レイチェル・ニュース #790
2004年4月29日
予防原則に対する批判に答えて−その2
ピーター・モンターギュ
Rachel's Environment & Health News
#790 -- Answering Critiques of Precaution, Part 21, April 29, 2004
by Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/6463

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2004年5月4日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_04/rehw_790.html

(2004年4月29日発行)
ピーター・モンターギュ( Peter Montague )

 前号で、我々は予防原則に対する批判のいくつかに対して回答することを始めた。もちろん、我々の回答だけが可能な答というわけではない。予防原則は意思決定における新しい方法であり、徐々に ”旧来のやり方” にとって替わりつつある。”旧来のやり方”がどのようなものであったかの一つの例えを挙げよう。
 誰かが冷蔵庫クリーニング用の新しい化学物質を開発する。彼らはその化学物質について ”リスク評価” をし、それは人間と環境に対して及ぼす危害は”許容できる”ものであると決定する。彼らはその化学物質を商品化し、広告によりその化学物質のニーズを作り出し、金儲けをする。彼らはその化学物質の影響を調査したくないという強い気持ちがあるので、問題の兆候の最初の報告は市民からなされるが、初期の報告者はあざ笑われ、否定され、”がらくた科学”の烙印を押される。20年後、その化学物質製造者は (市民が正しかったということは口にも出さず)、大きな改善がなされ、 ”許容できる ”危害しか及ぼさないと称して新たな冷蔵庫クリーニング用化学物質を導入する。彼らのリスク評価がそれを証明している。このようにしてメリーゴラウンドは回り続ける。

 予防原則では、 「目標は何か?」 と問うことから始める。目標はきれいな冷蔵庫。 「この目標を達成するために最も危害を及ぼさないやり方は何か?」 この問いにより、冷蔵庫のクリーニング方法についての代替案を検証し、最も害のない方法(恐らく、酢を水で薄めたものや石けん水が含まれる)を探すこととなる。何よりも重要な目標は人間や環境に ”許容できる” 危害を及ぼすことではない。主要な目標はできる限り危害を避けることである。最も害の少ない方法が選択されたなら、その決定に不備があるといけないので(つねに可能性)、監視が続けられる。

 予防に対する批判についての回答を続けよう。

批判 #7:予防原則は価値観と感情に基づいており、科学的ではない。

回答 #7:
 我々がすることは全て価値に基づいている。もちろん予防原則は価値に基づいているが、旧来のやり方でも同じである。この2つのアプローチは異なる価値を強調しているに過ぎない。

 予防原則は価値についてはっきりとさせている。人間とエコシステムを守ることであり、それを前面に表している。 ”旧来のやり方” は、短期的で個人的な利益に価値があるとすることを覆い隠すために科学的不確実性を用い、行為の長期的、社会的、環境的結果を無視することで、価値を ”科学” の後ろに隠そうとする。

 科学さえ価値を前提にして始まる。科学的調査(scientific inquiry )では常にあるひとつの質問から始まるが、科学者が質問しようと選択するものは、重要であるとすることに関する特定の価値、特定の前提から生じる。[1]  従って科学も予防原則も、この世の全てと同じように、価値がまず最初にある。[2] これは悪いことではない。実際にこれを逃れる方法はない。価値を明らかにすることは何が実際に起こっているのかを人々が理解するのに役立ち、市民としての我々の選択を明瞭にする。

 予防原則の主張者は科学を阻止することは断じてないが、他の種類の知識を阻止することもしない。この世は科学だけが万全ではない。他の種類の知識もまた意思決定にあたって有用である。歴史的知識、ビジネスでの知識、霊的知識、地方の知識、集団の知識、文化的知識、芸術的知覚、などが意志決定者に対し、価値ある情報提供の役割を果たす。

 科学は何が社会にとってもっとも最良であるかを示すことはができない。科学的専門家は価値ある情報を提供することはできるが、政治的目標を設定する及び公共の政策を決定することについて、科学者が特別の専門性を持っているわけではない。欧州環境庁が言っているように、 ”科学は蛇口(tap)であるべきであり、最上位(top)ではない”。我々市民は我々が真に欲しているもの (我々の目標) を決定し、入手可能な全ての関連情報を考慮に入れ、賢い意志決定者となるよう最善をつくさなくてはならない。

 どういう人々が賢い意志決定者であろうか?

