ピコ通信/第149号
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水俣病被害者の報告
佐藤秀樹さん(水俣病被害者互助会会長) (文責 化学物質問題市民研究会) ■中学卒業まで家族が患者であることを知らなかった 母は最初は水俣病と認められていなかったので、水俣病というのはどういう症状があって、どういうものか全然知らなかったわけです。というのは、私の育った地域は山に囲まれたリアス式の海岸で、魚を捕って暮らすだけで、車の道もない、町に行くにも舟で行ったり、電車で行くにもひと山越えて電車に乗らなければならないという、新聞もない、テレビもない所だったからです。 私は中学を卒業して大阪に出たのですが、父が認定患者の補償についてチッソに対する座り込みをしていると聞いて、家族が水俣病患者であるということをその時初めて知りました。父が座り込みをしている時には、私は大阪のお菓子屋に勤めていましたが、仕事に向いていないということで、田舎に帰ってミカンをつくることにしました。帰っても、水俣病の症状については分からなかったわけです。 ■外見からは見えない症状 水俣病被害者というものは、劇症の人たちだけが表に出て、人に見えない手の痺れとか、こむら返りとかの症状は、水俣病だとは思われないわけです。私は小さい時からそういう症状があったのですが、まさかそれが水俣病の症状だとは思わなかったわけです。年をとるにつれて、こむら返り、肩こり、頭痛とか、このごろは首の後ろの張り、頭の重さも出てきている。たまに力が抜けるということもあります。 1995年の前に申請したのですが、棄却になりました。1995年の解決といわれた時も申請したのですが、棄却されました。現在、関西の訴訟で国の責任が問われている時にまた申請しています。 水俣病というのは、劇症の人たちだけが中心で、眼に見えない、苦しんでいるけれどもわからない、そういう人たちに国、県はなにも対策をとっていない。ほんとうに水俣病で苦しんでいる人、水銀に侵された人を国は隠そうとしています。国は水俣病は公害の原点である、これを国際的に発信するといつも言われる。ですが、被害者を切り捨て患者と認めない人たちが、ほんとうに「水俣を教訓に」と言えるのか、といつも思います。 ■加害者が被害者を"救済する"のはおかしい 2004年最高裁判決で国、県は加害者と認められたにもかかわらず、認定基準を変えようとしません。2010年7月に大阪地裁で「認定基準に医学的根拠はない」という判決があったにもかかわらず、やはり控訴して患者を切り捨てている。今度の特措法で救済策と言われ、和解協議だと言われますが、被害者を患者と認めない中で、加害者が被害者を救済する、という言いかたをすることはあってはならないと思います。加害者は被害者に対して賠償をする、そして責任をとるということが必要です。加害者が救済という言葉を使うこと自体がおかしいと思います。 今度は、チッソを分社化してチッソを助ける法案を作った。ほんとうに水俣病を教訓にするなら、被害に遭った人たちをきちっと患者と認めて、補償を払って、チッソをそのまま残して、水銀の恐ろしさを伝えていくのが国のすることではないかと私は思っています。そうしない限り、水俣病の怖さを世界に伝えていくことはできないと思います。 私たちがなぜ裁判をしたか。国、県は加害者としての責任を認めないで、チッソだけにかぶせて早く幕引きをしたい。自分たちがチッソを分社化してなくしてしまえば、国の責任もなくなるわけです。加害企業をなくして、水俣病を終わらせたいがために、こういう法案を作ったとしか思えない。 私たち被害者はこういうことを絶対許してならないと思うし、公害の問題をずっと伝えていかないと同じ事がまた繰り返されるのではないかと思います。私たちはそういうことがないように、水俣病の恐ろしさをずっと伝えていかなければいけないと思います。 ※12/4シンポジウムの資料をおわけします。A4版79ページ。500円+送料80円=580円 事務局までお申し込み下さい。 |
エピジェネティクス毒性学入門−上
