レイチェル・ニュース #776
2003年8月21日
痴呆症の起源−その1
(後年の神経退行性疾病は年少期の環境に起因する)

サンドラ・ステイングラバー博士(注*)
#776 -- Origins of Dementia, Part 1, August 21, 2003
by Sandra Steingraber, Ph.D
http://www.rachel.org/?q=en/node/5697

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年10月7日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_776.html


2003年9月29日発行

 現在、出版界では、新たなノンフィクション分野−アルツハイマー病の回顧録−が注目されている。
 最初のものはイギリス文学批評家ジョーン・ベーレイが彼の妻、文学者であるアイリス・マードック、について書いた 『アイリスの哀歌』 である。この書物と映画によって、我々は輝かしい高名なマードックが痴呆症となり、もはや着替えることも話すこともできなくなり、ただ有名な子供番組”テレテュビーズ”を観るだけになってしまったことを知る。
 もっと最近のものでは、ジャーナリストのエリザベス・コーヘンによって書かれ、 『ピープル』 誌にその抜粋が掲載された 『ベアタウン街の家:学びと忘却の回顧録』 とベストセラー作家スー・ミラーによる 『父の物語』 があり、これはリーダーズ・ダイジェスト誌に紹介された[1] 。

 これらの本は主人公が元教授であるものばかりであるが、その他にもまだまだ多くの本がある。

 私の父も元教授で、痴呆症である。彼は現在、介護施設で生活している。これは決して異例なことではない。アメリカの介護施設にいる人々の半分は痴呆症であるが、しかし、彼をその施設に入れるということは我々家族にとって並々ならぬ決断であった。
 結婚後50年経つ父は、母がまだ若い花嫁の頃、二人のために建てた家で母と生涯を共にすることを望んでいた。父が痴呆症と診断された後も数年間、母は必死で父の介護をした。

 しかし、父は 神経学の言葉でいうところの ”妄想と闘争” 的になった。父の ”妄想” は、母が情事をしていると信じるようになったことである。電話が鳴ると父は邪推するようになった。母の後をついて郵便受けに行き、怒鳴り散らした。父は夜、家の周りをうろつき、男がいないか探して回った。父は母が寝ている間もそこに立ち尽くしていた。 ”闘争的”になるのは、父が第二次世界大戦中にイタリアで体験したことを心の中で再び体験する時であった。それは危険な組み合わせであった。

 そして、大学教授を退職した父、私に微積分学とレーチェル・カーソンを教えてくれた父、毎年、春になると有機園芸を楽しんだ父、40代にピアノを始めた父、刺繍を、パン焼きを、そしてロウソク作りが好きだった父、まだそれほど一般的でなかった頃、いち早くファミリー・カーにシートベルトを取り付けた父、その父が、今、施設に入れられ、その施設から常に逃げ出そうと試み、時には施設の職員を攻撃する。
 彼は、文字通り、牢獄の戦闘員であり、戦闘は60年前、彼が10代の兵士として地中海の戦艦で経験した最大の恐怖であった。

 彼が住む介護施設のアルツハイマー病棟では、各居住者を詳細に記述した紙が彼らの部屋のドアに貼られている。それは患者たちが自分のベッドがどこにあるかを思い出すのを助けるための一つの方法である。
 これらのことはまた、私の母、私の姉、そして私に、父はもっと大きな一族の中の一員であるということを思い起こさせる。そこにいる痴呆症の人々は、元教師、元農民、元実業家、元聖職者、元世界旅行家、元舞踏家である。それぞれが人生の歴史を持ち、家族を持ち、そして自分自身を持っている。

