レイチェルニュース #746
2002年3月14日
環境保護運動−第6回:世論を変える
ピーター・モンターギュ
#746 - The Environmental Movement
Part 6: Changing The Climate Of Opinion, March 14, 2002
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5508

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2002年4月29日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_02/rehw_746.html



 REHN #744 と REHN #745 で簡単に述べた環境的公正運動(environmental justice movement)は短い期間に多くの成果を勝ち取った。それらの幾つかは REHN #500 に挙げられている。しかし”勝ち取った”とは何を意味するのであろうか?
 それには3種類ある。

(1)第一の勝利は、ある問題に対し市民が立ち上がり反対者を抑え、地域の環境を改善する、あるいは少なくとも現状を維持するという、地域での勝利である。例えば、”低レベル”放射性廃棄物の投棄を止めさせる、地域の公園を作らせる、石油精製工場に有害物質の排出を削減させる、などである。
 地域での勝利にはそれら以外の成果もある。人々は民主的な活動を経験する、見知らぬ者どうしが知り合いになる、地域のことは地域が関与して決めることができるということを悟る、などである。
 一連の地域の運動が問題点を浮き彫りにした後に、やっと政府の政策が変わる。州の”知る権利”法がその典型である。米議会は知る権利法など発案しなかった。しかし、米国中の数十の地域で市や州独自の知る権利法が成立した後に、米国議会でこの法律が成立した。
 すなわち、地域の運動が問題点を照らし出す原動力となり、解決方法を創案し、最後には政府の政策を変えさせる。地域での運動が、議会に対し新しい政策を作り出すよう下から突き上げる。これが常であった。

(2)第二の勝利は、政策そのものがに勝利であることであり、それは政府が通常のやり方を変えたときに実現する。例えば、外洋焼却炉船による有害廃棄物の焼却禁止、安全で健康的な職場で働く権利についての議会の宣言、などである。しかし残念ながら政策を勝ち得てもそれらが永続的であることはほとんどなく、通常はそれらを擁護する闘いを繰り返し繰り返し行わなければならない。
 時には、地域からの突き上げではなく、議員への働きかけ(”王様の耳へのささやき”とも呼ばれる)により政策が変わることもある。このような場合、得られた政策はもろくて短命であることが多い。それは、誰かがもっと大きな声で異なることを王様の耳にささやく(例えばもっとお金を使って)からである。
 従って、地域レベルで支えられた確固とした政策を勝ち取ることが望ましいが、しかし確固とした政策が最終的な目標ではなく、それらは第三の勝利に向かう過程の重要なステップである。

(3)第三の勝利は、それが最も重要なものであるが、”世論”を変えるということである。今日、奴隷制度は非合法であるというだけではなく、不合理なこととして全く問題にもならない。例え、奴隷制度に戻そうというまじめな提案があったとしても、到底、世論がそれを許すわけがない。”女性の参政権の禁止”も全く同様である。
 一旦、”世論”が確立すれば、それを覆すことは”政策”を覆すことよりもはるかに難しい。”世論”はどのような行為が許されないかを決定する。”世論”が変わるということは非常に重大なことであるが、我々はしばしばそのことに気がつかないでいる。

 環境的公正を求める運動の成果について少し検証してみよう。この運動は、数千の地域レベルの勝利及び数十の政策の勝利をあげてきた。これらの勝利のうちあるものはいくつかの文献の中で述べられている[1]。しかし、環境的公正を求める運動を真に重要なものとしたのは、”世論”の中に芽生えさせた変化である。私にはとりあえず、二つの大きなことがらが思い浮かぶ。

(1)”環境”という言葉の定義は、かつては”野生の場所”であり、多くの人間が住んでいる場所では決してなかった。私は、1968年頃シエラ・クラブ( Sierra Club)の会員が、シエラ・クラブの関心をアメリカ市民の大部分が生活している都市の環境には向けないということを投票で決めたことを思い出す。しかし1980年代に、環境的公正を求める運動は、”環境”を”野生の場所”から”野生の場所プラス我々が住み、働き、遊び、学ぶ、すべての場所”と定義し直した。(シエラ・クラブも徐々にこの新しい定義を受け入れた。)これは全くの様変わりであり、この見方が今後元に戻ることはないと思われる。かくして今では”環境”問題は非常に多くの人々に影響を与え、関心を持たせることができるようになった。

