レイチェル・ニュース #739
2001年12月6日
先住民のやり方で
ピーター・モンターギュ
#739 - In The Native Way, December 06, 2001
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5438

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2002年1月1日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_01/rehw_739.html



トム・ゴールドツース/先住民環境ネットワーク国際部長(注*)

 我々のネットワークが環境保護の活動を行っていく上で、霊的なことがらが非常に重要な役割を果たす。それは我々は誰かということを原点としている。先住民として私は、我々は土地そのものであり、土地は我々である−と信じている。
 環境の正義運動(the environmental justice movement)に関わる我々は、環境を保護するということは霊的な務めを行うことである−ということを説くことから出発した。

 我々が環境について語る時には、ほとんどいつも霊的なことがらについて話している。我々は大気について語るが、それは創造主から与えられたものである。我々は生まれた時に、生命を与える最初の呼吸をする。いつの日にか死ぬ時に、生命の息吹は我々の体から去っていく。そして一つのサイクルが完結する。

 水もまた霊的なものである。胎児は母親の子宮の中で水に浸っている。水は我々を支えるものである。母なる大地の水脈を流れる水は、この世のすべての生命に注がれる。

 土は大地そのものであり、母なる大地を被う土もまた霊的なものである。

 毎朝昇る太陽は我々を暖めてくれ、英知を与えてくれる。それは火であり、火もまた霊的なものである。

 我々の様々な部族に伝わる予言によれば、技術進歩や土地開発は自然の調和を乱し、将来の地球に悪影響を与えることになる。

 五大湖の東部地域にある6カ国には、いつか木々がてっぺんから枯れ始めるという言い伝えがあるが、私は、それはすでに起こっていると理解している。アンデス山中の氷河は後退し始めている。アラスカでは氷が薄くなってきたが、それはアラスカ先住民が生存するための文化を脅かしている。地下水が枯渇してきているとも聞いている。
気候変動と地球温暖化は、我々先住民に影響を与えている。

 我々の長老達は、長い間行われてきた霊的な闘いについて話している。産業化は、常に大地を支配し、人を支配しようとする。それは今でも行われている。私はグローバリゼーション(地球規模化)もその一つであると考えている。グローバリゼーションは人々にも、霊的な本源にも、日々の糧を確保することにも、何ら価値を与えない。
 霊的な価値は、母なる大地、植物、全ての命あるものと命なきものを守ることの重要性を我々に知らしめてくれる。我々がこれらのことを理解していないと、その隙をついて、産業化、開発化、そしてグローバリゼーションは望み通りのことを成し遂げる。それらが霊的価値観を有していないからである。
 グローバリゼーションは、企業経営主義を第一とし、植物や生きるもの、そして人間の重要性よりも優先させる。

 旧世界のヨーロッパに目を向けると、十字軍と宗教裁判が、大地に根付く信仰を奪い去った。このことが歴史を変えてしまった。さらに産業化の波が旧世界の部族を滅ぼし、帰属意識を奪い、伝統的な統治の仕方を変え、領主と農民の関係に置き換えてしまった。
 彼らは大地との関わりを失い、自分が誰であるかを見失った。

 このことが、先住民族として伝統と文化を継承し、我々の子ども達に自分達が誰であるかを知らしめ、母なる大地に対する霊的な帰属意識を持たせることが重要性であると、私が常々信じてきた理由である。
 先住民、特に遠い昔から自分達に授けられたやり方を今後もやっていこうとする人々は、絶滅の危機に瀕した種である。植民地主義の産物である異文化への適応と同化は非常に効果的に行われた。
 先住民族として我々は、わずかに残された我々の言葉、儀式、そして神聖な領域を守って行こうと思う。西洋風な開発の波が、徐々に多くの神聖な場所を破壊している。

 長老達は、我々は与える側と受ける側が共に住む部族共同体の一員であると話していた。長老達は、我々が人々の所に行き、話しかけ、これらのことについて教えるよう説いた。先住民族のやり方では、我々は個人の霊を敬う。我々は自己実現を果たし、その行為に対し責任を持たなくてはならない。

