レイチェル・ニュース #766
2003年4月3日
南行き列車で北を歩く (*) − その1
デービッド W. オール (**)
#766 - Walking North on a Southbound Train, Part 1,
April 03, 2003 by David W. Orr**
http://www.rachel.org/?q=en/node/5663

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年7月6日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_766.html


2003年6月25日発行

デービッド W. オール (**)

 年老いた農民がかつて私に、彼の農場にやって来ては彼の哀れな飼い犬をからかうずるがしこいキツネについての話をしてくれた。
 彼が話すには、ある日、キツネは、犬の鎖の長さよりも少し外側の円周上を走りまわって、激しく吠え立てる犬に追いかけさせた。円周上を数周走り回ると、鎖は柱の周りに巻きついてしまい、どうすることもできない間抜けな犬を尻目にキツネは得意そうに入って行って、犬の餌をがつがつと食べてしまった。

 似たようなことが、自然や生態系を守ることは義務であり、熱意であり、真の経済であり、常識であると信じている我々全てに対して起こっている。
 誰かが、何かが、我々の周りを走り回って我々を動けないように巻きつけ、我々の昼飯を食べている。
 誰が、なぜ、そして、それに対してどのように我々は対応しなくてはならないのかを問うべき時が来ている。我々に分かっていることは以下のことである。

(1) 時にはうまくいくこともあるが、全体的には、我々は地球上の生息環境を守るための戦いに敗れている。抗しがたい事実として、全ての重要な生態系の指標は下降線をたどっている。
 人間の人口は20世紀の間に3倍増加し、今後、80億〜110億人のレベルに達しそうな勢いである。これから数十年間、絶滅する生物種の数は増え続けるであろう。気候変動は、多くの科学者が数年前に予想していたより速い速度で進行している。
 CO2濃度が基礎濃度である280ppmの2倍、3倍に達しそうになるというのに、それを食い止めるのに十分な政治的、経済的な措置がとられていない。
 その他にも緊急を要する脅威として、人間や生態系をさらに大きな危険に曝す恐れのある自己複製(クローン)技術がある。

(2) アメリカ国内での環境問題を否認する声は、かつてないほどに煽情的で騒々しい。毎日、国中至る所で、環境を主張する輩は”過激”で、”風変わり”で、あるいはだんだん性質が悪くなっていると多くの人々が口にしている。元ワイオミング州選出上院議員は、環境運動は”テロリスト”の戦線であり、ワシントンの主だった政治家たちはこれに対して断固とした措置をとっていないと非難した[1] 。そしてそのような意見を持っている人たちが連邦政府内の戦略的な重要部署に任命されている。

(3) 生息可能な地球を守る運動は、企業の世界経済支配を求める根本主義者の勢力と、先祖返りしたようなプロテスタント根本主義者の宗教運動から十字砲火を浴びている。宗教運動の方が企業の企みよりも見分けやすいが、長期的な展望においては永続的な経済拡大の動きの方が純粋な宗教運動よりも危険かもしれない。
 その危険性は、アメリカが敵とみなすどのような国に対しても、国際法や道義、常識、あるいは公的議論を無視して先制攻撃を加えることを許すような国家の政策に携わる新右翼の台頭によって倍加されている。
 あるアナリストは、これはアメリカ経済がアメリカ資本や政治エリート、有権者の犠牲なくして世界を制覇するために、アメリカの軍事力を展開する世界戦略の一環であると見ている[2] 。

(4) 経済あるいは宗教のどちらの根本主義者にも憎悪の対象となる敵が必要である。アメリカ政府とブッシュ政権はその目的のためにオサマ・ビン・ラディンを利用している。
 ブッシュの失いかけていた大統領としての威光は、ビン・ラディンとそれに続く到底同意できないササダム・フセインの行為によって回復した。この二人は全く悪質な敵として位置付けられた。

(5) アメリカにおける民主主義と市民の自由が、元大統領ジミー・カーターが言うところの ”テロリズムへの戦線布告に紛れて、長い間鬱積していた野望を実現しようと試みる保守の中核グループ”によって急激に侵されている[3] 。
 アメリカ政界では右翼による、投票権の制限、情報公開の制限、公共事業の完全開示の制限、及び、民間主導の軍管理の制限など強い反民主主義の動きがある。

(6) 1990年代、多くの富が貧困層及び中間層から富裕層に流れた。ある計算によれば、上位1%の富は、下位95%の総所帯の富の合計よりも多い[4] 。この富の移動の多くは単純に盗みによるものである。カリフォルニアのエネルギー危機だけをとっても、300億ドル(約3兆6000万円)が州や市民を欺いたユーティリティ企業に流用された。

(7) ほぼ、四半世紀の間、政府のあらゆるレベルが、共同の解決策を案出する我々の力を押しつぶそうという明らかな意図をもった極右勢力から絶え間ない攻撃を受けた。
 市場は道義をわきまえているが、公に作り出される政治的解決策はそうではない−という仮説は、今や常識となっている。その結果、かつて共和党大統領テディ・ルーズベルトが述べた ”個人の自由が実際には強者が弱者を支配する自由に変質する個人主義的唯物主義の奔出” が続くことになる (C. Meine, unpublished manuscript からの引用)。

(8) かつて、ロナルド・レーガン政権の予算委員長デービッド・ストックマンが実施したアメリカ政府の政策では、企業及び富裕層からの税を減額し軍事費を増額したので深刻な財政難を招き、その結果、健康、教育、公共運輸、環境、都市などへの出費削減をもたらした。

