レイチェル・ニュース #735
2001年10月11日
環境保護運動−第3回:
市民による環境保護主義

ピーター・モンターギュ
#735 - The Environmental Movement -- Part 3
Civic Environmentalism, October 11, 2001
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5418

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2001年11月17日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_01/rehw_735.html


 主流環境保護運動は、ジョン・ミュア、ギフォード・ピンショット、その他、初期の環境保護者達の遺志を引き継いで、1970年代に発展した。1970年代から1980年代にかけて連邦政府は、環境保護ために新たな体制を作り、法律を制定した。ニクソン大統領は環境保護局(EPA)を設置した。議会は環境基準審議会を設置し、多くの法案を採択した。

 新たな環境保護体制の中で、天然資源保護協議会 (Natural Resources Defense Council (NRDC))やエンバイロメンタル・ディフェンス(Environmental Defense)などの主流環境保護運動体は、弁護士や科学者達が訴訟、法規制の作成、科学的基準作りを通じて世論形成に影響を与え得るということを理解した。これら社会問題に係わる弁護士や科学者達は理想主義的であり熱狂的で、長時間働くこともいとわなかった。彼らは、ロビー活動や基準の設定に努力し、よく気心の通じた人を審議会に送り込んだ。地域の多くの活動的でない人々にダイレクトメールで働きかけ、資金調達をした。
 しかし、彼らは、多くのアメリカ人にアピールできるはずの”運動”を立ち上げようとはしなかった。それは政治の枠組みの中で活動するプロのエリート集団により環境を保護することができると、本気で考えていたからである。しばらくはこのやり方で、うまく行くように見えた。

 1980年にロナルド・レーガン大統領が出現するとワシントンの環境保護政策を含め、多くのことが変化した。風刺画家ハーブロックの描いた風刺画は、レーガン大統領と内務省長官ジェームス・ワットが一緒にピクニックに行き、チェック模様のテーブルクロスを木の切り株に広げて、にこにこ顔で収まる二人の背景は、一面切り株だらけのはげ山であった。風刺画の表題は”これより良いものはない”。

 次は、先代のジョージ・ブッシュ、ヒラリーとビル・クリントン、そして、ニュート・ギングリッチである。環境保護主義者は、せいぜい黙認されるか、悪くすると”環境トロリスト”呼ばわりされた。”自由市場”の思想がワシントンや多くの州都を席巻し、従来の環境保護運動は新しい世の中の流れに取り込まれ、自らを”ビジネスの友”と称し、環境保護に市場メカニズムを取り入れることを支持した.[1, pg. 105] 。
 彼らの多くは、貧困な地域、有色人種の地域に汚染を流し込み、漏斗の役目を果たすことになる”環境汚染権”の売買政策を支持したし、現在も支持している。

 クリントン政権に近づこうとして、主流環境保護主義者達は、北アメリカ自由貿易条約 (NAFTA)が成立するよう協力をした。エンバイロメンタル・ディフェンス(Environmental Defense)、ナショナル・オズボーン協会( National Audubon Society)、アメリカ野生生物連盟(National Wildlife Federation)、天然資源保護協議会 (Natural Resources Defense Council (NRDC))、世界野生生物基金(World Wildlife Fund )などは、NAFTA環境連合を結成し、敵対者に協力して自由貿易思想の推進を始めた。シエラ・クラブ(Sierra Club)はこの連合に入ることを拒否した。
 NRDCのジョン・アダムスは、後に、「我々、環境保護主義者は、クリントン政権が闘わなければならない2つの大きな相手の一つである。他の一つは労働者である。我々は、環境保護者の中でNAFTAに反対する人々をうち破った。我々が、この地位を確保した後は、クリントン政権が闘わなければ相手はただ一つ、労働者だけである。我々は彼を大きな味方にすることができた」と自慢した[1, pg. 188] 。

 しかし、結局はそのような”内部取引戦略”は失敗に終わった。アメリカ野生生物連盟(National Wildlife Federation)のジェイ・ヘアーがクリントン/ゴア政権との関係について、「情事も、最後は無理強いに終わる」と述べた[1, pg. 177] 。

 過去20年間、環境主流派は、継続して国の政策に影響を与えることはできないということを悟った。それは規制を一ひねりしたり、法を修正したりすること、すなわち”王様の耳にそっと囁く”戦略をとっても王様に対しては継続的な圧力にはならないからである。王様は、気まぐれであなたの嘆願を承諾してくれるかも知れないが、王様を支える全国的な支援組織がないので、王様の決定は直ぐに覆されるかも知れないのである。

