レイチェル・ニュース #728
2001年7月5日
将来展望草案−2
ピーター・モンターギュ
#728 - A Vision Statement -- Part 2, July 05, 2001
By Peter Montague
http://www.rachel.org/?q=en/node/5359

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2001年9月1日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_01/rehw_728.html


 ここでは、1月にオバーリン大学で3日間に渡り開催された”将来探求会議”から出てきた展望声明の草案を紹介する(参照:REHN #727, http://iee.umces.edu/ESDA/, www.futuresearch.net)。この会議の目的は、多様な考え方を持つ色々なグループが持続可能で望ましい世界を実現することについて、お互いに合意することができるかどうか検証することであった。

 多くの地域の活動家たちは、我々も含めて、何に対して反対するかについては知っているが、それが何のためなのかについてはあまり確信を持っていないことがある。しかし、もし我々が何のためなのかについて分かっていなければ、目標に到達したかどうかを、どのようにして知ることができるであろうか?目標を設定していないのに、どのようにして戦略を立てることができるであろうか?

 オバーリン・グループは自らをESDA ”Envisioning a Sustainable and Desirable America 持続可能な望ましいアメリカの将来像を描く”と、とりあえず命名した。このグループはレイチェル・ニュースの読者たちに将来展望を描く作業に一緒に参加するよう呼び掛けて来た。ESDAグループは次のように述べている。
 「あなた方がこの展望を読むために時間を割き、意見をお聞かせいただければ幸いです。
 あなたはこの世界に住んでいたいと思いますか?
 この展望にはあなたが同意できない部分がありますか?
 重要なことが抜け落ちていないでしょうか?
 あなたのご意見をメリーランド州ジョシュ・ファーレイ大学宛 E-mail、farley@cbl.umces.edu に送って下さい」

 ESDAは展望を5つの部分に分けた。世界観、資本の蓄積、天然資源、人的資源、社会的資源である。すでに我々はREHN #727で”世界観”について紹介を始めた。引き続き、これについて話を進めよう。

世界観(続き)

 安定した経済状態に至るために重要な第一歩は”コストの負担”に関することである。我々は、生産し消費するということが、貧困や苦痛といった社会的コストと共に汚染や資源消耗という環境コストを伴うということを認めなくてはならない。少なくとも、これらのコストは価格に転嫁されなくてはならない。コスト負担の考え方は、また、国家予算にも反映されなくてはならない。従来の国民総生産(GNP)は、持続可能な経済的福祉指標(Index of Sustainable Economic Welfare)あるいは、純粋進捗指標(Genuine Progress Indicator)に置き換えられるであろう(参照:REHN #516)。持続可能な経済的発展に関するどのような測定基準も、我々が依存する生態系の健全さを示す指標を含んでいなければならない。

 最後に、政策決定過程において、理念は専門技術よりも重要であるということである。政策決定者は、最早、経済学者の地球温暖化に関わるコストの損得勘定のための数学的解析などには注意を払わなくなるであろう。それよりも人々は、複雑な道徳や倫理の価値観は単純な方程式や純粋な論理に要約することなどできないということを認めるようになるであろう。政策決定に当たって、最早、感情が軽蔑されることはなくなり、むしろ人間の精神の基本的な要素として認められるようになるであろう。
 科学はその範囲おいては依然として尊敬されるが、正悪の道徳的判断は科学の範囲外であるということを人々は認めるであろう。技術は、我々が道徳や倫理にかなった決定を下す際に助けとなる僕(しもべ)であり、決して技術自身が目的ではないし、主人でもない。

 これらのことは、我々が2100年を展望する世界観の優れた特徴であるが、さらに我々は、社会は強固であり、生産的であり、異なった世界観を持つ幅広い範囲の人々が調和を保ちながら生きられる寛容さを持つことを思い描いている。

2.資本の蓄積

 資本の蓄積は、必要を満たすために人間が作り出した社会的生産基盤である。今後、100年間にわたる技術の進歩は、我々が描く”持続可能で望ましい2100年のアメリカ”において、蓄積する資本の種類に大きな影響を与えるであろうが、その優先順位についてもそれと同じくらい、あるいはそれ以上に影響を与えるであろう。

