レイチェル・ニュース #825
2005年9月1日
産業界のやり方−疑念を作り出すことで
政府の規制をやめさせる その2

ピーター・モンターギュ
Rachel's Environment & Health News
#825 -- Part 2: Ending Government Regulation by Manufacturing Doubt, September 01, 2005
by Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/6428

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2005年9月29日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_05/rehw_825.html

(2005年9月1日発行)
ピーター・モンターギュ( Peter Montague )

 Rachel's #824 からの続き:1920年代、喫煙者は巻きタバコをcoffin nails(その毒によって 1 本ごとに人を棺の中に追い込むものとの意)と呼び始めた。ほぼ40年後、科学は世間一般の知識に追いついた:1956年、アメリカ公衆衛生局長官はタバコは肺がんを引き起こすと結論付けた。タバコの規制を妨げるために、タバコ会社は有害性を示す科学的研究に疑いを起こさせる策略を用いた。今日、多くの産業化学物質が、多くの病気をもたらし、野生生物の性行動を変化させ、一般的にヒトの健康と自然環境をの破壊をもたらしつつ、毎年、数万の労働者と一般市民を殺しているということは秘密ではない。これに対応して化学産業界は、”作りだした疑い”戦略に磨きをかけ、アメリカの規制システムを無力化している。

データ品質法

 2000年12月、”データ品質法”と呼ばれ短い条文の法律が公聴会や議会での討論なしに712ページに政府の法案中に滑り込んだ。この法はタバコ及び化学産業界のコンサルタントであるジェームズ J. トッジによって起草されたもので[1] 、彼はそれを”規制当局を規制する”ことが意図されていると述べている[2]。クリントン大統領がそれに署名し、2002年10月に発効した。表面的には、このデータ品質法は立派な目的を持っているように見える:それは政府によって用いられ広められる科学的情報と統計の品質のための基準を設けることを政府に求めている。それは科学的情報とデータの”品質、客観性、有用性、そして完全性を確保し最大化する”手順を作ることを求めている。確かによいデータは誰でもが支持する目標である。

 しかし、ビジネス社会はデータ品質法における真に重要なことを認識しており、それは政府のデータの完全性に疑いを向ける無制限の認可を産業側に与え、それにより規制を無期限に無力化するものである。”これは規制分野における最大の仕掛けであり、人々の想像をはるかに超える影響を与える”とアメリカ商務省の環境・技術・規制担当副長官ウイリアム L. コバックスは述べている[3] 。

 データ品質法は行政管理予算局(OMB)によって監視されているが、このOMBは長官がホワイトハウスから直接任命される政策機関である。この法が展開されていくうちに、政府の全ての機関がOMBガイドラインを満たす科学の手順と定義を開発しなくてはならないので、この法は連邦政府内部で科学を政治化していった。OMBは今や、”ガラクタ科学(junk science)”から”健全な科学”を選別する強力な役割を持っている。

 アメリカで2番目に人気のある除草剤アトラジンのケースでは、産業界はEPAはホルモンかく乱を決定するための単一の手順を定義しておらず、したがって、ホルモンかく乱の研究は”再現性”がなく、したがってデータ品質管理法が求める”信頼性”がないので、EPAはデータ品質管理法の下でアトラジンをホルモンかく乱化学物質として規制する権限はないと主張した。

 昔は、科学者らは”再現性”が何を意味するか知っていた。それは実験の設計と方法が、他の科学者がその実験を再現することができるよう十分詳細に記述されていることを意味した。それは問題を研究するためにただひとつの方法が存在することに誰でもが合意しなくてはならないという意味では決してなかった。しかし、データ品質管理法はそれを変えてしまったように見える。EPAはアトラジン産業の主張を受け入れ、内分泌(ホルモン)かく乱性は現時点では法的規制の評価項目として考慮することはできないと結論付けた。10年間の規制論争の後に、アトラジンは市場に残ることを許され、産業界は将来の全ての規制を無力化する強力な新たな方法を得たことになる。

 しかし、データ品質管理法の威力はそこだけに留まらない。データ品質管理法を用いてOMBは、規制を支えるために用いられるかも知れない全てのデータに対し前代未聞の政府規模での”ピアレビュー”システムを確立した。ひとつの研究がピアレビューのジャーナルに掲載されたという事実だけでは、それが規制の目的で使用されるためには十分ではないということである[4,5]。今や、追加的な精査が求められ、したがってデータ品質管理法の範囲を拡大しOMBの権限が科学的情報の政府の使用に影響を与えている。

 しかし、データ品質管理法の威力はそこだけに留まらない。最近、ジム・トッジらの産業グループである規制有効性センターはアメリカ大学教授協会の全てのメンバー及び世界保健機関(WHO)に手紙を送り、産業グループはアメリカ政府に送られてくる品質管理法の下に定義された基準に合致しないどのような研究に対しても正当性を問うつもりであると警告している。個々の研究者にとっては闘争心に満ち溢れ資金潤沢な産業グループとの長々とした科学論争の見通しは、控えめに言っても威圧的に見えるであろう。そのような脅しが、科学的研究が連邦政府規制当局によって考慮されることを損ねる効果を持つことができるであろうか? もちろんその通りである。

 しかし、データ品質管理法の威力はそこだけに留まらない。ジム・トッジは、データ品質管理法は産業界に規制当局に対する法廷での力強い新たな武器を与えると信じる述べている:トッジ氏は、”政府が用意する品質のための物差により、今、規制の批判は、政府機関が恣意的で気まぐれにデータを選択しているということを示しつつ、もっと説得力のある論拠を構築することができる。そのような訴訟は現在までのところ一般的に失敗している”述べている[3] 。

