レイチェル・ニュース #823
(2005年8月4日
都市伝説: ペルーのコレラ流行を予防原則のせいにする
ピーター・モンターギュ、ティム・モンターギュ
Rachel's Environment & Health News
#823 -- Urban Legend: Precaution and Cholera in Peru, August 04, 2005
Peter Montague and Tim Montague
http://www.rachel.org/bulletin/index.cfm?issue_ID=2509

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2005年10月11日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_05/rehw_823.html

(2005年8月4日発行)
ピーター・モンターギュ、ティム・モンターギュ( Peter Montague and Tim Montague )

 ”予防原則”に関心を持つ人は誰でも、予防が1991年にペルーでコレラの流行を引き起こしたという物語を聞いたことがあるはずである。この物語は真実ではなく、1992年に正しくないことが明らかにされたが、その物語がその後も繰り返し尾ひれをつけて語られた。今ここに”都市伝説”の一部始終を明らかにする[1] 。

訳注:”都市伝説(Urban Legend)”とは通常の伝説と異なり、実際に最近あったこととして語られ、地名や組織名が示され、そのことを見た人がいるとされ、人々の恐れや懸念を物語の形にする。(解説:Urban Legends Reference Pages / Glossary

予防原則

 我々の読者は既に知っているように、予防原則は危害を最小にするための決定を行う現代的な方法であり、それは次のように5項目にして記述できる。

  1. 公開され参加型プロセスによって目標を設定すること
  2. 最も危害の少ない方法が選択されることを期待して、その目標を達成するための全ての合理的な方法を検討すること
  3. 不確実性に向き合い、自然、公衆の健康、及び地域の安寧のためになるよう、立証責任を移行すること
  4. 結果を監視し、早期の警告に気をつけ、必要なら危害を防ぐためのさらなら措置をとること
  5. 終始、その決定によって影響を受けるであろう人々に発言させ、その知識を敬うこと
1991年のペルーでのコレラ

 1991年、ペルーでコレラの流行がが起きた。コレラはペルーでよく発生するものではなく、1867年の流行以来のものであった[2]。それにもかかわらず、コレラは強力な人殺しの病であり、公衆衛生専門家にはよく知られており、誰もそれを軽視するものはいない。コレラは、高熱、激しい腹痛、そして下痢を伴い、水分を補給しなければ脱水状態で患者は容易に死亡する。

 コレラは飲料水供給系に殺菌剤を投入することで防ぐことができる。塩素は、コレラを引き起こすビブリオ・コレラ菌等の細菌を殺すために公共水道に加えられる最もよく使われる殺菌剤である。しかし、塩素添加した水はがんを引き起こすトリハロメタンと呼ばれる塩素化副生物を生成する。人口が3億人に達しようとしているアメリカでは、塩素化副生物によって毎年700症例のがんが発生していると見積もられている[3]。 一方、コレラは、もし流行が始まれば、直ぐに数千人が死亡することがある。

ペルーで予防がコレラの原因となったという都市伝説

 ”ペルーで予防がコレラの原因となった”という都市伝説は次のような」ものである。1981年、ペルーの衛生当局は予防的措置として塩素化副生物による危険ながんの発生を防ぐために飲料水への塩素添加を止めた。このことにより、飲料水がコレラの発生をもたらし数千人のペルー人が死亡した。この伝説は、”リスク評価が間違っていた”例として取り上げられている[4] 。言い換えれば、ペルーの公衆衛生当局はこの二つの危険を勘案し悪い方を選択した。彼らは小さな問題を避けるために塩素添加システムを止め、その結果もっと大きな問題を引き起こした。これが伝説の顛末である。

 予防原則の反対者ら−主に化学産業界の友人−は”ペルーのコレラ”をとらえて、あらゆる機会にそれを話し、そして話を曲げて吹聴した。

 2001年、スタンフォード大学教授であり予防原則の執拗な反対者ヘンリー I. ミラーは、”ペルーのコレラ”伝説を次のように詳しく述べた。

 ”1980年代後半までに、急進的な環境主義者らは世界中の水当局に飲料水に添加された塩素からの発がん性の副生物は潜在的な危険性を有するということを信じさせようと試みていた。財政難にあったペルー政府の当局はそのような根拠のない主張を同国の多くの飲料水への塩素添加をやめる根拠とした。このことが1991〜1986年のラテン・アメリカのコレラ流行の加速と蔓延に寄与し、130万人以上の罹患者のうち少なくと11,000人が死亡した”[5] 。

 2004年、アメリカ塩素化学協議会理事C.T. キップ・ホーレットは、”ペルーのコレラ”伝説を次のように作り変えて話した。

 ”ペルーでは1990年代の初めに公衆衛生当局が反塩素キャンペーンに対応して彼らの飲料水への適切な塩素添加を止めた。その結果は予想できるもので身の毛のよだつものであった。数ヶ月の間にコレラ流行が国中を席巻し、最終的に130万人が罹患し13,000人が死亡した”[6] 。