  • 決定したことの実施結果を進んで監視し、過去の選択結果から学ぼうとする人々
  • 定期的に過去の実施結果を見直し、再評価を行い、必要があれば政策を修正する人々
  • うまくいかなくなったら方向転換できるような決定に賛同する人々
  • 未知の分野に全面的に関わる前に実験し学ぼうとする人々
  • 着手する前にコストと便益の双方を検討しつつ、全ての可能な代替案を検討する人々
  • 疑問が提起され目標が設定される時に、初期の段階から決定に影響を受ける団体を参画させる人々
  • 将来の世代に、我々自身が負担すべきコスト (又は機会減少) を強いていないかを問いつつ、全ての決定に世代間の公平を考慮する人々
  • その決定により正義と公正が強化されるかどうか問う人々
  • その決定が地域内で及び地域間で不公平を増大させる又は減少させるかどうか問う人々
  • その決定が我々の中の最も脆弱で弱い人々にどのような影響を与えるかを問う人々
批判 #8:予防原則は先例のない又は合法性のない新たな政府の役割を想定している

回答 #8:
 むしろ、政府は、公共の信託を守るために予防的措置を採るべき昔からの法的義務を負っている。

 公共信託原理(Public Trust Doctrine)はローマ法の昔からイギリス法を通じて、アメリカの初期 13植民地に、そして現在は全州に伝わる法原則である。[4]

 公共信託原理によれば、君主 (我々の場合は州政府) は、空気、水、野生生物、公衆の健康、遺伝的遺産、等、我々全てが継承し共有し、誰も個人では所有しない共通の財を保護するために、避けることのできない義務 (否定したり放棄することのできない義務) を有している。[4]

 被信託人として政府は公共の財産 (自然と人間の健康) を信託受益者 (現在及び将来の世代) のために守らなくてはならない。政府は、信託受益者自身による有害な行為から信託財産を守る義務があり、時々、現在と将来の世代のために共通の財を守るために個人の財産の特権に対し何らかの制限を加えなければならない。

 公共の信託を守るためにその義務を実施するに当たり、政府は危害を予測して差し迫る脅威からその信託を守るよう先を見越す義務がある。[5]  もし政府が、危害が実際に実証されるまで待つならば、それでは遅すぎ、信託財産は損傷を受け、政府は被信託者としての義務を果たさないことになる。

 予防原則は、政府が公共の信託を守り、危害を予測して避けるための責任を果たし、予測し、先んじる方法を提供するものである。

批判 #9:リスク評価は控えめな前提に立っており、従って、我々が必要とする全ての ”予防” を実現している。

回答 #9:
 リスク評価は通常、唯一つの選択肢だけを検証し、広範な代替案についての検証は行わない。従って、リスク評価では予防原則における基本的な質問 ”我々は、我々の目標を達成しつつ、危害をどのように最小とすることができるか?” を問わない。

 環境と健康リスクに関する基本的なデータはしばしば入手できないことがあるので、リスク評価者は専門家としての最良の判断と 推定で置き換える。さらに、リスク評価者は、知られていないもの又は知ることのできないものに対しては ”不確実性係数” として10 又は 100 又は 1000 を適用して補正しようとする。その結果、二人の等しく力量のあるリスク評価者が同じ基礎データを用いてリスク評価を行っても、かなり異なった結果になりうる。[6] 関係者によるリスク評価の相互検討で不一致の範囲を狭めることはできるが、それでもリスクの評価は、誰がリスク評価を行うかによって大きく変わってくる。
 初代のアメリカ環境保護局長官ウィリアム・ラッケルシャウスは1984年に 「リスク評価データは捕らえられたスパイのようなものであるということを覚えておくべきである。十分拷問にかければ、あなたが望むことを何でも言うようになる」 と述べた。[7]
 従って、単一の選択肢のリスク評価は予防的ではない。事実、リスク評価はしばしば、危害をどの程度防ぐことができるかを知ろうとせず、ある程度の危害なら正当化できるということを主張することだけに用いられる。
 さらに、必要とする情報を生成する責任は社会にリスクを及ぼそうとする団体にあるということを受け入れるのではなく、あたかも当て推量が真の知識を適切に置き換えることができるかのように、しばしば、リスク評価者が ”不確実性係数” を適用することによって、基礎データの不足部分を補おうとする。
 このようなことは世界のどこでも予防的とは言わない。

 リスク評価は、全てのありうる選択肢についてリスク及び便益を評価することにより予防的意思決定プロセスの中である役割を果たすに違いない。したがって、リスク評価者の仕事は、多くの他のことがらとともに、意志決定プロセス中にあると考えられる。

