レイチェル・ニュース #775
2003年8月8日
環境保護と環境正義のための新しいツール
(公共信託原理 public trust doctrine)

ピーター・モンターギュ
#775 - A New Tool for Environmental Protection and Justice, August 08, 2003
by Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5693

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年9月27日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_775.html


2003年9月23日発行

 我々は環境保護と環境正義のための新しいツールを必要としている。今までのやり方が非常にうまくいっているようには見えないからである。そのようなツールの一つは”公共信託原理(public trust doctrine)”であり、この概念は昔からあるが、ごく限られた範囲でしか使われていなかった。

 公共信託原理について述べる前に、我々が直面している問題を整理してみよう。

 環境という舞台での主役は上場している大企業である[1] 。大企業とそれらを管理するエリートたちが、我々の大気、水、土、及び生活の質に影響を与える施策の大部分を決定する。一般に、作業者と環境に危害を及ぼし、非白人や低所得者層に不均衡な環境影響をもたらすのは企業の活動と方針である。(このことにはある程度、政府にも責任がある (通常、政府は企業の決定を無視するか、めくら判を押すだけである)。

大企業の役割:株主に対する受託義務

 法的観点から言えば、市場に株を発行している企業の管理者は、環境正義の推進や環境保護が主となるような方針を採用し決定することはできない[2] 。
 法的には、上場企業は安定した適度な利益を出資者に還元するよう試みなくてはならない。もし企業の管理者が出資者への安定した利益の流れを遮るような決定をすれば、彼等は受託義務違反で告訴される可能性がある。この安定的な利益の還元に対する法的要求のために、企業の管理者が決定できる選択範囲は狭くなる。

 我々は大企業を管理する個人が悪い人である、あるいは、道徳に欠ける人であると言っているのではない。むしろ我々の経験によれば彼等の多くは非常に良い人である。

 しかし、彼等が企業のために何かを決定する場合には、重役や管理者は個人の道徳観は脇において、出資者に利益をもたらす法的義務に則した決定をしなくてはならない。法に基づき、利益確保が企業の第一の目標であり、その他のことの優先度は下がる[2] 。

 結論として、企業の重役と管理者は、出資者に利益をもたらすという目標と一致しない場合には、作業者の安全、環境保護、あるいは環境正義を自主的に第一目標とすることは法律上できない。

 従って、社会正義と環境保護に関する限り、企業には自主規制または善い行いをするための信頼できる仕組みが組み込まれていない。実際、動機の大部分はむしろ反対方向に押しやっている。

 企業には、発生する彼等のコストを極力、外に持たそうというインセンティブが働く。有毒物質を公共の大気や水中に排出する、作業者の健康と尊厳を推進するための適切な処置をとらない、そして利益を損なう可能性のある社会正義あるいは環境保護を強化するための全ての法、規制、方針に反対する。

 法が許す範囲で(時には違法に)、企業の幹部は企業のコストを他の誰かに払わせるよう努力しなくてはならない。例えば、巨大な山のような産業廃棄物を管理し、ぜん息の子どものための緊急処置室を維持し、汚染物質が公衆の健康に及ぼす影響について関わる大勢の公務員を抱えるために、発生するコストを支払うのは納税者である。
 そして、例えば、肺気腫やがんにかかって働けなくなった作業者、スモッグのために一日中家に閉じ込められたり、家族のために安全な水を買わなくてはならない地域の人々、あるいは汚染された魚介類のために生計がたたなくなった漁師たちは、自身でそのためのコストを支払わなければならない。

 企業がこのように振舞うことを求めるのが法の枠組みであり、このことによりどのような問題が起こるかを認識しなくてはならない。企業は永遠に生き延びることができる、企業は無制限に成長できる、そして企業には信頼できる良心が仕組みとして組み込まれていない。もし、個人が企業のように振舞えば、彼、叉は彼女は ”人格異常者”、極端な場合には ”精神病質者” とみなされるであろう[3] 。エンロン社は異常ではない[4] 。

 繰り返すが、これは企業を管理する個人を非難するものではない。法が彼等が求める目標の選択範囲を狭めているのである[2] 。

 利益を求めるにあたって、企業の管理者は、公の法、規制、及び方針を遵守して合法的に行わなくてはならない(財政的な理由で、常に他の方法の誘惑にかられるが)。
 従って、公衆の健康と環境を守るための企業の行動は、法、基準、方針を通じて政府の制約を受けることとなる。

