レイチェル・ニュース #771
2003年6月12日
環境破壊に助成金を出す
(公共信託原理(public trust doctrine)について)

ピーター・モンターギュ
#771 -- Subsidizing the Destruction of the Commons, June 12, 2003
by Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5679

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年8月15日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_771.html


2003年8月7日発行

 この数十年間、主要な汚染者は、”雇用と環境”は同義語であとして、従業員を解雇しなければ彼らが汚染した土地の浄化はできないと主張してきた。

 当然、このような主張は働く者を不安にし、地域の活動家を憤慨させた。この数十年間についていえば、”雇用と環境”の議論は、働く者たちを彼等の自然な団結から分断するのに役立った。活動家は地域の生活の質 (自然環境と仕事の双方を含む)を心配した。”雇用と環境”は、汚染者が働く者を分断し、地域全体、州全体までも征服することを許してきた。

 最近の経済研究によれば、”雇用と環境”の議論は正しくないことがわかった。環境保護に失敗した地域や州はうまく行っていない。そこでは、景気が悪く(雇用が低下し)、平均賃金も低く、税金は不公平で(収入に比べると、金持ちへの課税は全く少なくて)、庶民のエネルギー価格は高い。
 また、金持ちとそれ以外の人々との格差は広がるばかりで、健康状態もそれほどよいというものではない (ある部分は汚染に、ある部分は収入の不公平に関係する)。そして、結局、彼ら庶民は選挙にも参加しなくなる (多分、人々は選挙の仕組みがいんちきであると感じるからであろうが、これらの州ではそのような傾向がある)。

 強い環境保護政策を打ち出している州では、雇用を生み出し、富をより公平に配分し、よりよい公衆健康、より公平な税金、そして、より民主的な参加を実現している。結局、数多くの研究が、よい雇用、きれいな環境、そしてよいな生活の質はお互いに関係しているということを示しいる。地域のからの展望によれば、汚染は勘定に引き合わない。

 例えば、社会学者マニュエル・パスツール . Jr のカリフォルニア州ロスアンゼルス郡についての研究によれば、同郡の最も危険な汚染区域はマイノリティーの居住区域に集中しており、そこでは雇用率が最も低い。このように環境を悪化させたからといって必ずしも雇用は増えない。パスツール博士が言うように、「そうではなくて、環境の劣化と経済の弱体化は関係がありそうである」[1, pg. 12] 。

 十年間にわたる一連の研究で、ポール・テンプレット教授は、アメリカの全50州について分析し、環境政策が手ぬるい州ほど経済的に貧しいということを明らかにした。テンプレット博士はルイジアナ州環境品質局に1988年〜1992年まで勤務し、現在はルイジアナ州立大学環境研究室の教授である。

 汚染物質を大気中、水中、そして土壌中に捨てる企業は、自然 (公共の資源) を無料の公衆トイレとして使用している。しかし、もちろん自然のトイレ (経済学者は ”吸収資源 sink resource” と呼んでいる) は実際にはタダではない。結局、汚染者以外の誰かが、例えば、漁礁などの自然の放棄、浄化、そして健康被害(ぜんそく、糖尿病、がん、その他)として、支払うことになる。

 経済学者たちは、そのような汚染者は汚染物質を公共の空間に捨て、公衆にそのコストを負担させることで、 ”コストを外部化” していると好んで言う。要するに、汚染者は公共の助成金を無料トイレという形でもらっているということである。

 同様に、木材会社は、森林を伐採する時に、土壌侵食、汚泥による流れの閉塞、森林の保水能力による洪水防止機能の破壊、その他の環境破壊に要するコストを支払わなければ、やはり助成金を受け取っていることになる。

 これらの ”汚染助成金” は企業の利益を増大させ、汚染の影響を受ける直接の隣人から全ての納税者にいたるまでにコストを負担させている。このようにして、汚染は巨額の金を犠牲者のポケットから汚染犯のポケットに流れ込んでいく[2, pgs. 3-4] 。

 経済学者の観点によれば、全てのコストを支払わない汚染者は 一般に社会に帰属する ”公共信託資源 public trust resource” の価値を下げている[3] 。彼らは皆のものである資源を金を払わずに着服 (持ち出し、あるいは、私物化) している。通常、公務員が金銭的財を横領、叉は盗んだ場合には、社会は不名誉、罰金、まれには懲役のペナルティーを科す。しかし、汚染者が水や空気のような公共の資源を横領し、価値を劣化させても、彼らはしばしば、罰を逃れている。

