レイチェル・ニュース #729
2001年7月19日 将来展望草案−3 及び 草の根運動におけるリーダーシップ賞 ピーター・モンターギュ #729 - A Vision Statement -- Part 3 and Prize for Grass-roots Leadership, July 19, 2001 By Peter Montague http://www.rachel.org/?q=en/node/5362 訳:安間 武 ( 化学物質問題市民研究会) 掲載日:2001年9月12日 このページへのリンク: http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_01/rehw_729.html
(参照:REHN #727, #728, http://iee.umces.edu/ESDA/ http://www.futuresearch.net) 自らをESDA ”Envisioning a Sustainable and Desirable America 持続可能な望ましいアメリカの将来像を描く”と名乗るグループによる”将来展望草案”第3回を紹介する。 このグループは我々に将来展望を描く作業に一緒に参加するよう呼び掛けて来た。ESDAグループは次のように述べている。
産業(続き) 市場と競争は、もちろん、重要な役割を担っている。輸送コストを負担するということが障害とはなるが、各産業は遠く離れた地域で自由に商売をすることができる。これによる競争の原理のおかげで、地域社会は、その地方の産業の好意で値段を安くしてもらうということに依存しなくてもすむ。 情報を共有するようになるので、商売上の秘密は以前の競争市場におけるほどの重要性はなくなる。 今日のLinux(訳注:コンピュータの新しいOS)の開発が示すように、開発者がお互いに自由に知識を共有するようにすれば、特許を介して知識を私有化して企業利益をあげようとするよりも、技術革新を早くすることができる。 特許に関するトラブルは、環境関連技術の急成長にともない、より明白となる。環境関連技術は、気候温暖化の速度を緩め、環境汚染を減少し、生態系の希少な資源の消費量を減らすことに役に立つ。しかしこれらの目標が実現できるのは、その技術が大規模な対象に適用される場合のみである。 これらの技術に関する特許と独占利益が意味するところは、多くの人々はその負担に耐えられないということである。人々は、これらの技術を使用しない人々の分まで負担することはできないということに気がつくであろう。 幸いなことに、Linux 革命がもたらした自由な情報の流れにより、新しい技術革新がもたらされ、特許は陳腐なものとなる。 いくつかの産業は、工場で生産するときに、ユニット当たり従来より少ない資源を用いることにより、実質的な経済性を保持するであろう。例えば、太陽電池などがこれに当たる。大会社は、そのような製品を製造するために存在するであろうが、政府の規制対象となる。企業憲章は短期間のみ発行され、その更新は、その企業の責任ある行為を評価して行われる。 新規工事 希少な資源として、まだ使えるビルを取り壊し、同じ場所に新たなビルを建てるということは少なくなり、また人口の減少とともに新たなビルを建設する必要性も減少してくるが、それでも新しいビルの建設が必要となることがある。生態学的設計が主要な原理となるが、従来とは非常に異なる結果を得ることができる。例えば、ある建物は、幾世代にもわたって使用できるよう耐久性を求めて建設されるであろう。しかし多くの仮設の建物は、リサイクル可能な、あるいは生分解可能なように設計される。例えば、しっくい壁と”かやぶき”屋根の麦俵倉庫は、モジュラー方式の電気配線と水配管により取り外し易いようになっている。残りの構造物は、組立方式で、土に還り、土壌を肥沃にする。 3.天然資源 天然資源は、自然が与える物質と機能の全てであり、人間と地球上の全ての生物の安寧に寄与するものである。これには鉱物及び生物的原材料、再生可能な(太陽光、潮など)エネルギーと化石燃料、廃棄物吸収力、及び、生態系が作り出す生命維持支援機能が含まれる。 2100年のアメリカでは、天然資源の絶対的重要性が完全に理解されているので、もし我々が生き残り、1つの生物種として栄ようとするのなら、それらを保護しなくてはならないということは当然のことであると考えられている。 小学校の子どもでも、無から何かを作り出すことはできないということを知っており、全ての経済的生産は、結局、投入する原材料に依存している。経済的生産は変換プロセスであり、どのような変換にもエネルギーが必要である。何かを作るために我々は常に原材料を使用しており、製品がいずれ使い古されてくると、廃棄物として自然に返す。従って、地球の生態系がこれらの廃棄物を処理できるということを確認することが我々の責務となる。 自然の廃棄物の処理能力は、多くの重要な、しかしほとんど未解明な生態系の機能の一つである。これら自然の機能には、大気のガスの調整機能、水循環機能と清浄な水の供給、地球の気候の安定化機能、紫外線からの保護機能、地球上の生物多様性の維持機能、その他多くの機能がある。 これらの機能なくして、人間の生命を維持することは不可能である。 2100年までに、我々は生態系の機能を保護するための努力を重ねるであろうが、人間の経済活動により、我々文明人を脅かすに十分なダメージを生態系に与えるであろう。