 そして、この小さな田舎町の介護施設そのものが、もっと大きな集合的な物語の一部である。アメリカでは約450万の人々がアルツハイマー病に罹っており、それ以外に150万の人々が他の痴呆症に罹っている。精神に異常をきたす危険性は年齢とともに急速に増大するので (65歳以上の人の10%がアルツハイマー病に罹っており、85歳以上では40%)、また、社会が急速に老人化しているので (第一次ベビーブームの年代が2011年に65歳になる)、我々はゆっくり広がる流行病の只中にいる[3,4] 。
 治療法のないこの病、アルツハイマー病はすでに12位の死亡原因から8位に上昇した[5] 。2050年までに、1,000万〜1,500万人のアメリカ人がアルツハイマー病になると予測されている。これは現在の2倍以上の数である[3,4] 。

 経済的な影響も同じく人を考えさせるものがある。(会計学の教授として、私の父も思わず釣り込まれたことであろう。) アルツハイマー病患者は、発病してからの平均余命は8年である。この間、患者は平均一人当たり 213,000 ドル(約 2,500万円)必要とする。アルツハイマー病はアメリカで3番目に金のかかる病気である。(まだ、がんと心臓病がが1、2位である)[3]。 ある人の計算によると、アルツハイマー病が経済に与える影響は、治療費だけでも年間、約1千億ドル(約12兆円)である[3]。ある研究者の推定によれば、年間コストは2050年までに7千億ドル(約84兆円)にまで跳ね上がる[4] 。
 これらの金額には、神経退行性痴呆症のうち、その3分の1を占める非アルツハイマー病を含んでいない。ルーイボディ痴呆症(2番目に多い痴呆症)やパーキンソンズ病(全痴呆症の3分の1を占める)は社会の高齢化とともに急速に増大することが予想される[6,7] 。
 これら全ての病気は 正式には”突発性原因不明病”と分類される[7]。これは言い換えれば、誰にもその病気の原因がわからないということである。
 したがって、患者や介護者は並外れた努力を強いられる上に、神経退行性痴呆症には次のような4つの悲惨な特徴がある。
 ・原因がわからない
 ・治療法がわからない
 ・患者数が増加傾向にある
 ・介護費が個人の平均的可処分財産を大きく超える

 明らかに、痴呆症の原因解明は国家の最優先事項である。ある医療研究者たちは痴呆症の原因解明のために必死に働いているが、それは、1940年代の原爆開発や1960年代の宇宙開発のような国家一丸となったものではない。新たな枠組みが緊急に必要である。

 2003年5月に、”子どもの健康と環境のためのマウント・シナイ・スクール・センター” はニューヨーク医療アカデミーで、 ”後年の神経退行性疾病は年少期の環境に起因する” と題する重要な会議を開催した[8] 。次号レイチェルニュース#777で、我々は、環境とアルツハイマー病及びパーキンソンズ病との関連性を示す証拠について詳細に検証することとする。ここでは、この画期的な会議で報告された年少期の環境と後年の痴呆症についての概念的な根拠を検証する。

 論理は次のように展開する。

 第一に、遺伝的要素は単独では痴呆症の進行には直接的に寄与していないように見えるということである。(例えば、パーキンソンズ病の5%のみが遺伝に起因する[9]。)このことは、我々は痴呆症の根本原因を理解するために、遺伝的性質と生活様式を考慮しつつ、環境に目を向ける必要があることを意味している。

 第二に、多くの神経退行性疾病は長い年月、時には数十年かけて段階的に進行すると考えられるということである。将来アルツハイマー病に至る神経系の変化の兆候はすでに20代、30代に現れているかもしれない[10]。このことは年少期における有毒物質への暴露が、それが胎児期であっても、後年の同等暴露よりも後年の痴呆症に大きな影響を与えるということを意味している[5] 。

 第三に、有毒化学物質への暴露が原因であると知られている多くの認識障害の発症には数十年の潜在期間があるということである。職場で鉛に高レベルで暴露したデュポン社の作業員は定年後に、低レベルで暴露した同僚よりも急速に認識障害を発症したが、どちらも20年間、何らかの鉛に暴露していた。同様な報告が韓国にもある[11] 。

