レイチェル・ニュース #777
2003年9月4日
痴呆症の起源−その2
(後年の神経退行性疾病は年少期の環境に起因する)

サンドラ・ステイングラバー博士(注*)
#777 -- Origins of Dementia, Part 2, September 04, 2003
by Sandra Steingraber, Ph.D
http://www.rachel.org/?q=en/node/5699

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年10月9日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_777.html


2003年10月1日発行

 前号のレイチェルニュース#776に続き、後年の痴呆症の原因となるかも知れない年少期の出来事について検証する。

 2003年5月29日、ニューヨークにあるマウント・シナイ医学校は、パーキンソン病やアルツハイマー病などを含む後年の神経退行性障害の年少期における環境的原因に関する重要な会議を開催した。国立科学アカデミーの科学者で、ホワイトハウスに子どもの鉛中毒からガルフ湾戦争症候群にいたるまで幅広くアドバイスを与えている高名なフィリップ・ランドリガン博士を議長とするこの集まりには全国から指導的研究者が参加した。発表者には、神経学者、物理学者、毒物学者、小児科医、疫学者、産科医、遺伝学者などが含まれていた[1] 。  レイチェルニュース#776で我々は、会議で発表された内容のいくつかに基づき、後年の痴呆症について環境的観点からの概念的根拠を検証した。今週、我々はその証拠について検証する。しかし最初に、病気の原因論として最近注目を浴びてきているバーカーの仮説についてもう少し詳しく調べてみることにする。

 イギリスの疫学者デービッド・バーカーは一連の研究の中で、年少期に受けたストレスが後年ある病気を発症させる要因となりうるということを発見した。彼はそれを16,000人の出生から老年にいたるまでの医学的履歴を丹念に調べることで成し遂げた。彼が発見したことは出生時体重と後年の心臓疾患、脳梗塞、及び糖尿病との間の印象的な関連性であった。生まれたときに体が小さいほど、後年、これらの病気に罹るリスクが大きくなる。さらに彼は、妊娠中に適切な栄養を摂取しないと、早産よりもむしろ、後年のこれらの病気のリスクを高めるとした。

 バーカーはまた、病気に対する感受性を高める解剖学的及び生理学的なメカニズムを解明した。例えば、栄養不足の胎児の脳への血流は増大し、大動脈からの血流が減少する。これは栄養やカロリーが不足した時に脳の発達が妨げられることを防ぐためである。エラスチン(弾力素)析出が起きる時に胎児の血流がこのようになると、血管の柔軟性がない赤ちゃんが生まれる。(たんぱく質エラスチンは弾力性のある動脈壁を作る。)さらに、この大動脈から脳への血流が増えることで、心臓心室が通常よりも大きくなる。また、脈拍数が高くなる。脈拍数の増加、心室の肥大、そして動脈の硬化はどれも後年の高血圧症と心臓発作のリスク要因である[2] 。

 このようにベーカーの仮説は、後年の病気のリスク要因が遺伝形質ではなく、初期の環境によって”組み込まれる”とするものである。

 ある器官については、この環境による組み込みが小児期にまで及ぶことがある。よく知られているように、人間の暑い気候に適応できる能力は人によって大きく異なる。ある人は暑さを好むし、ある人は寒さを好む。暑さに耐えられる個人差は各人が持つ汗腺の数によることが知られている。汗腺がたくさんある人は速く体温を下げることができる。しかし遺伝子はこの個人差には関与していない。生まれた時には、人は同じような数の汗腺を持っているが、まだどれも機能していない。生後3年の間にこれら汗腺の一部が機能するようになる。日本の生理学者が報告しているように、汗腺が機能する割合は子どもが過ごした周囲の気温に依存する。気温が高ければ高いほど機能する汗腺の数が多くなる。生後3年でこの組み込みプログラムは固定され、気温の変動があっても機能する汗腺の数には影響を与えず、それが終生の機能する汗腺となる[2] 。