 ”ペルーのコレラ”の物語は全く単純な誤りであったことが分かっており、科学者らは1992年以来、それは間違いであったということを知っていた。それなのにまだ、ヘンリー・ミラーやキップ・ホーレットのような学者や予防原則をおとしめようとしているその他の多くの輩はこの話を繰り返し続けている。我々が見て分かるとおり、これらの学者らは意図的に虚言を繰り返しているのか、あるいは彼らは学問的方法論が粗末で欠陥があるのかーのどちらかであると結論付けることができる。

 ”ペルーのコレラ”物語はイギリスの雑誌『ネイチャー(Nature)』に一頁のニュースとして1991年11月に発表されたものである。その報告書は(現在は不正確であることが判明しているが)次のように述べている。”1980年代に地域の水当局は、塩素ががんを引き起こす可能能性があるというEPAの研究を引用してリマの井戸の多くへの塩素添加を止めることを決定した”。リマはペルーの首都でペルー最大の都市である。『ネーチャー』の報告者は、塩素副生物によるがんの危険性は低いが、もしその水がビブリオ・コレラ菌を含んでいるなら飲料水によるコレラの危険性は高いので、これは”リスク評価が誤っていた”謹厳な事例であると断言している。

 それから8ヵ月後に、アメリカとペルーの科学者らがイギリスの医学誌『ランセット(Lancet)』にペルーのコレラ流行の調査を発表して、ネーチャの記事が間違っていることを暴いた[7] 。とにかく『ランセット』は医学界では学問的に権威があり、そこに発表された記事は多くの読者に読まれている。

 1992年のランセット調査の主著者はデービッド L. スワードローであり、現在はアトランタのエモリー大学に在職している。ランセットはスワードローの調査を論説で取り上げハイライトした[3] 。その論説は次のような記述で始まっている。”この件に関するスワードローと同僚らの報告は1991年にペルーで始まったコレラ流行についての二つの風説に終止符をうつことになるであろう。”さらに続けて、”昨年『ネイチャー』誌のニュース記事として報告された二番目の風説は、ペルーの多くの水供給への塩素添加が行われなかったのは当局の意図的な決定であり、それは塩素が水中でトリハロメタンを生成する有機物質と反応することにより、わずかながんリスクを引きこすかもしれないということを示す米環境保護局の研究に基づくものであったということである”。  言い換えると、『ランセット』は1992年に、コレラの発生は衛生当局による意図的な決定の結果ではないと明確に言い切っている。それなのに、ヘンリー・ミラーは2001年に、その流行はペルー当局の塩素添加の”停止”によって引き起こされたと述べており、キップ・ホーレットは2004年に、コレラの流行はペルー当局の”適切な塩素添加の停止”によって引き起こされたと述べている。

 ミラー教授はさらにペルー当局は”国中の多くで”塩素添加を停止したと主張してこの伝説を脚色しているが、『ネーチャー』の元の記事では当局は”リマの多くの井戸への塩素添加を停止する決定をした”といっているに過ぎない。ミラー博士の博学は伝説が繁茂するのを助長する栄養豊富な有機肥料を作り出した。

 スワードローの調査はペルーのコレラ流行の原因はミラーやホーレットが我々を信じさせよとしたことよりもはるかに複雑なものであった。スワードロー調査が特定した原因のいくつかを下記に挙げる。

  1. 塩素添加システム(又はその他の殺菌システム)がペルーのほとんどの水供給にない
  2. 人々は自分の家に水を引き込むために給水本管にパイプをこっそり差し込み、裂け目を紙とプラスチックでふさぐので、細菌が給水本管に入り込むことがある
  3. 地域の農民は野菜畑(キャベツ、レタス、にんじん)の灌漑のために不法に下水管にパイプをつなぎ未処理下水で灌漑する
  4. (ポンプ停止時あるいは停電時に)水圧が下がる又はなくなり、給水本管に汚染物が逆流する
  5. 多くの共同体には下水処理システムがない
  6. 貧困者層の地域では給水が断続的又はないので多くの所帯では樽に水をためておくが、多くの人々が水を汲むために手や腕を樽の中に入れるので細菌が家族に広がる
 たとえペルーのコレラの虚偽の物語が1992年に『ランセット』によって曝露されても、この伝説は予防原則に反対する人々には好都合であり、そのまま生きながらえた。我々が見たように、主導的学者やイデオロギー的反対者が新たな虚偽で飾りつけて作り話をした。

