レイチェルニュース #759
2002年12月26日
医療関係者の課題
病気のパターンの変化及び人間の健康と環境について

テッド・シェトラー
#759 - A Challenge to Health-Care Providers --
Changing Patterns of Disease: Human Health and the Environment, December 26, 2002
by Ted Schettler, MD, MPH
http://www.rachel.org/?q=en/node/5605

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2003年2月7日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_02/rehw_759.html



 このエッセイは、『サンフランシスコ メディシン 11-12月号75巻 No.9』に発表されたものである。
http://www.sfms.org/sfm/sfm1102b.htm

テッド・シェトラー医学博士(*注)

 遺伝は我々の健康にそれほど大きな役割を果たしているわけではない。もっと重要なことは、我々がどこに住み、どのように生活し、働き、遊んでいるか、我々が飲み、食べ、吸い込んでいるものの安全性はどうか、ということである。
 受胎した時から発達期を経て壮年、老年に至るまで、環境要因が直接的に生体組織に影響を与えるか、あるいは遺伝子に影響を与えて病気のリスクを後代に伝えるのである。

 環境汚染と健康との関連性は幾世紀も前から分かっていたが、最近の研究により、胎児期あるいは幼児期での曝露が後に与える影響について、かつてに比べて飛躍的に知られるようになってきた[1] 。
 特に成長中の胎児や子どもたちは環境中の有害物質に無防備である。この期間には細胞は急速に分裂し、成長は著しい。脳や内分泌系、生殖系、そして免疫系などは特にかく乱されやすい。特に問題なのは子どもたちが呼吸し、食べ、飲むことにより、大人に比べて不釣合いに環境中の有害物質に曝露しがちであるということである。
 その上、子どもは体内の解毒機能が未発達であるため、大人に比べて有害物質への曝露の影響が大きい。

 鉛、水銀、ポリ塩化ビフェニール(PCB)のような物質で、大人には目に見える影響は与えないようなごく少量であっても、もし子どもが”無防備な時機(window of vulnerability)に曝露すれば、発達中の脳に生涯、影響が残る損傷を与えることがある。
 産業に由来するダイオキシンやPCBなど生体蓄積する物質に子どもの時に曝露すると免疫系がダメージを受け、子どもは感染症にかかりやすくなる[2] 。子どもの時に環境汚染物質に曝露すると、ぜんそくと高血圧症になる危険性が増大する[3,4] 。
 最近のスウェーデンの研究によれば、多くのがんの発病原因については遺伝的な要因よりも環境的な要因の方が重要な役割を果たすというだけではなく、がん発病の危険性は20代までにほとんど決定してしまう−ということである[5,6] 。

 技術の発達により、多くの病気についてその死亡者数は激減した。しかし、多くの事例が示すように、病気の発病そのものは増大している。ただし、標準化された手法なしには正確な傾向はわからない。
 現在の病気やその影響による苦しみは大変なものであり、本人や家族、地域に大きな犠牲を強いている。アメリカでは約1,200万人(17%)の子どもたちが、耳が聞こえない、目が見えない、てんかん、言語障害、脳性麻痺、発育や発達の遅れ、行動障害、学習障害などを持っている[7] 。公立学校では5〜10%の子どもたちが学習障害を持ち、その数は増大している。

 注意欠陥多動症(ADHD)は少なく見積もっても学童の3〜6%がかかっており、実際にはもっと多いかも知れない。ぜんそくの発病率は増加しているように見えるが、これは報告件数が増加しているからかもしれない。
 黒色腫、肺、前立腺、肝臓、非悪性リンパ腫、睾丸、甲状腺、腎臓、乳房、脳、食道、膀胱などのがんの年代ごとの発病率は過去25年間、一貫して増加している[8] 。
 男性の生殖器異常などの先天的欠損症や先天的心臓疾患はともに増加している[9,10] 。  精子の数と出産率はアメリカのある地域や世界のある地域では減少している[11] 。
 ぜんそくも広く蔓延しており、以前より厳しい情況である[12] 。