 このベーカーの仮説は、パーキンソン病やアルツハイマー病のような後年の神経退行性障害について何を示唆するであろうか? 会議の参加者たちが熱心に考えたこの疑問に答えることは難しい。若年成人の間の精神障害である精神分裂病は胎児期の環境にその原因があることはほとんど間違いない[3] 。
 対照的にパーキンソン病やアルツハイマー病は死後、解剖してみないとはっきりその病気であることの診断を下すことができない。そして、ある種の痴呆症は明確な病気として一律に分類することができない。
 例えば、ローウィー・ボディ痴呆症はアルツハイマー病に次ぐ第2位の痴呆症である。この病気は幻覚や妄想が特徴である[4]) 。そして、広く発症が及んでいるにもかかわらず、医者の診断基準は一様ではない。ローウィー・ボディ痴呆症を、ある医者は パーキンソン病の一種とみなし、ある医者はアルツハイマー病の一種、ある医者は他の病気とみなしている。
 これらの不確実性のために、バーカーが実施したような疫学的調査はうまくいかない。(ローウィー・ボディ痴呆症は私の父親に下された暫定的な診断である。)

 それにもかかわらず、ある新たな証拠が、有毒化学物質という形での環境暴露により、後年の神経退行性障害の原因、少なくともそのリスクの増加の原因となりうることを示唆している。
 まず、パーキンソン病について見てみよう[5] 。

 神経学的に言えば、パーキンソン病は 精神分裂病ではない[6] 。精神分裂病では、精神医学的問題はドーパミンと呼ばれる脳の化学物質が過剰供給されることによって生じる。パーキンソン病では、ドーパミンの欠如が問題である。欠如する理由は、中脳黒質と呼ばれる脳細胞の部分で神経細胞を作り出すドーパミンが早々と死ぬことにある。
 ドーパミンは筋肉動作の調整に関わる化学物質の情報伝達要素 なので、パーキンソン病の肉体的兆候は、振るえ、硬直、遅い動作、そして足を引きずり前かがみになる歩行、などである。(パーキンソン病患者に観られる不随意の身もだえは、この病気の治療薬の服用による副作用である。)
 その他の顕著な特徴は、文字を小さく書くこと、会話の声が小さいことなどである。通常、50〜70歳で発病する。
 3分の1の患者は、その理由はわからないが、痴呆症状が進行する。パーキンソン病の痴呆症状がよく似ているローウィ・ボディ痴呆症と同様、初期の症状には幻覚と妄想がある。そして奇妙なことには、これらには特定のテーマがある。パーキンソン病患者には婚姻上の背信行為が最もよくある妄想のテーマであり、人や動物が家に侵入するのが見えるというのが最もよくある幻覚である[6] 。(私の父には両方の症状があった。)

 マウント・シナイ会議で発表されたように、環境とパーキンソン病との関連性についてわかっていることがある。
 第一に、この病気は産業革命の初期、1817年に初めて確認された。古い医学書には手足の振るえ、麻痺に関する記述は見当たらない[7] 。
 第二に、ひどいパーキンソン病様の症状は、MPTPと呼ばれる神経毒化学物質に汚染された気晴らし用麻薬を用いる人々にみられていた。この化学物質は人間及び動物の双方にパーキンソン病を引き起こすことが実証されている.[7] 。
 第三に、職業病の研究で、作業者の脳に金属マンガンが蓄積するとパーキンソン病のような症状が出ることがわかっている。

 第四に、殺虫剤との関連性が見られることでる。田舎に住み、井戸水を飲み、農業に従事しているとこの病気のリスクが認められる[8] 。いくつかの研究で、除草剤パラコートに暴露すること自体がパーキンソン病のリスクとなることが示されている。それにより、脳のドーパミン生成機能がおかされることが知られている。この経験的証拠はあいまいであるが、ロチェスター大学の毒物学者デボラ・コリースレヒタは、実験動物がパラコートと殺菌剤マンネブに複合暴露すると相乗効果が生じることを示した。パラコートとマンネブはしばしば同一場所で使用されるので、このことの発見は重要である[9] 。

