レイチェル・ニュース #761
2003年1月23日
予防原則−被害を証言し、軽減する−その1
キャロリン・ラッフェンスパーガー(*)
#761- Precautionary Principle:
Bearing Witness to and Alleviating Suffering,
Part 1, January 23, 2003
Carolyn Raffensperger*
http://www.rachel.org/?q=en/node/5625

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年3月21日

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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_03/rehw_761.html


キャロリン・ラッフェンスパーガー(*)

 予防原則では、それがもし我々の能力範囲のことならば、たとえ科学的な不確かさがあったとしても、単に病気を治療するということではなく、それを防ぐことが倫理的に求められる。
 この論文では、私は病気のパターンが変化していること−そのことに対しては特に環境問題に関わる子ども達の発達上の病気に関して予防原則を実施すべきであるといわれている−について概要を述べる。
 病気のパターンが変化しているという事実は世界的に被害が及んでいることを示すものである。医療にたずさわる者は予防原則に基づき被害の実態を証言し、またその被害を軽減する機会を与えられている。

環境健康の現状

 現状は一体どうなっているのであろうか? 北の国々では生活レベルが高く子どもの死亡率は減少しているのだから人間の健康は改善されており、したがって予防原則など不要であると言う人もいる。
 しかし人間の病気に新しいパターンが見られるということは、世界の環境の悪化と人間の健康の悪化とに深い関係があるということを示しているのではないだろうか。

 過去には、慢性疾患ではなく感染症こそが医療の世界では重要課題であった。現在でも感染症は特に南の国々では緊急課題である。エイズ、コレラ、デング熱、マラリアなどが多くの人々を悩ましている。
 感染症のあるものは我々自身が作り出している。例えば、結核における複薬耐性などの抗生物質耐性(訳注:薬や抗生物質が効かなくなること)が一般的に増加している[1] 。抗生物質耐性のあるものは医者が抗生物質を多用し過ぎていることが原因である。又あるものは畜産業界での家畜に対する抗生物質の過度な使用が原因かもしれない。ウェスト・ナイル・ウィルスのような感染症は、地球温暖化、世界貿易の拡大、旅行範囲の拡大、等のの影響を受けて、過去には見られなかったような地球規模での発生が見られるようになった。
 今や病気は均質化し、広範囲に及ぶようになってきた。

 アメリカや西側諸国で見られる健康に関する重要な変化の一つは高血圧症、心臓疾患、がん、免疫不全、生殖障害、先天的欠損症など、慢性疾患の増大である。

 テッドシェトラー博士は環境が原因となりうる慢性疾患のリストを取りまとめた[2]。

  • 喘息が世界中で急激に増加しており、しばしば伝染病のような様相を示している。
  • うつ病などの精神障害が世界各地で新たな公衆衛生上の脅威となり始めており、本人や家族、地域に対し深刻な結果を及ぼしている。
  • アメリカでは1,200万人近くの子ども達(約17%)が一つあるいはそれ以上の発達障害を抱えている。学習障害だけでも公立学校の5〜10%の子ども達に及んでおり、その数は増加している。注意力欠陥多動症は少なくと生徒の3〜6%に及んでおり実際の数はもっと多いかもしれない。自閉症も増えている。
  • 黒色腫、女性の肺がん、非ホジキン・リンパ腫、そして前立腺、肝臓、睾丸、甲状腺、腎臓、乳房、脳、食道、膀胱などのがんが過去25年間にわたって増大している。
  • アメリカでは尿道下裂、停留睾丸、心臓疾患、尿道閉鎖などの先天的異常が増大している。
  • アメリカのある地域及び世界各地で精子の密度が減少している。

発達障害の社会的影響

 がん、うつ病、糖尿病などいくつかの問題は子ども達の間に不釣合いに多く及んでいる。
 環境と子どもの健康に関する国際会議[3] における声明案では地球上における病気の4分の1は環境に起因していると述べている。しかし全環境病の40%以上が5歳以下の幼児に及んでいるが、世界の全人口に対する5歳以下の幼児の比率はたったの10%である。