 このような情況について遺伝的要因として説明できるのは半分以下である。喫煙と太陽光の紫外線の影響によると認められているものもあるが、脳や免疫系、生殖系、呼吸器系、心臓血管系については環境要因が重要な役割を果たしていると理解されるようになってきた。

 環境要因に対する医療関係者の関心は低く、彼らの関心のほとんどは、喫煙、薬の乱用、日焼け止めの使用など個人的な事柄に向けられている。
 一般の人々にとってはこれらの問題の方が、水や大気の汚染問題、有害廃棄物処理場問題、農民が農薬を浴びる農業問題、魚介類の水銀汚染問題など複雑な環境問題よりも関心を持ちやすい。
 しかし地球規模の環境状態は、病気のパターンの変化とともに悪化しており、個人の健康に対して環境要因が重要な役割を果たすということ、及び医療関係者には重大な責任があるということの理解が深まっている。

 以下のことについてよく考える必要がある:[13,14] 。

** 現在、地球上には60億人以上が住んでおり、今世紀中頃までに90〜100億人になるであろうと予測されている。もし、地球上の全ての人々がアメリカ人と同じ程度に資源を使用するとしたら、2.5個の地球が必要となるであろう。

** オゾンを破壊する工業用及び農業用の化学物質の放出により成層圏のオゾン層は破壊され、悪性黒色腫の発病がが増加している。

** 大気中の二酸化炭素濃度は過去150年間で約30%も増加している。二酸化炭素は温室効果ガスであり、地球温暖化の原因となっている。一般に有害物質による大気汚染はアメリカの多くの地域及び世界中のあちこちで著しい。

** 大気中の窒素固着について人間は他の何よりも責任がある。窒化物により地下水や地表水、そして大気が危険なレベルで汚染されている。

** 人間は地球上のほとんどの水銀汚染に責任がある。水銀は食物連鎖に入り込み、生体蓄積する。ほとんどの州では、淡水及び海の魚は水銀で汚染されているので、生殖年齢の女性は胎児の脳への致命的な影響を避けるために、あまり食べないよう警告している。

** 多くの動植物の種が消滅しており、海洋漁業における漁獲高が減少している。世界のさんご礁の半分以上は人間の諸活動による脅威に曝されている。

** 地球から掘り出される鉛や水銀など自然発生の物質に加えて、新たに合成的に作り出された産業化学物質が世界の生態系、人間や人間以外の生物の生息地、母乳や卵黄、卵胞、羊水、新生児の胎便を汚染している。

** アメリカが保有する約85,000種の化学物質のうち、約3,000種は年間100億ポンド以上製造されている。これら大量生産化学物質の毒性データはほとんどそろっていない。それらのうちの75%の物質は基本的な毒性テストの結果すら公表されていない[15] 。アメリカの2000年毒性排出目録(Toxics Release Inventory、TRI)によれば、200億ポンドの既知のあるいは疑いのある神経性毒物を含む620億ポンドの指定有害化学物質が、連邦政府の法により申告が義務付けられている主要排出業者によって環境中に排出されている。小規模事業者や店舗からの排出は勘定されていない。これら排出物及びそれらを含む各種消費財からの曝露量もまたほとんど分かっていない。しかし、人口に基づく調査によれば、至る所で曝露していることが分かっている[16] 。

 産業革命が20世紀中も展開し続けるなかで、人間は地域の、そして地球規模の環境を根本的に変えてしまった。
 我々は子どもたちの発達とその結果のパターンの変化について、また病気の分布パターンの変化について、様々な兆候に気がついている。
 医療関係者はもっと環境評価に取り組むよう責任範囲を広げ、病気の発病パターンが変化していることにもっと関心を持つことが求められている。

 研修期間中に医療関係者は、患者の家族や患者の社会的経歴をよく調べるよう教えられているが、それだけでは十分ではない。家庭や地域、職場、学校の環境についての個々の知識がリスク評価と予防戦略にとって本質的に重要である。
 医療教育では発達と機能不全に果たす環境の役割について、新たにカリキュラムに組み込む必要がある。
 臨床医学者は、地域や州、国家レベルで政策的な議論を行うという重要な役割がある。
 20世紀にできた医療の実践と公衆衛生の実践との間の溝は十分に狭められていない。医療衛生関係者は、きれいな大気と水のために、地域から有害廃棄物処理場をなくすために、学校から有害物質をなくすために、力を振るうことができる。