"Tox21"研究所 澁谷 徹 1 はじめに 毒性学(Toxicology)の目的は、新規あるいは既存の化学物質、薬品、食品、環境化学物質および天然の化学物質などの毒作用を、最新の科学知識や技術を駆使して評価し、ヒトやさまざまな生物種へのリスクを回避あるいは軽減させることです。 ヒトは哺乳動物の一員に過ぎませんが、その優れた頭脳や技術を用いて、無数といってもよい化学物質や原子力エネルギーを開発し、それらの利便性を享受してきました。しかし、ヒトもまた地球上の多様な生物種の一つに過ぎません。そのため、これらヒトの開発してきた化学物質などからの有害な作用(毒性)をこうむり、さまざまな重篤な被害を経験してきました。そして、そのたびに毒性学の内容が改訂されてきた歴史がありました。 38億年ともいわれる連綿と続いてきた生命の進化によって創生された、ヒトを含むさまざまな生物種の存在と健康を未来の世代にわたって保全することは、毒性学の重要な任務です。もちろん、「毒性学」の概念や用いられる技術などは、科学の進歩に伴って改革されなければなりません。最近の「遺伝子の構造と発現」についての著しい研究の進歩・発展は、毒性学の根源的な改革を迫っています。小論では、遺伝子発現の調節機構としてのエピジェネティクス研究の最近の進歩を、毒性学の立場からどのように考えてゆくのかについてまとめてみました。 2 エピジェネティクス 最近、生物学において、「エピジェネティクス」(Epigenetics)という現象が大きな注目を浴びています(1)。マスコミや科学雑誌などでも「エピジェネティクス」という言葉はよく見受けられるようになり、この「ピコ通信」でも時々取り上げられています。 最初に「エピジェネティクス」という概念を提唱したのは、発生学者のC.H. Waddington(エジンバラ大学)です。彼は1942年に、動物の個体発生を、当時はまだその実態が不明であった「遺伝子」の統合的な発現の制御によるものと考えました。そこで、当時発生学を支配していた概念であった、"Epigenesis" (後生学)と"Genetics" (遺伝学)とを組み合わせて、 "Epigenetics"(エピジェネティクス)という新しい術語を提唱しました。彼は、「エピジェネティクス」を、「遺伝子と遺伝子産物(環境)との相互作用によって、生物にある表現型をもたらす現象」であると記述しています(2)。 「エピジェネティクス」とは、遺伝子の構造的な変化 (突然変異) を伴わない発現調節を総称したものです。そしてそれは、DNA塩基、特にシトシンがメチル基で修飾されるメチル化(編集注)や巨大な分子であるDNAを巧妙に折りたたんでいるヒストンのアセチル化やメチル化などのさまざまな化学的な修飾、さらにそれらの結果として、DNAとヒストンなどのタンパク質からなるクロマチン・染色体の構造的な変化などによって、遺伝子が発現調節を受ける生命現象であると定義されています。 DNAのメチル化、ヒストン修飾およびクロマチン・染色体の変形は、おたがいに関連しあっているものと考えられています。これらの詳細については図1 を参照してください。 「エピジェネティクス」は、個体発生や成体の生命の維持に大きな役割を果たしていることが、分子生物学的手法によって解明されつつあります。「エピジェネティクス」は生命機能を維持するための、多くの遺伝子発現を高度に調節しうる重要なメカニズムで、これは多細胞生物における最も重要な現象だといっても過言ではありません。「エピジェネティクス」は、最近の転写RNA発現 ("トランスクリプトーム") および翻訳タンパク質合成"プロテオーム")などの膨大なデータの蓄積に伴い、その重要性が認識されつつあります。 遺伝子からタンパク質合成までの種々の現象は、密接に関連しあっています。遺伝子の活性は、上にも述べたようにDNA塩基のメチル化やヒストンのさまざまな修飾、更にクロマチンの変形などによって、染色体上に活性な部位(ユークロマチン)と不活性な部位(ヘテロクロマチン)とに局在することによって、高度に調節されています。また、最近関心が高まりつつある、ミクロRNAもこれらに関連して作用していることも知られつつあります。このように「エピジェネティクス」は、遺伝子発現を高度に調節しており、生命にとっては根幹的で重要な現象です。 「エピジェネティクス」は、地球上の生物が多細胞生物に進化した際に、個体の発生過程での細胞分化を果たすために獲得した重要な性質と考えられています。また、ウィルス感染において挿入されるレトロトランスポゾンなどを不活化させるための巧妙な防御機構とも考えられます。しかし、生物にとって未知な外因性の物質の侵入に対しては、「エピジェネティクス」は過剰に反応し、これから述べるような「環境エピゲノム撹乱」を引き起こす可能性が考えられます。 3 環境エピゲノム撹乱 近年、多くの外因性物質によって、「エピジェネティクス」が撹乱されて、遺伝子の最終的な働きである、たんぱく質合成が影響を受けることが知られつつあります。