 多くの州は、企業に対し、第二の助成金を用意している。エネルギー助成金である。アメリカでは、平均的な消費者は企業に比べてエネルギー単価では約2倍支払っている。これは個人支払い者から大口エネルギー消費企業への助成金である。

 経済学者は、大量のエネルギーを一つの消費者(企業)に供給するコストは同量のエネルギーを多数の個人消費者に供給するコストより安いので、若干の格差は正当化されると言う。しかし、いくつかの州では明らかに、小口消費者のコスト負担で大口消費者を優遇している。このようにして個人の金が企業のポケットに流れ込む。

 例えば、ルイジアナ州とアラスカ州では、個人消費者は企業消費者に比べて4倍のエネルギー単価で支払っている。ポール・テンプレットが観察するように、「エネルギー助成金は・・・企業が天然資源を入手するコストを削減する。企業だけが公衆に比べて破格に安いエネルギーを享受する特別の理由はない。・・・ある州で巨額な価格差があるのは、政治的権力のためである。エネルギー助成金をやめれば、横領されていた公共の資産を、汚染の削減とより公平な価格という形で市民の手に戻すことになる。それはより効率的なネネルギー使用を促進し、公衆の健康を増進することになる。市民はエネルギーに支払う金が減少し、もっと多くを教育やその他に使うことができる」[2, pgs. 6, 13] 。

   第三の助成金は、税制によるものである。一般に、所得税と財産税は、金持ちへの課税率は貧乏人への課税率より大きい。このような課税は ”累進課税” と呼ばれている。

 一方、販売税(Sales taxes 訳注:日本の消費税に相当)は逆の様相を示し、 ”累減税” と呼ばれる。販売税は消費した者に固定的に課税されるので、中小所得者はその所得に対する比率では、金持ちに比べて消費の部分が大きくなる。貧乏人も金持ちも温水器を購入する時に支払う販売税は同額であるが、温水器購入のコストについて貧乏人の所得に対する比率は金持ちの所得に対する比率よりもずっと大きい。従って販売税は累減的であり、それは金持ちよりも貧乏人を痛めつける。
 累進課税よりも累減課税に頼る州は、高所得で財産を多く持つ者に助成金を出し、その助成金は低所得で財産の少ない者が支払っている。それは貧乏人のポケットから金を盗み、金持ちに渡すようなものである。従って、販売税は逆の意味でのロビン・フッドである。

 テンプレット教授は、これら三つの助成金−汚染、エネルギー、そして税制−は、貧弱な環境政策と関連していることを示した。

 テンプレット教授は、グリーン政策指標 (Green Policy Index :サウザン・スタディズが開発した[4] ) 用いて全50州を調査したが、同指標は効果的な環境政策の指標とし77項目を導入している。テンプレットはまた、全50州をグリーン条件指標 (Green Conditions Index[4]) で調査したが、これは環境品質に関する179の測定項目に基づくものである。

 テンプレットは、汚染者、エネルギー大量消費者、そして金持ちに最大の助成金を出している州は、環境政策が貧弱で環境を劣化させている州と同じであるという事実を見つけた。国の平均よりも多くの助成金総額を出している25州は、大きい順に、ルイジアナ、ユタ、フロリダ、テネシー、ミシシッピー、アラバマ、ワシントン、ネバダ、テキサス、アリゾナ、ニューメキシコ、オクラホマ、ハワイ、ウェスト・バージニア、アーカンサス、サウス・カロライナ、ノース・ダコタ、インディアナ、サウス・ダコタ、バージニア、カンサス、ミズーリ、ノース・カロライナ、アラスカ、ジョージアの各州である。

 テンプレットはまた、三つの助成金と様々な経済的安寧との関係を調べた。彼は、汚染助成金が、貧困、所得格差(高所得と低所得の差)、失業、及び低個人所得の観点から、貧弱な経済効果を示すよい指標となることを見出した。

 言い換えれば、企業がそのコストを外部化すること (タダで公共の財産である大気や水に捨てること) を許されるほど、貧困が増大し、金持ちと貧乏人の格差が増大し、平均所得が減少するということである。

 テンプレットは、「これは、汚染管理に金をかけるとうことは所得配分に関し累進的政策となるということ示している」と指摘した。その多くが汚染施設の近くに住み、従って健康被害を受けるのは、しばしば貧乏人であり、マイノリティーなので、その効果は単に経済的なものだけではない。

 テンプレットは、同様に大きなエネルギー助成金は、貧困、失業、所得格差、及び低個人所得に関連していることを見出した。税制の助成金もまた、増大する貧困、拡大する所得格差、低平均所得に関係しているが、これも驚くにはあたらない。税制助成金は貧乏人から効率的に取り上げ、金持ちに与えるからである。