 社会は医療と産業が協力体制を築き上げることを支えているが、その支えには限りはない。
 今、医療関係者求められていることは、重要なことは何かということ及び社会との関わり方について再点検し、病気のパターンが変化している原因について知っていることを日常の医療活動に十分反映させることである。

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(*注):
 シェトラー博士はボストン医療センターのスタッフであり、東部ボストン地域健康センターで医療クッリニックを実践している。彼はまた、”科学と環境健康ネットワーク(http://www.sehn.org)”の科学部長でもある。
 同博士は『危険な世代−生殖健康と環境』の共著者である。同書は環境中の様々な有害物質への曝露による生殖と発達への影響について考察している。
 彼はまた『危険な道−有害物質が子どもたちを脅かす』の共著者でもある。同書は子どもの神経系発達に及ぼす環境の影響について議論している(レイチェル#712 を参照)。

[1] National Research Council. SCIENTIFIC FRONTIERS IN DEVELOPMENTAL TOXICOLOGY AND RISK ASSESSMENT. National Academy Press, Washington DC, 2000.

[2] Weisglas-Kuperus N, Patandin S, Berbers G, et al. Immunologic effects of background exposure to polychlorinated biphenyls and dioxins in Dutch preschool children. ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES 108(12):1203-1207, 2000.

[3] Sorensen N, Murata K, Budtz-Jorgensen E, et al. Prenatal methylmercury exposure as a cardiovascular risk factor at seven years of age. EPIDEMIOLOGY 10(4):370-375, 1999.

[4] Peden D. Development of atopy and asthma: candidate environmental influences and important periods of exposure. ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES 108(suppl 3):475-482, 2000.

[5] Czene K, Lichtenstein P, Hemminki K. Environmental and heritable causes of cancer among 9.6 million individuals in the Swedish family-cancer database. INTERNATIONAL JOURNAL OF CANCER 99:260-266, 2002.

[6] Hemminki K, Li X. Cancer risks in second-generation immigrants to Sweden. INTERNATIONAL JOURNAL OF CANCER 99:229-237, 2002.

[7] Schettler T, Stein J, Reich F, Valenti M. IN HARM'S WAY: TOXIC THREATS TO CHILD DEVELOPMENT. Greater Boston Physicians for Social Responsibility, 2000. http://www.igc.org/psr

[8] SEER Cancer Statistics Review, 1973-1996. Bethesda MD: National Cancer Institute.

[9] The Pew Environmental Health Commission. http://pewenvirohealth.jhspu.edu

[10] Paulozi L. International trends in rates of hypospadias and cryptorchidism. ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES 107(4):297-302, 1999.

[11] Swan S, Elkin E, Fenster L. Have sperm densities declined? A reanalysis of global trend data. ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES 105:1228-1232, 1997.

[12] The Pew Environmental Health Commission. http://pewenvirohealth.jhspu.edu

[13] Vitousek P, Mooney H, Lubchenco J, Melillo J. Human domination of earth's ecosystems. SCIENCE 277:494-499, 1997.

[14] LIFE SUPPORT: THE ENVIRONMENT AND HUMAN HEALTH. Ed: McCally M. Cambridge, MA: MIT Press, 2002.

[15] Environmental Defense Fund. TOXIC IGNORANCE: THE CONTINUING ABSENCE OF BASIC HEALTH TESTING FOR TOP-SELLING CHEMICALS IN THE U.S. 1997.

[16] Centers for Disease Control and Prevention. NATIONAL REPORT ON EXPOSURE TO ENVIRONMENTAL CHEMICALS. 2001. www.cdc.gov

[17] Lubchenco J. Entering the century of the environment: a new social contract for science. SCIENCE 279:491-497, 1998.



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