レイチェル・ニュース #733

2001年9月13日
環境保護運動−第2回:失敗と成功
ピーター・モンターギュ
#733 - The Environmental Movement -- Part 2
Failures And Successes, September 13, 2001
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5385

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2001年10月24日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_01/rehw_733.html


 このシリーズでは、1965年以降の新しい環境保護運動の歴史について検証する。最も大きな資金を持つ環境団体の主流は、エンバイロメンタル・ディフェンス(Environmental Defense)、天然資源保護協議会 (Natural Resources Defense Council (NRDC))、アメリカ野生生物連盟(National Wildlife Federation)、シエラ・クラブ(Sierra Club)、自然保護協会(Wilderness Society)などである。
 1970年代の後半から、新しい環境保護運動が現れた。この”環境の正義 environmental justice (EJ) ”運動は、地方に根ざす約500の団体から始まった。現在、約2700にまで増えたこれら団体の紹介については、我々のウェブサイトhttp://www.rachel.orgをご覧いただきたい。(環境団体は皆、我々のウェブサイトで紹介されることを望んでいるので、もしモレている団体があればメールか電話で連絡いただきたい)。

 アメリカ市民の大部分、約80%の市民が環境について強い支持を表明しているが[1]、そのほとんどは従来の環境運動あるいは新しい”環境の正義”運動と行動を共にすることがないので、これら2つの運動は政治的な影響力を十分に発揮できないでいる。何故か?

 長い間、主流環境運動専門家達は、環境に問題を引き起こす源泉は主に人間であるあるという見方をしてきた。このような見方は、自然環境を人間の営みから切り離すという方向に導いた。シエラ・クラブの中には、このような見方に反対する人々もいるが、全体ではこの様な見方がまだ支配的である。

 環境運動の歴史についての優れた著書が最近、MIT出版から刊行された。ウィリアム・シャットキンの『あるべき我が国土−THE LAND THAT COULD BE』である。シャットキンは「従来の環境保護運動は、我々人間がほとんど住んでいない、あるいは働いていない原野や国立公園などに焦点を当てており、都市や郊外の人口密集地帯については目を向けていなかった」と述べている[2, pg. 127] 。

 シャットキンはさらに続けて「”従来の環境運動”から抜け落ちているものは、人々自身及び文字通り生活を脅かす様々なことがら、例えば、公共の広場が足りない、褐色の土地(汚染された都市の土地)、空気の汚染がもたらす喘息、その他多くのアメリカの地域社会固有の問題・・・等である。各地域社会とその住民は、環境に関する既存の体制や環境法や環境政策等から、常に後回しにされてきた」と述べている[2, pg. 120]。

 重要なことは、主流環境運動専門家達は伝統的に、地域開発や経済的発展は環境保護と相容れないという見方をしており、従って、働く者や貧しい人々、そして有色人種等、多くのアメリカ人にとっての関心事である生活基盤に係わることには背を向けてきた。

 シャットキンは「環境保護や持続可能な製造方法を採用しつつ、全ての地域社会への経済的投資や雇用機会を確保することが重要であるにもかかわらず、これらの論点は主流環境運動専門家達の中では大きくとり上げられていなかった」と述べている。
 同様に、そこでの人種構成によって根強く存在する”地域社会間の差別”への対応を怠って来たために、都市近郊や田舎の開発が偏重される結果となった[2, pgs.124-125] 。

 主流環境運動専門家達は、経済的発展や人種差別の及ぼす結果の重要性について無視してきたのみならず、意図的かどうかは別にして、貧しい地域社会に汚染物質が持ち込まれる様な環境政策を放置してきた。

