ピコ通信/第73号
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報告/市民のための分かりやすい疫学セミナー
津田敏秀さん(岡山大大学院医歯学総合研究科講師) 主催:化学物質問題市民研究会、ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議、 止めよう!ダイオキシン汚染関東ネットワーク、カネミ油症被害者支援センター、東京労働安全センター、労働者住民医療機関連絡会議、電磁波問題市民研究会 ※1日目(8月28日)の講義(基礎編)の前半をまとめたものです。 ■疫学の海外での評価 疫学は何を明らかにするのかということを話したいと思います。アメリカでは優秀な疫学者を企業、自治体、研究所がヘッドハンティングしています。企業も腕利きの疫学者を求めているのです。 疫学者が使う重要なソフトにEpiInfoというのがあります。アメリカのCDC(米国疾病対策センター)が開発して無料で提供して、全世界で翻訳されて使われています。調査した数字をここに入れると疫学のいろいろな計算ができます。1996年の病原性大腸菌O157:H7の流行の時には、日本では疫学が普及していなかったのでお手上げでした。 そこで日本語版を岡山大学で立ち上げて、国立感染症センターのホームページで公開しました(注)。私は行政に楯突いていると思われていましたが、疫学の勉強をするのが10年早かっただけで、日本の行政の疫学レベルを完全にリードしていました。そのため、行政もそういう私たちといっしょにやっていかざるをえなくなって、こういう翻訳の話もきました。 現在、自治体職員のための研修会もやっています。食中毒と感染症についてですが、がんや他の事例にも応用が可能です。本来、行政が住民と対立するのはおかしい話です。ヨーロッパの大気汚染の取り組みは、住民や患者団体、NGOが行政といっしょになってやっています。日本も将来的にはそうなるでしょう。NGOが行政をリードしていくためにも、市民が疫学を身につける必要があります。 ■なぜ日本で疫学が遅れたか 特定の「原因」があって、それが「発症」にいたるまでの潜伏期間は、さまざまな長さがあります。最短は、和歌山ヒ素カレー事件やふぐ毒のように秒単位です。細菌による食中毒では、黄色ブドウ球菌では、3時間から6時間。病原性大腸菌は2日から7日くらい。A型肝炎は1ヶ月から2ヶ月、狂牛病は数年、薄い濃度のヒ素では10年から30年でがんになります。私は公害病のヒ素による肺がんから疫学を勉強しました。 病原性大腸菌O157:H7で、なぜ対策がとれなかったのかというと、発症するまでに短いものにしか行政が慣れていなかったため、2、3日になったとたん、原因食品をどうやって調べたらいいか分からなくなったからです。私のように期間10年のものをやっていると、数時間も2、3日も一緒です。疫学からみると食中毒もがんも同じように扱えます。 疫学理論をきちんと教えられる医学部は、全国80幾つかの大学のうち、10校もありません。1970年ころから外国で疫学理論が大きく発達し、国内のほとんどの学者がついてこれなくなりました。大家と称する人がきちんと勉強してこなかったため、日本では遅れてしまったのです。 さらに、科学に対する日本独特の見方に、疫学的見方をしにくくするものがありました。日本人は原因というと化学物質名を思い浮かべます。ふぐならテトラドトキシンというように、化学物質でないと原因ではないと思ってしまい、それが分からないと、病気が広がっているのに、原因がわからないから対策がとれないと言います。それが悪い形で出たのが水俣病事件やカネミ油症事件です。 原因は「ふぐ食」だとも言えるわけです。ふぐを食べなければ症状はおきないので、対策としては、ふぐを食べないという、目に見える形のものを押さえればいいのです。難しい学術名を使うことが科学なのではなく、目に見えるものを特定することも科学的です。対策が立てられる、役に立つというのも科学です。 このように発想を転換してもらわないと。科学が実際に役に立たないし、話も見えません。原因にはいろいろなレベルがあるし、いくつも挙げられます。通常、原因は多要因です。自動車工場で労災事故があり、保護手袋を外した手で部品を拾おうとして怪我をしたとする。手袋を外したことも原因ですが、そこに部品が落ちていたのも原因の一つとして、部品が落ちないようにするというのも対策です。 ぜんそくと自動車排ガスによる大気汚染の因果関係を裁判で証明するためには、交通量の多い幹線道路や道路行政を含めた原因と発病の関係についてダイヤグラムを作ります。なんのために議論をしているのかを明確にしないと話がすれちがっていき、原因をはぐらかしたい側がいくらでもはぐらかせることになります。 