 かくして、アメリカの環境政策は、1970年代のままである。ヨーロッパ諸国、オーストラリア、ニュージーランド、そして第三世界の一部の国々では、予防原則、拡大生産者責任、汚染防止、クリーン生産、及びゼロ廃棄物の考え方に基づく新しい環境保護の政策が採用されているが、アメリカでは”一時一つの化学物質リスク評価(risk assessment of one chemical at a time)及び効果のない”最終端での処置(end-of-pipe controls)”に基づく、機能しないシステムによる規制のままである。

 我々は、レイチェルニュース#732で見たように、訴訟や規制作りからなる主流環境派戦術は、アメリカ司法界が財力と右翼”自由経済”の軍門に下ったために、失敗に帰した。

 この点において、主流環境派各団体は今日的要求を満たせるよう、体制を立て直すことができるであろうか。そのような兆候も少しは見える。世界野生生物基金(World Wildlife Fund )は、予防原則を支持し、残留性と生体蓄積性のある全てのクラスの化学物質を段階的に中止するよう主張する国際交渉団のリーダーになった。シエラ・クラブ(Sierra Club)は、環境正義(environmental justice (EJ))行動主義を真剣に実践し、組織労働者との対話を始めている。他の主流環境団体も新しい展望にシフトすることができるかどうか、注目する必要がある。
 今までのところ、政府系の主流環境団体は、環境保護のための予算の約70%を享受している[1, pg.41]。

 一方、新しいタイプの環境保護主義が、驚くほどの財源不足にもかかわらず、台頭してきた[2] 。ニューヨーク州ラブ・カーナルやノースカロライナ州ウォーレン郡などで、1970年代から1980年代に始まったものである。以来、アメリカ中に広がっており、各地域での社会的、経済的、そして環境的不正に関する問題に取り組んでいる。しばしば、それは汚染者が黒人やラテンアメリカ人地域に店を出すことを阻止する闘いという形を取ってきたが、時には地域の活性と発展に対し、ホーリスティック(訳注:全体論。複雑な体系の全体は、単に各部分の機能の総和ではなく、各部分を決定する統一体であるとする)なアプローチを取るようになってきた。

 最近、MIT出版から刊行されたすばらしい本、ウィリアム・シャットキンの『あるべき我が国土−THE LAND THAT COULD BE』では、この新しいアプローチを”市民の環境保護主義”と命名している[3] 。シャットキンは「市民の環境保護主義の最終的な定義、及び他の社会的行動との違いは、環境問題の解決と地域社会の建設との関係が明確であるということである。市民の環境保護主義は、我々の地域社会の質と持続可能性を経済的にも、社会的にも、そして環境に関しても確実にするための基本である」と述べている[3, pg. 128] 。

 市民環境保護主義は以下の6つの基本概念からなっている。

  1. 政策決定における民主的な参加
     「市民環境保護主義は、環境政策の決定に当たって、その結果が多くの人々によって共有できるようにするために、全ての市民がルールに基づき、現実的に参画できるようにする」とシャットキンは述べている[3, pg. 129]。
     そのためには、少数の専門家だけではなく、全ての関係団体が一堂に会さなくてはならない。企業経営者、開発業者、政府担当者、非営利団体の代表、労働者、住民などである。そのような過程を通じて、人々は、年齢や人種、所得、性別、民族、地理的場所にかかわらず、お互いを理解し、必要とするようになる。
     対面会議でないと、反対派の人々予断を持って相手を見がちであり、真の人間として見ることができない。対面作業を行うことにより、地域共同体のセンスが育まれ、それによりさらに参加者が増えることになる。このアプローチにより、普通の人が、エリート専門家としてではなく、情報提供者及びアドバイザーとして固有の役割を演じる専門家になり得ることが証明される。しかし参加民主主義においては、決定は、関係者に完全に周知されなくてはならない。
     この概念はアメリカではほとんど実施されていない。参加民主主義は、通常、納税とたまに行われる選挙に限定されている。