 政府こそが、企業のコストの外部化という自然な流れから公衆と環境を守ることができる唯一の実体である[5]。

政府の役割:公共の信託に対する受託義務

 誰でも、多様で、自己調整的で、自己再生的な環境が生命、自由そして幸福の追求にとって本質的であると認める。我々は、歴史から、自然環境が破壊されると、どのような偉大で強力な文明も滅びるということを知っている[6]。

 国民の面倒を見ることは昔から君主の義務であった。時には、この義務は非常に基本的なことなので、それは当たり前のことで、説明の必要もないことであった。ある時にはこの義務は”公共の信託”と呼ばれる。

 法学者ピータ・マヌスは次のように述べている。「アメリカの民主主義理論では、アメリカの国民は原初の所有者として国土及び天然資源について抽象的な支配権を持っている。政府の樹立にあたって、国民は多くの権限と義務を支配者に信託した。それらには国の資源の管理責任も含まれる。信託にあたって、国民は政府を国土やその他天然資源などの受託者として指定し、自身は受益者とした。この枠組みは特に慈善信託のそれとよく似ており、国家の目的、受託者としての政府、及び一般化した受益者を統合したものである」[7, pg. 325] 。

 マヌス教授はさらに続けて、「確かに、信託の概念は法体系としてアメリカ人の憲法上の保護が拠りどころとする不文律の一部である。従って、一方が他方を征服するのではなく、それになり代わり、その財産を管理するという考えは、憲法草案者たちとともにアメリカの原初の植民者たちの原理であった[7, pg. 361] 。

 以下は公共信託の概念に関する別の表現である。

 「政府は再生的自然環境を維持することを目指す環境管理計画を忠実に実施する基本的な義務がある。この義務は永続的なもので環境を保護するための未然防止措置と過去の行為が信託に違反した箇所への修復措置の両方を要求する。このように公共信託は将来の市民を含む一般市民に対し、自然環境の繁栄を確実にすることを約束し、健康で多様な人間の住環境として維持し続けることになる[7, pg. 322] 。

 結論:政府は健康な自然環境を現在及び将来の市民のために推進する義務がある。この義務は選択的ではなく必須で断固たるものである。政府は避けたり拒否することはできない。

 受託者の役割は政府を舞台の新しい輝くライトに押し上げることである。政府は我々とまだ生まれていない者の将来を守るという義務を完全に果たす英雄的な役割を演じる。政府は保護者であり、守護者であり、国民の盾である。これは政府当局者が誇りを持って宣言できる彼等だけが持つ義務、すなわちダメージを与えることなく、理想的には改善して将来の世代に引き渡せるよう、我々の共有財産を守ることである。

 この基本的な政府の役割をどのように表現することができるであろうか。いくつかの言葉を並べてみよう。

名詞:
 管理人、擁護者、保管者、防御者、被信託人、受託者、監視者、番人、勇士、護衛、歩哨、執事、受託者

動詞:
 守る、維持する、節約する、保持する、保護する、護衛する、とっておく、確保する、盾となる、庇護する、監視する

 信託には4つの部分がある。創造者、受益者、受託者、そして信託資産である。”公共の信託”はアメリカが建国された時に創造された。受益者は現在及び将来の世代である。受託者は政府である。それでは、受託者が現在及び将来の世代のために維持し強化しなくてはならない”信託資産”とは何か?

 次の句は信託資産の要素を表現しようと試みたものである。

  • 我々が共同で所有するもので、我々の誰もが個人としては所有しないもの
  • 我々共通の遺産
  • 空気
  • 野生と生物多様性
  • 共通の幸せ
  • 生活、自由、そして幸せの追求に重要な全てのもの
  • 肥沃なそして再生できる土
  • 我々は全て平等に造られ、我々は全て自由と正義の権利を本質的に持っているという仮定
  • 我々の遺伝子的遺産(人間及び野生生物のゲノム)
  • 世代間に伝わる知識[8]
  • 自己調整及び自己再生する生態系
  • 空、月、星
  • 宇宙
  • 電波周波数(ラジオやテレビの信号送信)
  • 平和、平穏、静けさ
  • 自然の景観
  • 自然の休養地
  • 安全に暮らしていることを知る満足感
  • 有毒物質に脅かされない権利
  • 子どもたちを有毒物質から守る権利
  • ...その他


 この”信託資産”は将来の世代に引き継ぐ文化的遺産である。

公共の信託と個人の資産

 我々は、政府が確固たる公共の信託義務を全うするにあたって政府は常に個人資産の特権を制限する義務があるということを認識しなくてはならない。

 「受託者は、信託を破りたいという自分自身の本能から信託者を守らなくてはならない」[7, pgs. 342-343]