たばこと肺がんの因果関係は、国際的に1950年代末(国際がん機関の資料による)に決着がついているのに、いまだに日本人の大部分の喫煙者は因果関係は分からないと言っています。日本たばこは、たばこのどういう成分が肺がんを引き起こすのか分かっていないという。するとどんどん不可知論になって決着がつきません。国際がん機関が1986年に、いろいろな成分が含まれるが、smoking全体が原因であるとして、たばこは国際的に規制されるようになりました。 ■病因物質=原因ではない こういう当たり前の議論が日本では知られていません。雪印事件の時、私は新聞を見て大阪市がやっていることが見当外れなので驚きました。私から見たら原因は明らかで、雪印低脂肪牛乳と大阪工場、食中毒ならこれで回収命令や営業停止をかけないといけない。ところが大阪市は自主回収をお願いしただけです。 食中毒の原因には、「病因物質」、「原因食品」「原因施設」の3つがあります。「病因物質」とは、細菌やウイルス、化学物質、「原因食品」は病因物質が含まれているであろう食品、「原因施設」は、原因食品を作った場所です。普通の食中毒事件では、仕出し屋のいり玉子のサルモネラ菌が原因だった場合、サルモネラ菌が検出される以前に、あそこの弁当で発症したということで、行政が営業停止、回収命令を出します。 ところが大企業である雪印に対しては、病因物質が分からないからといって自主回収です。そのためにどんどん時間がたって被害が広がりました。原因食品と原因施設が分かった段階で回収命令を出していたら、1万人も被害者が出るということはなかったでしょう。話が大きくなったり、相手が大企業だと、普段やっている判断を忘れて、病因物質へ逃げてしまうのです。 杉並病の時もまさに同じことが起きました。杉並病は、杉並の不燃ごみ中継施設が操業開始してすぐに、その周辺に皮膚症状や呼吸器の症状の出る人が増えました。住民は施設が原因だからこれを止めろと言っている。ところが、都や区は原因が分からないからと、硫化水素など化学分析ばかりやって疫学調査をしませんでした。しかし、調査をしなくても時間的に原因がはっきりしているので、それだけで疫学的にはっきりした訴えです。 杉並区は3年後にようやく疫学調査をしましたが、いまだに操業は続けています。私が公害等調整委員会で証言した時、委員長がどうしたらいいか分からないというので、「すぐに操業を止めればいいだけのことだ」といったのですが。裁定は、原因は中継所、病因物質は分からないという結論で、これでも画期的な裁定だったらしいけれど、杉並区は全然言うことをきいてくれません。こういうレベルの違いで、ゴネたい人はいくらでもゴネることができ、まわりがそれで惑わされています。 ■カネミ油症も水俣病も食中毒事件 カネミ油症事件は、原因食品はカネミの米ぬか油、施設はカネミ倉庫、典型的な化学物質による食品中毒事件ですが、未認定の食中毒患者が1万人います。食中毒では、普通は未認定の患者はいません。1968年10月10日の朝日新聞の報道では、この段階で原因は米ぬか油と書いてあります。なのに「原因究明を」とも書いてあります。10月14日に九州大学が立ち上げた研究班の名前は「油症研究班」で、名前にはっきり原因が書いてあるのに、そこで原因究明をするというおかしな話です。班長が勝木司馬之助という人で、カネミ油症の前には、水俣病にも関わっています。 水俣病は、病因物質がメチル水銀、原因食品が水俣湾産の魚介類、原因施設が家庭もしくは魚屋。勝木氏は当時熊本大教授で、1956年11月に原因食品が分かったのに何もしなかった人です。これも未認定の食中毒患者が1万人出ています。カネミでもこの水俣病方式で被害を広げました。 カネミでは、食中毒と分かっているのに、原因食品も分かっているのに、保健所に通報していないので、明らかな食品衛生法違反です。カネミ油症が広がった原因は九州大学だとさえ言えます。患者は九州大学を訴えるべきです。食中毒事件なのに食中毒の調査をしていません。だれがカネミ油を食べて、だれがどういう症状があるかという、喫食調査と症状調査という基本調査をやらないで、認定調査会をつくって、1万人を棄却しました。 食中毒事件で認定調査会なんて他に聞いたことがありません。食中毒では、被害者が自分で申請するなどということはありえない。疑いがある人のところに行政が行って聞いてくれます。被害者が自分から認定して下さいとお願いに上がらないといけないという、前例のないとんでもない制度を作りました。熊本大学や九州大学、国、熊本県の大失態です。このことは、私が言い出すまで水俣病関係者も誰も気がつきませんでした。水掛け論をやって、サギまがいの政治解決でごまかされました。 最近私が書いた『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(岩波書店)には、そういういきさつが書いてあります。メカニズムがどうとか、ミクロの遺伝子とかで、はぐらかそうとすればいくらでもできます。