  2. 地域と地方の計画
     計画の詳細を直ぐに詰めるのではなく、計画とは、地域が5年後、10年後にどのような将来を望んでいるのかを明確にし、そこに到達するために必要な資源を確保し、地域の資産を目録にし、その後、望ましい将来を実現するための第1歩を踏み出し、計画に基づく達成度を測定することである。
     きちんとした計画を行わないと、都市の無秩序な開発、人間に必要な空間や野生生物の生息地の喪失、大気汚染、使われない市民センターや郊外のカルチャーセンターが残るという結果となる。

  3. 環境教育
     環境教育がまず目指すところは、若者が自然の中での自らの居場所を大事にし、自然を支配したり、破壊することがないようにすることである。また環境教育により、生産者と消費者の双方が、必要があれば従来のやり方を変更できるように、彼らの経済活動の意義について知らせることができる。環境教育は、また、貧困者や有色人種が不公平に環境汚染に曝されていることをも人々に伝えることができる。
     市民は、今まで、自分たちのやり方で環境教育を行ってきたし、政府や企業の担当者に、今まで知られていなかった環境と人間の健康との関係について警告してきた。住民や労働者は多くの深刻な環境問題を、科学的に原因と結果が証明されるよりずっと以前から認識していた。

  4. 産業エコロジー
     シャットキンはこの言葉を、よく用いられている”クリーン生産”という言葉の代わりに用いている。「基本的な概念は、産業における一連のプロセスである、採取、製造、物流、消費、廃棄がエコシステムを成しているということである。
     シャットキンは、産業エコロジー(クリーン生産)は「環境保護主義者に、やむにやまれぬ経済開発のモデルを提供し、彼らが経済開発と合理的な環境建設へ関与し促進することを可能にする」述べている[3, pg.138] 。
     シャットキンは、建築家ウィリアム・マックドノーが開発し、『ハノーバー原則』として出版された、一連の現代的な”設計原則”を紹介している[4] 。

  5. 環境正義
     市民環境主義では、地域は全ての人々に対し、居住し、働き、遊ぶための健康な場所を提供するよう求めている。また人々が、特に今まで無視されてきた人々が、彼らの健康と環境に関することについて決定する場合には、それに参画する機会を持てるよう求めている。正義は、労働者、貧困者、疎外者を含む全ての人々の環境健康と安全を意味している。

  6. 場所
     シャットキンは場所の重要性についてアラン・グスノーの言葉を引用して「場所とは、感覚が知覚する環境全体の一部分である」と述べている。詩人のギャリ・シンダーは次のように述べている。「人種、民族、性別、国籍、階級、年齢、宗教、職業等によって我々が識別する全ての構成員にとって、最も忘れられがちであるが、最も心を癒してくれるもの、それは場所である。・・・例え、お互いが争っていたとしても、お互いに共有できるもの、それは風景に対する関わり合いである」[3, pg. 140] 。

 シャットキンは、我々はすでに望ましい地域社会を作り上げるために必要なアイディアと技術のほとんどを手にしていると主張している。選挙のたびに、ほとんどのアメリカ人が環境保護を支持し、より多くの市民参加と地域意識を望んでいるということを示していると彼は指摘している。我々に欠けているものは、どのようにすれば良いかを示すサンプルである。「我々を鼓舞し、導いてくれる、持続可能な地域モデルがあまりにも少ない」と彼は述べている[3, pg. 141] 。

 シャットキンは、”市民環境主義”に関する、現実世界の4つのケーススタディを示してこの本を締めくくっている。ボストンのダッドリー ストリート、カリフォルニア州オークランドのフルーツベイル地区、コロラド州ダグラス郡郊外、ニュージャージー州モーリス郡とサマサエット郡である。
 ここには新しい環境政策のタネが撒かれ始めたが、まだまだやるべきことが多く残されている。
(続く)

ピーター・モンターギュ
(National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO)

[1] Mark Dowie, LOSING GROUND (Cambridge, Mass.: MIT Press, 1995). ISBN 0-262-04147-2.

[2] Daniel R. Faber and Deborah McCarthy, GREEN OF ANOTHER COLOR: BUILDING EFFECTIVE PARTNERSHIPS BETWEEN FOUNDATIONS AND THE ENVIRONMENTAL JUSTICE MOVEMENT (Boston, Mass.: Philanthropy and Environmental Justice Research Project, Northeastern University, 2001).

[3] William A. Shutkin, THE LAND THAT COULD BE (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2000). ISBN 0-262-19435-X.

[4] Available at
http://repo-nt.tcc.virginia.edu/classes/tcc315/Resources/ALM/Environment/hannover.html



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