これらの現象を総称して「環境エピゲノム撹乱:Environmental Epigentics」と呼んでいます(3)。エピゲノムとは、生物個体が持っている遺伝情報の全体(これをゲノムといいます)がメチル基などでさまざまな修飾を受けている状況をいいます。現在、種々の環境化学物質、薬品および食品などによって、「環境エピゲノム撹乱」が容易に誘発されるデータが蓄積されつつあります。「環境エピゲノム撹乱」はたんぱく質合成の観点からは、それらの低下や停止を招くことになりますので、突然変異と同様な効果を生物個体に与えることになります。 これからの「毒性学」は、それらの化学物質による「環境エピゲノム撹乱」を基盤として、それらによる生物影響を研究する科学として発展して行かなければならないと考えられます。また、個体発生の過程においては「エピジェネティクス」は、成体におけるよりも多くの遺伝子によって複雑に制御されていることは明らかです。そのため、発生中の種々の細胞は、種々の化学物質によって、成体の細胞よりもより重篤な「環境エピゲノム撹乱」による毒性的影響を受ける可能性があります。 また、「エピジェネティクス」は細胞分裂を経過しても維持されますので、体細胞と同様に生殖細胞においても、「環境エピゲノム撹乱」の影響を受ける可能性があり、それによって世代を超えたさまざまな影響(経世代影響)が誘発されることも考えられます。 4 発がん性 化学物質の発がん性の予測には、これまではAmes試験に代表される変異原性試験(遺伝毒性試験)が用いられてきました。しかし、それらの試験結果による、化学物質の発がん性についての予測率は低下しています。近年、種々のがん細胞において、DNAのメチル化や種々のヒストン修飾が認められる例が知られてきました。すなわち、発がん過程においても、さまざまな環境因子による「環境エピゲノム撹乱」が深く関係していることが明らかとなってきました。 現在までの知見では、環境因子による発がん過程には、変異原性とエピ変異原性とが関連しあって作用しているものと考えられています(4)。エピ変異原性とは、細胞に「環境エピゲノム撹乱」を誘発する能力のことです。すなわち、これまで化学物質による発がん性を考える場合に、変異原性という1次元的なスケールでのみ考えてきました。しかし、多くの化学物質は変異原性とエピ変異原性との両方の性質をあわせ持っているものと考えられます。 これらの2つの化学的性質を前もって調べ、2次元平面にプロットすれば、それぞれの化学物質のがん原性についての予測が、これまでよりも高い精度で可能になってくるものと考えられます。発がん過程においては、これらに付随して、それぞれの細胞・組織・個体が置かれているさまざまな生物学的要因が関与しているものと考えられます。それを概念化したものが図2(次ページ)の立方体です。 残念ながら、エピ変異原性を簡便に調べるためのAmes試験のような試験系はまだ開発の段階にありますが、DNAのメチル化やヒストンのさまざまな修飾を直接分析することは可能です。また、変異原性とエピ変異原性とが関連しあって、それらが発現される例も多く知られる様になってきました。特に化学物質によるDNA損傷の修復過程において、両者は密接に関連していることが解明されつつあります。 さらに毒性学全般においても、化学物質によるさまざまな毒性現象を、変異原性とエピ変異原性とを基盤として解析してゆくことがこれからは重要となってくるものと考えられます。毒性学におけるこの新しい考え方を「エピジェネティクス毒性学」といい、これによってこれからの毒性学は大きく変革することが考えられます。 (つづく) 注 メチル化:さまざまな基質にメチル基CH3- が置換または結合することを意味する。遺伝子発現を抑制または活性化させる 参考文献
1973年 〔財〕食品薬品安全センター入所 1974年 農学博士〔名古屋大学〕 2003年 〔財〕食品薬品安全センター定年退職 この間、一貫して化学物質および医薬品などの遺伝毒性試験・研究に従事した。また、化学物質によるマウス始原生殖細胞の突然変異の誘発を世界に先駆けて実証した。 2005年 "Tox21"研究所設立・主宰 現在、「さまざまな環境因子によるエピジェネティクス異常」についての文献的研究を行い、「環境エピゲノミクス」の確立を目指している。 メールアドレス:t.shibuya.tox21@zpost.plala.or.jp |