日本の医学部は、病因物質や、人間側の原因のDNAとかいう研究ばかりしていて、社会に現実に起こることには役立ちません。重箱の隅つつきばかりやって、そういうものが科学だと勘違いをしています。 ■科学哲学を知らない日本の科学者 科学的なものの見方としては、原子論、要素還元主義、細かいものを分析するという考え、機械論的な見方、これが科学の一つの見方です。もう一つは、起こっている現象のほうから見る現象主義、疫学がそうですが、目に見える部分でこれがこう起こっているから因果関係があるという見方です。前者は確定的な見方、後者は確率論的な見方です。究極の機械論的見方はニュートンの力学ですが、これも元をたどれば現象主義的で、量子力学も現象主義的で、究極にいけば確率へいってしまいます。 日本では機械論的なものだけを科学だと思っています。西欧の科学は二つをバランスよく取り入れることで発達してきました。一方ばかり注目しているといろいろな問題がおこるし、日本のいわゆる科学者というものは機械論的なものだけが科学だと疑ってもいない人がほとんどです。このようなことは科学哲学で、科学者の基礎知識です。欧米の大学の理科系では科学哲学は必須ですが、日本の大学で科学哲学を勉強している人はほとんどいません。 疫学は現象主義の側で、実際に役に立つようにできています。英国のジョン・スノーは1854年にコレラの原因は、下水がテームズ川に放水されているさらに下流で取水していたある会社の水道であるとして、その水道を止めて患者の発生を押さえました。コッホがコレラ菌を発見した1884年の30年も前です。病因物質がわからないと対策がとれないといっていたら、ジョン・スノーのやったことは成り立たないわけです。人類はそういう知恵でずっとやってきているのです。 ■水俣、カネミをゆがめた行政の責任 水俣病は大規模な食中毒事件です。病因物質がわかったといわれるのが1958年ごろ、原因食品が、水俣湾産の魚介類だとわかったのが1956年11月です。ほとんどの本では病因物質のことを原因物質と書いてあり、これで話がややこしくなっています。患者の側も、原因物質が分かったのは1958年ごろだとしています。 食中毒でも公害でも、現地調査がされていないのは水俣病だけです。森永ミルクヒ素中毒事件は食中毒統計に入っているのに、水俣病は入っていません。食中毒患者は一桁まで数えられるので、水俣病もそうすることは可能です。水俣病患者は非特異的だから分からないと言っていますが、食中毒患者も非特異的症状なのだから、分からないという議論はまちがっています。 最初の患者が届けられたのが1956年5月、食中毒と発表されたのが1956年11月。この時点で食中毒事件として流通をやめて回収しなければいけなかった。有機水銀が病因物質と分かっても、結局工場が操業をやめるまで垂れ流しが続けられました。熊本県は食中毒として認識していたのに、国にすら報告していません。鹿児島県は食中毒として報告しています。 何か分からないけれど病気が発生したという時に、原因を突き止めるために疫学で行う調査を「アウトブレイク調査」といいます。原因をいち早く突き止めて、対策をとるためのテクニックです。患者の発生分布図や、時間と人数のグラフを作ります。どういう地域 でどういう人がどういう症状になったかを調べて原因のあたりをつける。これは食中毒では必須の調査ですが、1990年代の病原性大腸菌の事例報告書を集めたら、こういう調査をやっている報告書はほとんどありませんでした。 水俣病のまちがいは、重症の人を普通とみなしたために、軽症の人を不全型としてそこで議論していることです。食中毒は、食べない人と比べて食べた人にどういう症状が多発しているかを見た上で、食べた人に多いから食中毒だと決定するので、不全型というのはありえません。食中毒なのに未認定患者がいるのは水俣病とカネミ油症だけです。二つの共通項は、勝木司馬之助氏が関係していることです。 2001年6月に、水俣病が食中毒とみなされていないのは医者が届出をしていないせいではないかと、私と熊本大の先生とで患者さんを診察したあと、食中毒事件として届出をしました。熊本県と厚労省は反論できずに門前払いをするしかありませんでした。 食品衛生法には医者が届出を怠った時の罰則規定はありますが、行政が調査をしなかった時の罰則規定はありません。地方公務員法違反か、国家公務員法違反には問えると思います。(まとめ 花岡 邦明) 注 国立感染症研究所感染症情報センターのホームページに掲載。 http://zeus.mis.ous.ac.jp/EpiInfo/epiinfoj.html 津田先生の近著 ●『市民のための疫学入門』 緑風出版 2,400円+税 ●『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 岩波書店 2,600円+税 |