 産業界は現在データ品質管理法に基づく新たな法的戦術を開発している。彼らは同法の下で特定の化学的研究の政府の使用の正当性に異議を唱えようとしており、もし彼らの異議が拒絶されたなら彼らは裁判に訴えようとしている。新しい本『科学に関する共和党戦争(The Republican War on Science" (ISBN 0465046754))』の著者であるクリス・ムーニーは最近、”会社が彼らの”データ品質”に関する異議を拒絶する機関を訴えることができるかどうか、それによって個々の研究を法廷に持ち込めるかどうかはアメリカ塩協会と商務省の訴訟(訳注)の核心における法的論点問である。もしその訴訟の裁判官が先例となる意見を書けば、そしてもし上級裁判所が合意すれば、科学的分析に対する企業の訴訟を主とする全く新たな一連の判例が現れるであろう”と書いている[5]。
(訳注:米国人の食塩摂取量低減への勧告に関する訴訟か?)

 結局、これらの戦術の目的は不確実性と疑いを作り出すことで規制当局を無力化することである。最近、”科学的アメリカ人(Scientific American)”での記事で、デービッド・マイケルズは、”大きなビジネスのために不確実性を強調することはそれ自身が大きなビジネスとなっている ”と観察している[6]。マイケルズはテキサスの記者に、”危険な製品と汚染物質を製造している企業等は、方程式に作り出された不確実性を加えることで、規制のプロセスが進展することを本質的に止めることができる”[7] 。

 マイケルズはクリントン政権時代、アメリカエネルギー省(DOE)の環境・安全・健康担当の副長官であった。彼の”科学的アメリカ人”の中の ”疑いは彼らの成果” という記事で、マイケルズはエネルギー省が連邦政府の核労働者が高度に有毒な金属であるベリリウムへの曝露から守るためにいかに規制を10倍に強化しようとしたかについて述べている。そして彼は、民間産業労働者の健康と安全を保護するための機関である職業安全衛生局(OSHA)が1998年にいかに新たなより強化された基準を採用する意図を述べたかについて語っている。しかし3年後にOSHAはより強化されたベリリウム規制を立法化する取り組みを断念した。

 マイケルズはOSHA問題を次のように述べている:

 ”大量に製造される(年間100万ポンド(4,540トン)以上)3,000種以上の化学物質のうち、OSHAは500以下の化学物質に対してしか曝露限界を設定していない。過去10年間、OSHAは総計2化学物質のみ新たな基準を発行したが、他の大部分は、OSHAが設立された1971年以前に設定された自主的基準によって現在も規制されているが、それらはOSHA設立時にそれ以前のものを無批判に変えることなく採用したものである。新たな科学はそれらになんら影響を及ぼしていない。私は、歴代のOSHA長官は新たな基準を確立することは時間と人手がかかり、産業界からの画策された反対が避けられず、OSHAの限られたリソースを振り向ける価値がないと考えただけに過ぎないと結論付けている[6] 。”

 言い換えれば、企業は、規制当局を効果的に無力化する法と規則によって”規制される”ことに成功した。化学物質の規制は効果的に止められた。規制システムは現在、集団的な危害に対する対応をを狭く定義し制限するという意味で、産業ではなく環境保護者を規制している。環境主義者の対応を産業が定義した行為に向けることで、規制システムは環境主義者を完全に予測可能にし、したがって管理できるようにした。

 しかし、全てが失われたわけではない。政府の規制を終わらせるという産業側の戦略にはアキレス腱がある。戦略全体は、科学が不確実である時には我々は有害性が科学的確実性をもって証明されるまで対策を採るべきではない(business as usua)という前提に立っている。予防原則はこの前提をひっくり返し、”科学的不確実性はあるが、しかし危害の証拠がある時には、我々にはその危害を防ぐために予防的行動をとる義務がある”と述べている。もし、予防原則が採用されるなら、産業界が精巧に作り上げている政府を無力化するための戦略は崩壊するであろう。

 このことが、化学産業界とブッシュ政権が協力して、予防原則の信用を落とし、悪霊として描き、脱線させるためのキャンペーンを実施している理由ではないのか?

 地方の法に予防原則を導入すること−そして恐らくもっと重要なことは企業憲章に導入することは人々と金の間の力のバランスを根本的に変えるであろう。これはなんと価値のある戦いであろうか!

(予防原則の展開とともに、join-rpr-html@gselist.orgにブランクメールを送ることで我々の新たなレイチェル予防報告者(Rachel's Precaution Reporter)に無料申し込みをしてください。折り返しあなたが参加を望んでいることを確認するメールが届くでしょう。)

ピーター・モンターギュ

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[1] Andrew Schneider, "EPA warning on asbestos is under attack," St. Louis (Mo.) Post Dispatch Oct. 26, 2003. [CHECK DATE]

[2] Adrianne Appel, "Federal 'Junk Science' Rule Draws Fire," Boston Globe Dec. 23, 2003, pg. C4.

[3] Andrew C. Revkin, "Law Revises Standards for Scientific Study," New York Times March 21, 2002.

[4] Jocelyn Kaiser, "How Much Are Human Lives and Health Worth?" Science Vol. 299 (March 21, 2003), pgs. 1836-1837.

[5] Chris Mooney, "Op-Ed: Interrogations," New York Times August 31, 2005.

[6] David Michaels, "Doubt is Their Product," Scientific American Vol. 292, No. 6 (June 1, 2005), pgs. 96-101.

[7] Jeff Nesmith, "New product for U.S. industry: 'manufactured doubt'," Austin (Tex.) Statesman June 26, 2005.


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