 弁護士ルーク・コールは次のように書いている。「環境法規は貧しい人々によって、あるいは貧しい人々のためには作られてはいない。環境法規の背景にある論理やイデオロギーは、汚染は等しく全体の問題であるという視点を無視している。実際、環境法規は低所得者層が被る環境汚染は正当化している」。
 コールはさらに続けて「主流環境運動専門家達は、環境汚染を政府と産業界の”失敗”であると見なし、もし環境問題専門家がいくつかの形の悪いリンゴの形状を整えることができたなら、環境は保護されたであろうとしている。しかし草の根の運動家は、環境汚染を政府と産業界の”成功”であると見なしているが、その成功とは、環境コストを外に向けることにより、産業界の主たる目的である利益を最大化することであるとしている。文字通り人々を殺す空気や大地や水の汚染は、しばしば環境法規に抵触しないというようなことがある・・・」と述べている[3, pg. 643] 。

 主流環境運動専門家達は、働く者、貧しい者、少数民族にとって重要な問題点を除外していたので、新しい環境保護運動が1970年代の後半にアメリカで始まった。

 新しいアプローチ、”環境の正義 environmental justice (EJ) ”は、人々が住み、働き、遊ぶ場所の環境に焦点を当て、また、環境保護と環境の正義のためには、企業に対する政治闘争が必要であるとしている。
 また、環境を保護するためには、我々は地域社会に関与し、それを守り、再構築する必要があるとしている。
 ”第12節 環境正義の原則”において、「環境の正義は、都市郊外と田舎における環境政策では、全ての地域社会の文化を守り、全ての人々がそこにある資源を公平に使用できるよう考慮しつつ、自然とのバランスのとれた形で都市と田舎を整備、再構築する必要がある」と述べている[4]。

 実際問題として、環境の正義(EJ)運動は、例えば、ゴミ焼却炉のような好ましくない計画を低所得者層や有色人種の地域で実施することを止めさせるというようなことで、かなりの成果を上げてきた。そして誰でもがクリーンな環境を手にする権利があるという原則を築き上げた。

 ”環境の正義”運動及び海外の草の根組織による同様な活動の結果、クリーンな環境に対する権利は、今や基本的人権として認められるようになった[5] 。今年の4月に国連の人権委員会は公式に次のような宣言を行った。「誰でも、有毒物質の汚染や環境破壊のない世界に住む権利がある」。
 この新しい人権宣言を発表するに当たって、国連環境計画(United Nations Environment Programme)の専務理事、クラウス・トウファーは、「自然環境を汚染したり破壊する者は、自然に対し罪を犯しているだけでなく、人権をも侵害していると考える時代になった」[5] 。
 この宣言により、”環境の正義”運動の主要な関心事である環境を損ねることを守ることが国際的な規範となった。
 このことは、”環境の正義”運動にとって、重要であり、不滅の功績である。

 さらに”環境の正義”運動は、環境保護の延長として地域保護と経済開発の両立という困難を成し遂げた。あるグループは、現在、住宅、コンピュータ研修ラボ、市街地の庭園、農家の市場、レストランなどを所有し、運営している。また、あるグループは地域社会の政策決定に参画している。このように”環境の正義”運動は、非常に幅広く人々の心を動かし、従来の環境運動の視野をはるかに超えた諸計画に着手し始めた。(これについては第3回目でさらに詳細に検討する。)

 ウィリアム・シャットキンによれば、専門家による主流環境運動は、利害関係のある当事者達を民主的に運動に参加させることに失敗したと指摘して、「ダイレクト メール、中央主権的な機構、トップダウン方式の意思決定、等により、大多数の支持者は受け身となり、さらに、環境を守り、地域の環境政策を策定する力の源泉となる市民としての政治的参画能力がそがれることとなった」と述べている[2, pgs. 122-123] 。

 本質的に、専門家による主流環境運動主義は、創造的で力強い地域社会の中で、自然と社会の持つ資産の真価を認めていなかった。

 シャットキンは再び、「輸送手段、公園、並木のある遊歩道、等のような環境資産は公共の基金によって作られており、それらはさらに今後の維持管理や改善のためにも必要である。このような資産は、人々が集まり、顔を合わせ、市民活動を行えるよう、広い公共用地と施設を必要とする。これらなくしては、地域社会は市民生活を有意義なものとする資産はない。本質的に、環境資産は市民文化を育むことを可能にするものである」と述べている [2, pgs. 125-126] 。

