令に従う専門家たちが、一平方キロメートルあたり5から40キュリー(185,000 Bq/m2−1,480,000 Bq/m2)のセシウム137によって、あるいはそれ以上に地域が汚染された放射能の状況下においても、ジャガイモを栽培できるし、観光業のために保全された自然保護地域として、もうじきチェルノブイリ原発の30キロ以内を含む退去させられた土地すべてをもう一度、住む目的のために、労働者とその家族が定住もできますよということを、今から短期間に公表するというなら、彼らの報告書は、子どもたちの惨劇的な状態に関する全てのことを故意に言い落とさなければなるまい。

 結果的に、能力があり独立した小児科医、眼科医、内分泌腺科医、免疫科医、そして充分設備を持った測定技師たちを排除しなければならないのである。健康の専門家の不在は、「故意の言い落としによる嘘」に基づいた「鍵の嘘」に行き着く。言い落とされたものとは、つまり、根本的な資料〔訳注:測定データや他の基本データ〕のことであり、原子力ロビーが16年間、何としても必要だったものなのである。

 ある「故意の言い落とし」を含んだプロジェクトを前にして、諮問され、またたぶん同時に共同出資者でもあった大学人たちは、「ノン」(否)と拒否すべきではないだろうか。(仮訳:コリン・コバヤシ)


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