レイチェル・ニュース #722
2001年4月12日
水道水中のヒ素
レイチェル・マッシー
#722 - Arsenic From Your Tap, April 12, 2001
By Rachel Massey
http://www.rachel.org/?q=en/node/5299

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
掲載日:2001年4月21日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/rachel/rachel_01/rehw_722.html



 ブッシュ大統領は、飲料水中のヒ素濃度の許容レベルを現在の50ppbから10ppbに引き下げることになっていた法規制の実施を撤回した。
 米環境保護局(EPA)は、飲料水中のヒ素は人間の皮膚がん、肺がん、膀胱がん、前立腺がんを引き起こす可能性がある[1]。飲料水中のヒ素は、また、糖尿病、血管障害、貧血症、及び免疫系、神経系、生殖系の障害に関係している、と述べている[1]。
 さらに最近の調査によれば、ヒ素は、例え10ppb程度の非常に低い水中濃度であっても、ホルモンに影響を与え、内分泌かく乱作用を引き起こす可能性があることを示している。ホルモンは微妙な生体機能をつかさどる化学的伝達物質である[2]。

 アメリカの現在の50ppbというヒ素の規制値は1942年に定められたものである。その後の10年にわたる研究及び科学的事実の見直しに基づき、前クリントン政権時代にEPAはより厳しい規制を提案した。しかしブッシュ大統領は、就任後直ぐにEPAの方針を覆した。

 ヒ素は、有機ヒ素又は無機ヒ素の形で存在するが、一般には無機ヒ素の方が危険である。無機ヒ素は、ある場所では自然に存在するが、それに加えて、アメリカでは毎年少なくとも600万ポンド(約27万トン)のヒ素が、採鉱、石炭燃焼、銅や鉛の精錬、木材防腐処理、自治体のごみ焼却、農薬の使用、等により、環境中に放出されている[3,pg. 249] 。世界保健機関(WHO)の一部門である国際がん研究機関(IARC)と米EPAは、ヒ素が人間にがんを引き起こすということについて認めている。EPAによれば、少なくともアメリカでは1,100万の人々が、現在、10ppb以上のヒ素で汚染された水を飲んでいる[5]。

 アメリカでは、10ppbのヒ素規制が採用されるはずであった。1993年に世界保健機関(WHO)は飲料水中のヒ素の許容値を10ppbとして勧告した。1998年に欧州連合(EU)15カ国は、飲料水中のヒ素許容値として10ppbを採択した[6]。WHOは、例え、このレベルであっても必ずしも安全ではないとしている。例えば、WHOは、10ppbのヒ素を含む水を生涯、飲み続けると、10,000人当たり6人が皮膚がんになると予測している[7]。

 1999年のアメリカ国立科学アカデミー(NAS)の研究報告で、アメリカの飲料水中のヒ素レベルを、“可能な限り速やかに”もっと低くすべきであると勧告している。あらゆるがんを考慮に入れると、現在の50ppbという規制値では、100人に1人の割合で、いずれかのがんにかかる可能性があるとNASは述べている[8,pg.301] 。100人に1人という危険率は、EPAが通常、許容できると見なす100万人に1人という危険率の10,000倍の値である。

 EPAはヒ素許容値を50ppbから10ppbにすることで、人間の生涯において1000件の膀胱がんと2000〜5000件の肺がんを防止できるとしている。EPAは、皮膚がんや前立腺がん、糖尿病、神経系障害、免疫系障害、あるいは血管障害の減少については述べていない[1]。

 最近の研究では、ヒ素はホルモンかく乱作用を引き起こす可能性があることが示されている[9] 。低レベルのヒ素にラットの腫瘍細胞を曝露すると、糖質コルチコイドという名で知られているホルモンの働きを抑制することがわかった。
 糖質コルチコイドは、人間の体の最も基本的な機能の働きをしている。糖質コルチコイドは免疫系や中枢神経系の調整や、血液、骨、腎臓中での糖分、澱粉、脂肪、タンパク質の変換作用を助けている。糖質コルチコイドは、体重、生育、発達に影響を与える[10] 。

 ヒ素のホルモンかく乱作用は、ヒ素がいかにがんを促進するかを説明している。動物実験では、糖質コルチコイドがある腫瘍を抑制することが観察されている。ヒ素はこの腫瘍抑制効果に影響を与えるので、がんを促進するものと考えられる。