明らかに、よく機能する生態系は、経済に対する原材料供給となるものと同じ植物や動物からなっており、原材料供給が増えれば生態系の機能が衰退することになる。 再生可能な原材料の採取は、生態系の機能を直接的に減少させるが、鉱物資源の採取は、生態系に対し間接的なダメージを引き起こす。 生態系の機能は、もちろん、廃棄物によっても脅かされる。一般的に、健全な生態系は、再生可能な資源からの廃棄物を難なく自然に同化し分解するが、鉱山や産業からの廃棄物、濃縮した金属、化石燃料、人工化学物質などを分解することはできない。 2100年のアメリカは、これら自然への同化が遅い物質への依存は劇的に減らしているであろうが、汚染物質は政治的な国境などお構いなしなので、他国が使用する汚染物質の影響による被害を受けるであろう。 天然資源はまた、製造プロセスについて多くの洞察を与えてくれるので、経済的にも重要である。自然の営みを知れば知るほど、我々の現在の製造技術の効率の悪さ、有毒性、不経済性を知るようになる。2100年には、製造技術上の問題を解決するためには、健全な生態系を調べ、生態系が同じ様な問題をどのように解決しているのか理解するよう努力することが、標準手法となるであろう。 天然資源の重要性について認識し、よく知ることは、天然資源の扱い方を劇的に変化させることになる。非再生可能資源の使用により、環境へ悪影響を与えるので、我々は、非再生可能資源を再生可能資源に換えざるを得なくなり、これは、産業革命が始めたことと逆方向に向かうことであり、再生を以前よりも価値あるものにすることである。 天然資源に対する受け身の投資、すなわち、単に自然の再生能力に任せて天然資源を育てるだけでは、我々の必要を満たすためには不十分である。もっと積極的な投資が必要である。 アメリカは、植林し、湿地を回復し、土壌を肥沃にすることにより、天然資源を再生し復興させることを積極的に約束するであろう。 天然資源は自然の恵みで、タダで手に入るという、かつての考えは消えるであろう。このような変化により、制度上の重大な変革が必要となる。 例えば、天然資源に対する所有権の概念が変わるであろう。天然資源の多くは、世代間の共有財産として考えられるようになる。アメリカ人は法律により、再生可能な資源を、資源自身が再生できる量を超えて採取することを禁じられ、さらに、将来の世代が生き残れるよう、非再生可能資源を枯渇の危険がない程度に残さなくてはならなくなる。この法律は、輸入品にも同様に適用される。 土地の所有権も明示的に将来の世代に引き渡され、その土地を購入時よりも悪い状態にした場合には、高額な罰金、もしくは懲役刑が科されるであろう。 生態学的要素により、天然資源を枯渇させずに安全に使用できる範囲が決定されるが、やはり、市場原理が天然資源の使用配分を支配することになる。 さらに、天然資源使用量の固定化に加えて、消費者と製造者は共に、天然資源の消耗と廃棄物の排出による環境へのダメージに対し、環境税を支払わなくてはならない。これらのコストが不明の場合には、潜在的に有害な行為をする者は、債務証書の購入または実際にダメージが起きたときに社会に対する補償のための保険の付保を義務付けられる。 これらの政策により、天然資源を損なうと非常に高いものに付くことになる。その結果、アメリカでは、再生可能な代替資源の開発が行なわれ、急速に非再生可能資源への依存から離れていくことになる。アメリカは環境技術における世界のリーダーとなるであろう。 我々は”炭水化物”経済に移行中である。この名称は、実際あまりよいものではない。 現在、原料として炭化水素に頼っている多くの産業プロセスが、植物によって生成される炭水化物に多く依存する様になるが、大気から直接CO2を取り込んで、毒性がなく生分解性の炭素重合体を作り出す技術を確立することが、最も重要である。この技術が実現すれば、我々は長期間にわたって大気中のCO2を安定させ、減少させることも期待できる。 我々が、多くの危機に瀕した種と生態系が滅びるより早く、地球の温暖化をくい止めることができるかどうかは、まだ分からないが、明るい兆しは見える。 生態系の機能についての我々は2100年までに理解し、あらたな生態系の機能を発見するであろう。しかし、地球温暖化によって現在、変化が起きているので、人間のなせる行為が、特定の生態系に与える影響を正確に予測することはやはり不可能であろう。温暖化の速度が弱まっているので、生態系は徐々にその影響に順応し始めている。従って、資源の消費や廃棄物の排出が生態系の物質やその機能に影響を与えるという疑いがある時に、我々がどのように環境に対処するかを決定するに当たって、予防原則は重要な役割を担うことになる。 生態学的な回復の努力が、1950年代から2050年代にかけての大規模な環境破壊を修復するために開始されるであろう。しかし、引き続く地球の温暖化により、生態系の機能を崩壊させる脅威が依然としてある。アメリカ人は、広範な生態学的緩衝を作り出すためには予防原則が必須のものであると見なすようになる。 もし、地球温暖化が気象パターンと気候を劇的に変動させるようなことがあるならば、植物や動物は、住み易い気候の土地に移住するための生物回廊が確保されている場合にのみ、生きながらえることができる。また、再生可能な資源を頼みの綱とするならば、健全な生態系が広い範囲で供給できる原材料について、持続可能な生産量を確保できるようにする必要がある。 (次回に続く) ピーター・モンターギュ |