 テンプレットは、汚染助成金と経済成長との関連を調べたが、マイナスの関連であることを見出した。企業がより多く汚染物を捨て、従ってコストを外部化する州は職が少ない。汚染は経済成長を遅らせる。

 テンプレットは、助成金が最も多い州の企業の収益はどうなのか疑問に思った。企業の収益に関するデータは入手することができなかったが、彼は代わりの測定法−製造における付加価値測定法−を編み出した。これにより、彼は助成金が増大すると企業の収益が上がるかどうか検証した。結果はその通りであった。

 もし企業がこれら儲けた収益を州内に投資すれば、雇用と収入の増大で公衆の安寧に貢献するであろう。しかし残念ながらテンプレットは収益の大部分は株主と経営者の手に渡り、彼等の大部分は他の州や他の国に住んでいることがわかった。

 仕事への付加価値(企業収益の代わり)が増大すると、州総生産の大部分が州外に出てしまうということをテンプレットは見出した。「一般的に、収益は、高助成金、低所得の州から低助成金、高所得の州へ流れ、州間の格差を広げている」とテンプレットは述べている[2, pg. 10] 。

 高助成金州から低助成金州への収益の漏えいは州間の所得格差の主要な原因である。それは、最も資源を消費し最も汚染する州からの所得流出である。所得が州外へ流出すると、失業、貧困、そして汚染が増大することがわかった。流出先はどこか。一般的にそれは企業や株の所有者が住む州である。実際、多くの富める州は所得を輸入している。彼等の総所得は州の総生産を越えている。
 「その情況は、母国が植民地の資源と富を収奪し、その見返りはわずかな補償という植民地主義に類似している。この点に関しては、アメリカは一種の国際植民地主義であることを示している」とテンプレットは述べている。

 環境の劣化と経済の下降に加えて、助成金は我々の民主的理念を傷つけている。50州全てを調査して、ポ-ル・テンプレトは、汚染者、エネルギー大量消費者、金持ちへの助成金が増大すると、政治への参加が減少する、すなわち、選挙の投票に行く人が減るということを見出した。平均総助成金より高い助成金を出す州の選挙投票率はアメリカ全体の平均より15%低い。

 ルイジアナ州政府の役人としての彼の経験に基づいてテンプレットは、助成金は民主主義をだめにすると信じている。それは汚染者と金持ちはさらなる自身の力を増大するために、手にした余分の収益を政治的優遇を買うために使用するからである。
 彼は 「高助成金の州の市民は、彼らが選出した代表者たちが特別の利権に応じるということを知っており、公民権がないように感じるかもしれない。彼らは投票しても何も変わらないと感じるかもしれない。むしろ、低投票率こそがさらなる権力の集中に寄与している」と述べている。

 テンプレットは続けて、「助成金を受け取った人々はさらなる資本を多くの方法で投資することができる。一つの明らかな方法は、政治キャンペーンに貢献し、ロビーストを雇って助成金を守りさらに増額するために、もっと多くの金を使うことである。企業が政治キャンペーンの主要な貢献者である。貢献するにあたって、利権は単に選挙で当選させるだけでなく、重要なポジションに就かせることである。

 「ルイジアナ州政府の役人としての私の経験から、利権が増大するにつれ、世間に対する指導力が弱体する。連邦政府 の基金による計画すら活性を失っている。州機関は市民に対する対応が悪くなっているおり、それにより市民は政治プロセスから遠ざかるようになる。その州は住むのに、またビジネスをするのに魅力がなくなる。結末は、制度の崩壊であり、民主主義の侵食であり、社会資本の喪失である」とテンプレットは述べた[2, pg. 11] 。

 テンプレットは、三つの助成金、すなわち、汚染、エネルギー、税制は少なくとも三つの方法で不公平を助長するとしている。

(1) 助成金は、そのコストを負担する人々の生産性、可処分所得、健康、そして生活の質を下げる

(2) 助成金は、それを受ける人々が自身のさらなる利益のために市場と政治プロセスを操作し、政治的権力を増大する

(3) 助成金は、本来、市民のための教育、健康管理、その他に使われるべき政府の歳入を収奪する[2, pg. 4] 。

 結論として、テンプレットは悪のサイクルとして説明している。企業は有害物質を大気、水中、土中に放出することで、補償も払わずに公衆のきれいな環境と公衆の健康を奪っている。そのようなことをしながら、汚染者は公衆がそのコストを負っている助成金を得ている。このようにして汚染者はその利益を上げている。
 不正の利益でもって、汚染者は政治家から便宜を買い、政治家は、汚染者が無料の公衆トイレを使用できるよう法律を骨抜きにする。このような政策により他の企業はその州への魅力を失い、経済の多様性が下降する。