 多くの環境健康問題の中で、発達及び神経行動障害は社会に非常に多大な影響を与えるのでとくに注目を浴びている。例えば、2000年全米国勢調査によれば、全生徒の中で特殊学級に入る生徒の数は過去10年間で2倍に増加している。さらに、深刻な障害を持つために政府の社会保障を受給する子どもの数が増加している[4] 。

 2002年に刊行された研究報告に、アメリカの子ども達の鉛中毒、喘息、がん、発達障害に関するコストが下記のように示されている[5]。

 年間総コストは549億ドル(約6兆6000億円)でその幅は488億ドル〜648億ドル(約5兆9000億円〜7兆8000億円)である。
 そのうち鉛中毒が434億ドル(5兆2000億円)、喘息が20億ドル(2400億円)、小児がんが3億ドル(360億円)、神経行動障害が92億ドル(1100億円)である。
 この合計額はアメリカの健康関連コストの2.8%を占める。この数値は低い推定値であると言える。それは、4つの健康障害についてのみ考慮しており、控えめな仮定に基づいており、苦痛に対するコストは無視しており、原因がよく分からない合併症などは含んでいないからである。
 子どもの環境に起因する病気に要するコストは高いのに、研究や調査、予防に向けられる資金と人材は限られている。

 発達障害あるいは神経行動障害を持った子ども達は障害を持たない子ども達に比べて大人になってから刑務所の入るようになることが多く、また周囲とうまくやっていくのが難しいといわれている。
 これらのことについて、ある司法メモ『障害を持ったアメリカ人の行動』で次のように示されている[6]。

 ”刑務所収容者の約3分の1は簡単な作業、例えば地図上で交差点を見つけ出すというようなこと、あるいは申請書に基本的な情報を書き込むというようなことができない。他の3分の1は少し難しい作業、例えば請求書の間違いについて説明書を書くというようなこと、あるいは自動車保守記入用紙に情報を記入するというようなことができない。バスの路線図を読める収容者は20人に1人である。障害を持った若い収容者は出所後の就業に必要な技術を身に付けていない。”

 ユタ州の調査[7] によれば男性収容者の約24%は注意力欠陥多動症(ADHD)である。ユタの刑務所の医師は次のように述べている[7] 。

 ”他の調査や我々自身の経験によれば、中程度犯罪刑務所の収容者のうち40%までが have findings along the Tourette/ADD spectrum。
 もし非暴力的な犯罪者や衝動的な犯罪者、例えば私の愛用のかわいらしい車を盗んだ窃盗犯や交通違反者などを除けば、このパーセンテージはもっと高くなる。”

証拠

 健康障害の原因が環境であることを示す証拠が増加している。ランドリガンらは[5] 、健康障害に寄与する環境要因として、鉛中毒は100%、喘息は30%、がんは5%、神経行動障害は10%であると算定している。このような数値は、これらの健康障害は本来防ぐことができたものであるということを示してる。

 もちろん、がんや神経行動障害を特定の環境要因に結びつけることは現在ではまだ難しい。しかし、神経有毒化学物質が大気、水、土壌などの環境中に大量に存在しているということを我々は知っている。
 塗料中の鉛、マグロに含まれる水銀、プラスチック焼却によるダイオキシンなどはよく知られていることである。
 年間に環境中に排出される有害化学物質の量をまとめた有毒物質排出目録(Toxic Release Inventory)を見ると、いかに多くの神経有毒物質(あるいは発がん性物質、突然変異誘発物質、催奇性物質)が環境中に存在するかがわかる。
 例えば、毎年数十億ポンド(数十万トン)以上の神経有毒物質が、大気や水中、土壌中に堆積しているということである。呼吸をする毎に、飲む毎に、そして食べる毎に、人間の健康が衰えていくなどということは全く驚くべきことではないか?