 「法に関する公共の信託は、個人の財産利権が天然資源を破壊する権利を拒絶することによって、自然からの贈り物を独占させないようにすることである」7, pg. 356]

 「政府の最も重要な統治義務は、資源を搾取しようとする受益者自身の傾向から市民の環境的権利を守ることである。資源利用の権利は二次的である」[7, pg. 334] 。

 「将来の世代に対する現在の世代の義務が効果的で現代的な公共の信託の主要な構成要素とならなくてはならない」 [7, pg. 334]

公共の信託は予防的措置を要求する

 本質において、公共の受託者は、国土の利用と資源の消費に対する将来のあり方は、公共の信託義務がそれらの使用を規制し、その結果、個人の財産所有者に影響を与えるということの引き金となるような生態学的な問題を引き起こす可能性があるということを認識すべきである」 [7, pg. 342]

 このことは重要である。受託者は情況が変化しているということを認識しなくてはならない。情況の変化は以前には存在しなかった新たな脅威を信託にもたらすかもしれない。受託者は将来を見越し、先手を打たなくてはならない。

 受託者は、油断なく、絶えず警戒を怠らず、注意深く、用心深く、心に留め、慎重で、用意怠りなく、予防的でなくてはならない。優秀な歩哨のように、受託者は信託資産への潜在的な脅威に対し、大胆に予測しそれを探索しなくてはならない。この義務において受託者は予防原則が本質的な指針であるということを理解するであろう[9] 。

 もし受託者が脅威が明白になるまで持つなら、それは遅すぎる。措置が採られるまでに信託資産は損なわれているであろう。予防原則は公共の資産を守るために本質的である。実際、ハワイ最高裁は公共信託原理は予防原則の使用を求めているということを決定した[9] 。

全てを良くするために:政府ができること

 自然界が重大な危機にあるということは多くの生態学者の間で一致した意見である[9,10,11] 。全ての生物が立脚する生物圏は引き裂かれている。そして環境破壊が、人間の、特に非白人や低所得層の間で深刻な慢性的疾病をもたらしているとい証拠があり余るほどある[12,13] 。これは環境的不正義(environmental injustice)である。

 我々は環境に優しい産業の基礎を開発する必要があるということは明らかである。それはまた、現在、企業が法の下で行っているような義務ではない。

 企業の管理者が企業管理者の役目の中でこの目標を心に抱く、漠然と表現する、叉はそこに到るステップを述べることができるという尊敬すべき証拠は殆どない。そうではなくて、企業の管理者は、現状の地位を守るために、予防原則のような積極的な新しい考え方を攻撃するために、そして、それは主に企業の方針であるが、人々の懸念を問題の本質からそらすことに多大な精力を費やしている。

 手に入る証拠をよく検討してみれば、現在の法的枠組みの中では企業は社会正義と環境保護を達成するための駆動力とはなりえないと結論付けざるを得ない[2] 。

 環境を保護し、社会正義を実現することは政府の義務であり誇りである。政府にはこの仕事をし、共有の遺産を守り、そして、もちろん環境正義を含む社会正義を実現する明確な義務がある。

 公共の信託を最高の応札を求めてせりにかけることは政府の役目ではない。

 我々共有の遺産を守ることを望む人々と、それを使い果たし、あるいはムダに捨てることを望む人々との折り合いを求めることは政府の役割ではない。政府当局者が、”双方”が不満足な結果とならないような何かをしなければならないと言うのを我々はしばしば聞いてがっかりする。これはナンセンスである。政府は、自然環境と環境正義を含む正義を可能とする条件を含む我々共有の遺産を守る側に、正々堂々と誇りをもって立つ義務がある。

 すくなくとも、政府当局者は地域に対するサービスを活気付ける事例を見せるべきである。予防措置を通じて公共の信託を守ることは政府が公共の幸せのための役割において自身を公にし、再確認する一つの方法である。公共信託の守護者として、政府はアメリカがその均衡を取り戻し、自身を癒し、そして核となる仕えること(執事)及び自己犠牲の精神的価値を再発見することに役立つことができる。
 ピータ・マヌスは次のように書いている。

 「アメリカ国民のために健康な自然環境を守ることを政府の責任として定義すれば、公共の信託は ”仕えることの原則(stewardship principle)” の本質を掴むことになる。同時に、公共の信託は、全ての関係者−政府受託者、市場参加者、そして市民受益者の義務を強調することにより、個人が個人の利益のために働いてより大きな幸せを求める民主的な社会の理想を描き出せる[7, pg. 370]。

ピーター・モンターギュとキャロリン・ラッフェンスパーガー
Peter Montague and Carolyn Raffensperger

[1] Sarah Anderson and John Cavanagh, Top 200; The Rise of Corporate Global Power (Washington, D.C.: Institute for Policy Studies, Dec. 4, 2000. Available at: http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=147 . Throughout Rachel's #775, the word "corporation" refers exclusively to large, publicly-held corporations. Privately held corporations are free to do whatever their owners choose to do, within the law, no matter what the effect on profits might be.