部族会議

 残念ながら、非先住民の人々は最早伝統的な部族のシステムを持っていないので、彼らとは部族対部族として会うことはできない。これは我々がこの種の問題に如何に対処してきたかを示すものである。かつて、常に儀式を取り仕切る指導者、女達の指導者がおり、これらのことに対応するメカニズムがあった。しかし、今はそのようなものはどこにもない。同族意識はなくなってしまった。

 伝統的なやり方の実践者として、私は、まず祈りを第一に、そして霊的なパイプを第一にするよう教えられてきた。これらの教えは、何をするのも創造主を第一とすべしという規範を私に植え付けた。創造主を第一にしないとトラブルが起きた。
 私は、我々は理性と感情を与えられたと教えられたが、理性に重きを置きすぎると、バランスを崩した。バランスを保たなくてはならない。祈りをないがしろにして書類作りや政治ばかりやっていると、私はトラブルに陥った。

 我々の伝統的な社会では、政治的指導者がいたが、その指導者はそれぞれの村の霊的指導者とバランスを保っていた。
 様々な部族には、男達をつなぎ止める母系システムがあった。母なる大地に通じる女性信仰には多くの意味があるが、多くの人々はそのことを理解していない。我々は常々、母なる大地は神聖であると言ってきた。大地は創造の起源であり、生命を営む源泉である。そのことが、先住民族の伝統的価値観として、女性を最も崇め、尊敬する理由である。
 我々は、母なる大地を大事にし、女性を、母親を、伯母を、祖母を、姉妹を、娘を、大地を大事にするのと同じように大事にするよう教えられてきた。

 多くの異なる部族があり、多くの異なったやり方があるが、母なる大地の神聖さと女性との関係については、多くの類似性がある。我々がその重要性の理解を忘れる時はいつでも、我々男どもにはトラブルが起こる。
 男には過大なうぬぼれがある。男はすぐに宗教と社会を交戦状態に巻き込んでしまう。女性はその重要性を理解しているので、我々が常に女性から、母系システムがら、方向性を指し示してもらわなければならない。それは常にバランスである。

 男の役割もまた重要である。男は、我々の村と女性の保護者である。私は、現在生命がバランスを失っているのと同じように、男と女の役割がバランスを欠いていると考えている。私は、男はこの現代社会において、その役割が何なのか見極める必要があると考えている。
 女性は子どもを産み、創造性の原理について理解を持ち、大地や月との霊的な関連を持っている。女性の役割は分かりやすい。
 しかし、私は、部族を問わず多くの兄弟達がバランスを欠いており、人間として自分が誰なのかを探し続けていることを知っている。我々は父なる大空と母なる大地がお互いに創造的原則の一部を成しているということを忘れてはならない。

 環境について話を戻そう。私が、白人の環境保護主義者に、霊的側面の大切さを語っても、彼らはそれについて、特に男は、理解を示さない。女性の方が理解を示す。しばしば、非先住民族の人々は、大地を崇めることが従者の概念であるということ−それは良いことであるが、主人としての側面も残している−に理解を示す。とにかく我々は最初は従者として取り組んでいく。

儀式を共有する

 様々な部族に伝わる多くの言い伝えでは、海を渡ってきた年若い兄弟姉妹が先住民に行くべき方向を指し示す時代が来るとしている。けれども私が若い時には、新しい世代が我々の土地や儀式に入り込んでくることには、非常に抵抗を覚えた。
 私の青春時代には、いわゆる赤い力(Red Power)と呼ばれる先住民族行動主義に夢中になった。私は空に拳をかざして、我々の条約の権利を求め、正義を求める一兵卒であった。私がかつて祖母に話をすると、祖母は私に、「あなたは多くの怒りを持っている。何が悪いの?」と言った。そこで私は、人々が次々に殺されていく様子を語った。彼女は「あなたは儀式に行く必要がある。あなたは多くの怒りを持っている}と言った。