 第四に、動物実験で、初期にある神経毒化学物質に暴露すると、脳の中に微妙な、しかし生涯に残る変化が生じるが、後年の暴露によって ”沈黙の毒性” が作用し出すまでは、機能障害は起こらないということを示している[12] 。
 このことは神経毒化学物質への初期の暴露が後年の暴露の感受性を高めるということを示している。

 第五に、神経毒化学物質は、農薬、残留性有機塩素化学物質、及び重金属という形で、広くアメリカの環境中に広まっているということである[5] 。

 第六に、非痴呆性疾病の研究で、年少期に受けたある要因が、後年、疾病を促進するということである。例えば、イギリスの研究で、胎内で栄養が適切に与えられなかったために小さく生まれた赤ちゃんは年をとってから高血圧、脳梗塞、糖尿病、乳がん、精巣がんなどにかかるリスクが高まるということを示している。この研究結果は、乳幼児は発達の重要な時期における環境暴露によって ”プログラム化” されており、その結果が後年に現れるということを示唆している。この概念はバーカーの仮説として知られる[13]。

 レイチェルニュース#777で、アルツハイマー病とパーキンソンズ病に関するバーカーの仮説を検証しよう。

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(注*)
 サンドラ・ステイングラバー博士は生物学者であり、作家でもある (レイチェルニュース#565参照)。彼女は現在、ニューヨーク州イサカにあるイサカ大学の”学際的研究プログラム”の著名な客員学者である。

 特に断りがない限り、全ての引用は、マウント・シナイ・スクール医療会議 ”後年の神経退行性疾病は年少期の環境に起因する−研究とリスクアセスメント” (ニューヨーク医療アカデミー、2003年5月16日)での発表に基づく。
 会議の報告書は現在、出版に向けて準備中である。

[1] J. Bayley, Elegy for Iris (New York: St. Martins Press, 1999); E. Cohen, The House on Beartown Road: A Memoir of Learning and Forgetting (New York: Random House, 2003); S. Miller, Story of My Father (New York: Knopf, 2003).

[2] Robert Butler, M.D., President and CEO, International Longevity Center, "Early Determinants of Disease in the Elderly."

[3] M. Saleem Ismail, "Trials, Tribulations and Triumphs in Alzheimer's Disease: Where Are We Now and Where Are We Going?" presentation at the Ithaca College Gerontology Institute conference, "Meeting the Challenge of Dementia," May 29, 2003.

[4] D. Shenk, The Forgetting -- Alzheimer's: Portrait of an Epidemic (New York: Doubleday, 2001), pg. 5.

[5] Introduction to conference proceedings, pgs. 1-2.

[6] G.B. Wilks, "Supportive Treatment of Lewy Body Dementia," Patient Care Vol. 34 (2002), pgs. 85-90.

[7] R.L Nussbaum and C.E. Ellis, "Alzheimer's Disease and Parkinson's Disease," New England Journal of Medicine Vol. 348 (2003), pgs. 1356-64.

[8] Co-organizers of the conference were the International Longevity Center, the Bachmann-Strauss Dystonia and Parkinson Foundation, and the Children's Environmental Health Network.

[9] C. Warren Olanow, M.D., Mt. Sinai School of Medicine, "New Research in Parkinson's Disease."

[10] John Morrison, Ph.D., Mt. Sinai School of Medicine, "Neurobiology of Aging and Dementia,"

[11] Andrew Todd, Ph.D., Mt. Sinai School of Medicine, "Lead and Loss of Cognition."

[12] Deborah Cory-Slechta, Ph.D., University of Rochester, "Animal Models of Parkinson's Disease."

[13] C. Osmond and D.J.P. Barker, "Fetal, Infant, and Childhood Growth Are Predictors of Coronary Heart Disease, Diabetes, and Hypertension in Adult Men and Women," Environmental Health Perspectives Vol. 108 Supplement 3 (2000), pgs. 545-553.



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