 もちろん、環境に関係がある障害のうち、がんや先天性欠損症など遺伝的要素があるものもあるし、検出・判定技術が向上したために発生数が増加している障害もある。しかし『有害な道(In Harm's Way)』の著者は次のように述べている[8,9] 。

 現在、我々は遺伝的要素と環境的要素の複雑な相互作用が非常に重要な役割を果たしていることを知っている。もはや、これらの多くの発達障害が遺伝的な要因に帰するという科学的認識だけでは説明しきれない。むしろ、我々はそれらの障害が本来は防ぐことのできる環境中の汚染物質への曝露との相互作用によるものであるという理解をするようになった。

 これら本来は防ぐことのできる病気が子ども達やその家族を苦しめている。

予防原則

 予防原則(precautionary principle )では、それがもし我々の能力範囲のことならば、発達障害などの健康障害を防ぐことが倫理的に求められるとしている。この原則はドイツにその源を発する。”Precautionary”は、将来の問題を”事前に配慮する”という本来の意味を不器用に訳した言葉である。
 バイオセーフティに関する議定書(Biosafety Protocol 訳注:カルタヘナ議定書)や難分解性有機汚染物質に関する条約(POP's 条約 Treaty on Persistent Organic Pollutants)などいくつかの条約中で成文化されているように、予防原則は常に3つの側面を持っている。科学的不確かさ、有害性がありそうだということ、そして予防措置(precautionary action)である。

 この3つの要素の全ては予防原則に関するウイングスプレッド(Wingspread)での定義[10] に見られるもので、そこでは、「ある行為が人間や環境に対し害を与える脅威をもたらすならば、たとえ因果関係が科学的に十分立証されていなくても、予防策(precautionary measures)がとられなくてはならない」としている。

 予防原則に関するウイングスプレッド声明は、不確かさ、有害性、措置の3要素からなるこの原則を実施するために、学者、科学者、環境擁護者からなる国際団体によって1998年に起草された。

 ウイングスプレッド声明には次の4つの実施ステップがある。

 第1は、人々には危害を防ぐために事前に措置をとる義務がある。すなわち、実際に危害が起きる前に行動を起さなくてはならない。  第2は、新しい技術、プロセス、行為、化学物質に対する安全性立証責任はその実施提案者側にあり、人々の側にあるのではない。
 実施提案者側が潜在的な危険性や不確かさについてもっと多くの情報を持っている、あるいは持っていてしかるべきであり、したがって危険を防ぐことに対しもっと責任を持たなければならないような技術や行為がいくつもある。
 そのような技術には、製薬技術、ナノテクノロジー、化学物質、生物技術などがある。環境汚染者が技術を市場に投入する前に、環境汚染者は発生するかもしれない危害に対するコストを他に転嫁せず自身で支払うのだということを事前に確認する仕組みが必要である。

 実施提案者側に立証責任があるという概念は、実施提案者が危険性のある事柄に着手する前に、実施しようとしていることについて注意深く検証する原動力となる。このことを実現するために、これ以外の方法があるであろうか?

 第3は、予防原則を実施するためには、新しい化学物質や技術を用いた提案を実施する場合には、事前に”考えうる全ての代替案[10] ”を検証することが要求される。もし、その行為が潜在的に危険性があるならば、危険性のより少ない他の選択がないか検討する必要がある。

 第4は、予防原則に基づく決定に当たっては、”公開性、情報開示、民主主義”が必要であり、影響を受ける関係者が含まれていなくてはならない[10] 。”
 予防原則では民主的な参加が要求される。それは科学では解決できないような事柄に対する意思決定を行う場合に、当然、倫理的及び政治的に決定されるからである。
 また関係団体が参加することにより我々はより多くの科学的情報を得ることができ、よりよい選択肢を知ることができるからである。

医療関係者にとっての予防原則

 予防原則は被害を証言する力となるだけでなく、被害者の苦しみを軽減する助けになる。医療関係者は予防原則を実施することについて、また患者やその家族の生活を改善することについて特別な役割を有する。
 患者介護と政治には多くの可能性が残されている。

 環境健康の分野は、ほとんど毎日出現する人間の行為と環境健康への影響についての新しい情報の下に、急速に発展している。多くの書物が内分泌かく乱化学物質、生殖有害物質、神経有害物質などに関する基本的な情報[8,9] や人間の健康における生物多様性の役割[11] などについて書いている。
 国立環境健康研究所(National Institute of Environmental Health)の機関紙『環境健康展望 Environmental Health Perspectives』は最新の研究についてのよい情報源である。

患者介護

 ”社会に責任がある大ボストンの医師達(Greater Boston Physicians for Social Responsibility)は患者の健康と病気に関する環境要因を評価することができる”環境健康医療履歴”を作っている。これは人々が自分の置かれている環境情況について考えるための入門書としても有用である。

 地域の焼却炉に向かい合っている患者は何処に住めばよいのであろうか? 近隣に雌性植物がたくさんあり雄性植物の花粉を受粉できれば花粉アレルギーは減るのだろうか? 大気の汚染度はどうであろうか?