アルツハイマー病はどうであろうか。もしパーキンソン病が精神分裂病と正反対なら、アルツハイマー病はがんとは正反対である。がんは細胞成長の暴走である。アルツハイマー病は細胞死の暴走である[10] 。最初に影響を受けるのは脳内の皮質で、そこは高度な思考の中枢である。細胞死が進むと最終的には基本視覚皮質を除くほとんど全ての皮質領域に広がる。それにもかかわらず、アルツハイマー病はいつも同じ場所に現れる。海馬状隆起であり、そこは記憶の場所である。したがって、アルツハイマー病は常に記憶の問題から始まり、続いて、言葉、判断、人格、及び行動に影響を与える。何が皮質神経細胞を殺すのか、誰にも正確にはわからない。
 影響を受けた細胞は二つの病状を示す。外側に斑を形成することと内側に錯綜した繊維を作り出すことである。どちらの症状が病状の進行に重要であるかが、神経学界での白熱した議論の的である[10] 。

 環境のアルツハイマー病との関連性に関する証拠はパーキンソン病との関連性よりも不完全であるが、いくつかの同一原因を挙げている。アルツハイマー病は接着剤、化学肥料、そして殺虫剤、特に現在は禁止されている有機塩素系殺虫剤ディルドリンに関連している。それは都会よりも田舎の環境により蔓延している[11] 。最近のフランスの研究が、アルツハイマー病と男性(女性ではない)の殺虫剤への職業的暴露との関連性を見出した[12] 。それとは対照的に、最近のカナダの研究では殺虫剤への暴露とアルツハイマー病とは関係ないとした[13]。

 愛するものを老齢の痴呆症の早瀬の中で失った我々全てにとって、この会議で検証された最近の研究結果はとても満足できるものではなかった。しかし、彼らは恐ろしい災害に対し新鮮で新しい取り組みを確かに開始している。我々は遺伝子を替えることはできないが、環境は変えることができる。そこに希望がある。

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(注*)
 サンドラ・ステイングラバー博士は生物学者であり、作家でもある (レイチェルニュース#565参照)。彼女は現在、ニューヨーク州イサカにあるイサカ大学の”学際的研究プログラム”の著名な客員学者である。

 特に断りがない限り、全ての引用は、マウント・シナイ・スクール医療会議 ”後年の神経退行性疾病は年少期の環境に起因する−研究とリスクアセスメント” (ニューヨーク医療アカデミー、2003年5月16日)での発表に基づく。
 会議の報告書は現在、出版に向けて準備中である。

[1] A description of the conference, along with a complete list of presenters, can be found at the web site of the Mt. Sinai Center for Children's Health and the Environment: http://www.childenvironment.org/conferences.htm.

[2] C. Osmond and D.J.P. Barker, "Fetal, Infant, and Childhood Growth Are Predictors of Coronary Heart Disease, Diabetes, and Hypertension in Adult Men and Women," Environmental Health Perspectives Vol. 108 Supplement 3 (2000), pgs. 545-553. See also http://www.som.soton.ac.uk/research/foad/barker.asp.

[3] A.S. Brown and E.S. Susser, "In Utero Infection and Adult Schizophrenia," Mental Retardation and Developmental Disabilities Research Review Vol. 8 (2002), pgs. 51-57.

[4] E.K. Doubleday et al., "Qualitative Performance Characteristics Differentiate Dementia with Lewy Bodies and Alzheimer's Disease," Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry Vol. 72 (2002), pgs. 602-07.

[5] See also Rachel's #635 (Jan. 28, 1999).

[6] Frederick Marshall, M.D., University of Rochester, "Parkinson's Disease: Remembering to Recognize and Treat It," presentation at the Ithaca College Gerontology Institute conference, "Meeting the Challenge of Dementia," May 29, 2003.

[7] C. Warren Olanow, Mount Sinai Medical Center, "New Research in Parkinson's Disease."

[8] Giancarlo Logroscino, Harvard School of Public Health, "The Epidemiology of Parkinson's Disease."

[9] Deborah Cory-Slechta, University of Rochester, "Animal Models of Parkinson's Disease."

[10] John Morrison, Mount Sinai School of Medicine, "Neurobiology of Aging and Dementia."

[11] Alan Lockwood, University of Buffalo, "The Epidemiology of Neurodegenerative Disease."

[12] I. Baldi and others, "Neurodegenerative Diseases and Exposures to Pesticides in the Elderly," American Journal of Epidemiology Vol. 157 (2003), pgs. 409-414.

[13] E. Gauthier and others, "Environmental Pesticide Exposure as a Risk Factor for Alzheimer's Disease: A Case-Control Study," Environmental Research Vol. 86 (2001), pgs. 37-45.



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