1. ダイオキシンは「なんでもない物質」?
『ダイオキシン 神話の終焉』への反論
■NGOは科学的事実ねじ曲げる不逞の輩
今年1月、日本評論社から『ダイオキシン 神話の終焉』という本が出版されました。著者は、東京大学生産技術研究所の渡辺正教授と目白大学人間社会学部の林俊郎教授です。
この本の最大の問題(致命的弱点)は、NGO、市民団体に対して「"詐術"を弄して『科学的事実』をねじ曲げる"不逞の輩"」であるかのように決めつけておきながら、著者らは自分たちの主張を押し通すのに都合のよいデータや情報のみを内外の文献から抽出して、「ダイオキシン猛毒説は妄想」との結論を導き出していることです。
ダイオキシンには、人に対するプロモーター(発がん促進作用)としての発がん作用があることは、国際的な機関が認めている科学的知見です。欧米の各国政府もその前提に立ったうえで、さらに生殖毒性や免疫毒性、内分泌かく乱作用など超微量ダイオキシンの長期摂取による人体影響も考慮して、ごみ焼却炉も含めてダイオキシンの発生源に対して、日本以上に厳しい規制対策を講じていることは否定できない事実です。
とくにアメリカの環境保護庁(EPA)をはじめ食品医薬品局(FDA)や疾病管理センター(CDC)、カリフォルニア州では、日本やWHOが定めている耐容一日摂取量(TDI)よりも数百倍も厳しい実質安全基準値(VSD)を決めているのですが、そのことには全く触れてもおらず完全に無視しています。
■「ダイオキシンで人は死んでいない」と
また、著者はこの本の中で、「ダイオキシンで人は死んでいない」ことを繰り返し強調しています。確かにサリンや青酸カリのように、摂取した直後に急死するという死に方でないのはそのとおりです。しかし、ベトナム戦争で枯葉剤が散布されてから相当の年月が経過し、今では国土の大気や水質、土壌などの環境からは高濃度のダイオキシンが検出されないようになっているにもかかわらず、かつての散布地域の農村ではいまだに早産、死産、流産や先天異常児の出生率が高いという結果が、ベトナムや日本、アメリカなど世界各国の医療機関等による調査結果から判明しています。
このことは、ベトナムに限らず、米軍兵士が帰国後子どもが産まれなかったり(不妊)、早産、死産、流産や先天異常児の出生率がベトナムの農村地域と同様な率であるとの調査結果が明らかになっています。こうした事実にも全く触れていません。
最近では、ベルギーやフランスの焼却炉周辺地域で、施設が稼働してから10年数年近く経ってから、子供のがんや心臓疾患、脳神経障害や先天異常などの発生率が高くなっているとの調査結果が、NGOや政府機関の調査で明らかになってきています。
それから、ダイオキシンが現在の母乳や血液中に検出される程度の低濃度であっても、長期的あるいは子どもたちの発達過程において、環境ホルモン作用によって将来生殖障害等の影響がもたらされるおそれを完全に否定することはできないと思います。
また、低濃度のダイオキシンとその他の有害な化学物質との複合影響も考えておかなければならないと思います。何しろ、日本では、焼却炉周辺地域での長期にわたる住民の疫学調査は皆無といってもよい状況なのです。
■読売新聞に鵜呑み書評
この本が店頭に並ぶようになった直後に、読売新聞が書評で取り上げましたが、その書評を読んで唖然とさせられました。評者は山梨大学の池田清彦教授という方ですが、驚いたことに著者らの主張をそのまま鵜呑みにして「私はダイオキシン騒動のあらましを納得した」とか、「本書の最大の読みどころは、しかし何といっても『ダイオキシン法』が亡国の悪法であることを白日の下に暴いたことだ」とか、「『ダイオキシン法』は国民の健康を守る法律ではなく、一部業者の利権を守る法律みたいだ」など著者らの言い分をそのまま丸飲み込みしているのです。書かれていることの事実関係やそれに対する客観的な評価はまるでないといった、これでも真っ当な書評といえるのか大変疑問の多い内容でした。
■相次ぐ"似非科学批評"
この書評にビックリしている間もなく、今度は東京新聞(中日新聞)の科学欄に「猛毒説は妄想」との大きな見出しつきで、著者の一人の渡辺教授と科学部記者とのやり取りが紹介されました。
東京(中日)新聞といえば、これまでダイオキシン問題に限らず環境問題には比較的力を入れて取り上げてきており、その報道姿勢には定評がありました。しかし、今回の科学部の記事は、これまた著者の一方的な偏った言い分のみを無批判に紹介しているだけで、とてもまともな科学記事とは言えない代物でした。