 数年後、多くの非先住民族、基本的には白人、が答えを求めに我々の儀式にやって来た。私はそれに答えるために悪戦苦闘した。それは私には、我々から対価なしにものを奪う相も変わらぬ古いやり方であるように思えた。

 ミネソタ州プレーリー・アイランドのダコタ居留地にいる伯父が、1980年代の中頃にスチーム・バス小屋(sweat lodge/アメリカインディアンに伝統的なもの)を手伝ってくれと頼んで来た。彼は、色々な人種の人々が彼の儀式に参加してくれることを夢見ていた。やがてそれは実現して、金曜の夜にはツインシティズに多くの人々がやってくるようになり、これらの人々を世話するために伯父を手助けした。
 もし彼がそのことを私に頼まなかったなら、そのようなことはしなかったであろう。しかし、彼は助けを必要としていたし、幾分疲れてもいた。私は、私の怒りをこのスチーム・バス小屋には持ち込まず、一生懸命そこで働いた。そして同情するということを覚えた。

 私は、ヨーロパと同様に、この国の人々は何かを探し求めていると感じている。私はドイツ人が経営するスチーム・バス小屋、それは1970年代に純粋のチェロキー族の男から譲り受けたものであるが、に行ったことがある。2000年にドイツで、これらのドイツ人達と一緒にスチーム・バス小屋の中でくつろいだ。
 彼らは「十字軍の時代の昔に、自分たちのやり方を失ってしまった。そしてこのアメリカインディアンのスチーム・バス小屋こそが、本当の自分たちの生き方に戻してくれる」と語った。生活し、生き残るために必要な全てのものを持っているにもかかわらず、お互いに同情と愛と信頼を示しあっていた。
 彼らがしていることは間違っていると誰が言えようか。私はこの霊的な理解は人種には関係なく全ての人々によって共有されるべきだと思うようになった。
 1980年代に戻ると、私はレインボー族のある人々と会った。このレインボー族はほとんどが白人であるが、黒人やラテンアメリカ人、アジアの人々もいた。私はレインボー族に対し、基本的にヒッピーであり、マリファナを吸い、パーティ好きで、大地との関わりを持とうとする−というステレオタイプの偏見を持っていた。
 私は何かバランスが欠けるものを感じていたので、通常、彼らからは離れていた。しかし、私は、伯父がプレリー・アイランドのダコタ居留地で開いた儀式にやって来た彼らの年長者達に会った。私は座り、彼らと話を始めた。私は、彼らが先住民やそのやり方を軽視することなど望んでいないということが分かった。
 私は物事を文脈通りにしておくことの重要性について、そしてそれらを混ぜ合わせてしまわないことの重要性について述べた。彼らは、レインボー族にはそのことに対する構造ができていないと言った。彼らは出来ることについて最善を尽くし、基本的には、異なった人々が異なったやり方を望むことを許容すると言った。

 私は、そのことについて祈り始めた。私は、神は非常に哀れみ深く、だれでも愛するということを理解するようになった。人々が、レインボー族のように、答えを求めて集まってくるが、もし彼らが誠実で、忍耐強ければ、道は開けるでであろうと思う。それは我々が定義するような先住民族だということでなく、霊的なやり方それ自身に由来するものであり、それは彼ら自身のものである。
 このことが、すべての人々と全ての部族にとって、創造力の源泉となる。

 全ての人々がこのような霊的なやり方をすることにより、土地、母なる大地、地球と自己との関わりを再確認することができればと、私は祈るものである。それが実現されれば、平和で、汚染のない、安全な将来を次の世代に残すことができる。

(注*)
トム.B.K.ゴールドツース
先住民環境ネットワーク(the Indigenous Environmental Network)国際部長
P.O.Box 485, Bemidji, MN 56619; Phone: (218) 751-4967
Web: http://www.ienearth.org

下記に掲載された記事の転載であり許可を受けている。
YES! A JOURNAL OF POSITIVE FUTURES (Winter 2002),
P.O. Box 10818, Bainbridge Island, WA 98110. Subscriptions: (800) 937-4451
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