 ブッシュ大統領にとっては、ヒ素の毒性は冗談の種となる。3月のディナーにおけるスピーチで、大統領は「皆さんご存知の通り、我々は飲料水中のヒ素の安全レベルについて研究しています。(笑い)健全な科学的検証に基づいて安全レベルを決定するために、科学者達は約3000人のグラス中の飲料水をテストする必要があると言っています。(笑い)テストにご参加いただき、ありがとうございます。(笑い)」と述べた[11]。

 ブッシュ大統領がヒ素の毒性について、なぜそのように軽く扱ったのか真意は不明であるが、それは彼が石炭産業と深い繋がりがあることに関係がありそうだ。石炭の燃焼はヒ素汚染の主要な原因である。多くの埋め立て地には、石炭火力発電所から出るヒ素を含有した石炭灰が持ち込まれている。ヒ素はこれらの埋め立て地から漏出して地下水を汚染している。

 石炭産業は、ブッシュ大統領の選挙運動の主要な担い手であった。ブッシュ大統領は最近、火力発電所からの二酸化炭素排出を規制するという選挙中の公約を撤回すると表明し[13] 、地球温暖化に対する国際条約である京都議定書から離脱すると表明した。下院議員ヘンリー・ワックスマン(民主党、カリフォルニア)は、ブッシュ大統領のヒ素に対する方針は選挙運動中に数百万ドル(数億円)を提供した産業界に対する見返りの一つであると述べている[5]。

 ヒ素を木材の防腐剤として使用している木材産業界もまた、現状の危険なヒ素規制によって恩恵を受けている。アメリカ木材防腐協会の代表は「協会員はブッシュ大統領の決定で救われ、ほっとした」と述べた[5]。

 EPAは10ppb規制を打ち出す前に、10年にわたってヒ素の危険性について研究してきた。ブッシュ政権は、10ppbと決めた科学的根拠が明白でないと言っている。さらに、ブッシュ政権のEPAは、クリントン政権がヒ素を削減するためにかかるコストを“十分に”理解していたかどうか疑わしいとしている。クリントン政権のEPAは詳細な予想コストを公開し、パブリック・コメントにかけていたにもかかわらずである[14] 。

 10ppbを採用するにあたってEPAは、ヒ素汚染を10ppbに抑えるためにかかる全土での全コストを、年間約1億8,100万ドル(約226億円)と見積もっている。もしこのコストを全所帯に割り振れば、年間一人当たり12ドル(約1500円)の負担となる。EPAは、これによって避けることのできる膀胱がんと肺がんのコストは1億4,000万ドル(約175億円)〜1億9,800万ドル(約247億円)であろうとしている。言い換えれば、この2つの病気に関するコスト削減だけで、飲料水中のヒ素を低減することに要するるコストをまかなうことができるということである。EPAは、皮膚がん、前立腺がん、肺がん、糖尿病、血管障害、免疫系障害、神経系障害など、ヒ素に関わる他の疾病に関するコストは見積もっていない[15]。

 ニューヨーク・タイムズ紙のジーナ・コラタ記者はヒ素に関してブッシュ大統領を支援している。注意深く情報を選択しながら、コラタは、10ppb規制案は科学的に混乱させるもので、コスト的にも見合わないと主張している。「ヒ素は自然に存在する(神がそこに置かれた)ものだ」という、ある科学者の言葉を彼女は引用しているが、数百万ポンドのヒ素を毎年、産業界が大気中と水中に放出しているという事実については触れていない。

 コラタは産業界のコンサルタントの言葉として次の様に引用している。「ヒ素レベルを低減することによって救われる命はとるに足らない数ではあるが、統計学的にはゼロではない。このことに1ドルかけてもよい。もし、ヒ素が様々な多くの病気を引き起こし、ホルモンかく乱作用を引き起こすということを知ったならば、数千万の人々が飲料水中のヒ素に曝されても、全く影響がない("zero" effect)と仮定することは、科学的に擁護出来ないし、道徳的にも許されない」。

 コラタは、10ppb規制の採用によって防ぐことのできる膀胱がんと肺がんの予測数については引用しているが、その安全規制によって防ぐことのできる他の多くの疾病については述べていない。コラタは、アメリカ国立科学アカデミー(NAS)は低減すべ規制値として特定の値を勧告しているわけではないということを“正しく”指摘している。しかし、彼女は、NASがアメリカはヒ素レベルをできる限り速やかに低減すべきであると主張し、ヒ素への曝露に安全値というものはないと述べていることを忘れている[8,pg.300] 。