 フリジトフ・キャパは、測定値ではなく、地図的関連性こそが生態的な将来のあり方であると述べている[12] 。ある事柄の関連性が不確かで数値化されていなくても地図的な関連性を見ることでその事柄の関連性を理解する助けとなるので、地図的関連性は予防原則の将来の姿でもある。
 1854年にロンドンでコレラの大流行が起きた時に、環境健康地図が素晴らしい効果を発揮した。地域の医師ジョン・スノーはロンドンのコレラの真の原因が何なのか十分に理解できなかったが、患者の発生場所を地図上に記して追跡した結果、ある一つの汲み上げポンプを突き止めた[13] 。スノーはポンプの柄を外し、汚染された水源からコレラ菌が広がるのを防いだ。

 患者の環境情況を完全に理解することで、実施提案者が病気を防ぎ、ジョン・スノーがポンプの柄を外すことで実現できたように健康の促進を計ることができる。(続く)

 この記事は『健康と医療における代替療法 Alternative Therapies in Health and Medicine』2002年9月/10月号に掲載されたものである。

 (*)キャロリン・ラッフェンスパーガーは、アイオワ州アメスの”科学と環境健康ネットワーク”の理事長である。

1. Center for Disease Control. Antibiotic resistance. Available at: http://www.cdc.gov/antibioticresistance/. Accessed July 23, 2002.

2. Schettler T. 2001 Problem statement: why ecological medicine? [handout]. Presented at: Ecological Medicine Workshop; February 7-10, 2002; Bolinas, Calif.

3. The Bangkok Statement: a pledge to promote the protection of children's environmental health. Presented at: International Conference on Environmental Threats to the Health of Children; March 3-7, 2002; Bangkok, Thailand. Available at: http://ehp.niehs.nih.gov/bangkok/. Accessed July 23, 2002.

4. Chon D. Number of children with handicaps grows. San Francisco Chronicle. July 6, 2002:A3.

5. Landrigan JL, Schechter CB, Lipton JM, Fahs MC, Schwartz J. Environmental pollutants and disease in American children: estimates of morbidity, mortality, and costs for lead poisoning, asthma, cancer, and developmental disabilities. Environmental Health Perspectives July 2002;110(7).

6. New York State Department of State Counsel's Office. Legal memorandum LG06: the Americans with Disabilities Act applies to local jails and prisoners. Available at: http://www.dos.state.ny.us/cnsl/adajail.html. Accessed July 23, 2002.

7. McCallon TD. If he outgrew it, what is he doing in my prison? Focus. Fall 1998. Available at: http://www.add.org/images2/prison.htm. Accessed July 23, 2002.

8. Stein J, Schettler T, Reich F, Valenti M, Palmigiano M, Watts J. In harm's way: toxic threats to child development [report]. Cambridge, Mass: Greater Boston Physicians for Social Responsibility; 2000. Available at: http://www.igc.org/psr/ihw-report_dwnld.htm#ihwRptDwnld. Accessed July 24, 2002.

9. Schettler T, Solomon GM, Valenti M, Huddle A. Generations at Risk: Reproductive Health and the Environment. Cambridge, Mass: MIT Press; 1999.

10. Raffensperger C, Tickner J, Jackson W. Protecting Public Health and the Environment: Implementing the Precautionary Principle. Washington, DC: Island Press; 1999.

11. Grifo F, Rosenthal J. Biodiversity and Human Health. Washington, DC: Island Press; 1997.

12. Capra F. The Turning Point: Science, Society, and the Rising Culture. New York, NY: Simon and Schuster; 1982.

13. University of California, Los Angeles. John Snow. Available at http://www.ph.ucla.edu/epi/snow.html. Accessed July 24, 2002.



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