[2] Robert Hinkley, "Twenty Eight Words to Redefine Corporate Duties," Multinational Monitor Vol. 23, Nos. 7 and 8 (July/August 2002); available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=237 . And be sure to see The Model Uniform Code for Corporate Citizenship, available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=236 .

[3] A dictionary definition of a "psychopathic personality" is, "An emotionally and behaviorally disordered state characterized by a clear perception of reality except for the individual's social and moral obligations...."

[4] For example, see Kurt Eichenwald, "After a boom, there will be scandal. Count on it.," New York Times Dec. 16, 2002. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=308 .

[5] Corporate campaigns by citizens can sometimes change corporate behavior. Under present circumstances, laws, regulations and public policies, COMBINED WITH corporate campaigns, are likely to be the MOST effective deterrent of corporate abuse. However, sooner or later, we believe the corporate form itself will need to be modified to allow corporate managers to pursue other goals in addition to profit. See note 2, above.

[6] Clive Ponting, A Green History of the World; The Environment and the Collapse of Great Civilizations (London: Sinclair-Stevenson, 1991; New York: Penguin Books, 1993).

[7] Peter Manus, "To a Candidate in Search of an Environmental Theme: Promote the Public Trust," Stanford Environmental law Journal Vol. 19 (May 2000), pgs. 315-369. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=234

[8] Joseph L. Sax, "Implementing the Public Trust in Paleontological Resources," unpublished (?) paper dated 2001 (?). Available on the web at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=235 .

[9] James T. Paul, "The Public Trust Doctrine: Who Has the Burden of Proof?" Paper presented at the July 1996 meeting of the Western Association of Wildlife and Fisheries Administrators. Available at: http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=190

[10] See, for example, Peter M. Vitousek and others, "Human Domination of Earth's Ecosystems," Science Vol. 277 (July 25, 1997), pgs. 494-499. Available at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=200

[11] Jane Lubchenco, "Entering the Century of the Environment: A New Social Contract for Science," Science Vol. 279 (Jan. 23, 1998), pgs. 491-497. Available at: http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=203

[12] William K. Stevens, "Lost Rivets and Threads, and Ecosystems Pulled Apart," New York Times July 4, 2000, pg. F4. Available at: http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=233

[13] See, for example, Michael McCally, editor, Life Support: The Environment and Human Health (Cambridge, Mass.: MIT Press, 1002; ISBN 0262632578). And see any issue of the U.S. government journal, Environmental Health Perspectives at http://ehpnet1.niehs.nih.gov/docs/allpubs.html .

[14] See Richard Wilkinson, Unhealthy Societies: The Afflictions of Inequality (New York: Routledge, 1997; ISBN: 0415092353); and see the bibliography in D. Raphael, Inequality is Bad for Our Hearts: Why Low Income and Social Exclusion Are Major Causes of Heart Disease in Canada (Toronto: North York Heart Health Network, 2001). And see, for example: Ana V. Diez Roux and others, "Neighborhood of Residence and Incidence of Coronary Heart Disease," New England Journal of Medicine Vol. 345, No. 2 (July 12, 2001), pgs. 99-106. And: Michael Marmot, "Inequalities in Health," New England Journal of Medicine Vol. 345, No. 2 (July 12, 2001), pgs. 134-136. And see the extensive bibliographies in the following: M. G. Marmot and Richard G. Wilkinson, editors, Social Determinants of Health (Oxford and New York: Oxford University Press, 1999; ISBN 0192630695); David A. Leon, editor and others, Poverty, Inequality and Health: An International Perspective (Oxford and New York: Oxford University Press, 2001; ISBN 0192631969); Norman Daniels and others, Is Inequality Bad for Our Health? (Boston: Beacon Press, 2000; ISBN: 0807004472); Ichiro Kawachi, and others, The Society and Population Health Reader: Income Inequality and Health (New York: New Press, 1999; ISBN: 1565845714); Alvin R. Tarlov, editor, The Society and Population Health Reader, Volume 2: A State Perspective (New York: New Press, 2000; ISBN 1565845579).


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