 コラタは世界保健機関(WHO)が飲料水中のヒ素濃度規制値を10ppbとしたことについては、正しく指摘している。しかし、彼女は「多くのヨーロッパ諸国は、水中での最大許容値を20ppbとしている。・・・」とし、あたかもWHOやEPAの規制値案は世界の流れからはずれているかのように述べている。これは正しくない。EU加盟の15カ国は、1998年に水中のヒ素規制値を10ppbとして採用している。EU加盟国は、10ppbより緩い規制値を採用することを禁じられている[6] 。EU加盟を申請している他の13カ国がEUに加盟したならば、これらの国々も10ppb規制値に縛られることとなる。

[1] EPA Office of Water, "Technical Fact Sheet: Proposed Rule for Arsenic in Drinking Water and Clarifications to Compliance and New Source Contaminants Monitoring [EPA 815-F-00-011] ," (May 2000).
Available at http://www.epa.gov/safewater/ars/prop_techfs.html

[2] See http://www.ourstolenfuture.org/New/newstuff.htm#arsenicanedc.

[3] Syracuse Research Corporation, TOXICOLOGICAL PROFILE FOR ARSENIC (Atlanta, Ga.: Agency for Toxic Substances and Disease Registry, September 2000).

[4] See International Agency for Research on Cancer, "List of IARC Evaluations," Group 1 (list updated April 5, 2000).
Go to http://193.51.164.11/monoeval/grlist.html and click on "Group 1." Also see Environmental Health Information Service, "Ninth Report on Carcinogens," Group A (revised January, 2001).
Go to http://ehis.niehs.nih.gov/roc/toc9.html and click on "Known Human Carcinogens."

[5] Douglas Jehl, "E.P.A. to Abandon New Arsenic Limits for Water Supply," NEW YORK TIMES (March 21, 2001), pg. A1.

[6] Council of the European Union, "Council Directive 98/83/EC of November 1998 on the quality of water intended for human consumption," OFFICIAL JOURNAL OF THE EUROPEAN COMMUNITIES May 12, 1998, pgs. L330/32-L330/52.
Available for purchase at http://eudor.eur-op.eu.int

[7] World Health Organization, "Water, Sanitation and Health: Guidelines for Drinking Water Quality," information extracted from World Health Organization, GUIDELINES FOR DRINKING-WATER QUALITY , 2nd edition, Vol. 1 (Geneva: World Health Organization, 1993), pgs. 41-42.
Available at http://www.who.int/water_sanitation_health/GDWQ/Chemicals/arsenicsum.htm

[8] National Research Council, ARSENIC IN DRINKING WATER [ISBN 0309063337] (Washington, D.C.: National Academy Press, 1999).
Available at http://books.nap.edu/books/0309063337/html/index.html

[9] Ronald C. Kaltreider and others, "Arsenic Alters the Function of the Glucocorticoid Receptor as a Transcription Factor," ENVIRONMENTAL HEALTH PERSPECTIVES Vol. 109, No. 3 (March 2001), pgs. 245-251.

[10] See http://www.ourstolenfuture.org/NewScience/newsources/glucocorticoids.htm

[11] Frank Bruni, "Word for Word/Bushspeak; The President's Sense of Humor Has Also Been Misunderestimated," NEW YORK TIMES (April 1, 2001), Week in Review, pg. 7.

[12] John Harte and others, TOXICS A TO Z: A GUIDE TO EVERYDAY POLLUTION HAZARDS [ISBN 0520072243] (Berkeley: University of California Press, 1991), pgs. 217-221.

[13] Douglas Jehl and Andrew C. Revkin, "Bush, in Reversal, Won't Seek Cut in Emissions of Carbon Dioxide," NEW YORK TIMES (March 14, 2001), pg. A1.

[14] U.S. Environmental Protection Agency, "EPA to Propose Withdrawal of Arsenic in Drinking Water Standard; Seeks Independent Reviews," Press Release (March 20, 2001).
Available at http://yosemite.epa.gov/opa/admpress.nsf/
b1ab9f485b098972852562e7004dc686/77e59dbb919fdf4785256a150063d6a0?OpenDocument

[15] EPA Office of Water, "Technical Fact Sheet: Final Rule for Arsenic in Drinking Water [EPA 815-F-00-016] ,"(January 2001).
Available at http://www.epa.gov/safewater/ars/ars_rule_techfactsheet.html

[16] Gina Kolata, "Putting a Price Tag on the Priceless," NEW YORK TIMES (April 8, 2001), Week in Review, pg. 4.



化学物質問題市民研究会
トップページに戻る