コミュニティ

 コミュニティは、生活空間、共有空間、そして作業空間を、憩いと自然を配慮して統合するために劇的に再編成されるであろう。作業空間には、人々の毎日のくらしに必要なものを供給する店があるが、また店の品の多くを生産する施設もこの空間にある。人々は、働く場所、買い物をする場所、そして遊ぶ場所に非常に近い所に住むようになる。
 一般的にコミュニティはもっと小さいものとなるが、その規模とデザインは地域の生態系からの制約によって決まる。

 このように非常に実際的な側面に加え、コミュニティは、”我々が歩んできた歴史に共鳴して心に安らぎを与える空間”として設計されるであろう。多くのコミュニティは、地域の人々の共通の空間として、自然に囲まれ公園や緑地帯が設けられる。これらはコミュニティの人々の心が通じ合い、互いに助け合うことを育むであろう。このことは新しいことではなく、単にこの千年間の共同社会の伝統をよみがえらせるということである。

 コミュニティの空間は十分にあり、よく設計されているので、個人の住宅は一般的には小さくなり、従ってその維持は簡単で経費も安くなるが、それでも世界の住宅水準からみれば豪華なものである。個人住宅の芝生は事実上なくなって共同の緑地帯が存在することになり、そのかわり個人の菜園がたくさんできるであろう。個人菜園は、実際、コミュニティの食糧供給に重要な役割を果たすようになる。

 急速に上昇するエネルギー価格により、コミュニティは、悪天候の時以外は徒歩と自転車の利用が輸送の主流となる。しかしアメリカ人はこのような歩行者社会に多くの恩恵を見出すようになる。最も大きな影響の一つは、人々を車の外に引き出すことである。職場まで、店まで、地域の集会場まで、あるいは自然の残る郊外まで”歩く”ことにより、人々は地域の他の人々と直接ふれ合うことができる。同じ方向に歩く人々は互いに会話を交わすようになり、友達になり、お互いに情報を伝え合い、地域のことがらについて議論するようになる。

 新しいコミュニティは人間にとっても他の生物種にとっても非常に健康な場所とあるであろう。体を動かし、必要とす栄養をとることで、今までの長時間通勤、道路の渋滞と車の排気ガス汚染、等によるストレスを解消し、身も心も健康になる。大気は非常にきれいになる。多くの道路や駐車場は不必要になり、それらは公園や小川や緑地帯に姿を変え、清浄な空気、水、そして健康な休息などを、生命力のある生態系が作り出す他の多くの恩恵とともに、享受することができる。
 水を浸透させない(舗装道路等の人工物)のエリアが大幅に減少するので河川の氾濫が減り、土地と生態系が水を浄化し、国土の河川がよみがえる出あろう。

 もちろん、個人専用車が道路を占有することはなくなり、多くの道路は、森や自然が必要とするスペースを塞ぐだけの役に立たない粗大ゴミ以外の何ものでもなくなるが、それらをきれいに片づけるのは容易なことではない。単に舗装道路に穴をあけるエネルギー・コストだけでも、国家が負担できる限界を超えたものになるかも知れない。
 生態系復元の専門家たちは、植物がこれ等の作業を我々に代わって行ってくれる方法を見つけだす必要がある。ある植物はアスファルトの割れ目に直接植えると生い茂るようになり、また他の植物は道路に開けた穴に植えると、その根がアスファルトやコンクリートを物理的に砕くことができるかも知れない。
 また別の植物は、アスファルトや車が今まで使用されてきたその長い年月をかけて汚染し続けた土壌中の汚染物質を化学的に分解することができるかも知れない。これらは古風な言い方をすれば、自然な植物の生態系への回帰による”道路の舗装”である。

 もちろん、巨大都市は100年で消えることはないが、それは大幅に再編されるであろう。2100年には都市は、近接するいくつかの小さなコミュニティの集合体となるが、個々のコミュニティは、そこに住む人々の住宅供給、雇用、社交、憩い、買い物などの必要をまかなうことができる。
 都市部には自然が大幅に戻り、生態系の復元が都市部の汚染除去のために大いに貢献することになる。もちろん、巨大都市は、個々のコミュニティとは異なって、それぞれ長所、短所を持ち合わせている。都市の中のコミュニティは、多くの場合、依然として民族的、文化的な境界に区分されているので、都市には人種の多様性と豊富さがある。
 都市部や近郊には十分な土地がないので、多くの都市は、そこで必要とする農産物や生産物の素材の全てをまかなうことはできないので、多くのものは、やはり、外部から持ち込まれてくる。