 テンプレットが指摘するように、 「地域は ”企業町症候群” に侵されるかもしれない。彼らはより貧しくなり、より汚染され、にわか景気と不況のサイクルに曝され、そして、利益を収奪する企業に依存するようになる。富の集中は権力の集中を助長するので、公共政策はより多くの助成金を出すようになる。その結果、公衆は、そして最終的には個人が、らせん状の下降線をたどる。企業はいずれ立ち上がりどこかに行ってしまうことができるが、全体としての公衆はそのようなことはできない[2, pg. 14] 。

 公衆は何が起きているのか見ているが、この堕落したゲームに影響を与えることはできないと信じており、選挙の投票やその他の民主的な参画を拒否し、脱落ししていく。そして社会資本は下降し、さらに公衆信託資源 (public-trust resources) の下降、すなわち、社会的、経済的、そして環境的衰退に導く。

 何をすることができるか? 簡単に答えるなら、我々は、先ず第一に企業汚染者、大量エネルギー消費者、そして金持ちへの助成金を削減叉は廃止し、第二には ”共有地” の管理を取り戻し市民を公衆信託資源、すなわち環境の管理にあたらせることにより、公衆健康と安寧を改善し、環境品質を向上させることができる。
 今、我々は、我々の大気と水  (及び、環境的に限界にきている廃棄物を吸収する能力) を、その正当な持ち主−公衆に対し完全な補償を行なわずに私物化する特別利権を拒否すべき時が来ている。

 これらの問題と闘う一つの方法は、かつての ”公共信託原理 (public trust doctrine)”−州政府は我々の共有遺産である水や空気などの資源を未来の世代のために守る積極的な義務があるとする法律原則−をよみがえらせることである。
 州は、我々の共有遺産である資源を私的団体が収奪するのを積極的に守る義務がある。 ”予防原則” と同様、 ”公共信託原理”は、草の根運動家が学び、表現し、拡大し、推進することができる地域を守るための強力な新しいツールである。

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* My thanks to Carolyn Raffensperger and her colleagues at the Science and Environmental Health Network for their exploration of the "public trust doctrine."
 科学と環境健康ネットワーク (SEHN) のキャロリン・ラッフェンス・パーガーと彼女の仲間達に対し、 ”公共信託原理” について説明いただいたことを感謝します。

[1] Templet, Paul H. 2001. Defending the Public Domain: Pollution, Subsidies, and Poverty [PERI Working Paper No. DPE-01-03]. Amherst, Mass.: University of Massachusetts, Amherst, Political Economy Research Institute. Available at: http://www.umass.edu/peri/pdfs/WP12.pdf .

[2] Pastor, Jr., Manuel. 2001. Building Social Capital To Protect Natural Capital: The Quest for Environmental Justice [PERI Working Paper No. DPE-01-02]. Amherst, Mass.: University of Massachusetts, Amherst, Political Economy Research Institute. Available at: http://www.umass.edu/peri/pdfs/WP11.pdf .

[3] Air, water, and soil are sometimes called "public trust resources" because they are common resources owned by everyone and by no one. Under a legal doctrine traceable back to the laws of ancient Rome, governments have a special duty to protect these public trust resources for the benefit of future generations. This "public trust doctrine" is firmly embedded in state laws in the U.S., though like all laws it is sometimes forgotten, sometimes ignored and sometimes breached. We at ERF believe it is a powerful, little-used idea that grass-roots activists should be learning about, speaking about, and expanding. On the public trust doctrine, see:

James T. Paul, "The Public Trust Doctrine: Who Has the Burden of Proof," paper presented at the July, 1996 Meeting in Honolulu, Hawaii of the Western Association of Wildlife and Fisheries Administrators, Hosted by the State of Hawaii Department of Land and Natural Resources." Available on the web at http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=190

and:

Carolyn Raffensperger, "Precaution and a Theory of Property," The Environmental Forum May/June, 2003 (a publication of the Environmental Law Institute in Washington, D.C.). Available at: http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=192

and:

Mark Dowie, "In Law We Trust," Orion Magazine July/August 2003. Available at: http://www.rachel.org/library/getfile.cfm?ID=191

[4] Hall, Bob, and Mary Lee Kerr. 1991-1992 Green Index; A State-By-State Guide to the Nation's Environmental Health. 1991. Washington, D.C.: Island Press. ISBN 1-55963-114-7.



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