(2)環境的公正を求める運動によってもたらされた第二の主要な”世論”の変化は、その名が示すとおり”公正”である。これには少し説明が必要であろう。

 1970年代に、法的/科学的環境運動が起こり、ロビー活動によって、環境を脅かす行為を抑制するための法律、例えば、大気汚染防止条例、水質汚染防止条例、等を成功裏に成立させた。
 これらの法律は、もっぱら科学的情報にのみ焦点を当て、市民に対して規制措置がとられる前に危害が人間又は環境に対し起きていることを科学的に証明することを求めた。私はこれを環境規制における”危害証明”システムと呼んでいる。
 当初、環境を汚染している企業はこの新しいシステムによってビジネスが立ちゆかなくなるのではないかと不満であったが、その後、”ブリアー・パッチ物語に出てくるウサギどん(Brer Rabbitin the Briar Patch")のように、汚染企業は”危害証明”規制システムを好むようになった。彼らはこのシステムのおかげで繁栄するようになった。
 30年経った今、なぜこのシステムが環境や人間を守ることができないかを知ることができた。以下はその理由の一部である。

(1)”危害証明”規制システムは措置が採られる前に危害が生じていることを求めている。これは、規制が行われるまでに、数百万人の人々が病気(小児がん、リンパ腫瘍、乳がんや前立腺がん、パーキンソンズ病、慢性疲労症、糖尿病、子宮内膜症、喘息、その他環境関連の病気)にならなければならないことを意味する。かくして規制は役に立たず、納屋から馬が逃げ出した後にドアを閉めるというような間の抜けたものとなる。
 その結果、今では地球全体が、誰も証明していないのに安全であるとする仮定の下に排出された(そして多くの場合、現在も排出されている)毒性が強く残留性のある産業排出物によって汚染されている。危害についての科学的証明が蓄積した時では、すでに遅すぎてその危害を防ぐことはできない。従って真の予防は”危害証明”システムの下では実現できない。

(2)科学は、しばしば、”危害”を明確に定義することができず、それが起きたことことを立証することが難しい。有毒金属である鉛を例にとって見よう。
 1975年には人間の血液0.1リットル中の鉛濃度39マイクログラムは危険ではないと宣言された(40マクログラムが規制レベル)。現在、39マイクログラムでは子どもの脳に重大なダメージを与えるということが分かっている。科学が進歩して29マイクログラムなら危険はないと宣言され、さらにその後14マイクログラム、現在は9マイクログラムと修正された。30年の間に1千万人の子ども達が脳にダメージを受けた。現在、多くの科学者が、血液中のどのようなレベルの鉛でも中枢神経システムにダメージを与え、知能指数(IQ)を低めるということを認めている。
 しかし、鉛産業側に雇われた科学者達は、いくつかのデータの不確かさを指摘して、このような結論に異議をとなえ、ほとんどの見識ある科学者達が子どもの脳にダメージを与える鉛濃度であるとする9マイクログラムは安全レベルであるとする議論を続けている[2] 。

(3)鉛の危害の例のように、科学的結論には常に何らかの不確かさがつきまとう。”危害証明”規制システムの下では、科学が危険であると証明するまで、わけの分からぬ計器飛行をフルスピードで行うようなものである。自分がしていることが何なのか分からなくても、それをそのまま続けるということである。

 科学的に不確かであるということが、ビジネスを行うことに対し青信号を与えるための口実として許されるという状況の下では、どのような研究に対しても、あるいはどのようなデータに対しても疑問を投げかける科学者がいるもので、彼らの雇い主がビジネスを進めることができるようにする目的のために科学的不確かさが作り出される。世界中で最も古いタイプの専門家のあるメンバーが(男性も女性も)現在も白い実験室用コートを羽織っている。

(4)”危害証明”システムは、”最も多く曝露した個人”に注意を払い、仮想の人を守ることを意図して規制を設置する。もし”リスク評価”が”最も多く曝露した個人”が産業が排出した化学物質X、Y、Zによってダメージを受けないであろうと結論を出したなら、その排出は承認されたことになる。
 このシステムが考慮していないことは、数千、数万の”安全”な排出が積み重なることによる影響であり、これらが周辺を汚染し地球を汚染する結果となる。
 個人に焦点を当て科学に危害の証明を求めることによって、このシステムは生態系と地域環境を犠牲にする。