輸送

 すでに”コミュニティ”の記述で述べたとおり、個人専用車の台数は極めて少数となる。コミュニティ内における主な交通手段は徒歩と自転車であり、コミュニティ間の輸送は高速鉄道である。コミュニティ内では公共の輸送手段が重要となり、単に人間の輸送だけでなく、食品雑貨類の買い物に便利なように物資の輸送も考慮したものとなるであろう。多くの人々が公共の輸送手段を使うので、数も多く非常に便利なものとなる。鉄道が主体であるが、燃料電池で動くバスやタクシーもある。”交通”は過去のものとなり、公共の輸送手段は、今日の個人の専用車より速く、コストも数分の一である。
 道路上の車の数が極端に減るので、道路の保守費用も現在に比べて減少するし、また新規道路の建設も必要がない。水素燃料で動くハイパーカーを個人の乗用車として持つ人々もまだいるであろうが、これらの車は高価で、車の所有者は道路保守コストの費用をより多く負担しなくてはならない。多くのコミュニティでは、個人輸送を真に必要とする人のためにハイパーカーをレンタル用として用意している。これらのハイパーカーが使われていない時に、太陽光発電が十分でないという稀なケースが発生じた場合には、クリーンで高率のよい電力ソースして使用できるであろう。

エネルギー

 エネルギーの使用効率が上がるので炭化水素系燃料から切り替わった再生可能なエネルギーが、実質的にアメリカが必要とする全てのエネルギーをまかなうであろう。光起電性タイルが屋根材として普及し、屋根に設置した太陽光発電だけで、アメリカのエネルギー必要量の半分をまかなうことができるあろう。風力発電や太陽光発電による多くの電力が燃料電池用の水素生成のために、用いられるであろう。
 河川を自然の状態に戻すことが重要性なので、大規模水力発電所は減少して行くであろうが、影響の少ない小型タービンが普及するであろう。
 非再生可能で、非汚染のエネルギー形態も大量にあるが、アメリカにおける太陽光発電用セルの設置面積を減少することを主たる目標としたエネルギー効率の研究がやはり重要である。

産業

 産業も大幅に変わるであろう。設備の設計は、1つの設備からの廃棄物は次の設備への材料供給となるような、自然界を模倣したクローズド・ループ(閉経路)をベースにしている。産業設備からの廃熱は、近隣の住宅や作業空間での熱源として使用される。
 可能ならば、産業製品は地域の必要をまかなうために地域で使用され、産業廃棄物も、再利用できないものは少ないが、地域で処理されるであろう。
 多くの産業は地域が所有している。このような特性は、必ずしも生産性を最大にするとは限らないが、利益を上げることよりも重要である。
 第1に、地域での生産は、輸送コストを削減できるので、時には高い生産コストをまかなうことができる。
 第2に、コミュニティーは生産と消費による環境への影響を直接的に知ることができる。廃棄物に関わるコストをどこかよそに移してしまうということがなくなる。
 第3に、産業はコミュニティーの一員である。産業の多くはそこで働く人々やその製品を必要とする人々による地域所有である。単に株主への収益を最大にしようとするのではなく、産業はそこで働く人々に健康で、安全で、安定した、満足のいく職場環境を提供するよう努力する。製品を作る人とそれを使用する人とがお互いに知り合うことになるので、作業者は自分が作る製品の品質にプライドを持つようになる。
 第4に、経済のこのような地方分散化により、経済全体がビジネスサイクルの影響を受けにくくなり、雇用が安定する。
 第5に、地域による企業所有と地域市場のための生産により、商売上の機密や特許の重要性が減り、企業間の競争は、ある程度、協調に代わる。
 最後に、企業間競争の減少により、広告産業の規模が縮小されるであろう。このことは、かつては他のブランドでなく自社の製品を買うよう人々を説得するために費やした金を、自社の製品の向上を図るために費やすこと、あるいは、もっと単純に、そのような金は使わず、製品の価格をもっと安くする、ということを意味する。

【次回に続く】
ピーター・モンターギュ



化学物質問題市民研究会
トップページに戻る