批判 #10:予防は安全性の証明を求めるが、それは不可能である

回答 #10:
 予防は安全性の証明を求めていない。リスクの生成者がその行為によって生じうる危害の評価をするために必要な情報を集めるために最善の努力を求めているのである。その努力は公開され全ての影響を受ける団体による事前検証を受けなくてはならない。
 それはまた、結果に関し地域の関与を受け入れることを要求する。それは、行為の展開にそって監視が進められ、報告が公開されることの約束と、結果として起こるどのような危害に対しても支払い、必要に応じて改善する責任があることに同意することを要求する。

 しかし、どのような特定の企業も、 ”結果として起こるどのような危害に対しても支払い、必要に応じて改善する責任があることに同意すること” に対する財政的約束に基づき、補償することができるという保証はない。もし、スパーファンド計画が何か教訓を与えるとしたら、それは大企業でさえ、彼らが引き起こした問題を改善するためのコスト負担に耐えることはできないと主張するということであろう。

 金銭的に信頼できない企業を思いとどまらせ、 ”汚染者支払い(polluter shall pay)” の原則を制度化するために、生態経済学者ロバート・コスタンザは、 ”予防・原則・汚染者・支払い( precautionary principle polluter pays )” (4P) 保証約定(assurance bond)を提案した。[8, pgs. 209-215.] この 4P アプローチでは、新たな技術、プロセス、又は化学物質が導入される前に、最悪の危害を金額で見積る。そして、新たな行為の提案者はその行為に着手する前に全額の補償金を供託することが求められる。

 そのような、 ”保証金制度” は今日、建設産業では仕事を期限内に完了させ、安く上げ公衆の健康を危険に曝すような資金的に信頼の置けない企業を建設ビジネスから締め出すために、当然のこととして行われている。

 ”4P” 保証金制度は立証責任、すなわちその行為が当初想定されていたより危害が少ないということを示す情報生成責任を行為の提案者に効果的に移行する (又は、危害が明白になってきたら、供託金の一部を没収することで改善のために支払う)。

”4P” 保証金制度はまた、提案者に、例えば本質的に安全な代替案を採用することによって、最悪の危害を削減するための強力な金銭的動機付けとなる。

批判 #11:我々の先人がしたよりもよいことをしているのだから新しい方法でやる必要はない。我々でさえ、我々が一年前にしたことよりもよいことをしている。我々は古い技術が汚染したほどには汚染をしない新しい技術を持っている。

回答 #11:
 問われているのは、先人よりもよいことしているかどうか、又は、自身が昨年したことよりよいことをしているかどうかということではない。問題は、人間の健康と環境を守るために最善を尽くしたかどうかということである。予防的取組み手法は、最も危害の少ない方法によって、あなたがあなた自身の目標、そして地域の目標を達成したいと望んでいるといるということを前提にしている。予防は、あなたが標準に達するかどうかを知るための一つの方法を提供するものである。

ピーター・モンターギュ(Peter Montague)

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[1] David Kriebel and others, "The Precautionary Principle in Environmental Science," Environmental Health Perspectives Vol. 109, No. 9 (Sept. 2001), pgs. 871-876. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=170

[2] Nancy Myers, "The Precautionary Principle Puts Values First," Bulletin of Science, Technology and Society Vol. 22, No. 3 (June, 2002), pgs. 210-219. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=188

[3] Donald Ludwig, Ray Hilborn and Carl Walters, "Uncertainty, Resource Exploitation, and Conservation: Lessons from History," Science Vol. 260 (April 2, 1993), pgs. 17, 36. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=201

[4] Peter Manus, "To a Candidate in Search of an Environmental Theme: Promote the Public trust," Stanford Environmental Law Journal Vol. 19 (May 2000), pg. 315 and following pages. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=234

[5] James T. Paul, "The Public Trust Doctrine: Who Has the Burden of Proof?" Paper presented July, 1996 in Honolulu, Hawaii, to a meeting of the Western Association of Wildlife and Fisheries Administrators. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=190

[6] See Rachel's #420 at http://www.rachel.org/bulletin/index.cfm?issue_ID=705

[7] Ruckelshaus, W. Risk in a Free Society. Risk Analysis. 1984; 4(3):157-162. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=361

[8] Robert Costanza and others, An Introduction to Ecological Economics (Boca Raton, Fla.: St. Lucie Press, 1997). The "4P" bond was described in Rachel's Environment & Health News #510, available at http://www.rachel.org/bulletin/index.cfm?issue_ID=613 . See also http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=310



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