(9) 我々の問題は、本来、系統的なところに根ざしているので、仕組みそのものを変えていかなくてはならない。

(10) 今後、行く手に横たわる邪悪を回避できる可能性はまだ十分にある。

 要するに、地球環境を守る運動はうまくいっておらず、我々はそれがなぜなのかをを問わなければならない。その理由を見つけるためには、多くの科学者、運動家、市民の努力と意思、あるいは、情報、データ、論理、科学的証拠、等がなくはてならない。
 これらのことにより、運動は感動的なまでに育ってきたし、定性的及び定量的な科学的証拠や理にかなった論理に裏づけらていた。
 しかし、我々は、世論が形成され、ビジネスが影響受ける大きな公開の場で、この運動がどのように意思を表明してきたかをもう一度よく見直してみる必要がある。

 我々学者は失敗した。なぜなら20年以上にわたり、もし、十分な理由、データ、証拠、そして論理を提示しさえすれば、権力者を説き伏せることが出来るはずと信じて、我々は権力者に反対するにあたって論理的であることを試みてきた。我々は生物種、生態系、そして地球規模での環境が脅かされていることを徹底的に詳細に定量化してきた。
 我々は、丁重さと証拠があれば勝利すると信じて、保守派の人々及び経済の方が環境よりはるかに重要であると考える人々を納得させるために、彼らとは逆の態度を取ってきた。従って我々は地球と次の世代のために、経済学、科学、そして法律の言葉をもって説明してきた。
 非常にわずかな例外を除いて、我々は論理的で、博学で、賢明で、注意深く見聞を広めていたにもかかわらず、効果を得られなかった。要するに、我々は科学に従事し、本を書き、論文を発表し、専門家の社会を形成し、会議に出席し、学者らしく話をしてきた。
 しかし、彼らは政治的に動き、法廷をのっとり[5] 、メディアを支配し、社会の恐怖と憤りを操作している。

 住むに適した地球を守る運動もまた、失敗した。それは運動が異なるグループや独りよがりな考え方に分裂しているからである。これに関しては、互いにいがみ合う派閥に分派し、自己の正当性を主張した19世紀のヨーロッパ社会主義運動とよく似ている。産業社会をいかにきちんと組織するかについての考え方が最終的にまとまった時に、この運動はボルシェビキの手に渡った。その後は歴史の示す通りである。
 左翼は伝統的に血なまぐさい闘争に精力を使い果たす。デービッド・ブラウワーがかつて述べたように、荷馬車を円内に引き出し、砲火を浴びせる戦略である。
 右翼は一般的にはそのような大きな分裂はしない。それは彼らの議題はもっぱら金銭的な有利さを求めることだけで、それほど複雑ではないからである。

 さらに、 「我々はしばしば独りよがりになり、情熱に欠けるから失敗している」 と述べているジャック・ターナーの言葉は正しと思う。彼の言葉によれば、 「我々は、環境に対し臆病な国民である。・・・喜んで代用品、まがい物、偽装、贋作−自然ではなくなったものを受け入れている。我々は個人の経験やコミュニケーションの代わりに抽象的な情報に甘んじている」 [6] 。
 さらに彼は続けて、 「怒りに基づく抵抗こそが効果的であるのに、我々は意識的に怒らない。怒りは希望を育み、権力に対する反抗に油を注ぐ。それは判断を推定し、どうあるべきか、どうあってはならないかを推定し、信念と価値の最良の証拠である感情を推定する。残念ながら我々の感情と自然とはほとんど関係ない」 (pgs. 21-22)。

 我々は際限なく忙しく、メールを受発信し、研究をし、論文を書き、どこか外国の会議に参加するが、自然の中に入っていくことはだんだん少なくなっている。我々は自然から切り離されている。

 結局、我々は負けている。超越的なものや帰属意識への人間の要求の深さを評価することを怠ったからである。
 我々は、宗教、愛国心、共同体、そして家族などにかこつけて、自然の最後のものを略奪しようと意図している人々にそうさせることを許してきた。その結果、自身を”環境派”と考えている人々も含めてアメリカ市民の大部分は、人間による自然支配と地球上の人間の地所の絶え間ない拡張が行き着く問題についてほとんど考えていない。
 我々は幻覚、大食い、愛国心、宗教の教義、そして個人主義を隠蔽した邪悪な意思に基づくシステムを築き上げてしまった。

(次回に続く:何をなすべきか?)

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(注*)
 Conservation Biology Volume 17, No. 2, April 2003, pgs. 348-351からの転載。
 タイトルはピーター・モンターギュ、レイチェル・ニュース#570(1997年10月30日)による。

(注**)
 デービッド W. オールは、オハイオ州、オバーリンのオバーリン大学環境研究計画の議長である。
E-mail: david.orr@oberlin.edu

[1] Walkom, T. 2002. Return of the old, Cold War. The Toronto Star, 28 September: F-1, F-4.

[2] Lieven, A. 2002. The push for war. London Review of Books 4(19).

[3] Carter, J. 2002. The troubling new face of America. Washington Post, 5 September.

[4] Gates, J. 2002. Globalization's challenge. Reflections 3(4).

[5] Buccino, S. et al. 2001. Hostile environment: how activist judges threaten our air, water, and land. Natural Resources Defense Council, Washington, D.C.

[6] Turner, J. 1996. The abstract wild. University of Arizona Press, Tucson.



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