(5)”危害証明”システムには、すべての人々(及び今日ではすべての植物と動物も同様に)は複合的な曝露、例えば、火力発電所やゴミ焼却施設からのスス、医薬品・薬剤、ディーゼル排気ガス、破壊されたオゾン層からの過大な赤外線、大気、雨、霧、食品、水に含まれる農薬、下水処理施設や河川に排出される産業からの有害物質、核実験時代に放出された放射性降下物質、農業で広く使用されている人工成長ホルモン剤、等、等を受けているという事実を勘案する方法がない。
 科学者達は、有害物質への複合曝露による複合効果を評価する手法を持ち合わせていないので、彼らは現実はもっと単純であると偽って複合曝露を無視する。その結果、規制システムにおいて、安全であるとする科学的決定の根拠は実際には何もない。
 彼らは、勘と経験による推察、感情、専門家としての最良の判断、そして全くの想像、これら全てを結果がOKとなるよう粉飾して説明する。同じデータを分析する二人の科学者が全く異なる結論を導き出すことがある。

(6)”危害証明”規制システムは、その決定を科学的根拠にのみ基づくので、多くの人間的側面をなおざりにする。例えば、今日、多くの人々は環境を単にそれが神による創造物であるという理由だけで守りたいと望んでいる。”危害証明”システムはそのような非科学的な考えに対処する余地がない。多くの女性は、母性本能で母乳は有害化学物質に汚染されないことを願う。科学が白黒の判断を下すまで、産業排出物質についての科学的議論の中に母性本能など一切出てこない。(実際、このような女性は家に帰り、そのようなことは専門家に任せておきなさいといわれるのが落ちである。)

 現在、環境的公正を求める運動は、世論に対し、”危害証明”システムは合理的ではないと働きかけている。数千の地域での運動の中で危害証明”システムと立ち向かう草の根活動家達は、今、真の予防に基づく新たなアプローチを創出している。それは”予防措置(precautionary action)”と呼ばれている。この新しいシステムの下では、科学的不確かさは、”黄信号”、あるいは”赤信号”となる。もし、自分がやっていることが分からないのなら、それをするべきではない。後悔先に立たずである。

 ”予防措置”の下では、危害が起きている、あるいは起きそうだという確かな証拠がある時には、例えその危害の正確な特性や程度が証明されていなくても、政府はそれらの危害を防ぐ義務がある。
 ”予防措置”の下では、製造者は目的に合った選択肢の中から最も有害性が少ないものを使用しているということを示す責任がある。
 ”予防措置”の下では、製造者は新しい化学物質や技術を市場に出す前に、それらが無害であると証明されるまでは無害であると仮定することなく、その有害性について徹底的に検証しなくてはならない。
 すべての入手可能な科学的データを用いることに加えて、予防的意志決定は他の種類の知識をも尊重し使用する。倫理、道徳、謙虚、何が正しく善であり公正であるかについての人間としての感覚、等である。

 世論の変化はよく進んでいる。環境的公正を求める運動のおかげで、”危害証明”は不合理なものと見なされ、徐々に”予防措置”に置き換わっている。これは誠に大きなことである。

ピーター・モンターギュ

[1] Robert D. Bullard, DUMPING IN DIXIE (Boulder, Co.: Westview Press, 1990; ISBN 0-8133-7954-7); Bunyan Bryant and Paul Mohai, editors, RACE AND THE INCIDENCE OF ENVIRONMENTAL HAZARDS (Boulder, Co.: Westview Press, 1992; ISBN 0-8133-8513-X); Robert D. Bullard, editor, CONFRONTING ENVIRONMENTAL RACISM; VOICES FROM THE GRASSROOTS (Boston: South End Press, 1993; ISBN 0-89608-446-9); Jim Schwab, DEEPER SHADES OF GREEN (San Francisco: Sierra Club Books, 1994; ISBN 0-87156-462-9); Robert D. Bullard, editor, UNEQUAL PROTECTION (San Francisco: Sierra Club Books, 1994; ISBN 0-87156-450-5); David E. Newton, ENVIRONMENTAL JUSTICE (Santa Barbara, Cal.: ABC-CLIO, 1996; ISBN 0-87436-848-0).

[2] Bruce R. Fowler and others, MEASURING LEAD EXPOSURE IN INFANTS, CHILDREN AND OTHER SENSITIVE POPULATIONS (Washington, D.C.: National Academy Press, 1993; ISBN 0-309-04927-X)


化学物質問題市民研究会
トップページに戻る