 しかし、それはまた双方向なものである。すなわち、我々の市や町において環境に配慮した施設は市民生活を豊かにするものであるが、しかし市民活動への積極的な参加こそが地域の環境の維持に必要なのであるとして、ウィリアム・シャットキンは次のように強調した。。
 「ほとんどのアメリカ人は、近隣の人々との接触をしなくなったのみならず、実際に住み、働く物理的な場所、すなわち自分たちの環境にも関心を持たなくなっている。日々の暮らしの中で、我々の多くは地域社会での市民としての生活にほとんど関わりを持たなくなったし、安全で快適な環境を楽しむこともなくなった」。

 社会学者マニュエル・パスター・ジュニアはこれらについて、次のように示唆している。:
 過去の多くの環境の正義の闘いは、有害で不公平な事業を止めさせることに焦点を当てていたが、地域に根を張った団体は、”より積極的で調和のとれた社会の展望”を提言することができる。パスターは、このより大きな地域社会開発型のアプローチから少なくとも2つの利点を見出している。

  1. 大気や水をきれいにする権利を主張することにより、天然の資産を、例えば都会の中の農場や庭園など地域社会の福利に役立てることができる。
  2. 地域社会が環境をきれいにする権利を主張すれば、次には、学校や、住宅や、公共施設や、雇用など、他の”社会的資源”に対する権利を主張することにつなぐことができる。
 パスターは次のように結論付けている。すなわち、有毒あるいは有害なものを有色人種や低所得者の地域社会に持ち込むことに反対する環境正義の運動の成果は、普遍的地域社会の建設のための運動の重要な一部となる [6, pgs. 1-3] 。

 疑いなく、ウィリアム・シャットキンは、この点においてパスターの意見に同意するであろう。『あるべき我が国土−THE LAND THAT COULD BE』の中でシャットキンは、このより大きな地域開発に対するアプローチについて、ひとつの見解を述べている。彼はそれを”市民環境主義(civic environmentalism)”と呼んでおり、我々の第3回の主題とする。

ピーター・モンターギュ
(National Writers Union, UAW Local 1981/AFL-CIO)

[1] Willett Kempton and others, ENVIRONMENTAL VALUES IN AMERICAN CULTURE (Cambridge: MIT Press, 1995; paperback edition, 1996). ISBN 0262611236. And see the many opinion polls reported at: http://www.publicagenda.org/issues/-frontdoor.-cfm?issue_type=environment.

[2] William A. Shutkin, THE LAND THAT COULD BE: ENVIRONMENTALISM AND DEMOCRACY IN THE TWENTY-FIRST CENTURY ( Cambridge, Mass.: The MIT Press,2000; paperback edition October, 2001). ISBN 0262692708.

[3] Luke W. Cole, "Empowerment as the Key to Environmental Protection: The Need for Environmental Poverty Law." ECOLOGY LAW QUARTERLY Vol. 19 (1992), pgs. 642-643.

[4] United Church of Christ Commission for Racial Justice. 1992. PROCEEDINGS: THE FIRST NATIONAL PEOPLE OF COLOR ENVIRONMENTAL LEADERSHIP SUMMIT. New York: United Church of Christ Commission for Racial Justice. The Principles of Environmental Justice are available at: http://www.ejrc.cau.edu/princej.html

[5] UNEP [United Nations Environment Programme] , "Living in a Pollution-Free World A Basic Human Right" [press release No. 01/-49] (Nairobi, Kenya: United Nations Environment Programme, April 27, 2001). Available at http://www.unep.org/Documents/Default.asp?DocumentID=197&ArticleID=2819. For more information, contact Jim Sniffen, Information Officer, United Nations Environment Programme, in New York at (212) 963-8210. Thanks to Limour Alouf for this information.

[6] Manual Pastor, Jr., BUILDING SOCIAL CAPITAL TO PROTECT NATURAL CAPITAL: THE QUEST FOR ENVIRONMENTAL JUSTICE [PERI Working Paper No. DPE-01-02] . Amherst, Mass.: University of Massachusetts, Amherst, Political Economy Research Institute, 2001.



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