たとえば、冒頭で、「ダイオキシンは恐竜時代からあったし、その毒性も心配ない。日本の現状は誇大妄想だと警告する」と紹介。インタビューでは「イッキ食いでもしない限り、急性毒性で死ぬことはない」とか「ダイオキシンは山火事でも魚を焼いてもでき、縄文時代から人は摂取している」、あるいは「ダイオキシン法は大失策だ」とか「学校の焼却炉をやめたのも間違いだ」「ポリ塩化ビニールが悪者になっているが、塩ビをごみからすっかり除いてもダイオキシン発生量は変わらない」など、著者の言い分のみが取り上げられています。
本の中で批判されている学者の反論も、科学部としての客観的な見解の解説もなされておらず、とてもまともな科学記事とは思えない内容のものでした。
続いて3月下旬に、毎日新聞が「今週の本棚」で、渡辺教授と同じ東京大学生産技術研究所の藤森照信教授の書評を掲載しました。そのタイトルがなんと「ウソとその上塗りだった危険情報」というたいそうなもので、この評者も読売新聞の池田教授と同様、「どうやら『ダイオキシン法』など、すべてはウソとその上塗りだったらしい」「少なくともテレビや新聞や国会が問題視するような話ではなかった」との著者の考えをそのまま真に受けているものです。
極めつけは、「大本営的統計操作」を行ったとして、NGOや学者の個人名を挙げて批判したうえで、「ここに書かれていることが事実なら、私にはそう思われたが、ずいぶんひどい話である。日本における最初の本格的な科学スキャンダル、環境スキャンダルと後世の歴史家は言うであろう。前期旧石器発掘疑惑とならんで扱われるかもしれない」と断罪。最後に「将来に禍根を残さないためにも、『ダイオキシン法』の見直し(望むらくは廃止)を決断すべきだろう。焚火復活の日は近い」と煽っているくだりです。
これがまともな学者の書く書評といえるのでしょうか。こうした評者に書かせるマスコミの程度も知れるというものでしょう。
■やっと真っ当な新聞論評に出会う
しかし、そのマスコミの中にも真っ当な論評ができる記者がまだ少なからずいるということが、6月6日付けの毎日新聞「記者の目」欄に書かれた小島正美記者の記事を読んでわかりました。その概要は、
「ダイオキシンで問題なのは急性毒性ではない。生殖への影響、脳神経系への影響、免疫系への影響(アレルギー疾患)などの慢性毒性である。99年にダイオキシン類対策特別措置法が成立した背景には、慢性毒性の知見を基に国際的に規制してゆく動きがあった」「米国やオランダなどの動物実験や人の疫学調査によると、通常の人の体内に存在するダイオキシンの10倍前後の少量でも、脳神経系や生殖への影響があるとの報告が出ている。国立環境研究所のラットやマウスで行った最新の研究でも、知能の発達などにかかわる甲状腺の働きが阻害されることが分かった。このの本にはこうした慢性毒性に関する最新情報がほとんどない」「焼却炉からの排出量を削減する動きは、EUや米国など先進国共通で日本だけの話ではない。排出基準値もほぼ同じだ」「水俣病など過去の教訓から、被害が出てからでは遅い。動物実験や疫学調査の知見にもっと謙虚になってもよいのではないか」
この記事を読んで救われたような気がしたのは、決して私一人だけではないと思います。ぜひ一読をお勧めします。
■さいごに
最近、入手した「全国学校家庭クラブ連盟」が出している機関誌の「ゼミナール」欄で、渡辺教授はシリーズ「暮らしと環境問題」の第1回にダイオキシンをテーマに取り上げています。
その文章の一節に「ダイオキシンは、こわがる必要のない、『なんでもない』物質だったのです」「法律までできたから、しばらくは話題にする人もいるでしょうけど、早く忘れていただきたいと願っています」と訴えています。この機関誌は、学校等の教育関係者に送られているものだと思います。東京大学の教授が唱える「ダイオキシンなんでもない説」がたとえ国際的には相手にされない「妄説」であったとしても、教育現場では"真っ当な大学"の"真っ当な学者"の「学説」として通用してしまうのではないかということをおそれています。このシリーズに対して、"真っ当な"反論が教育現場から突き付けられることを強く願っています。
(藤原 寿和)
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