 2005年6月に『ペルーでコレラを引き起こした予防』という新たな研究が『リスク・アナリシス(Risk Analysis)』誌に発表された[8]。その中で、著者ジョーエル・ティックナーとゴウベイア・ビジェアントは、ペルー当局が予防目的で又はその他の理由で実際に塩素添加を止めたかどうかを明らかにするために大変な努力を行った。彼らはそのようなことが行われたという証拠を見つけることはできなかった。

 この新たな研究は1991年のペルーのコレラ流行を引き起こした条件の我々に対する理解に少なからぬ新たな情報を加えた。そもそもの始まりはペルーではしばしば生で食べる魚からの汚染であったかも知れない。そして、地球温暖化もまたペルー沿岸の水がビブリオ・コレラ菌が繁殖し増殖する条件を作り出していたかもしれないように見える。

 コレラがひとつの集団で発生すると、貧弱な衛生設備が疑いなく流行の主要な原因となる。例えば、数千人のコレラ患者が治療を受けたイキトス市内のひとつの病院では、未処理排水をべレン川の市の飲料水取水口上流に放流した。(いくつかのアメリカの市でも同様に下水配管と取水配管との無神経な関係見ることができるが、彼らは水を消毒して細菌を殺してから取水している)。

 ティックナーとゴウベイア・ビジェアントは、リマの水処理システムの長はコレラのリスクに比較して塩素副生物について何も心配しておらず、彼はリマの水への塩素添加の停止など決してしていなかった。事実、ペルー当局は、個々の家庭が飲料水の殺菌のために塩素剤を使用することとともに、水供給システムへの塩素添加を積極的に推進していた。最終的には19の他のラテンアメリカ諸国にまで広がった1991年のペルーのコレラ流行は、水供給システムの微生物による汚染という既知の危険を管理することができなかった不適切な公衆衛生基盤によって引き起こされた。

しかし、もしこの伝説が真実であったとしたどうするか?

 最後に、我々自身に問うてみよう。もしペルー当局が塩素副生物によるがんを防止するために水供給システムへの塩素添加を止めていたとしたら、このことは予防原則が意思決定手法として悪いものであるということを示すことになるのであろうか?

 そのようなことはない。それは人間は間違いを犯すということを示しているだけで決して採用する意思決定の手法の問題ではない。問題は意思決定の手法が誤りを検出することができでき、修正することができるかどうかである。予防的アプローチは両方ともに行うことができる。

 たとえ誰かが予防的アプローチを用いて悪い決定をしたとしても、目標を設定して、その目標を達成するために全ての可能性ある代替案を検証し、最も有害性が少ない方法を選びつつ、危害を避けよう試みたことはやはり良い考えである。もし、最も有害性の少ない方法を選択する上で判断に誤りがあったなら、用心深い監視と追跡が誤りを検出し、自然に元の決定に立ち戻るであろう。

 要するに、判断の誤りで、がんの危険を避けるために水への塩素添加システムを止めてしまった後、コレラが広がっていることを観察したなら、水への塩素添加を直ぐに再開するであろう。予防的アプローチは人間の誤りに対して頑丈であり、不確実な条件の下で意思決定を行うために実際的な手法である。


[1] For a definition of an urban legend, see http://www.snopes.com/info/glossary.asp

[2] Imogen Evans, "Cholera on the Rocks," Lancet Vol. 341, No. 8840 (Jan. 30, 1993), pg. 300. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=539

[3] Lancet Editors, "Of Cabbages and Chlorine: Cholera in Peru," Lancet Vol. 340, No. 8810 (July 4, 1992), pg. 20. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=543

[4] Christopher Anderson, "Cholera epidemic traced to risk miscalculation," Nature Vol. 354 (Nov. 28, 1991), pg. 255. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=540

[5] Gregory Conko and Henry I. Miller, "Precaution (Of A Sort) Without Principle," Priorities for Health Vol. 13, No. 3 (Nov. 1, 2001), unpaginated. Available on the web site of the Competitive Enterprise Institute (http://www.cei.org/gencon/019,02243.cfm) and at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=544

[6] William Schulz, "The many faces of chlorine; Howlett and Collins square off about one of the most evocative chemicals," Chemical & Engineering News Vol. 82, No. 42 (Oct. 18, 2004), pgs. 40-45. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=542

[7] David L. Swerdlow and others, "Waterborne Transmission of Epidemic Cholera in Trujillo, Peru: Lessons for a Continent at Risk," Lancet Vol. 340 No. 8810 (July 4, 1992), pgs. 28-33. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=541

[8] Joel Tickner and Tami Gouveia-Vigeant, "The 1991 Cholera Epidemic in Peru: Not a case of Precaution Gone Awry," Risk Analysis Vol. 25, No. 3 (June, 2005), pgs. 495-502. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=545



化学物質問題市民研究会
トップページに戻る